天皇賞秋優勝ウマ娘『プレスディフェンス』 作:ソヨンヒエン
* * *
その三人がゴール板の手前100mで並びかけた時、そこに居た殆どの人々がその光景に驚愕しただろう。
あの日、何万もの観客の誰もが、異次元の逃亡者の勝利を疑っていなかった時、その『貫禄あるウマ娘』が眼に仄かに宿していたものを知る者は何人居たのか。
それは限りなく『数少な』かっただろう。
『異次元の逃亡者』から辛うじてハナを奪い、『黄金の旅人』を辛うじて離してゴール板を駆け抜けた君の脚は、もはや満身創痍でありながらも、その激しいレースの負荷を堪えた。
そしてそのあまりにも予想外の決着に、一瞬の静寂の後にレース場全体がどよめきに包まれた時。
ウマ娘にとって不治の病である屈腱炎を、三回も克服して遂に秋の盾の栄光を手にした君の視界には、一体どんな景色が映っていた事だろう。
それは他でもない君にしか分からない。
しかし、三つ確かな事がある。
君は世界線を超えて、同期である彼女を失う事なく、その勝利を彼女に届ける事が出来た。
君は世界線を超えて、アノ日大欅で散った『彼』……『彼女』との真剣勝負に臨み、文句なしの勝利を刻む事が出来た。
そして君は世界線を超えて、たとえウマソウルに刻まれた名前が変わってしまっても、たとえ喧騒の只中であっても、たとえ心無い声があったとしても、
その勝利を『数多く』の観客に称賛してもらう事が出来た。
そんな君の名は、『プレスディフェンス』。
無数にある様々な世界線の中で、ある年の天皇賞秋を制覇したG1ウマ娘。
これはそんな彼女の苦難の物語だ。
* * *
あの悲劇的な『夢』については、私はもはや思い出さない方が良いだろう。
何ヶ月か前に見た悪夢としか言えないような光景。
彼女にとっても、私にとっても、それは全く良いものではない。
仮に今後脳裏に浮かんでも、強引に打ち消す事としよう。
ただ一つ言えるのは、私はそんな未来を回避する事が出来たという事だ。
この数ヶ月の努力が実った事に、私はとても安堵したし、私の悪夢や私の病と同じような目に遭った他のウマ娘達に勇気を与える事が出来たのは、素直に嬉しいと思う。
そして、
「部屋に居たのか、ディフェンス」
……そう、今やってきたナリタブライアンが無事であった事もとても嬉しい。
もっとも、こちらは殆どチームシリウスで解決したようなものだったが……。
「……ディフェンス……?……無視をするな。晩飯を食べに行く約束をしたのはお前からだっただろう?」
……本当に、ブライアンが生きていて、そして無事に走れていて良かった…。
「ディフェンスッ!日記を書くなら後にしろっ!」
「あーそうだったね。優勝祝いにブライアンが奢ってくれるんだっけ」
「そうだっ!外出許可証もたづなさんから既に2人分貰ってあるんだ。焼肉も既に予約してある。…とっとと行くぞ」
「りょうかい」
「支度はしているな……。よし」
ブライアンはいかにも当然かのように私のハンドバッグを持ち、軽く外に顎を向けると入口の方へ歩いていった。
私は自分と反対側の空きスペースに置いてあるギブスを履くと、玄関前で鍵閉めを待っているブライアンに鍵を渡し、寮の廊下に出た。
ブライアンに鍵を閉めてもらった後は、ニコニコと笑っているアマさんに見送られながら美浦寮を二人で出る。
ブライアンとただ二人で黙ってこうやって歩いていると、色々思い出してきたりもしてしまい、色々考えてしまう。
……にしても、ブライアンもかなり過保護になったなぁ。
秋天の前もそうだったが、秋天を走り抜いた後にまたもや脚の具合が悪くなってしまったせいか、頻繁に私のところに来て色々世話を焼いてくれるようになった。
この後に控えた有馬記念も、隙あらば出ないように説得をしてきている。
『有馬記念には出ずに、ドリームトロフィーリーグに上がってきてくれないか?』
ドリームトロフィーリーグはトゥインクルシリーズで好成績を収めたウマ娘が出走できるもので、最低G1一勝か複数の重賞レースを勝利しなければ出られない。
今までは重賞二つで厳しかったが、今は上がろうと思えばもう上がれるだろう。
だけど……。
『え?なんで……?』
『なんでってお前、それはその、…ドリームトロフィーリーグは年二回だから、お前もゆっくり休んで脚を治してからレースに出られるだろう?』
『あーそういう事ね。でも私は出来ればスペシャルウィークや、その同期のグラスワンダー、あとは秋天のメンバーともまた走ってみたいんだよね』
そう、ウマ娘としてはどうしても欲が出てきてしまうもので、出来るなら異次元の逃亡者のライバルであるスペシャルウィークやその同期のグラスワンダー、そして秋天で共に走ったキンイロリョテイやブライト、キヌセイギやニッコウバターなどのその他の面々達とも走ってみたいのである。
『……なるほど。わかった……』
『ん?急に肩を落としちゃったけどどうしたの?』
『…なんでもない』
あれは一体なんだったんだろうなぁ……。
まさか、私と走りたいってわけでもあるまいし、脚のこと心配しすぎなんじゃないかな。
「おい、着いたぞ。ボケっとしてないで階段登るぞ。…脚は痛まないか?大丈夫か?」
相変わらずやっぱり過保護だなぁ。
あっ、そうだ。
「ねぇねぇブライアンー!」
「?…なんだ?」
「今日は私達が出会った日からの話、全部振り返って色々話さない?」
「…何を企んでいるんだ」
「別に〜?」
「…まぁいい。私も色々話したかった所だ」
「やったー!」
さて、ブライアン。言質は取ったぞ。
今日は何時に帰れるかな?
* * *
「わっ!?村藤トレーナー!?まだいらっしゃったんですか!?」
「あっ!?すみませんたづなさん!驚かせてしまって……」
「いえ、それは良いのですが……、先程プレスディフェンスさんはナリタブライアンさんと一緒に外出されたので、てっきりトレーナーさんもお休みされているのかと思って……」
「あっ、なるほど〜!すみません!ディフェンスの為にも、またすぐに復帰プランを考えなきゃと思って……時間を忘れて作業していました……ごめんなさい」
「いえいえいえ!トレーナーさんが謝まる事ではないですよ。……それよりもプレスディフェンスさんの復帰プランというと……?」
「ディフェンスが有馬記念に出たいって言ってるんですよ、本当はドリームトロフィーリーグに移った方が良いんでしょうが、一回上がっちゃうとトゥインクルには戻れないんでね。秋天メンバーと走れるのも最後かもしれませんし」
「……でも、それは……」
「……あっ、えっと分かってはいるんです、彼女も僕も。でも、これまで必死に僕らなりに藻搔いてきた。今更どうってことないですよ、有馬記念だってただ参加賞のためだけに走るわけではないですし、彼女も一度大きな賭けに勝ってきたんです。ただ潰れる為に走るんじゃない。そんな感じです……。あーなんか頭がぐちゃぐちゃして上手く話せません……。……たづなさん?」
「……いえ、なんでもないですよ。……トレーナーさん、今日一緒に飲みに出かけませんか?」
「えっ!?……それは「出かけませんか???」あ、イイデスヨッ!」
「ふふっ、ありがとうございます。今日は是非トレーナーさんとプレスディフェンスさんのお話を沢山聞きたいです♪」
「……あっ!?はい!……いいですよ……」
* * *
僕がディフェンス……プレスディフェンスと出会ったのが昨日の事のように思い出される。
それは、桜の花びらの舞う皐月の頃だった。