もう、彼処には居られない。
楽しかった記憶も、頑張った思い出も、ここに置いていく。
社長、ごめんなさい。私はもう、此処でお別れです。
私のデスクには、震える文字の退職届。
私の財布には、気付かれないように何日かに分けて少しずつ引き出した僅かなお金。
さようなら、人形達。
お金は好きだったが、もうそれもここまでだろうと思う。
私はバックパック1つを持ち、夜中にそっと、2度と戻らない家出をした。
さようなら、G&K。
【私の指揮官さま】
列車とバスを乗り継ぎ、誰の手も届かない場所へ。
フードを被って髪を隠し、ゆったりした服とズボンでボディラインを隠し、女だとバレない様に国境を越える。
その日の宿代は死守しなければならないから、移動代と食事代から削る。
1日1食、移動は徒歩。遠くまで行かなければならないし、お金は節約しなければならないので、その日の宿は安い宿……最悪です。
G&Kを抜け出して30日から先は数えていない、私は辛うじて生きている状態になりました。
「……」
もう脚が重い、上がらない。歩き続かなければいけないのに、もう歩けない。
早く歩けと命じるのに、脚が動いてくれない。
宿代が底を尽き、最後に眠ったのは2日前、最後にご飯を食べたのも、昨日のエネルギーバーだったと思う。
身体を売ってお金を稼ぐ事も考えました、けれどあの事_____私が今こうなっている最大の原因の事を思い出して、その場で涙が出るほど震えてしまった。
「疲れた……」
本当はダメなのに、もう歩けなくて……
その場に座り込んでしまったのが、私のターニングポイントだった気がする。
フッと暗い穴に落ちる様に、私は意識を失いました。
『Aer you OK?』
暗闇の中で、声が聞こえる
あぁ、私はもう、死んでしまったのか……
そう思ったけれど、硬い地面に尻餅をついていたからか、お尻が痛い、背中も痛い、首も痛い。
固まった姿勢を無理やり動かす、顔を上げると首がキシリと鳴った気がする。
「あ、あれ……通じないかな……サ……Sind Sie Okey?」
男の言葉を聞く事を拒んでいた筈の私の耳に届いたのは、片言のドイツ語。
私を見ていたのは、私に目線を合わせる様にしゃがんだアジア人らしい顔立ちの男。
「ヒッ……!?」
「発音がおかしかったかな……Sind Sie Okey?」
首を傾げながら、再び片言のドイツ語……何だろう、この人。
「ヤ……Ja……」
久し振りに声を出したからか、掠れた声が出る。思わず咳き込んでしまうが、腕が水の方に動かない。
「あー……Can you speak English?Sprichst du Englisch?」
今度は英語とドイツ語、両方で話しかけて来た。英語の方はまだ流暢だと思うけれど、さっきのドイツ語に比べればと言うだけで、片言気味なのは変わらない。
「……Yes……」
「Also……」
「俺の言葉が分かりますか?」
きちんと耳に入ってくる、英語の方が聞き取りやすい。
「はい……あ、あの……誰ですか?」
まだ掠れた声でこの男性に問いかける、男性はリュックを下ろしながら私に話した。
「日本から来たんだけど……君の方が心配だ、大丈夫か?」
「へ…平気で……」
また喉から咳が上がってくる、乾きっぱなしの喉と口は、舌を動かす事を嫌がっている様だ。
「待ってて」
そう言うと男性はリュックからペットボトルの水を取り、持っているアルミのカップに注いで差し出した。
「喉、乾いてるでしょ。飲みな」
ペットボトルの水は新品で、キャップを開ける時にパキリと音がした。
けど、私をどうにかする為に、薬を塗ったり、カップに細工をしてるかもしれない。
カップをしばらく見ていると、彼は私に差し出したカップから水を飲んだ。
「ぁ……」
「毒とか薬は入ってないよ、腐ってもいない。どうぞ」
今度はペットボトルの方を差し出してくる。
何だろう、この人。
毒が入ってない事は確かみたい。ボトルを受け取って飲むと、久しぶりの水にじわりと喉と舌が潤っていく。
「ぷはっ……!はぁ……はぁ……」
勢いでペットボトルの半分くらい飲んでしまったけど、良かったのかな……
「全部あげる。……遠くから来たのか?」
「……」
私が来た理由……そうだ、私は_____
思い出した、全てがフラッシュバックする。
私は……私は_____
「っ……!?」
「やめろ、嫌な事があったなら無理に思い出すな。……ごめん、無神経だった」
私の肩に、彼の手が乗っていた。すぐその手を離すと、ポケットから取り出したスマートフォンでどこかに電話をかけ始めた。
「もしもし?ディマ姉?……うん、辞めとく事にしました。今どこに居ますか?……あ、近い。ちょっと合流出来る?……いや、連れが1人、女の子。……は?いや違ぇよ。……はい。……はい、了解」
敬語とぶっきらぼうな口調が混じった言葉で会話を終え、電話を切る。
私と視線がかち合った、心臓が悪い跳ね方をして、思わず視線を伏せる。
「シャワー、浴びたくない?先輩に頼んであるから、少し移動しよう」
差し出された手を、取る勇気がない。別のところに連れて行って、それから_____
先輩なんて嘘で、協力者と一緒に_____
そんな悪いことばかり思い浮かんでしまう。
「大丈夫だ、大丈夫」
そう言って彼は私の手を掴むと、優しく引き上げて立たせた。
もし何かあれば……私はこの人を……
そう思って私は胸元のポケットに入っているペンをぎゅっと握り締めた。
初めて、意識して、自分から人を殺すかもしれない。
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その人に着いていく足取りは重い、疲れもあるだろうけど、何をされるかわからない不安も大きい。
それでもその人は、私に歩調を合わせ、時折立ち止まってくれる。
何だろう、何が狙いなんだろう、この人……
そして約束していた場所だろうか、人目につかない路地にキャンピングカーが2台、停車していた。
連れ込まれる!
そう思った瞬間、扉が開いた。
中から出てきたのは、キャップを被ったポニーテールの女性だった。
「手続きは終わったの?後輩くん」
「終わりましたよ、正式な連絡は後日らしくて」
「そっかそっか、お疲れ様。……で、その子が連れって子?」
その女性がこちらを向く、さっき電話口に出ていた女性の様だった。
「そう、随分遠くからみたいで、シャワー貸してあげたいなって、頼んでも良いですかね」
「いいよ、さ、入りな?」
女性がこちらへ手を差し出す、まだ安心は出来ない。この2人が組んで、私を……
けれど、もうしばらくシャワーも浴びてなくて、眠ってもいない。お金がなく宿代も底を尽いた私には、抗い難い提案でした。
「し、失礼します……」
女の人の誘いで、キャンピングカーに上がる。
車の中はキッチンやソファ、テーブル等、初めて入ったけど、これがキャンピングカー……
「あの……さっきの人は……」
「ん?あぁ、彼は別にやる事があるし、女の子がシャワーを浴びるのに男がいちゃダメでしょ?」
彼なりの気遣い、と言うべきだろうか……けれど、私はまだ彼もこの女の人も信じた訳じゃない。
「ごめんね、狭いシャワーしかないけど。ほらPx4、退きなさい」
「うぇえ……?あ、誰?お客さん?」
ソファに寝転がっていた人を起こす、フードを取ると、見慣れた姿がいた。
同時に、拙い、と冷や汗が背中を伝う。
戦術人形だ。
G&Kでは、戦術人形を多く扱っていた。このPx4という戦術人形も、基地には在籍していた。
「大丈夫よ」
女の人の声にそっと振り返る、大丈夫とはどういう事だろう。
「その子、グリフィンの人形じゃないから。その子だけじゃなくて、私が持ってる人形は全員、グリフィンじゃなくて私の人形」
腰に手を当てて苦笑するポニーテールの女性は、キャップを取って微笑んだ。
「私はディマ、よろしくね」
「は、はい……よろしくお願いします……私は、カリーナって言います」
「カリーナちゃんか、いい名前ね」
「ど、どうも……あの……さっきの男性は……」
ふと気になったのだ、こちらも名乗ってないし、向こうも名乗っていなかった。
「あぁ、名乗ってなかったのか。全く後輩くんは、こんな可愛い子を怖がらせて、名乗りもしないで……気が利くんだか利かないんだか……」
ディマ、と名乗ったこの人は呆れた様にため息をついた。どんな人なんだろう。
「話したい事も、こっちが聞きたい事もあるんだけど、まずはシャワー浴びてからにしない?疲れたでしょ、少し休みなさいな」
言われた通り、国境を2つ超えてもうクタクタだ、座り込んだら眠ってしまいそう。
「ぁ……はい……すみません、失礼します……」
申し訳ないけれど、シャワーを貸して貰おう。あの赤いコートの指揮官に触られた汚れが、まだついている気がする。
汗と汚れで服が張り付き、髪はゴワゴワ……正直女の子としてどうかとは思うけど、そんな余裕は無かった。
余裕は無かったからこそ、今になって気づいた。
気付ける余裕が出来た。
私はキャンピングカーの中で、シャワーを浴びながら少し泣いた。
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「落ち着けた?」
「はい……ありがとうございます」
「いいのいいの、私の役目はこういう事だから」
快活に笑うディマさん、それにしてもさっきから、このキャンピングカーの中で見慣れた戦術人形が仕事をしている様に見える。
「あの……ディマさんってもしかして……」
「え?うん、傭兵だよ。グリフィンからしてみたら、私達は邪魔だと思うけど……」
戦術人形を連れた傭兵、社長や指揮官、人形達が噂していたのは知ってるけど、その本人とこんな所で会うなんて……
「ぁ……いえ、私も……私も、もうグリフィンではありませんから……けど、何で私、グリフィンって言ってないのに……」
私がグリフィンから来たと言うのを、私はディマさんにまだ言っていない。なのにどうして……
「だってそのジャケット、グリフィンのじゃない」
「ぁ……!」
ボディラインを隠す為に着ていた服の上から羽織っていた、グリフィンのマークが付いたジャケット。
「ま、それだけじゃないけどねー」
「……?」
何だろう、と思って首を傾げていると、外からノックされる音が聞こえる。ノックの音はまだ怖い。
「大丈夫よ」
クスッと笑いながらドアを開けると、私に声を掛けた男性が立っていた。
「お帰り」
「入って大丈夫ですか?」
「大丈夫、今出た所だから」
「よかった、お邪魔します」
彼と一緒に戦術人形が2人……ACRとKSGと呼ばれる人形がそれぞれ入ってきた。
さっきのPx4以外にも、ディマさんは人形を持っているらしい。
「ほら、後輩くんが拾ってきたんだから、後輩くんが最後まで世話しなさいよ」
「ああ、うん。……自己紹介まだだったな、俺はNって呼ばれてる、日本人だ」
「N……さん、はどうしてここに……?」
このご時世、旅行でこんな東欧まで来るなんて余程物好きだ。
「実は、仕事を探しに来たんだ。グリフィンに……G&Kに入社しようと思ったけど、辞めたよ」
G&Kに入ろうとしていた、指揮官志望の男の人。
けど、辞めた……?
「ど……どうしてですか?グリフィンは今指揮官不足です、内定もすぐ出るでしょうし、配属だってすぐに……」
辞めた私が言うのもなんだが、G&Kは民間企業としては安定している。それは民間企業であるけど、警備や情報収集を主とする民間軍事会社であり、扱う戦術人形の都合上、IOPが後ろ盾として存在するから。
Nさんが首を傾げると、ディマさんが補足するように口を開く。
「彼女、G&Kから来たんだって」
「あ……そうなのか……」
辞めた理由は……あまり言いたくない。
それを察したのか、彼はそれ以上追求して来なかった。
「カリーナです、Nさん。ありがとうございます……」
「いや、俺が勝手にやった事だ、気にするな」
まるで他人事の様に言うこの人……本当に、何を考えているのか分からなくなってきた。
「落ち着ける場所が欲しいだろ、部屋を用意したから……って言っても、ビジホなんだけどさ」
そう言って彼が私に渡してきたのは、この町で1番大きなビジネスホテルのカードキーだった。
「5日分宿泊出来る、あと暫く分の生活費と、そこにいるACRから服を……」
「ちょ、ちょっと待ってください」
矢継ぎ早に繰り出される言葉に私はストップをかけた、どうして……私を……
「あ、あの……どうして私を、他人の私をそこまで気にかけるんですか……?シャワーを貸して貰っただけで、すごく有難かったのに……何か、企んでるんですか?」
今の私には、優しさも素直に受け取れない。何か裏があるんじゃないか、優しくして、そうしてやったんだからと、身体を要求してくる事も今までにあった。
「私……こんなのされたら、返せません……手持ちのお金も無いし……その……身体で、なんて、無理です……」
キャンピングカーの室内を静寂が包む、すごく長かった様に思えるが、ディマさんの吹き出す様な笑い声で静けさは破られた。
「んっフフ……!ほら後輩くん、身体要求するとか思われてるよ……っ、ははは……!」
「いや、すまん……そうだよな、普通怖いよな……見ず知らずのアジア人がこんなに世話焼いてくれるっつったら……」
笑うディマさんと反対に、Nと名乗った男性は少し落ち込んでる様に見える。
「いや、気持ちは分かる。俺もあんな所で女の子が座り込んでると思ってなくてな、あのまま放っておく事も出来なくって……まぁ……1回助けたなら最後まで面倒見る、そのくらい筋は通す。って事だ」
「何で……私を……」
この人は、私を放置して見捨てる事も出来たのに、どうして私を助ける選択をしたんだろう。
「何で……何でだろうな……わかんねぇよ、俺も」
何考えてるんだろう、この人……
「後輩くんは本当に不器用だなぁ……カッコつけるなら最後までちゃんとカッコつけなさいよ」
「え?」
見ると、ぐっ、と言葉に詰まってるみたい。
「……言うなよディマ姉……こういうのは何も言わずにするからカッコつけられるんだよ……あーダッセぇ俺……」
なんだか頭を抱えてる、もしかして……
「……そうだよ、カッコつけたかったんだ、悪かったな、ダサくなっちまって」
「もう少し段取りをしっかりしないとね」
暖かい心が出てくるのは、本当に久し振りだった。
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「ありがとうございます、何から何まで……」
5日分のホテルの宿泊費
節約すれば当面を凌げる資金
擦り切れていない服と歩きやすい靴
これだけ施しを受けて、何も要求されないと言うのはとても不気味ではある。
けど、少し余裕が出来たことで落ち着けた、落ち着けたから、考える余裕がまた出来る。
「いいんだ、子供はそう言うの、甘えておいた方がいい」
子供、歳は近く見えるけど、少なくともNさんもディマさんも成人はしているだろう。17の私から見たらずいぶん大人に見えるけど私もそんなに子供に見えるだろうか……
「洗濯物は1階のランドリー使うと良いよ、疲れたでしょ、ゆっくりしなさいな。また来るね」
「お金も足りなくなったら言え、すぐに用意する」
「はい、お世話になります……本当に、ありがとうございました」
この人達、確証はないけど……少なくとも、今まで会った人の中でも、信じて良いかもしれないと思う人達だ。
「それじゃよろしくね、カリン」
カリン
カリン
カリン
カリン
頭の中で、ディマさんの声が、あの赤いコートの指揮官を思い起こす。
そうだ、私は……
「え……?なんで、泣いて……」
「カリーナ、大丈夫か!?」
私は……
私の身体が汚れている事を、また思い出してしまった。
「……すみませんでした」
「ぁあ、いや!こっちこそごめんね!何か……その……カリーナちゃんの事情も、知らないで……」
ホテルの部屋に入った後、私は凄い勢いでディマさんに謝られた。Nさんも申し訳無さそうな顔をしてる。
私は、私の経緯を話す事にした。私がここにいる理由、どうしてG&Kを辞めたのか、なぜここまで逃亡して来たのか。
一通り話し終えた、思い出すだけだ辛かったけど、言葉にするとまた少しだけ楽になる。
Nさんは腕を組んで眉を顰め、ディマさんも顔を怒らせていました。
「……ディマ姉、明日カリーナを婦人科に連れて行こう」
「そうね……カリーナちゃん、話してくれてありがとう、怖かったね、よく頑張った」
怖かった、辛かった、それを分かってくれる人がいる。
初めて会った人なのに、私はこの人達の前で、たくさん、たくさん泣いた。
翌日、婦人科に行って検査。洗浄を少ししてもらい、お薬を数日分貰った以外、特に問題は無いみたいでした。
5日間、今までで1番平和な5日間だったと思う。
ゆっくり眠って、お風呂に入って、お腹いっぱい食べられて……肩の力を抜いて、何の疑念も無しに、普通に過ごせた。
たくさんいろんな話をしました、私の事、ディマさんの事、Nさんの事。
ディマさんは19歳、元軍人では無くずっと傭兵をしているみたいで、ヨーロッパをキャンピングカーで、戦術人形と一緒に戦いながら渡り歩いてるんだとか。
デールと言う双子の弟がいて、人形のエンジニアをしているそうです。
Nさんは日本人でした、元日本陸軍で、G&Kに入社する為に軍を辞め、単身渡欧したところでディマさんに会ったのだとか。
「その……お二人は恋人同士……とか?」
「「は?無い無い」」
そう聞いた時、2人の言葉がハモりました。
「コレと恋人ってのはちょっとねー……物件としては悪く無いんだけど……カリーナちゃんはどう?この男買わない?」
「他人のコートに」
「わーっ!それは言わない約束!!」
何だろう、凄く仲がいいように見えるけど。
「まぁでも、計画も目処が立ちそうでな」
「計画、ですか?」
「そう、PMSCを設立する計画、当局からの許可も下りたから、本腰入れようかと思ってな」
元軍人がPMSCを設立する事は珍しくない、警備や要人護衛、政府の諜報機関や軍隊の下請けのような事をする企業もあれば、軍人やその手の人向けのギアや銃器パーツを製造する企業もある。
「……これくらい有れば当面は生活出来るだろ」
私が考えてる間に、Nさんは紙に何かを書き入れていた。
それは出費と想定の売り上げの羅列、私はG&Kの後方幕僚として、作戦報告書やお金の計算に少し自信がある。けど……
「……これ、計算がちょっと雑ですわね」
「え゛っ、マジ?」
「それに収入はこれくらい見込めるとしても、支出はもっと多いですわ、施設費も場所によりますけど……」
彼が想定しているより支出はもっと多いし、収入も見込めなければ限界利益はぐっと下がる。
「えー……マジかー……マジか……」
頭を抱えているNさんですけど、その手の知識はあまり無かったみたいです。
「あっはは!後輩くんの見通しが甘かったみたいだねぇ、カリーナちゃん、彼の会社で働いたら?」
「「え?」」
私と同時に、Nさんからも声が上がる。
「ディマ姉が引き取るんじゃないの」
「私はこの通り傭兵だし、キャンピングカーの余裕ももう無いし、カリーナちゃんにこれ以上負担を強いる訳には行かないわよ」
私が、彼が興す会社で……?
男と2人きり、というのがまず先に来た、これまで手を出されるどころか、最初に立ち上がる時に手を握られて以降、触られてもいない。
けど、ここまでの態度が全部嘘で、もし彼があの指揮官みたいになったら……
「まぁ……お金の計算が得意なのは助かるけど……」
Nさんも同じ事で困惑しているみたいです、私を自分と一緒にしていいのか、という迷い。
私は
私は……
「正直……怖い、です……不安です。ディマさんの方が、安心出来ます。……けど……」
けれど、私は……
これだけ施されて、何も返せない、私は……
「それでも……私を助けてくれた、Nさんに……少しでもお礼を……恩返しが、したいです」
この人の善性を信じよう。
私も私の善性を信じよう。
ここで何もせず、ただ与えられるだけなのは、人としてダメだと、そう思ったから。
私の得意な事で、この人を助けられるなら。
「Nさん、貴方の会社で……働かせて下さい」
私は、彼の役に立ちたい。
彼は腕を組み、うーんと唸りながら考える。
「……君がそれでも良いと言うなら、歓迎しよう、ようこそNASCへ」
わー、とディマさんがぱちぱちと拍手をくれた。
不安も大きい、けど、今までよりも安心出来る居場所になる事を願って……
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「ん……ぁ、れ……?」
ぼんやりと、私は目を覚ます。寒い季節なのにふわりと暖かく、安心する匂い。
「お疲れさん、まだ寝ててよかったんだぞ」
「ふぁ……寝ちゃって、ましたか……」
オフィスで机に突っ伏して寝てしまっていたらしい。
「コーヒーでも飲むか?」
「ん、ダメです。指揮官さま最近コーヒーばっかりでしょ、しかもこんな夜中に」
ここ数日、指揮官さまはそんな働き方ばかりしている。本当にちゃんと寝て欲しい。
コーヒーではなくココアにしよう、給湯室でココアを2人分、指揮官さまの分は濃いめで。
ココアの入ったマグカップを手に戻ると、私の分の書類がない事に気付く。
「あれ?私の仕事……」
「終わらせた」
私がうたた寝している間に、私の分の仕事まで終わらせて貰ってしまった見たいです。まったく、この指揮官さまは……
マグカップをデスクに置き、指揮官さまがそれを手に取る前に、横からぎゅっと抱き着いた。
「うぉっ」
「えへへ……」
椅子の上で指揮官さまがバランスを取って抱き止める、安心するいい匂いの指揮官さまの腕の中が、私は好きだ。
優しくて、強くて、最初は恩返しだけのつもりだった。今でも恩人だと思っている。
けどそれが段々尊敬になり、恋心になり、私は指揮官さまの事を、本気で好きになってしまった。
どこが好きか、と聞かれたら、そんなのは答えられない。この人が好きで、この人の隣にいたいと思う事が、もう日常になってしまったから。
この慎ましい日常が、とても大きな幸せで、ずっと続いて欲しいなと私は思っているのです。