雪ノ下雪乃は偽物である   作:恥谷きゆう

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 奉仕部には、いつの間にか一色さんが入り浸るようになっていた。談笑の輪にするりと入り込む一色さんは、さながらこの部の一員だ。

「――ええ……流石先輩ですね」
「そうそう、ボクも――」
「ボク!?」

 一色さんは、急に立ち上がった。その態度に、ボクは遅れて失態を悟った。
 しまった。一色さんがいる時は私で通していたのに。部室だからって気が抜けていた。
 何を言われるんだろう。恐る恐る観察していると、やがて一色さんは言い放った。

「雪乃先輩あざとすぎませんか!?」
「君に言われたくないな!?」


番外 姉妹の雪解け

 

 自室でまったりしていると、突然携帯が鳴り出した。この軽快なメロディーは、電話の着信音だ。

 また由比ヶ浜さんだろうか、と思って画面を見ると、ボクの心臓は飛び跳ねた。ちょうど今、彼のことを考えていたからだ。

 意味もなく髪を撫でながら、ボクは電話に出る。

 

「……もしもし」

「雪ノ下、突然すまん」

 

 比企谷君は、電話口でまず最初に謝罪を口にした。平坦な口調に聞こえたが、良く聞けばその声は少しだけ上擦っていて、緊張が感じ取れる。おおかた、同級生の女子に自分から電話する機会なんてそうなかったのだろう。

 嬉しくて弾みそうになる声を押さえつけて、ボクは冷静そうな声で応えた。

 

「珍しいね。どうしたの?」

 

 問いかけるが、比企谷君の言葉は歯切れが悪かった。

 

「いやその、なんだ。今週の日曜日なんだがな」

「うん」

「あー、前にお前と由比ヶ浜が葉山に会いに来たカフェまで、来れないか?」

「え……?」

 

 衝撃に、ボクは危うく携帯を落としかけた。比企谷君の、照れたような、言いにくそうな物言い。

 もしかしてそれは、デートの誘いというやつだろうか。

 

 

「うーん、買ったはいいけど本当に似合うかな? 比企谷君喜んでくれるかな?」

 

 当日の朝、鏡の前でくるりと反転してから、ボクは唸った。今日のコーディネートは、いつもとはひと味違う。

 艶々とした黒のブルゾンに、ぴっちりとしたジーンズ。おまけに、長い髪は後ろでひとまとめにした。ポニーテール、というやつだ。

 一言で言えば、男っぽい服装だった。

 

「顔がいいから何着ても似合う気はするんだけど、やっぱりいつもと違う恰好だと不安だな……」

 

 自分の顔を極めて客観的に観察しながら、ボクは自分の姿を分析した。

 似合っている、気はする。スリムな体のラインに沿った黒の衣服は、さながら燕尾服をきっちりと着た執事のような印象を与える。けれど羽織ったブルゾンがカジュアルな印象を与える。

 男装の麗人、なんて言葉がボクの頭にふと浮かんだ。

 

「今までのボクだったら、絶対に着なかっただろうな」

 

 きっと、誰かにこの姿を見られたら、ボクが雪ノ下雪乃じゃないと暴かれるんじゃないかと不安になったはずだ。

 比企谷君と由比ヶ浜さんがボクの思いを聞いてくれなければ、ずっとそのままだったはずだ。

 本当に、二人には感謝してもしたりないくらいだ。

 

「……よし、行こう」

 

 最後にショルダーバッグをかけて、ボクはウキウキした気持ちで家を出た。

 

 

 カフェまでの道で迷うことはなかった。日曜日の昼下がり、わいわいと賑わう通りを歩き、目的地まで一直線に向かう。少なくない視線を通行人から感じたが、今のボクにはあまり気にならなかった。

 

 おしゃれな扉を開けて、店内へ。店員さんに待ち合わせしていることを伝え、席をぐるりと見渡す。

 ……いた。ぴょこりと飛び出したアホ毛が特徴的な少年が、奥の席に座っている。こちらに気づいた様子はない。

 少しだけドキドキしながら、ボクは彼の元へと小走りで近づいた。

 最初にかける言葉は、もう決めてある。未だにこちらに気づかない彼の肩を小突いて、ボクは言い放った。

 

「比企谷君っ! ボクをデートに誘うなんていい度胸してるじゃん!」

 

 彼が何か言う前に、同じテーブルから別の声がした。

 

「雪乃……ちゃん……?」

「姉さん!?」

 

 ボクの姉、雪ノ下陽乃が、見た事もないほど驚いた顔でこちらを見ていた。

 

 

 

 

 互いに驚いた顔で見つめ合うボクたち姉妹に、比企谷君はおずおずと声をかけてきた。

 

「まあ、とりあえず座ったらどうだ」

 

 半ば放心状態で、ボクは席に座った。バレた……ボクとか言ってるのが姉さんにバレた……。

 

 意外にも静かな口調で、姉さんはボクに話しかけてきた。

 

「久しぶり、雪乃ちゃん。ここで会った時以来だよね?」

「ええ……」

 

 上手く動かない頭で、ボクは自然と仮面を被り直した。けれど、以前と同じ口調で話すボクの態度に姉さんは少し悲し気に笑った。

 

「私には、本当の雪乃ちゃんを見せてくれないの?」

 

 いつものわざとらしい態度ではなく、本当に悲しそうな姉さんに、ボクは少し動揺した。

 

「……本当なんて、そんな大層なものじゃないよ。ボクはただ……ただ、奉仕部の二人の前では、少しだけ自分を出すようになったってだけ」

「そう。……よかった」

 

 少しだけ嬉しそうに見つめる姉さんの視線に、ボクはまた動揺してしまった。

 ……どうして、そんな目をするんだ。あなたは、姉さんはボクが雪ノ下雪乃らしくないことをするのが、嫌だったのではないのか。遠い昔から、確かに姉さんはボクが私らしくあるか監視していると思っていたのに。

 

 頃合いを見て、比企谷君が口を開く。

 

「なんだ、雪ノ下と陽乃さんの間には、何かすれ違いがあるんじゃないかと思ってな。それで俺が、陽乃さんを呼んだんだ。話をしませんかってな」

「比企谷君が、姉さんを……」

 

 それは、なんだか面白くない。でも今の本題はそれではないだろう。感情を飲み込んで、ボクは先を促す。

 

「それで、比企谷君はどうしたかったの?」

「どうしたい、っていうと分からんがな。ただ俺は、妹に誤解されているのは嫌だろうと思っただけだ」

 

 妹、という言葉を出す時、比企谷君は少しだけ優しそうな顔をする。

 

「私も比企谷君に話がしたい、って言われただけだからね。今日は何かしようと思って来たわけじゃないの」

 

 姉さんは穏やかにそう言うと、手元の湯気を立てるコーヒーカップに手を伸ばした。

 ……動揺して気づかなかったが、ボクはまだ何も注文していなかった。少し迷って、姉さんと同じものを注文する。

 

 注文を受けた店員さんが去っていってから、ボクは恐る恐る言葉を紡いだ。

 

「……姉さんは、ボクがこんな口調なことに怒ったりしないの?」

 

 ボクの言葉に、姉さんは少しだけ目を丸くした。

 

「どうして?」

「どうしてって……」

 

 ボクは、何かしらネガティブな反応が返ってくると思っていた。だから緊張しながら聞いたのに、なんでもないような態度の姉さんに、肩の力が抜けたような気がした。

 

 卓上に沈黙が流れる。ボクは何を言えばいいのか分からなかったし、姉さんも珍しく何を言えばいいのか迷っている様子だった。

 

 笑顔で近づいてきた店員さんが、ボクの前にコーヒーカップをことり、と置いた。黒々としたそれは、ほんのりと湯気を立てている。

 ちら、と二人の顔を見る。ボクは少しだけ迷ってから、ガムシロップとスティックシュガーを掴み、カップに投入した。

 そんな様子を眺めていた姉さんが、声をかけてきた。

 

「……ねえ、雪乃ちゃんは、もしかしてずっと、私に言われたことを気にしていたの?」

「え?」

 

 真剣な表情に、ボクはかつての姉さんの言葉を思い出した。

 

「『──ちがう。雪乃ちゃんはそんなこと言わない』」

 

 確かに、あの言葉はボクを縛る一因になっていた。でも。

 

「気にしていたかもしれない。でも、ボクがこうなったのは姉さんのせいじゃない。ボクの判断で、ボクの生き方だよ」

 

 今だから、言える。雪ノ下雪乃たらんとして生きていたボクも、ありのままでいるボクも、全部がボクだ。だから、姉さんがそんな悲痛な顔をする必要なんてない。

 

「そう。──私ね、小学生の頃、雪乃ちゃんが急に変わった時、雪乃ちゃんがどこか遠くに行ってしまう気がしていたの」

 

 つつ、とカップのふちをなぞりながら、姉さんは語り始めた。

 

「それが良い悪い、じゃなくて、雪乃ちゃんが変わっていくのが怖かったの。だから、余計なこと言っちゃったかもしれない」

 

 どこか遠くを見つめながら、姉さんは続けた。

 

「私はね、あれ以来雪乃ちゃんが分からなくなっちゃった。他人の考えていることなんて簡単に分かると思っていたんだけど、大切な妹の考えていることだけは分からなくなっちゃったの。それが、怖かった」

「姉さん……」

 

 自分の思いをこんなにあけすけに話す姉さんを、ボクは初めて見た気がした。

 

「だから、雪乃ちゃんが自分の思うままに振舞えるようになったなら、私は嬉しい。……ああ、結局私はこれを言いたいだけだったのかもしれない」

 

 そう言って、姉さんは自然に笑った。

 それを見たボクの胸中には、不思議なほどの安心感が広がった。自分で思っていたよりも、姉にどう思われているのかが、ボクはずっと気になっていたらしい。

 

 話がいち段落したことを察したらしい比企谷君が口を開いた。

 

「陽乃さんは、俺がお前の本音を聞くために行動する時に背中を押してくれたんだ。……この人、多分お前が思っているよりずっとシスコンだぞ」

「ちょっと比企谷君! 生意気なこと言うなあ、このこの!」

 

 スッと席を立った姉さんが、比企谷君の背中をバンバンと叩く。

 

「いたっ……いたっ! 力強くないですか? ──いった!」

「レディに失礼なこと言うと雪乃ちゃんあげないぞ?」

 

 ……なんだか仲が良さそうだ。

 

「姉さん、比企谷君をおもちゃにするのはその辺にして」

「あれ、雪乃ちゃんもしたかった? 思ったより広いよ、背中」

「それは知ってる」

「あっうん」

 

 比企谷君と服を選びに行った時を思い出す。猫背なので分かりづらかったが、服を合わせると意外と背が大きいな、なんて思った。

 

「姉さん」

「うん?」

 

 まっすぐに目を見て、ボクは姉さんに声をかける。こんなにも晴れ晴れとした気持ちで姉さんと話したのは、初めてだった気がする。

 

「この後、買い物に行かない? ……もちろん、比企谷君を連れて」

「いいよ!」

 

 ボクによく似た顔で、姉さんは笑った。なんだか嬉しくて、ボクもつられて笑ってしまった。

 

 

「俺の意思は……?」

 

 比企谷君の呟きには、誰も答えなかった。

 




書きたいと思っていた話はこれで最後です
ここまで付き合って下さった方ありがとうございました!
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