雪ノ下雪乃は偽物である   作:恥谷きゆう

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本当に、雪ノ下陽乃は分からない

 あの日相模からの依頼を受けた雪ノ下は、後日文化祭実行委員副委員長に就任した。そしてその日から、容赦のない専制政治──いや、相模が名目上は上だから傀儡政治か──を始めた。

 ポスター設置箇所の提示から、有志団体確保のための地域賞の創設まで、分野を限定しない雪ノ下の活躍は、執行部に属していない俺の耳にまで届いていた。その活躍は、もうあいつが実行委員長でいいんじゃないかと思う程だ。

 

 実行委員会の定例ミーティングも四回目になった。会議室の前に座る雪ノ下は、隣に座る委員長の相模を差し置いて、会議をテキパキと回していた。

 

「──ポスターの掲示箇所の交渉を進めてください。それから、ホームページの更新も急いでください。特に我が校を受験予定の中学生はこまめにチェックしているはずです。いち早く対応を」

「有志参加団体は昨年までの記録から、地域の方々への打診をしてください。例年、地域との繋がりを掲げている以上、参加団体の減少は避けないと」

「では委員長、終わりの合図を」

「えっ……あっ、うん。じゃあ、今日もお疲れ様でした」

 

 最後だけまともに発言を許された相模が号令をかけると、ようやく終わったとばかりに委員会が解散する。

 弛緩した空気の中で話されるのは、雪ノ下副委員長への賞賛ばかりだ。徹底的な作業の効率化、膨大な知識からの、各方面への助言、提言。年上だろうが容赦のない氷のような態度。

 

 口さがない者は、相模の空気っぷりを嘲笑することすらあった。

 相模もその空気を分かっているのか、取り巻きを連れてスタスタと会議室を後にしていた。その背中は自信なさげに曲がっている。

 当然だろう。同級生が派手に活躍している横で、置物のように座っているお飾りの委員長。その心情は想像するに難くない。

 

 分かっているのか、雪ノ下。お前は相模を救うことなんてできてないぞ。

 めぐり先輩と何か会話している雪ノ下の美しい横顔を見る。めぐり先輩のゆるっとした雰囲気と相対しても、その氷のような態度は崩れていなかった。

 

 ……やはり、最近はいつも以上に表情が硬いような気がする。気のせいでなければ、ピンと伸ばしていた背筋もわずかに曲がっている気がする。

 もしかして、あいつなりにいっぱいいっぱいだったりするのだろうか。委員会を支える彼女がどんな苦労をしているのか、俺は知らない。

 

 きっとあの雪ノ下なら大丈夫だろうとは思う。既に作業は前倒しで進んでいる。順調としか言いようのない進捗だ。けれど、あいつが完璧ではないことを知ってしまった俺には、その成果はあいつが無理をした結果ではないのかと疑ってしまう。

 そして、俺のそんな予感が正しかったことは、雪ノ下陽乃の襲来をきっかけとして実行委員に訪れた変化によって明らかとなった。

 

 

 俺がなぜか葉山と一緒に実行委員へと向かうことになった時だった。文実の本部となった会議室から、いつもとは違う類のざわめきが聞こえてきていた。開始前の実行委員には不釣り合いな、少し張り詰めたような、僅かな緊張感。

 廊下から中の様子を見ると、そこには夏休みにも会った、雪ノ下陽乃の姿があった。どうして学校にあの人の姿があるのだろう。

 

 何やら話しているのは、陽乃さんの他に、めぐり先輩、そして雪ノ下雪乃だ。

 

「姉さん、何しに来たの?」

「何その怖い表情。やだなー。有志団体を募集してるって聞いたから来たんだよ」

 

 姉に対する雪ノ下の表情は、いつも以上に冷たく、硬かった。それを見かねためぐり先輩が、慌てて説明をする。陽乃さんを呼んだのは自分であること。在学中にバンドで演奏して文化祭を盛り上げていたこと。

 

 その様子を見ていた葉山が、自然に会話に加わっていく。陽乃さんに対する態度には、長い付き合いを窺わせる気安さがあった。……そうか、雪ノ下姉妹とあいつは幼馴染だったな。

 

「ね、雪乃ちゃん、出ていいでしょ?」

 

 一通り会話を交わした陽乃さんが、雪ノ下に話しかける。陽乃さんの砕けた態度に対して、雪ノ下の顔は硬いままだ。

 

「好きにすればいいじゃない……。それに、決定権を持っているのは私じゃないわ」

「あれ、雪乃ちゃん実行委員長じゃないの?」

「すいませーん。遅れました」

 

 ちょうど陽乃さんが問いかけた時、相模が会議室に入ってきた。謝罪を口にしているが、その表情は少しも悪びれていない。

 

「あの子が実行委員長よ」

「へえ、あの子が……実行委員長が、遅れて来るんだ」

 

 その途端、先ほどまでの表情豊かな様子が嘘だったように冷徹な顔になった陽乃さんが、相模をじっと観察する。その威圧感のある態度に、相模がわずかにたじろぐ。

 

「え? あ、あの、実行委員長の相模です……その、なんですか?」

「……いいね! やっぱり文化祭を最大限楽しめる者こそ、実行委員長でなくちゃ! なんだっけ、さかがみさん? まあいいや、委員長ちゃん、いいね!」

「あ、ありがとうございます」

「で、委員長ちゃん、ちょっと聞いて欲しいんだけど──」

 

 相模が表情を綻ばせる。おそらく、実行委員長になってから初めての、肯定的な言葉。それに気を良くしたのだろう。相模は陽乃さんからの文実へのいくつかの要求を、大して考えもせずに吞んでいた。

 それを見ている雪ノ下は何か言いたげにしていたが、結局口を挟むことはなかった。

 

 

 そんな顛末を遠くから眺めてた俺は、我関せずとばかりに自分に与えられた席へと向かった。

 葉山や雪ノ下、陽乃さんなど華やかな人間の揃うあの空間は、同じ部屋なのに遠い場所に感じた。

 けれど、そんな空間にいたはずの陽乃さんは俺の姿を確認すると、きらびやかな空間を抜け出してこちらへと近寄ってきた。

 

「働いているかね、青少年」

「ええ、俺は下っ端ですからね。それはまあ馬車馬の如く」

 

 卑屈な笑みを浮かべると、陽乃さんはそうかそうか、と満足げに頷いた。……この人、何しに来たんだろうか。

 

「でも、比企谷君がこんな場所にいるとは思わなかったよ。何、委員会に好きな子でもいた?」

「違いますよ。なんか平塚先生にハメられて、仕方なくです」

「そっか、静ちゃんの差し金か」

 

 陽乃さんはぽつりと呟くと、こちらの目をじっと見つめ始めた。雪ノ下とは似て非なる美しい顔に、少し動揺する。

 

「ねえ、比企谷君。今の雪乃ちゃん、どう思う?」

 

 唐突で漠然とした問いだった。少し考えながら、言葉を紡ぐ。

 

「……相模の助けて欲しいって依頼を受けた時から、らしくねえなあ、とは思ってましたね。積極的に前に立つようなことする奴じゃないですし」

 

 由比ヶ浜の依頼を受けた時から、助けて欲しいと言いつつ自助努力をしない人間を嫌うような、そんな高潔な奴だったはずだ。──ああ、でも、高潔というのは俺の押し付けだったかもしれない。

 キャンプの終わり、事故の時と同じハイヤーに乗り込む雪ノ下のこちらをチラと見た時の顔を思い出した。いつもの冷静そうな顔に、一瞬現れた不安と後悔の色。あの時俺は、雪ノ下は俺と同じ人間なんだと、実感を持って悟ったはずだ。

 

 自分で吐いた言葉についで思考を巡らせていると、陽乃さんが真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「比企谷君」

「はい?」

「その、らしくない、っていう言葉、雪乃ちゃんには言わないで」

 

 この人の印象とは大きく外れる、妹を想う優しい姉のような言葉に、俺は思わず陽乃さんの顔をじっと見つめた。

 

「私も未だにどうしてなのか良く分からないけど、そのたぐいの言葉は、雪乃ちゃんが一番嫌がるから」

 

 真剣な表情に、思わず視線を逸らしてしまった。

 

「……あなたは、妹の嫌がることを率先してやる人だと思っていましたけど」

「生意気言うじゃんか、このこの!」

 

 陽乃さんの細い人差し指がにゅっと伸びてきて、俺の頬に突き刺さった。

 

「痛い痛い! もしかして結構怒ってますか!?」

「──私は、雪乃ちゃんのためにならないことはやらないつもりだよ」

 

 ぽつりと、独り言のように呟いた。──その一言は、俺が見た中で最も雪ノ下陽乃が内面を晒した瞬間だったのかもしれない。

 

「それってどういう──」

「みなさん、ちょっといいですかー?」

 

 全く底の見えない陽乃さんの、ふと見せた内面に俺が追求しようとすると、会議室に突如として響いた無遠慮な声に遮られた。陽乃さんもそちらを見ているので視線を上げると、いつになく上機嫌な相模が実行委員に呼びかけていた。

 

「やっぱり、文実は自分が文化祭を楽しんでこそ、人を楽しませられるのかなって思うんです」

 

 どこかで聞いたような理屈を白々しく吐いて、実行委員長は続けた。

 

「文化祭を最大限楽しむには、クラスの方も大事だと思います。仕事も順調に進んでいることだし、少し仕事のペースを落とすっていうのはどうでしょうか?」

「相模さんそれは──」

「いいこと言うねー。私の時も、みんなクラスの方でもすごく頑張ってたなー」

 

 何か言いかけた雪ノ下を牽制するように、俺の隣にいた陽乃さんが明るく相模の言うことを肯定した。雪ノ下が冷たい視線で陽乃さんを貫いたが、彼女は涼しい顔でそれを受け流した。

 

「先人の知恵には学んだ方がいいって言いますし、私情は挟まず、みんなで文化祭を楽しみましょう!」

 

 相模の言葉に、その場にいた文実メンバーから、ちらほらと拍手が送られる。その場の空気がそれに賛同するのであれば、雪ノ下と言えども安易に否定はできない。どうやらこの案は可決されたらしい。

 

「本当にいいこというね。ねえ比企谷君」

 

 陽乃さんが俺に笑いながら話しかけてくる。俺には、彼女の意図が全く分からなかった。

 先ほど一瞬その強化外骨格の中身が見えたと思ったその人は、また俺の分からない、底の見えない人に変わってしまった。

 

 せめてもの抵抗に、俺は問いかける。

 

「……妹さんのためにならないことはしないんじゃないんですか?」

 

 陽乃さんはいつも見せたような底冷えするような笑みを浮かべて答えた。

 

「君に私の行動を理解してもらう必要なんてないよ」

 

 

 




話がなかなか進まなくてすまない……
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