「一度で良いから負けてみたいわね」
ルドルフと一緒にレースの視察に来ていた今日このごろたった今決着が着いたその瞬間を眼下に見ながら半ば無意識にそんなことを呟いていた。口にしてから流石にまずいかと思って横を見れば案の定隣りに座っているルドルフからすごい目で見られちゃった。
「流石にその発言は生徒会長としても一人のウマ娘としても聞き逃がせるものではないな」
いつもよりちょっと目尻の上がった親友にそんなことを言われてしまい肩をすくめておどけてみせるけどそれでも許されないようね、まあ、あんな発言どう考えてもして良いものじゃないわよね。
「まあまあ、そんな怖い顔しないでよね、ポロッと出ちゃっただけ。当然本心なんかじゃないわよ」
そうは言っても追求の無言の視線が止まるわけもなく、どうしたものかと考える。ルドルフになら話しても良いかもしれないけど流石に場所が悪すぎる。こんなところでトレセン学園の制服を着ながらする話ではない。一応他の人達より離れた場所ではあるけれどそれでもどこで聞かれるかわからない。ルドルフは言わずもがな、私も一応それなりに顔が売れちゃってるのよね。そんなことを説明しながら学園に戻ったら話すってことでなんとかこの場は収めてもらう。
こんな時に限って時間が経つのは早いし予想外のトラブルなんてものも起きやしない。学園に戻り次第連行されだれもいないベンチに腰を下ろす。
「さて、そろそろ話してもらおうか。ここなら聞き耳を立てる者もいない」
さてはて、もうここまできたらゲロるしかないわね。こんなことをしっかりと誰かに話すなんて恥ずかしくてしてくないことなのに。
「どこから話しましょうか…… 貴女も知っての通り私はこれでも負けなしで重賞も何個か勝っているわ。そして入学時は体が弱いなんて言われたけど大きな故障もなく今まで来ているわ。最近はレースからも離れ気味だし余計にもし、なんてものを考えちゃうの。私が走れば敵はいなかった。そして誰も追いついてくれなかった。知ってる? 私稀代の逃げ馬なんて言われてるけどそんなつもりはないのよ。ただ誰も追いついてくれないだけ。気がつけば一着で勝っているそれだけよ」
「……君以外がそんなことを言えば自惚れるな、なんて説教の一つでも考えるのだがな。実績が証明しているのが質が悪い」
「あははは、そうね。私だってこんなことを言う子がいたらどうかと思うわね」
二人で苦笑いをしながら用意してくれた飲み物を一口喉を潤す。
「ねえ、ちょっと話が脱線しちゃうけど聞いてくれる?」
そんな私の問に無言で首肯してくれる。今更だけどほんとルドルフと出会えて、友人に成れたのは私の今までの中でも有数の幸運ね
「ねえ、先頭を走るってどんな気持ちだと思う? 私達のレースの進め方は大きく分ければ逃げ、先行、差し、追い込みの四つよね。その中で逃げだけが唯一のものがあるんだけどわかる? 答えを言っちゃうけど逃げだけがどこまでも孤独なのよ。逃げだけが誰の背中を見ることもなく走り続けなければいけない。そして誰かの背中を見る時は敗北を意味するの。まあ例外もあるけどね」
ちょっとおどけて語尾だけを少し上げるがルドルフの眉間のシワは深くなるばかりだ。
「逃げの景色っていうのはね誰もいないコースをどこまで一人で走り続けちゃなくちゃいけない。スズカみたいにその景色が好きっていう子もいるけどなかなか珍しいと思うわ。目安にする誰かがいないキレイなコース。振り向こともできない背中にライバルたちが近くにいるのか遠くにいるのか。聞こえてくる観客の声援は私に対してか、それとも私に迫りくる誰かに対してか。それらがわかるのはゴール板を超えた先にしかない。それが逃げの孤独、恐怖なの」
「なるほど興味深い意見だ、私も先頭で走ることは有っても逃げはほとんどしないからな。だがマルゼン、わかっているかい? 今の君の話は並ばせることはなく、ゲートが開け先頭に立てば一度たりともそれを譲らない、どこまでも傲慢な意見ではないか?」
さすが我が友人はっきりと言ってくれる。そしてそれは私が思うものと同じこと。
「そ、何回かミスって僅差に持ち込まれたことはあるけど私のレースは基本差がつくでしょ? だから余計にね考えちゃうの。勝つということは理解できた。じゃあ負けってどんな気持ちなの、ってね。これじゃあ私だけレースの楽しみを半分しか味わえてないじゃない。だからといって手を抜いて負けるなんてできるわけもないし、このもやもやは消えてくれないの。ねえルドルフ? 負けるってどんな気持ちなの?」
なんの後ろめたさもなく私はそう無敗の3冠ウマ娘にそう尋ねる。
「……そうだな、負けというものは今まで築き上げてきたものが崩れ落ち、自らが引き裂かれるように感じていたな。どれだけ必勝を期していても自分や相手のコンディション、それ以外の外的要因も重なれば絶対なんてものは存在しない。私も初めて負けた時は悔しくて悔しくて勝者を称えるなんてことはできなかったよ。胸の中にあるのは自分への失望とただただ熱があるだけだった」
「熱?」
「ああ、二度と同じ相手に負けるものかと自分への不甲斐なさと相手への対抗心で体すら燃やし尽くさんと熱く熱を持つ。それが敗北というものだ」
「いいわねそれ、前に私と同じレースに出た娘がもう走れないなんて言ってるの聞いちゃって負けるってことはそこまで苦しいものなのかって思っちゃったの。その娘もその後もう一度走ることを宣言してくれたから良かったけど」
「君の場合は少々勝ち方が派手だからな。まあしかし、友人の走りが原因で学園から去る者がいなくてよかったよ」
「心配掛けて悪いわね。でもいつか私を負かしてくれる、私に背中を見せつけてくれる誰かが来てくれるのかしら」
なんて最後はルドルフとまったりとしたお茶会になった。そんな中視線を感じれば誰かがこちらを化物を見るような目で見ている。それは私が何度も向けられた、レース後で表彰式で私が向けられた視線だ。
急に黙った私を不思議に思ったルドルフが私の視線を追い立っている生徒を見つける。どうやらルドルフの友人のようで何かを話している。
「どうしたんだい?」
「かしこまらなくてもいいよ。なに、ちょっと傲慢な化物と皇帝の話が聞こえてね。一般市民としてはどんな顔をして良いのか分からなかっただけさ」
そう言いながら背を向けて立ち去ろうとしている彼女の腕をいつの間にか掴んでいた。
「ね、ねえ…… 教えてくれないかしら。私達の話をどう感じたか」
気がつけばそう頼み込んでいた。彼女は私からしたら赤の他人で向こうからも同じはずだ。そんな私の頼みに困ったような顔をしていたがルドルフからも頼んでくれて自称一般市民の彼女はゆっくりと話し始める。
「そうね……どこまでも傲慢で吐き気がしてきそう」
そう言い捨てた彼女の表情は私が今まで何度も見てきたそれだった。
「そうね……どこまでも傲慢で吐き気がしてきそう」
ああ、言っちゃった。腐っても同期な皇帝様が真面目な顔をして話してるもんだからちょっとゆっくりと静かに歩いて聞き耳を立てたらこれだ。悪いことはするもんじゃないね。ほとんど、というより100%の暴言をぶつけられた二人は一人は驚き、一人は悲しそうな目で私を見てくる。そして言外に続きを求めている。え、なにこれ私が説明しないといけないの? 完全に貧乏くじじゃない。とは言ってもここまで関わってハイさよならなんてしたらそれはそれで明日から気まずいし、仕方ないか……
「私達はウマ娘なのよ? 目標は人それぞれで最終的には勝つためにここにいるの。それなのに負けてみたい? それにいつか自分を負かす相手を待つだぁ? 調子に乗るのもいい加減にしなさいよ! て言いたいんだけどね。マルゼンスキーさん。貴女の戦績を見ればそうなってもおかしくないかもね。誰よりも女神に愛された貴女は時代にだけはどこまでもそっぽを向かれている。どこまで羨ましくてどこまでも寂しいのかもしれないわね。で、皇帝さんよ、あんたはあんたで大分キてるわよ。負けたら次に勝つための活力が湧いてくるだあ? 次勝てる人間しか言えないわよそれ。普通負けたら次も負けたらどうしよう。このまま勝てなかったらどうしよう。なんて考えがちょっとは頭をよぎるものなの。それは次は勝てるなんて革新してるのは相当の自信家か能天気のどっちかね」
そこまで一気に言って殆どが勝てない自分の僻みになっていることに気づいた私は恥ずかしくなって二人から視線を外してしまう。いくら最近勝てないからってなんの関係もないこの二人に当たるのは流石に終わってる。深呼吸を一つ謝罪ををしようとそっちを向いたら世界の終わりみたいな顔が飛んでくる。これ私のせい? 私のせいだよね。背中に嫌な汗がじっとりと流れ始める。シンボリルドルフもマルゼンスキーも学園の人気者だ。はたから見れば私がそんな二人を攻撃してるように見えないか? 今すぐダッシュで逃げたくなるけど誰かに見られている気もする。どうすれば良いんのこれ!?
突きつけられた言葉は私の心に大きく突き刺さった。それは隣りにいるマルゼンも同じようで沈んだ顔を上げれないでいる。目の前では私達に言葉を投げかけてくれた彼女が慌てた顔でなにか弁明している。私達の方から頼み込んだんだ。何を言われようとも彼女を悪く思うことなんてないのだが? そんな中突然マルゼンが顔を上げる。しかしその表情は想像とは違う暗くても少し明るいものだった。
「あーあ、はっきり言われちゃった」
そう、少しおどけたように言う彼女が私には分からなかった。たった今はっきりと己を傲慢だと吐き気がするとまで言われたものがする表情ではないはずだ。
「まあ、仕方ないわよね。もう私にできることと言ったら勝って勝って勝ち続けて追いかけてくれる誰かに私の背中を見せ続けるしかないんでしょうね」
今までの話の結論がそれなのか……? 今初めて友人であるはずの彼女の考えがわからなくなった。表情にも出てたのかもしれない。マルゼンに突きつけた彼女も私と同じ顔だ。そんな私達を苦笑しながらこう言ったんだ。
「だって怪物にできることは自分を倒しうる誰かを待つしかできないんだから」
逆光で影に隠れた表情は果たして私の知る彼女のものだったのだろうか。