後ろからザッザッと何かが来る音が聞こえる。
魔素のノイズ的に魔人であることはあり得ない。しかしながら反射的に振り向いてしまった。
「……お疲れ様でした。治療します」
そこに居たのは錫杖を手に、深刻な表情を浮かべるトウカだった。シヅキは眼を合わせないようにして言った。
「いや……それより……“浄化”は完了したんだ。“抽出”……抽出しねえと……あんたの仕事だろ」
「……そうですね」
そうは言ったものの、トウカは抽出に移行しようとはしなかった。代わりに、シヅキの前に座り込む始末だ。
「おい……」
「足、負傷しましたよね? 見せてください」
トウカの瞳は大きく開かれていた。琥珀色のソレは……見ているだけで、どこか吸い込まれそうに思えてならなかった。詰まるところ、抵抗の余地がないということで……
ハァ、と溜息を吐きシヅキは負傷した左足を差し出した。
「……これだ」
裾を
「おそらくだが、あいつ……靴に仕込み刃をつけてやがった。近づいた時にそれで斬られたんだろうな」
「痛みますか?」
「別に……」
「嘘ですよね?」
「…………少し、痛む」
見ると、傷痕からは血が滲んでいた。ドクドクと魔素の減少を感じる。それは確実に“存在が薄まっている証”に相違なかった。
「あくまでも応急措置ですから、ちゃんとした治療はアークに帰還した時にお願いします」
「……ああ」
「では……少しだけ動かないでください」
その場で立ち上がったトウカは、錫杖をシヅキの足元に向けた。琥珀の眼が少し鋭くなる。
「ん……!」
シャン
小さく息を吐く声と同時に、錫杖の鈴が綺麗な音を奏でた。すると――
襲われたのは、体内魔素が
「ごめんなさい……」
治療の最中、トウカがそう謝ったもので、シヅキは疑問符を浮かべた。
「何に謝ったんだ?」
「もう少し上手く、戦闘の支援が出来たら良かったのですが……ギリギリになってしまいました」
「ギリギリ……」
思い出されたのは、魔人が一瞬間だけ停止した出来事だった。あれは……やはりと言うべきか、トウカが起こした隙だったか。少なくともあれ以外で、彼女の存在を感じることは全くなかった。
「そう、だな……」
現在進行で傷痕が塞がっている足元を見下ろしながらシヅキは言った。
「何も、立ち回りとか……合図とか? そう言うのを決めていなかった。即興でやったんだ。トウカは、それを気遣ったんじゃねーのか? 無断で支援を施すと、ペースが乱れるって」
シヅキはトウカの反応を見ることなく話を続ける。
「だったら、正解だった。少なくとも俺の場合はよ。あんたは、あんたの責任を終えていたと思う」
「そう、ですか……」
「だからこそ、意味分かんねえのがよ」
今度はピクリとも動かない魔人の方を見ながら低い声で言った。
「なぜ俺の治療を優先した?」
睨むようにしてトウカを見る。
「あんたは、抽出型だ。浄化が済んだ後の魔人から、任意の魔素情報を抽出して運搬する……それが役割だ。魔素の抽出は、浄化直後の魔人からじゃないと意味を持たないんじゃないのか? 空気と混ざって希薄しちまうとかでよ。 ……俺の治療より、よっぽど優先度が高い筈だ。あんたがやったのは……職務の放棄だ。分かってんのかよ」
「…………」
トウカは何も口を挟むことなく、粛々としているだけだった。
「……優先度を、履き違えないでくれよ。いちホロウの存在なんて、たかが知れているんだ。“理想の未来”を達成するためにも、魔素の回収をしてくれ」
「もう手遅れだろうけどな」最後にそう付け足して、シヅキは仰向けに倒れ込んだ。そして眼を
(説教……まさか、する側になるなんて思わなかった)
溜息が喉元まで上がってきたが、それは唾液と共に飲み込んだ。もうこれ以上トウカを刺激するような真似は不要だろう。
「…………ないくせに」
(……?)
冒頭は聞き取れなかったが、空気混じりの声が確かに聞こえた。無論、トウカの声だ。聞こえないように愚痴の類をこぼしたのか? にしては、どこか声に寂しさのようなものを感じたのだが…………。
(わざわざ中央から来て、周りのものに一々興味を持って、治療を優先して……分かんねえ)
明らかに、周りにいるタイプのホロウではなかった。それは、性質の差という一言で片付けられる範疇を超えているようで。どちらかというと、彼女には異質という言葉が似合っているように思えた。
※※※※※
治療を終えた後では、案の定、魔素の抽出は間に合わなかったらしい。希薄しきった魔人の魔素は、既に自然魔素と同化してしまっており、これでは“解読”しようにもどうにもならない。
魔人に軽く手を合わせた後、シヅキとトウカはアークに向けて移動を始めた。……とは言っても、もう話すことはなかったが。
歩を進める足に、もう痛みは残っていなかった。傷痕だって無い。衣服だけはどうにもならないが。
道中で唯一交わした会話が、そんな傷の具合についてだった。完治した旨をトウカに伝えると、彼女は「良かったです。でも一応診てもらってください」と、微笑んでいるのかなんとも言えない顔で言った。
あとは淡々と歩いていくという感じで。次にシヅキが口を開いたのは、無骨な大洞窟の入り口でだった。
「着いたぞ。ここが辺境区のアーク……通称『オド』だ」
ようやく護衛任務が終わるという達成感は頭になく、さっさとシャワーを浴びて寝てしまいたい……シヅキはそんな思いに駆られた。
……無論、そう上手くは行かないのだが。