雪ノ下雪乃は偽物である   作:恥谷きゆう

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ボク比率高め(当社比)


少しだけ、雪ノ下雪乃はさらけ出す

 文化祭という非日常に突入した学校は、いつになく賑やかだった。

 私はあたりを見渡して、廊下を行き交う少年少女を眺める。

 自分の教室の呼び込みをする生徒は、派手な色をした看板を持って、喧騒に負けないように声を張り上げている。

 お化け屋敷の前で楽し気に会話している女子生徒は、見慣れない高校の制服を着ていた。

 笑いながら廊下を歩いていく総武校生のカップルはあまりにも幸せそうで、比企谷君が見たら「リア充爆発しろ」とでも言いそうだ。

 

 こんな幸せそうな景色を見ると、ようやく自分が実行委員としての役割を全うできたという実感が湧いてくる。達成感と充足感で胸がいっぱいになる。辛かった日々は、この日この光景を見れただけで全部報われた気がしてくる。

 比企谷君も、こんな気分になっただろうか。

 

 ゆっくりとあたりを見渡していると、ふと目に留まる光景があった。喫茶店の出し物をしているクラスの前に、特徴的なアホ毛と気だるげに丸められた猫背を見つけた。

 自然、足はそちらに向いていた。

 

「周りは賑やかなのに、あなただけ葬式にでも来ているようね、陰気な比企谷君」

「ハッ。俺はいつも通りにしているだけだ。むしろ、学校行事一つで浮かれ切ってるやつらの方がおかしいんだよ」

 

 周囲を見渡して目を腐らせながら、彼は答える。

 けれどその態度の裏に、苦労して準備を進めた文化祭が無事に開催できたことへの喜びや安堵が隠れているようにも見えた。

 

「お前は仕事か?」

「ええ、見回りよ」

 

 文化祭という非日常に浮かれ切った生徒たちが何かトラブルを起こしていないか監視するのも、文実の重要な役目だ。

 まあ、自分のクラスでやっているファッションショーに顔を出したくないというのもある。クラスに戻ったら、まず間違いなく着せ替え人形にされる。

 

「あなたは記録の仕事、できているの?」

「ああ、まあボチボチな」

 

 比企谷君が首から下げているカメラを掲げる。腕にはめられた腕章には、「文実・記録」

 の文字があった。どうやら彼も仕事をこなしていたらしい。

 

 

 少しばかり、喧騒に溢れる廊下を二人並んで歩く。見回りという仕事上、教室一つ一つを観察して歩く私。その横で、なんとなしに文化祭の風景を眺めている比企谷君。

 会話はなかったが、彼の隣にいると、不思議と安心できた。

 

 きっと、あの日素のボクを見せることができたからだ。私は自分の心情を、そう分析した。

 雪ノ下雪乃としてではなく、ボク自身として接しても、受け入れてくれた奉仕部の二人。二人の前なら、この体に生を受けてからずっと付き纏っている、完璧にあらねばならぬという強迫観念めいたものが少しだけ和らいでいくような気がした。

 

「あのクラス、申請内容とやっていることが違うわね」

 

 ふと目に留まった光景は、とあるクラスの出し物だった。中から聞こえてくるのは、ゴトゴトという何かが走る音と、キャーキャーという楽しそうな叫び声だ。

 

「……ジェットコースターでもやってんのか?」

「申請内容通りなら、教室の中をゆっくり走るゴンドラで景色を見せるだけだったはず。……あの、代表者の方はいますか?」

 

 言いながら、私は不思議な既視感のようなものに囚われていた。こんな筋書きを、どこかで見たような……。

 

「やば、文実だ」

「どうする? とりあえず乗せちゃう?」

「乗せちゃえ乗せちゃえ!」

 

 私の言葉に動揺した生徒たちは、何事か話し合ったかと思うと、私の腕を掴み無理やりゴンドラに乗せようとしてきた。

 唐突に訪れた危機に、思わず助けを求めるように比企谷君の方を見てしまう。

 

「あっちも文実?」

「乗せちゃおう!」

 

 私が見たせいで文実だと気づかれた比企谷君も、腕を掴まれ教室の中へと誘導される。

 あれよあれよという間に、私と比企谷君は狭いゴンドラの中に乗せられてしまった。私の後から乗せられた比企谷君が、窮屈そうに私の近くに迫ってきた。

 

 ここまでくれば、私にも分かる。これは原作にもあったイベントだった。すっかり忘れていた。どうやら祭りの雰囲気にあてられて浮かれていたのは、私も同じだったらしい。

 

 私と比企谷君の押し込められたゴンドラが、大きな音を立てながら動き出す。

 ……それにしても。

 

「比企谷君、近いのだけれど!?」

「しょうがねえだろ、狭いんだから。ちょっと待て、動くから……」

「ひぁっ! どこ触ってんの!? ボク怒るよ!」

「……いや、すまん」

 

 比企谷君のひんやりとした手が素肌に触れて、思わず高い声が出てしまう。比企谷君が低い声で謝罪を口にした。

 なんとか体勢が整ったらしい比企谷君が動きを止める。冷静さを取り戻した私は、ゴンドラの揺れの中で彼を観察する。

 

 ゴトゴトというゴンドラの走る音は、私の鼓動の音に搔き消されていた。比企谷君の体がすぐ近くにあると、心臓がひどくうるさい。

 

 ──少し前までのボクならば、自分の心臓がドキドキと音を立てることに気持ち悪さを感じ、自分の気持ちを拒絶したのだろう。

 けれど、今のボクは違う。奉仕部の二人にボクを受け入れてもらえた今なら、このままでもいいか、なんて思えてしまった。

 

 正直、この胸の鼓動の正体がなんなのか、未だに良く分からない。恋情なのか、友情なのか、それとも主人公である彼への憧憬なのか、区別なんてつかない。

 でも、それでいいと思った。比企谷君や由比ヶ浜さんと一緒にいると、胸が少し温かくなる。今はその事実だけで十分だと思えた。

 

 覆い被さるようにして私の近くにいる比企谷君の体は驚くほどに大きくて、私の体が彼よりもずっと小さいことを思い知らされた。

 これだけ近づいて初めて、彼はこういう匂いをしているんだと気づいた。

 顔を上げればすぐそばに比企谷君の顔があって、ゴンドラが大きく揺れれば唇と唇が接触してしまいそうですらあった。

 

 ともすれば脱線でもしそうなほど不安定に揺れ続けるゴンドラの中で、私は比企谷君の顔を眺めて続けていた。

 

 

 ◇

 

 

 文化祭という名の祭りは終わり、後には思い出だけが残った。いや、俺の場合仕事が残ってたわ。文実最後の仕事、報告書が残っている。

 

 色々あった文化祭も無事終了を迎え、俺は夕陽の照らす特別棟の廊下を歩いていた。橙色に染まった廊下には誰もいない。その様はひどく寂し気で、少し前まで文化祭という非日常に彩られていたとはとても思えなかった。

 

 俺がこんな場所を歩いているのに大した理由はない。ただ、普段の俺には縁の遠い騒がしさに長時間囲まれていたせいで、静かな場所を求めていたのかもしれない。

 ボッチは普段人混みの中にいないので、周りに人のいる環境に身を置き続けると自分の居場所に帰りたくなるのだ。──だから、そこで彼女と会うのは必然だったのかもしれない。

 

 向かう先は、なんだか久しぶりに行く気がする奉仕部室だ。から、と扉を開くと、夕陽に照らされる美しい少女の姿があった。

 

「……あら、比企谷君。どうしたの?」

 

 何やら書類作業をしていた雪ノ下は、現れた俺に問いかけると小首をかしげた。きょとんとした顔が夕陽に照らされている姿があまりにも美しくて、俺は少し顔を逸らした。

 

「いやなに、文実の報告書できる場所探してたんだよ。お前がここ使ってるなら他探すわ」

「いいえ。私は構わないから、ここを使ったら?」

 

 いつになく毒のない様子の雪ノ下に、なんとなく断るのも気が引けた俺は、扉を閉め、いつも使っていた椅子に座った。

 

 机の上に報告書を広げ、記入を始める。その様子を目で追っていた雪ノ下が、いつになく柔らかな表情で話しかけてきた。

 

「何やってるの? ボクにも見せて」

「ッ! ゴホッゴホッ……」

 

 その言葉を聞いた瞬間、俺は動揺のあまり思いっきり咳き込んでしまった。

 

「どうしたの?」

 

 こてん、と首をかしげる雪ノ下。

 

「……いや、急にボクとか言いだしたから」

 

 少し前まで頑なに隠そうとしていたそれをあっさりと口に出したことに驚いた。

 言ってしまえばそれだけだった。しかし雪ノ下は俺の言葉を聞くと、少し不安そうな顔をして言った。

 

「えっと、素のボクは、嫌い?」

 

 恥ずかし気に俯いて、だけど視線は上目遣いにこちらを向いていた。頬を赤らめながら、雪ノ下は小首を掲げて聞いてきた。……かわいい。

 

「……」

 

 ……ハッ! あぶねええええ! 数秒意識が飛んでた。戸塚でボクっ娘耐性が付いてなかったら即死だった……。

 

「いや別に好きにすればいいんじゃねえの」

 

 口先ではなるべく興味なさげに言ったが、内心はそれどころではなかった。

 

 かわいい。めっちゃかわいい。何だあれズルだろ。普段すまし顔してるくせに急にそんな態度取られると勘違いしてしまうのでぜひやめて欲しい。俺の理性が危ない。

 

 俺のバクバクと音を立てる心臓の様子など知らないように、雪ノ下は言葉を紡ぐ。

 

「えっと、ボク由比ヶ浜さんに言われたこと色々考えたんだけど、せめて奉仕部室の中でくらい、このままでいようかなと思ったんだ。三人だけの時だけ、少しだけね」

 

 いつもよりも幼い、というか中性的な印象を与える話し方だった。俺に対して罵詈雑言を飛ばしてきていた彼女は、どこか行ってしまったようだった。

 

 そんな風に、普段とは比べ物にならないほど柔らかい印象の雪ノ下だったが、突然咳ばらいすると、急にいつものすました顔になった。

 

「ンンッ……そうだ、比企谷君。全校生徒の嫌われ者になったんですって? 気分はどう?」

「ああ、最高だな。人生でここまで注目浴びた事もなかったからな」

「そのポジティブさは私も見習いたいものね……」

 

 私、と自分を呼称した雪ノ下は、これ見よがしに深々と溜息を吐いた。その様子は、数か月で俺の見慣れた雪ノ下その人で、先ほどまでの柔らかい表情は嘘のようだった。

 

「……なんだ、『素のボク』はもう終わりか」

 

 揶揄うように言うと、雪ノ下は鋭い目線を俺に向けてきた。その威圧感は凄まじく、喉の奥で変な音が出た。

 

「誰がそんな恥ずかしいこと言うの? あなたの気持ち悪い妄想を垂れ流すのはやめてくれないかしら?」

「あっ、ハイ」

 

 あまりにも理不尽な物言いだったが、眼の圧に負けた俺は大人しく白旗を上げた。

 

「あんな恥ずかしいこと、そう長く続けられるわけないじゃない……」

 

 聞こえるか聞こえないかギリギリくらいの声量で、雪ノ下はぼそりと言った。

 

「でも、比企谷君のおかげで相模さんが責められることもなくなったわ。──本当に、誰でも救ってしまうのね」

「そんな大層なもんじゃねえよ」

 

 文実の準備段階から、実行委員長としての未熟さを晒していた相模。そんな彼女は、閉会式の前に発表するはずだった地域賞の集計結果と一緒に音信不通になってしまう始末。

 実行委員長としての責務を放棄し多方面に迷惑をかけた相模は、きっと本来なら責任を問われるはずだったのだろう。

 

「大きな間違いを犯した相模さんは、本来なら糾弾されるはずだった。けれど、戻ってきた彼女は比企谷君にひどい言葉を言われた被害者というポジションに収まっていた。これをあなたのおかげと言わず、なんと言うの」

「俺がそんなこと考えてなくて、ただ相模にムカついてただけだって言ったらどうする?」

「あなたがそんな無意味なことしないことくらい、私にはよく分かっている。──ボクがどれだけ君のことを見ていたと思っているの?」

 

 ふいに言われたその言葉に、心臓がドクンと跳ねる。見ていた、なんて言われてしまうと、変な期待を抱いてしまいそうだ。

 自分の顔の熱を誤魔化すように、俺は適当に言葉を吐きだす。

 

「ああ、あんなに的確に俺を罵倒してくるんだもんな。良く見てるよ」

「単にあなたが欠点だらけだから、いくらでも罵倒文句が思い浮かんでくるだけよ」

「悪いな、でも俺はこんな自分でも結構好きなんだ」

「ああ、それは私も──」

「やっはろー!」

 

 雪ノ下が何か言おうとした瞬間、元気の良い言葉を共に、奉仕部室のドアが勢いよく開かれた。廊下には、何やらテンションの高い由比ヶ浜の姿があった。

 

「文化祭お疲れ様! ってことで後夜祭、行こ!」

「行かない。で、後夜祭って何?」

「知らないで断ったの!? ねえゆきのん、行こうよお!」

 

 由比ヶ浜は今度は雪ノ下の方に向き直ると、駄々をこねるように懇願しだした。

 

「私のように交友関係の狭い人間が行っても気を遣わせるだけよ」

「ええー。……あ! ゆきのん、部室では私禁止って言わなかった!?」

 

 由比ヶ浜は、突然謎のルールを言い出した、しかし雪ノ下の方には覚えがあったのか、少し顔を逸らした。

 

「知らない話ね。由比ヶ浜さんの思い違いじゃない?」

「言ったよ! ゆきのん最後は認めたじゃん!」

「そいつ、さっきまでボク口調だったぞ」

 

 由比ヶ浜に真実を告げると、由比ヶ浜の大きな目が、さらに大きく見開かれた。

 

「どういうことゆきのん!? ヒッキーの前だけでは素の自分を見せるってこと? ずるいよゆきのん! 私にも可愛い姿を見せてよ!」

「……暑い」

 

 ハイテンションに言い切った由比ヶ浜は、雪ノ下にぴったりとくっつくと、ずるいずるいずるい、と念仏のように唱え始めた。

 

 斜陽に照らされた部室は、穏やかな温かさを保ち続けていた。

 

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