イデア・シュラウドが「本気」で戦う様を、一度だけみたことがある。そんな気がしている。だがあの日の鏡から一歩出たとき、ケイト・ダイヤモンドは中で起きたことの断片しか憶えていなかった。
3Bがモブの画策で異空間に閉じ込められてモンスターを嗾けられる話。バトルシーンは書けないのでカット。ブロットを原料に魔法を使ってブロットを増やすオーバーブロット者、増殖炉っぽいなと思ったので「シュラウド(核燃料+制御棒の覆い)」(軽水炉のパーツなので増殖炉には使われてないけども)なイデア氏。※ツイステ受動喫煙※「前のオルト」くんが物質世界のどこにもいなかった世界線


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Pluton-ium239

 イデア・シュラウドは、世界(自分)五分前にできた(十八歳ではない)ことを、否定する術などないと知っている。技術的に可能な全てのことを想定するのなら、二人の幼子を組み上げるくらい訳ないことを知っている。だから、あとはもう信じるしかなかった。イデアが与えることのできた断片のみとはいえ、同じ記憶を共有する以上、自分たちは確かに兄弟なのだ、と。そう信じるしか。

 

───***───

 

 その魔法がかけられたとき、ケイト・ダイヤモンドはイデア・シュラウドと肩を組んでいた。勿論ツーショットを撮るためだ。

 

君の望む場所より僕の望む場所へ銀の踵(ピット・トゥ・トリップ)!」

「へ?」

 間抜けな声を上げたのは、イデアとケイトのどちらだったのか、そもそもの魔法の標的がどちらだったのか。そのどちらとも判然としないまま、二人は足元に現われた大穴に飲まれて消えた。

 結論だけを言えばそれは他者を指定した地点へ転移させるような固有(ユニーク)魔法であり、転移先は薔薇の王国に入口を持つ異空間であった。生中な手段では対処不可能なほどに強力な、あるいは単に厄介なモンスター。嘆きの島から迎えの来なかった()人間。そういったものを転移の術式で封じた魔道による位相。少なくとも、いかに名門校とはいえまともな学生二人が生還可能な場所ではない、はずだった。術者と共謀者らの誤算と言えば、尋常の学生などという枠にイデア・シュラウドを納めるのはどうやっても不可能ということであった。

 

「……ここ、どこ」

 大きすぎる月だけが照らす荒野の有様に、イデア・シュラウドは眉を顰めてそう言った。月明かりでは判然としない薄墨色の靄を吸ったその一呼吸に、イデアはこの場にいるうちの一人が自分であったことを幸いと断じた。

 

「何処かは分かんないけどやばいことは分かる」

 ケイト・ダイヤモンドは魔法士である。正確にはまだ仮免許の段階だが、それでも緊急時であれば他の人間に対して致傷可能性のある呪文を向けて許される立場だ。この空間の異常性を視覚に依らずして察知することは容易かった。

 

 この粘つくような魔力反応を知っている。薄暗い靄も、髪を焼いた様な微かな臭気も。人の心を蝕む、出所不明の不快感も。飽和して大気に散らされた魔力廃棄物(ブロット)の気配を、ケイト・ダイヤモンドは知っている。輝石の国の中等教育機関(ミドルスクール)は高魔力適性者のための特別講義がある。魔法の暴力性。魔法士だけが許される進路。精神安定のための手法。それから、魔澱飽和(オーバーブロット)の危険性。

「それは拙者でも解るが……。電波ダメ、軍用の魔導併用回線すら通ってな──魔力反応!」

 イデアの声に弾かれたかのように顔を上げる。暗闇に光る様な金の先に、犬狼に似た六足の獣。ポケットのマジカルペンを摑み、大盾(タワー・シールド)のイメージを組み上げたところで、傍らから常になく鋭い声が飛んだ。

「シールド起動!──待ってケイト氏、魔法石見て!」

 鋭く尖らせた鉄杭の幻影(イマジネーション)が飛んでいくのを横目に、右手に目を移す。常ならば鮮紅(ルビーレッド)に輝く石が、血の色にも似た薄暗い赤の中心に洋墨色の凝りを宿していた。薄暗がりの中というだけでは説明の付かないそれに、思わず息を吞む。

 

 倒れ伏した魔獣の空いた大穴から流れる鮮血の色でさえ、この空間では黒だった。インクの色だった。

 

 消音、消臭、光学迷彩、魔力認識阻害、反応装甲(リアクティブ・シールド)。ケイトへの注意が他人事の様に魔法を使い続けて安全を確保したイデアを睨む。

 

「イデアくん、魔法石見せて」

 眦を吊り上げてそう言うケイトに、イデア・シュラウドは困った様に薄く笑った。ケイトはそれを笑みとは認識しなかったかもしれないが、ともかくイデアとしては微笑んだつもりだ。

「あ、や、拙者は平気なんで」

「いいから」

 ケイト・ダイヤモンドは知っている。この状況で大丈夫というやつの九分九厘までは大丈夫ではない。例外はマレウス・ドラコニアのような人間の規格を理解していないタイプの強者だろう。イデア・シュラウドの力量を疑うわけではないが、ケイトの知る限り彼がヒトとして規格外なのは頭脳であってブロット許容量ではない。確かに、許容量限界に達するほどの魔法を使うのを見たわけではなかったけれど。

 

 イデアは何かに迷うように逸らした目を瞬かせて、諦めたように口を開いた。問答そのものだけの話ではなくて、何か別の物をも諦めたように、ケイトには見えた。例えば三年前までのケイトの、沢山の友達(つながり)と似たような。

 

「……。ほんとに、ブロットの問題はないんだ。僕は魔力で魔法を使ってるわけじゃない」

 引かれるだろうな、とイデアは思った。何故って、真っ当な生き物は当然ブロットを避けるようにできているからだ。己の精神を悲嘆(コキュトス)に曇らせ、形なき痛苦(ペイン)に狂わせる汚染(ブロット)を望むことは、世界中のどんな生き物にもない。

 

 ただ憎悪(ステュクス)の内より来た、この死者だけが知るもの(イデア・シュラウド)を除いては。

 忘却(レテ)の水によって狂うための機能を忘れ、正しき泉(ムネモシュネ)の水によってヒトの世界のどこにもないものを見る彼。いずれ五十億の嘆きを飲み干すことを期待されている、神の火の覆い(イデア・シュラウド)の他には、肉を持って生きているものは、なにものも。

 

「厳密に言えばちょっとは魔力も使ってるけど、高エネルギー物質であるブロットをエネルギー源としてる。この状態でも魔法使用によってブロットは発生するから、語弊はあるけど永久機関と思ってくれて構いませんぞ」

 ケイトは、本当のことを言うなら、恐ろしいとは思わなかった。ただ、なんとなく、それが自然に生まれるものではないような気がして、もしそうだとしたら悍ましいと言えるような何かが、イデアの背後にあるのだろうとは感じた。けれどそれ以上に何かを思うには、ケイト・ダイヤモンドは非魔法科学(ナチュラル・サイエンス)に不見識すぎた。第一種永久機関(収率1以上のエネルギー変換)が、ひとの見果てぬ夢想であることを、読み解きの天才(ケイト・ダイヤモンド)は知らない。人の心を読むのにも、星の動きを読むのにも、ケイトの人生に熱力学は一切が不要だった。

 

 増殖炉、という概念がある。燃料Aを入れて、燃料ではない物質Bを一緒に入れて、エネルギーを取り出す。その時の副産物でBがAに変化するので燃料回収が1を超える。そういう発電所(パワープラント)のことだ。永久機関に手の届かない物理化学(ナチュラル・サイエンス)の領域の内側で、あるいは一番その夢に近いもの。

 オーバーブロットという状態は、まさにそれだった。点火のための僅かな固有魔力と、魔法的に高エネルギー物質であるブロットを消費して、消費量以上の燃料(ブロット)を得る。それは、制御さえできれば、確かに夢のようだった。

 

 だから嘆きの島(イデアの故郷)は、S.T.Y.X.(イデアの隣人たち)()()した。《対の湧水》──レテの河(Ctrl+X)ムネモシュネの泉(Ctrl+V)を駆使して、死者だけが臨むもの(イデア・シュラウド)をつくった。つくってしまった。

 

 ()()は亡霊だった。その島にだけはありふれた、現世の要石を飲み込んだ嘆きの一つだった。青く燃える炎の髪が特徴的な、それは(イデア)持つ呪詛だった。研究者(ニュクス)たちはそこに、丁寧に編集された幼子の記憶を流し込んだ。

 誰かが手慰みに造った機械を、誰かが趣味で組み上げたプログラムを、誰かが童心に返って遊んだゲームを、形而上のもの(イデア・シュラウド)は自分の過去として与えられた。その時には(初めから)どこにもいない、彼の弟の記憶と共に。

 

「というわけで此処での魔法は引き受けるんでケイト氏には下手人の捕縛・尋問とか教職員と該当寮の寮長への報告とかを丸投げしたいなーなどと」

 言いながらブロットの霧を風魔法で追い払ったイデアに、ケイトは諾と頷いた。適材適所というやつだ。

「で、どうやって帰るの?」

 イデア・シュラウドはそれは当然と最も確実性の高い方法を答えようとしてやめにした。イデアだけが帰るなら簡単だ。その辺のブロットを燃料に、嘆きの島の緊急帰還用マーカーを対象に、逆召喚の要領で(空間を繋げずに個体だけを)転移させればそれで済む。だがそうすると《レテの河》処置は嘆きの島へ踏み入るケイトは当然として、ケイトとイデアが初対面に近いことに違和感を覚える人間全てに拡大する可能性が高い。そうなればきっと、イデアはナイトレイブン・カレッジを離れることになる。その方が処置が簡便だからだ。初めから、イデア・シュラウドという存在は入学しなかったのだと、きっとそういうことになるだろう。イデアが卒業する日に、そうなるはずだったように。イデアでもそれは、少しさみしかった。例え忘れてしまうのだとしても、できることなら別れの一言くらい言いたい相手が、イデアにだって居ないわけではない。

 

「拙者一人なら逆召喚とかでいいんだけど、まあ座標特定して転移するか正攻法で封印解いて通常空間に出るかですな」

 想定されている機能が「移動の省略」である転移魔法は通常、自己を原点として座標を決定する。イデアも座標変換用のプログラムこそ組んだが、相対座標法の転移魔法を使っている。ここが実世界に存在する場所ならば外部に原点を置く方法でもなんとかなったが、流石に亜空間から同行者を連れて不慣れな方法での転移となればさしものイデアも五体満足で済む確信はなかった。

「封印解いて、って……封鎖処置の方法も解んないのに簡単に言うなあ」

 そうぼやくケイトも、封印魔法の強度を上げる単純な方法は内部からの解除手順を設定することだと知っている。「正攻法」がある封印や結界は、それ以外の方法に対してめっぽう強くなる。だがご丁寧にその正攻法を知る手段まで内部に用意する必要は全くないので、ケイトは座標確定に輪をかけて非現実的な解決法だと判じた。

 ケイトのその判断はイデア・シュラウドが嘆きの島を継ぐ者でさえなければ正論だったが、実際のイデアにはこの手の亜空間封鎖処置にはパターン化できるくらい覚えがあった。魔法を使う相手を封印する手法は古今を問わずほとんどが元を辿れば嘆きの島で開発されたものなのだから、当然と言えば当然の話だったが。

 

「あー、半生物モンスターの封印には少々知見がありまして……仮説くらいなら」

「ふんふん。それで?」

「多分だけど、マーキングしたモンスターから魔力を吸い出して封鎖させてる。魔法を使いっぱなしだからこんなにブロットが蔓延してるんだ。そこの連中からマーカーの解析もだいたい終わってるよ」

「イデアくん」

 ケイトは半眼になった。何が「仮説くらいなら」だ。どっからどう見ても確証があって言ってるじゃないか。

「はい」

「報連相」

「はい……いや今したじゃん」

「そういうとこ!えーと、つまり何匹いるか判んないモンスターを全滅させなきゃいけないわけ?」

「まあそう。マーカーで位置判るし僕はガス欠しないしあとはケイト氏のブロットが溜まりきる前に終わらせれば良いんでTAしますがよろし?」

「了解。オレは魔法使わない方が良い?それとも防御くらい自力でやった方が良い?」

「できれば使わないで欲しいかな……ところでケイト氏、体力に自信ある?」

「うーん、バランス感覚には自信あるけど体力は……あ、でもイデアくんよりはあるか」

「事実だけど辛い。レオナ氏とかならいっそ負ぶって移動してって言うんだけどどうしよっかなって」

「やるよ」

「いいの?」

「とりあえずオレくん背負って歩くくらいならできるし、イデアくんたぶんオレくんより軽いでしょ」

「それは……まあそうだろうね」

「それ女の子に言っちゃ駄目だからね」

「言う機会があるとお思いで!?」

「問題はそこじゃないから……よっ、と」

「んじゃ二時の方向に移動ヨロ。防衛魔法(シールド)は最優先で張るんで被弾は気にせずに進んで」

 背負ったイデアが耳元で囁いた言葉に、ケイトは無茶言うなあと思いつつも頷いた。

 

───***───

 

「九時方向の不確定名三首の鹿釣りますんでちょい止まって」

「おっけー」

 

───***───

 

「十一時方向から五頭来てるけどそのまま進んでおけ」

「あっうん了解」

 

───***───

 

「うわわわちょ、イデアくん!?群れが来てるんですけど!?」

「引きつけてるんだよ……はい炎壁(ウォール・オブ・ファイア)

「火真っ白だし群れごと消し炭じゃん……どんだけ火力高いのさ……」

「いやリドル氏だって本気出せば余裕でしょこのくらい。てか今のはフィールドバフありきのごり押しなんで褒められても嬉しくない」

「さいで」

 

───***───

 

「よし。この先のは全滅したんで九時方向に転身して」

「ん。……ねえ遠くの方に小山が見えるんだけど」

「あ、うん。とりま()()が次の目標ですな」

「いや報連相……」

「どうにでもできる範疇だし要らんくない?」

「要らんくない!」

「そっかー。後残ってるのは大物五匹だけなんでとりあえず一番小さいやつね」

「あれで一番小さいの??三階建ての家くらいはあるのに??」

「ブロット……魔力が蔓延してて他のモンスターもいっぱいいる環境にずっと居るんだからあんなもんっすわ。あと物理的なサイズじゃなくて魔力量とか神秘強度の話なんで」

 

───***───

 

「ど、ドラゴン!?」

 最後の一体がいるという方角に、フィクション以外では一生見ることはないだろうと思っていた形状の影が見えて、ケイトは目を剥いた。

「っすな。下ろして貰っていい?あれは流石に本気でかからんと無理っぽい」

「あの、言い出したオレが言うのも何だけどドレイクでもワイヴァーンでもなくてマジでドラゴンなの?」

「うん」

 こともなげに肯定された内容に、ケイトは心底慌てる羽目になった。真なる竜(ドラゴン)は、地竜(ドレイク)飛竜(ワイヴァーン)水棲竜(ドラコ・アクア)とは一線を画す最強の魔獣だ。ともすれば成体の竜妖精(ドラコニア)と真っ向から打ち合えるのだから、有り体に言って二十にもならない魔法士の百人や二百人で相対していいものではない。

「待って待って真竜(トゥルー・ドラゴン)って言ったら単体で大型魔導炉(MEプラント)並みの魔力持ってるんだよね?逃げよ??」

「ゆうて拙者もほぼ原発みたいなもんですし……あ、ケイト氏ペン出して」

「ん?よく分かんないけど、はい」

 

悲嘆の夜黎黒の淵此岸の嘆きもこそ我が元へ焔よ、彼の心を救い給え(アトラメンタム・ディルーション)

 差し出したペンの先、だいぶ黒が目立つようになった魔法石に病的なまでに白いイデアの指先が触れる。ケイトの人生で一番と言っていいほどに貯まっていたブロットの全てが、その指先に吸い込まれるようにして消える。

「……は?」

 見慣れた鮮紅(ルビーレッド)の輝きを取り戻したマジカルペンをじっと見据えて、ケイト・ダイヤモンドは思わずといったように声を落とした。

 

 焔よ、彼の心を救い給え(アトラメンタム・ディルーション)は元々、ある魔法士の固有魔法(ユニーク・スペル)だった。

 まだブロットの安全な輸送法が確立される前のことだ。もう数百年も前の。「他者のブロットを吸収する」魔法を生まれ持ったその魔法士は、少ない魔力量に反してひとの三倍もブロット容量があった。魔法石の産地から遠く離れた村に生まれた彼の周りにはなんの偶然が七人も魔法士がいて、うちの一人は二度に一度も雨乞いを成功させるほどの大気干渉の天才だった。自然、他の魔法士たちがもっと沢山の魔法を使えるようにブロットを引き受けることが彼の役割になった。そしてある日村は魔法を使う大猪に襲われ、七人のブロットを引き受け続けた彼は、オーバーブロットを起こすことになる。

 彼の幻想(ファントム)から拾い上げられた記憶の中に、ユニーク魔法の効果と使い方があった。それは珍しいことではないが、この時ばかりは特筆されるべき出来事だった。

 

 半汚染状態にある魔法石を破壊せずにブロットのみを抜き出す方法。ブロットの原液や、術者を既に取り殺して定着してしまった亡霊(ファントム)の収容手法の改善。そういったもののを作り出す過程で、焔よ、彼の心を救い給え(アトラメンタム・ディルーション)の汎用術式化はなされた。

 

「はい。ブロット移譲(この)魔法はブロットエネルギーが使えないから多用はできないけど、囮用に分身出せる状態でいてほしいから」

 イデアがそうやって何でもないような顔で言うのが、他言無用の一言さえないのが、ケイトには一層恐ろしかった。他人のブロットを引き受けられるなら、反対に流し込むことだってできるだろう。それを実行に移すほど冷酷な人物ではおそらくないけれど、いっそのことそう言って脅してくれた方がNRCの一員(ケイト・ダイヤモンド)には気が楽だった。

 

「バフよし、デバフ解除よし、防護魔法よし。デバフはどうせ通らんから無視するとして……ケイト氏、分身一体出して。炎特化の防御とブレスが収束する様なバフかけとくんで射線に僕らが入らない様な位置取りして貰ってね」

 

オレはコイツでコイツはアイツ舞い散る手札(スプリット・カード)

「鏑矢代わりに派手なの行きますぞ!輝石と黄金剣と兜翼ある強奪者よ(I・ノートゥング)!」

 

───***───

 

「……お、お疲れ、さま……オレ死んでない?もしくは夢じゃない?マジで竜殺し(ドラゴンスレイヤー)?」

 死ぬかと思った。むしろ生きていることに確信が持てなかった。ケイトは風魔法でブロットを散らされた領域から出ないまま囮の舞い散る手札(オレくん)を二桁使い潰し、イデアはその間魔法を五つも六つも並列起動させたままでいた。ここなら魔力切れと無縁だと言っていたのは本当なんだなあとケイトはしみじみ思う。

「乙乙。だいぶ変質してたからもう真なる竜(トゥルー・ドラゴン)ではなかったけどね」 

 そう言ったイデアが、妙に表情を硬くしてケイトに近づいてくる。緊張の糸が切れてしまって茫漠とする頭でも、なにかがおかしいと思った。

「……イデアくん?」

 イデア・シュラウドではあるだろう。けれど。

「悪いけど、詳細は忘れてもらうよ。君は異空間の特異な魔力で記憶が混濁するんだ」

「え、ちょ、」

 魔導工学の台頭によって非属人(システム)化される前の「レテの河」は、呪文だった。それこそ神代の、女神レーテーの実在したような時代から、何度も「現代」語に焼き直されてきた呪術の一つ(ハデスの領域にあるもの)

死人にくちなし乙女にざくろ生ける人にはなわすれのくさ不和の娘、隠匿の覆い(レーテー・アブルーション)

 

 倒れ込んだケイトを、身体強化を使いつつ支える。世界そのものが現世の入口を残して閉じていく中で、イデアは自分でも理由の分からない懐かしさを覚えていた。これでもかというくらいに魔法を使って、今までにないくらいのブロットを抱え込んでいることに。完全に閉じているが故に行き場をなくして飽和しきったブロットの霧に。理性あるブロット増殖炉(イデア・シュラウド)になるよりも前の、記憶にない何かを。

 

 それは幻影(ファントム)だった。誰かの妄想(イマジネーション)のなれの果てだった。ブロットを拒む理由はどこにもなく、しかし求める理由もまた(レテ)に流れた、彼は希望(災厄の箱の底)だった。誰かの夢見た、彼は理想(イデア)の名を与えられた。嘆きの器として未完成のうちは、一字を変えて。

 

 厄災を、神々(ウラニオネス)の世から溜め込まれた幾億(ビリオン)の嘆きを、いつか嘆きの島のなにものかは飲まねばならない。死者のみが憶えているもの。増殖する冥王の金属(Pluton-ium)を包むもの。嘆きの声(ブロット)に心揺らされずに厄災を身の内に封じることが叶うなら、それはきっと、誰より正しく冥府の番人(シュラウド)足るのだろう


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