雪ノ下雪乃は偽物である   作:恥谷きゆう

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今回の主人公は海老名さんです


どう見ても、海老名姫菜は腐っている

 テーブルの上には、京都観光について取り上げられている雑誌などが大量に広げられていた。紙面に印刷された色とりどりの写真を一つ一つ指さしながら、私たちは観光コースについて検討していた。

 

「見て見て、石清水八幡宮だって! ヒッキーの名前みたいな神社があるよ!」

「由来的には同じだろうな。八幡大菩薩ってのは武の神様で、清和源氏なんかにも信仰されていたらしい」

「菩薩? アッハハ、ヒッキーには似合わないね!」

「は? 俺めちゃくちゃ菩薩だろ。優しいし、慈悲深いし」

「あなたのどこが慈悲深くて優しいの……?」

 

「うーん、こっちなんかいいんじゃない? 恋占いの石! 目を瞑って離れた石のところまで辿り着けたら、恋が成就するんだって!」

「俗っぽいけれど、悪くないわね。候補に加えておきましょうか」

「いいんじゃねえの。ほどほどに馬鹿っぽい」

「ヒッキー言い方!」

 

 ついに修学旅行前日だ。戸部君の告白を成功させるための話し合いもそれなりに深まってきた。私の手元のメモ用紙には、戸部君と海老名さんのデートプランについてぎっちりと書き込みがされていた。

 

 ワイワイと、賑やかに話し合いを続けていた部室。しかし、ふと会話が途切れた瞬間、ドアを控えめにノックする音が聞こえてきた。

 ──その音に、私は言いようのない不安を覚えた。

 

「どうぞ」

「失礼します」

 

 私が声をかけると、ドアがゆっくりと開く。

 入ってきたのは、海老名さんだった。奥ゆかしい印象を受ける整った顔立ちに、赤色のフレームの眼鏡。

 その瞳の奥に、見つめていると不安になるような冷たい光が灯っているように見えるのは、私が彼女について既に知識を持っているからだろうか。

 

「奉仕部のみなさん、はろはろー」

「夏休みのキャンプ以来ね。そこの席にどうぞ」

 

 明るい感じで挨拶をした彼女に、相談者用の席に座るように促す。

 

「へえ、ここが奉仕部かぁ」

 

 使われていない椅子や、テーブルの上に広げられた雑誌を眺めながら、彼女は席についた。眼鏡のフレーム越しに、彼女と目が合う。

 

「その、実は相談があるんだけどさ」

 

 腰かけた彼女は、早速といったように本題を切り出した。

 

「実はその、とべっちのことなんだけどさ」

「ととと、とべっち!? どうしたの? 何かあった!?」

 

 つい先ほどまで彼女とくっつけようと画策していた人物の名前をあげられ由比ヶ浜さんが、目に見えて動揺する。

 

「その、とべっち、さ……」

「とべっちが!?」

 

 頬を赤らめて、おずおずと言葉を紡ぐ海老名さんの様子に、由比ヶ浜さんがぐい、と身を乗り出す。比企谷君がまさか、というように身を乗り出す。もしかして、戸部の恋は叶うのか、と。

 

 満を持して、海老名さんは言い放った。

 

「とべっち、最近、葉山君とヒキタニ君と仲良すぎてヤバい! 三人の密すぎる関係性に大岡君と大和君のジェラシーがもうフルマックスで、三角関係通り越して五角関係だよ!」

 

 だよ……だよ……だよ……。

 海老名さんの渾身の叫びは、放課後の特別棟に良く響いた。廊下に反響する声が良く聞こえるほどに、部室には恐ろしいほどの沈黙が訪れていた。

 

 生で聞くと想像以上だった海老名さんの慟哭に気圧された私は、やや遅れて問いかける。

 

「ええと……つまり何が言いたいのかしら……?」

 

 私が追及すると、虚空を見つめていた海老名さんの首がぐりんと回り、こちらを向いた。眼鏡の奥の瞳には、サバンナの猛獣の如き危険な光が爛々と輝いていて、私は辛うじて悲鳴を押し殺した。

 

「雪ノ下さんも興味あるの? あるよね? あるってことだよね! やっぱり今までのヒキタニ君はヘタレ受けだったから自分から行く、ってのはなかったんだけど、最近のグループ分けの時も、なんていうかヒキタニ君から誘ってるっていうか? 誘い受けっていうか? 私的に新しい境地を開いてしまった比企谷君に興味津々っていうか……」

「やめろ。やめてくれ……」

 

 比企谷君が呻くように海老名さんを制止した。懇願した、と言ったほうが良かったかもしれない。その目の濁り具合は、私が今まで見た中でも一番のものだった。

 

 命乞いのような懇願が通じたのか、悪魔にでも憑かれたかのように妄想を口から垂れ流していた海老名さんは、落ち着いた印象を受ける話し方に戻ってくれた。

 

「まあともかく、最近戸部君とか葉山君が、どうにも大岡君や大和君と距離できちゃってるのかなあ、って思ってさ」

「なるほど。つまりあなたは、男子たちの関係性が変わってきていることが気になると?」

「男子たちの関係性……。雪ノ下さん、中々妄想を膨らませるようなワードセンスしてるね。今度そのタイトルで一緒にBL本作らない?」

 

 海老名さんは私の言葉に謎の反応を示すと、深淵の底からこちらに手を差し伸べてきた。

 

「私何かおかしいこと言ったかしら……」

「安心しろ雪ノ下。おかしいのはあっちだ。お前は間違ってない」

「あっはは。姫菜、いつもこんな感じだから……」

 

 一向に話が進まない……。

 

「けっきょくあなたは、何が言いたいのかしら?」

「なんていうか、今までと違うのは嫌だなっていうかさ。──今まで通り、みんな仲良くやりたいなってさ」

 

 その言葉に、裏の真意が垣間見えてしまうのは、きっと私だけじゃないだろう。チラと比企谷君の様子を見る。彼は、何か考えているような様子だった。

 ──やはり、気づいてしまうのだろうか。叶えてしまうのだろうか。彼女の望みを。

 

「まあそういうわけで、修学旅行でも美味しいの期待してるよってこと。雪ノ下さん、お邪魔しま……」

 

 私の顔をじっと見た海老名さんは、突然ピタリと動きを止めた。原作知識にない海老名さんの反応に、私は困惑する。

 

「どうかした?」

 

 眼鏡が部屋の照明を反射して、海老名さんがどんな目をしているのか私には窺い知れなかった。

 彼女が突然言葉を区切って数秒、部室には沈黙が流れた。彼女が今度は何を言い出すのか、恐る恐ると待つ三人。

 海老名さんは、眼鏡の向こう側から私の顔をじっと見つめているようだった。

 

 ただならぬ様子に、私は突然ある可能性が思い浮かんだ。

 

 聡明な彼女は、今の私に、偽物の私に違和感を覚えたのではないか。

 

 根拠のない発想だった。けれどそれは、私が最も恐れていることだった。姉さんが突然私を疑い出したあの時のように、底の知れない彼女が、あっさりと私の正体を見抜いてしまうのではないか。

 私の内から湧き出た恐怖に、全身が冷えるような感覚に襲われる。どれだけ小さな可能性であろうと、私は自分を暴き立てられるのではないかという恐怖に、全身を震わせるしかなかった。

 

 固唾を呑んで見守る私に、海老名さんはゆっくりと口を開く。

 

「雪ノ下さんさ……」

「何かしら……?」

 

 静かな声に、恐る恐る言葉を返す。

 やがて、光レンズの奥の目が露になる。その瞳は──キラッキラと輝いていた。

 

「女装した男の子だったりしないかな!?」

「……は?」

 

 何を言われたのか理解できなかった。比企谷君の心底理解できないというような言葉を皮切りに、海老名さんは畳みかけるように言い募った。

 

「やっぱり雪ノ下さんを見てると私のBLセンサーがびんびんに反応してるんだよね! いや、故障かな、私も耄碌したかなとか思ってたんだけどさ、やっぱり反応してるんだよね! 比企谷君との禁断の恋の予感って言えばいいのかな? 一回そう思ったらもう妄想が止まらなくってさ!」

「あの」

「女子だらけのクラスに、訳あって女装して潜入した男の娘がさ、学校でも有数の美少女として知られちゃったりして、それで男子たちに言い寄られるんだけどやっぱり同性だからそういうのが嫌で、うっとおしくて、人を遠ざけるようになるわけ!」

「いや」

「それで部室に籠って本ばっかり読んでいて、『ボクの青春なんてこんなものか』なんて諦めたように溜息を吐く日々を過ごすんだけど、ある日入部してきたヒキタニ君は、雪ノ下さんの男とは思えない美貌に全然動揺しないわけ。それにちょっとムッとした雪ノ下さんはさりげなく誘惑してみたりとかするんだけど、ヒキタニ君は目を腐らせるばかりで全然反応してくれないの! ムキになって誘惑しているうちに気づいたら本気になっちゃってる自分がいて、雪ノ下さんは動揺する。男同士なのにこんな感情持っちゃっていいのかな、とか悶々としてる時に、結衣が入部してきて、状況は一変するの。結衣の女の子らしい魅力にヒキタニ君が惹かれているのを見て雪ノ下さんは──」

「──海老名さん」

「はい」

 

 私の目を直視した海老名さんは、ピタリと口を閉じた。

 

「趣味というのは気の合う者同士で楽しむものであって、他人に押し付けるものではないと思うの。違う?」

「イイエ、違わないです」

「分かっているのなら、私の前でその妄言を垂れ流すのは止めなさい?」

「ハイ」

 

 引き攣った顔で、海老名さんは返事をした。

 

「んんっ……。では、失礼しました」

 

 気を取り直したように言うと、海老名さんは背を向けて、部室を後にした。

 

「じゃあヒキタニ君、よろしくね」

 

 最後に、一言残して。

 比企谷君は、最後の言葉の意味を考えているようだった。

 

 

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