大丈夫。クリスマスには、僕は必ず帰ってくるから
1人の少女は愛する人が帰ってくることを願う
1人の少年は愛する人のもとへ帰ることを誓う
クリスマスの日に…
「クリスマスの24日には戻れるのね?」
「うん、こっちの仕事がひと段落したから。日本に戻れそうだよ」
私はシンジがクリスマスに間に合って、何とか帰って来ることを誰よりも喜んでいた。シンジはWilleの欧州支部(旧ユーロNERV)に出張を命じられ、現地の視察と本部とのすり合わせを行っている。その出張も現地時間23日に終わって、すぐに日本へ戻ってくることになっているけどね。でも、家まで直帰することが出来るほど、このWilleは優しい組織じゃないから。世界において国連と同等かそれ以上のパワーを有する関係で、その業務は多岐にわたるし多忙だしでさ。私たち夫妻、特に幹部級の職員は本部で缶詰になることが予想されちゃう。アイツもかな。
「空港や本部にまで来てもらうのは保安上の問題があるから、せめて最寄り駅に来てくれると嬉しいや」
「わかった。その代わり、約束しなさい」
「なんだい?」
「朝とは言わないから、絶対に夜には帰ってきなさい。帰ってこないと弐号機で乗り込むわよ」
念のため述べておくと、この世界にエヴァンゲリオンは存在しない。あの出来事によって、世界中から希望も絶望も司る戦士は消滅していた。つまり、彼女が放った最後の言葉は冗談である。
「大丈夫。僕は約束を守る人間だよ。それじゃ…24日にね」
ガチャ
向こう側で受話器が置かれた音が聞こえるのと同時に通話が終了したことを告げる電子音が続けられる。名残惜しそうに携帯端末を持っていた女性はテーブルに端末を置いた。そのまま後ろにあったソファーにボスっと座り込んだ。
「どうせ帰って来られないくせに…」
電話越しで彼は帰って来ることを約束してくれたが、それは彼女を安心させるための方便に過ぎない。それを読み切って、且つ理解していた。そんなことをされては怒りに怒ってもおかしくない話であるが、彼女に怒る気は毛頭なかった。その逆で、一種の寂しさを覚えていた。お互いにWilleの幹部職員として忙しい毎日を送っているため、互いが仕事を理由にして家庭を犠牲にする傾向がある。お互い様の様であるから、文句を言いたくなっても、言うことは許されない。むしろ、自分の方が家庭を犠牲にしがちだ。親の愛と家族を知らない自分は、軍人上がりの性もあってか、仕事に打ち込むこと優先にすることが多い。それで心を押し込んで生きてきた。しかし、今は最愛の人と結ばれているのだ。多少の愛を知ってもいいだろうに。それでも、過去の辛い過去と楔からは完全に逃れ切れていなかった。相も変わらず、とても優しい彼は「アスカの方が大変だもんね」と私を受容してくれる。それに甘えている自分が憎たらしくもあった。
もう、色々な感情が沸き上がって、混ざりに混ざって、得体の知れない感情を生み出しそうになる。このままでは泣くことに繋がってしまうため、気分転換に飼い猫を吸いに向かった。愛猫を吸えば、大抵の悩み事は解決するものだ。
「シンジ長官。帰国後ですが…」
「悪いけど、帰国後の会議とかは全部断っておいてね。疲労による体調不良とか適当な理由を付けてさ」
「えっ…」
帰国の準備を進めているシンジの下を秘書官が訪れ、日本へ戻った後のことについて詰めようとした。だが、彼は帰国後の予定を全部キャンセルすることを告げたので、大いに狼狽してしまう。その姿を見て、彼は穏やかに笑って言った。
「実は僕の奥さんから言われちゃってさ。クリスマスに帰って来いと。だから、よろしくお願いね?頼まれていた旅行ツアーをとっとくから」
「はい。承知いたしました」
いくら偉い人と秘書の関係と雖も、業務から外れたことをお願いするときは命令ではいけない。ちゃんとした、対価があるバーター取引ではないと平等ではないだろう。そこで、彼は秘書が望んでいた願いを叶えることで手を打った。これを秘書が受託したことで取引は非公式に成就する。
「さてと、ちょっと外出してくるね。荷造りとか全部終わっているから、君は現地の職員との方々と挨拶をするといいよ」
シンジは欧州支部の建物を後にして、街に繰り出した。街は大いに栄えている。クリスマス前日ということもあり、期間限定の特別セールで大騒ぎだ。そこら中に仮設の露店が建ち、各店主が自信をもって仕入れて来たクリスマス品をアピールしている。ここは欧州ゆえ、飛び交う言語は自分の母国語ではないが、ちゃんと国際共通語である英語を嗜んでいるため買い物をするだけなら支障はない。
散策しながら周囲をくまなく見ていると、昔の自分と似た少年が露店を営んでいる。人類の存亡を背負わされ、父親のエゴに使役され、最後は命を捨てて人の願いを果たそうとした少年時代を思い出す。少年の姿が己の過去に重なったことと売っている品物を見て、この店に決めた。
「あ、いらっしゃいませ」
「景気はどうかな?」
「見ての通りだよ。全然さ」
机に置かれている品物を見ると、多少売れていることは窺える。しかし、他の繁盛店に比べれば売れ残りが若干多いように思えた。この店が売っているのは、クリスマス仕様のチョコレートである。何てことはない、この時期はよく見られる定番商品だと思われるだろうが、よく見ていただきたい。チョコレート自体は基本的な形を踏襲しているも、やや歪な形をしてもいる。これは工場で量産されるようなものではなく、彼か彼の家族が真心込めて作った手作りの逸品だ。
「ふ~ん。そうか、じゃあだね。チョコレート全種類を、それぞれ一個ずつもらえるかな?」
「えっ、いいの?」
「もちろんだよ。ほら、お金」
お会計用のお皿に現地で買い物をする用のお金を置いた。普通のチョコからナッツ入り、ビター等々のチョコレート全種類を買うとなれば相当の金額になる。それで少年は驚いたが、目の前に置かれた大量の紙幣を見て更に驚いた。
「さすがに多すぎるよ。お兄さん。ピッタリにするから、少し待ってね」
「あれ、参ったなぁ。今日の内に日本に帰らなきゃいけないから、外貨は全部使っておきたいな~」
「…」
シンジはウィンクして合図した。少年は涙目になって、しきりに彼へ感謝の言葉を述べる。丁寧に丁寧にチョコレートが入った箱を特別仕様のラッピングに包み、最後まで感謝を忘れないで渡した。
「いいクリスマスを」
この他にも様々なお店に立ち寄ってから、建物に戻っていった。今日の昼前頃には出発して、日本の国際空港には12時間以上かけての夕方ごろに到着するはずだ。その日は…クリスマスの日。急げば何とか間に合うだろうか。
「今帰るよ。アスカ」
「寒いわね…嫌な感じ」
この日は季節を突き抜けたような超寒波が日本を襲っていた。最寄り駅のある地域も例外ではなく、強烈な寒さによって気温は0度を下回った。しかも、空からは雪が降り降りて来ていて、視覚的にも寒さを伝えてくる。線路には雪が積もり、走っている高速鉄道は慎重に運転せざるを得ない。
そんな駅のホームでは、1人の女性が缶のホットコーヒーをカイロ替わりにして列車の到着を待っていた。その列車に最愛の人が乗っているはずだ。
(今日も新幹線をご利用くださりまして、ありがとうございます。次に6番線に到着します列車は『こだま984号』、当駅止まりです。ご乗車いただけませんので、ご注意ください。繰り返します…)
駅員さんのアナウンスが流れ、もうすぐで列車が到着することが告げられた。そのアナウンスを受けて、女性はドアの位置を示す案内に従い、ドアが目の前にくる位置に立つ。待ち伏せをするようだ。2,3分程待っていると、お待ちかねの列車が入線してくる。彼がどの車両に乗っているかは知らされていないが、女の勘で「ここだ!」と決め打ちした位置にいる。案外、勘も馬鹿にならないものだ。
車両が完全に停止すると、ゴミ収集車のメロディーと同じ音楽を出すホームドアが開かれる。そして、列車のドアが開かれた。この駅は結構大きな駅だが、速達性に秀でた他の列車に多くのお客が乗り込む傾向があるため、降り立つ人は極めて少ない。自分が立っている箇所でも降りてくる人は…いなかった。
非情にも、車掌と駅員が連携して乗降する客が一人もいないことを確認してからドアは閉じられた。
「バカシンジ…バカっ」
不貞腐れようとする女性。
突き刺すような寒さが更に加速させる。
その時だった。
一両向こう側の位置にある柱から何かが出てきた。目を凝らして見ると、あれはクリスマスラッピングが施されたプレゼントだと分かる。訝しく思っていると、今度はまた別のプレゼントで顔を隠しながら姿を現す制服姿の人が出てきた。
「本当に…バカね。まったく、変わらない」
女性は転ぶ危険性を顧みず、走り出した。
「シンジっ!」
「ただいま、アスカ」
おしまい