「それで、君たちはどうしたい?」
孤立していた留美さんのことを話すと、平塚先生は静かに問いかけてきた。夜のキャンプ場に集った高校生たちに沈黙が下りた。風が葉を揺らすカサカサという音が、やけに大きく聞こえる。
簡単に答えられる問いではなかったのだろう。いつも明るい様子の由比ヶ浜さんですらも考えこむように黙り込んでいた。
重い口を開いたのは、真剣な表情をした葉山君だった。
「俺は……できれば、可能な範囲でなんとかしてあげたいと思います」
その模糊とした言葉は、私のどこか深いところに突き刺さった。
「あなたでは無理よ。そうだったでしょ?」
小学生の頃が思い出された。排斥された私。ヒーローらしく救おうとしてくれた葉山君。それを許さなかった歪んだ世界。
気づけば、私は葉山君を睨みつけていた。彼は気まずげに目を逸らした。……ああ、いけないな。こんな感情、完璧な雪ノ下雪乃らしくない。
深呼吸を一つ。それで私はもう一度雪ノ下雪乃の仮面を被っていた。
「私は、あらゆる手段を用いて彼女を救います」
堂々と、彼女の理想を口にする。彼女ならこう言うだろうから。けれど、それだけではなかった。孤独を嘆き、未来への絶望を吐き出した彼女の様子は、私には他人事には思えなかった。彼女を救うのは、あるいは過去の私自身を救うためなのかもしれない。
「雪ノ下の結論に異論のある者はいるかね」
平塚先生の静かな言葉に、誰も口を開かなかった。
「そうか。……では、私は寝る。後は好きにしたまえ」
平塚先生が去ると、すぐに高校生たちによる議論が始まった。さまざまな案が出る。趣味で友人を作ればいいという意見。新しい友人を探せばいいという意見。
多種多様な意見は確かに参考になる部分はあったが、解決には遠そうだった。そんな中、葉山君が口を開いた。
「やっぱり、みんなで仲良くできないと根本的な解決にならないじゃないか」
「……さっき言ったことをもう忘れたの?あなたでは無理だったじゃない」
「でも、今は無理じゃないかもしれない」
「昼間の振る舞いを見るに、あなたには無理よ。まるで成長していないじゃない」
口を突く言葉は必要以上に鋭く、きつかった。そんな私を見かねた三浦さんが、葉山君を庇うように声を上げた。
「ちょっと!さっきから聞いてれば何?なんで隼人がそんなこと言われなきゃいけないわけ?」
「あなたには関係のない話でしょう?」
「関係あるし!だいたい何?せっかくみんなで楽しくやろうってしてる時にその態度。そんな風にみんなを見下ろすような態度ばっかり取ってるから誰かさんみたいにハブられるんじゃないの?」
「見下ろされている、というのはあなたの被害妄想よ。劣っているという自覚があるからそう思うのではなくて?」
「っ!あんた、そういうことばっか言ってるから……」
「優美子。やめろ」
「隼人……。ふんっ!」
白熱してきた口論は、突如として終わりを迎えた。葉山君の低い声。それには、常とは違う有無を言わせぬ迫力があった。
その声を聞いて、三浦さんはそれっきり話さなくなってしまった。夜のキャンプ場に、沈黙が下りた。話し合いどころの雰囲気ではなくなってしまったので、その場は解散。話し合いは翌日以降に持ち越しとなった。
夜の山には、明かりが無い。常に街灯に照らされている都会の夜闇とは違い、まさしく一寸先すら見通せないほどの闇。夜空にまたたく星が、辛うじて私を照らしてくれていた。
さて、こうして夜中に一人で外に出て星を眺めているのにはわけがある。
女子部屋に戻った後のことだ。不満を募らせていたらしい三浦さんが、ついに私に突っかかってきたのだ。
雪ノ下雪乃として黙っているわけにもいかなかった私は、それに反論。言い合いは白熱し、結果として三浦さんが途中で泣きだしてしまった。そんなわけで、私は気まずくて部屋を出てきたのだ。三浦さんの泣き顔を見ていると、結構な罪悪感に襲われた。
まあ、どちらにせよこうして部屋を出てくるつもりだったのだ。この夜のイベントはぼんやりとだけれど覚えている。雪ノ下雪乃と比企谷八幡の、星空の下の邂逅。雪ノ下雪乃はここで、彼に自分の想いを語るのだ。
「でも、私にあんな想いなんて存在しないな」
ただこの体に生まれてしまっただけでの、空っぽの私。雪ノ下雪乃としてこうあらねばならぬという義務感と少しの感傷だけで鶴見留美を救うと嘯いた私が、いったい彼に何を語るというのだろうか。
もやもやとした思考を抱えた私は、なんとなしに星空を見上げる。煌びやかな星々は、私になんの答えも授けてはくれない。
ふいに、背後の茂みからカサと音がした。振り返ると、そこには比企谷君の姿があった。ようやく来たか。
「星でも見に来たのか?」
「いいえ、少し部屋に居づらくて」
都会の喧騒から遠ざかった森の中では二人の声だけが静寂によく響いた。まるで恋人の逢瀬だな、なんて考えてしまう自分の思考を断ち切り、言葉を紡ぐ。
「三浦さんが突っかかってきてね。三十分以上かけて完全論破していたら彼女泣いてしまって……今は由比ヶ浜さんが慰めてくれているわ」
偽らずに告げると、比企谷君は少し引いたような態度を見せた。
彼が言葉を繋がなかったので、再び星空を見上げる。チラと確認すると、彼も空を見上げていた。今、私と彼は同じ光景を見ている。そう思うと、この退屈な夜も悪くない気がした。
「……なあ、葉山と何かあったのか?」
沈黙の森に、突如として比企谷君の言葉が静かに響いた。普段の彼とは違う、少し踏み込んだ質問。星を見つめたまま、私は答えた。
「小学校が同じだったの。それと、親同士が知り合い」
「ああ、家族ぐるみの付き合いってやつか」
「ええ」
私の言葉が少ないので、自然と比企谷君も口を閉じる。再びの沈黙が落ちる。遠くから、鈴虫の鳴き声が聞こえた。なんとなしに髪を弄って、今度は私から口を開いた。
「ねえ、比企谷君は留美さんを救う手立ては思いついた?」
「なんとなくはな。まだはっきりとは分からない」
言葉には、少しの葛藤があるようだった。私は、彼の思考を読もうと、物語の記憶を辿る。
この後、彼は留美さんの周りの人間関係を根こそぎ破壊することで問題の解消を図る。それは解決とはほど遠い、斜め下の手段だ。彼らしいと言えば彼らしい。
けれど比企谷君は、そのことを後で悔いることになる。あの時鶴見留美を救おうと用いた手段は間違っていたのではないか、と思い悩む。
その後悔は、その葛藤は、きっと彼という少年が成長するのに必要な過程だったのだろう。だから、私には余計な口出しなんてできない。
「ねえ、比企谷君」
「なんだ」
「たとえあなたの選択が間違っていたとして、あまり自分を責めないでね」
私から言えるのは、せいぜいこれくらい。本当は、もっとやれることはあるのだろう。私が主導して解決策を提案するとか、もっと別の案を出すとか、できなくはないだろう。けれど私は、比企谷君が成長するために、と自分に言い聞かせて、それをしない。
「……なんだ急に。優しすぎて別人かと思ったぞ」
「私は優しくなんてないわ」
そう、私は全く優しくない。あなたが懊悩する様を観察者気取りで眺める嫌な女だ。
「情けは人の為ならずって言葉があるじゃない?」
「ああ、人に情けをかけると巡り巡って自分に優しさが返ってくるってやつか?」
「そうよ。だから、私があなたに優しかったとしたら、それは私のためなの。だからね、比企谷君。私のためにもう一つ言うわ」
私が傷つくあなたを見て傷つかないために、言葉をかける。
「なんだよ」
「あなたの関わった人が傷ついたとして、それが全部自分のせいだと思いあがらないでちょうだい」
「……なんだそれ。俺はそんな殊勝な人間じゃない」
「どうかしらね。……そろそろ戻るわ」
「おう」
歩みを進め、女子部屋の方へ。その前に、私は比企谷君の方を振り向いた。
「さようなら」
手を振ろうかと迷って力なく上がった右手を、少し迷って下げる。きっと、暗がりだから見えなかっただろう。