サクラバクシンオーは距離の壁を前にして中長距離を諦めた。
ミホノブルボンは距離の壁を越えて中長距離を駆けた。

サクラバクシンオーはそんなミホノブルボンに憧れを抱いていた。
ミホノブルボンは速さを磨くサクラバクシンオーに憧れていた。

そんな2人の関係は公然の秘密である。

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サクラバクシンオーとミホノブルボンとクリスマスの翌日に

 お祭り騒ぎは全て月と一緒に沈み、年の瀬の寂しさが太陽と共に昇った12月26日。

 電飾は眠りにつき来年の出番をじっと待つ。月の前半から学園を彩っていた飾りはクリスマスを過ぎればお役御免となるのだ。

 生徒会からこれらの片付けを頼まれたサクラバクシンオーは2つ返事で了承すると、共に作業する相棒を指名した。

 

「ブルボンさん、ハサミを渡してください」

「どうぞ、バクシンオーさん」

 

 脚立に乗るとサクラバクシンオーの背はミホノブルボンより遥かに高くなった。

 壁の飾りにくくりつけられた針金を取り除くためにハサミを使ったサクラバクシンオー。力をこめて針金を切るとそれを下にいるミホノブルボンに手渡す。ミホノブルボンはそれを手に持った袋へと入れていく。

 1つ取り外せば次へと移り、次が終わればその次が待っている。2人は黙々と作業した。  

 

「バクシンオーさん」

 

 ミホノブルボンが話しかけるとサクラバクシンオーは脚立に乗りながら下を見下ろした。そして思わずその瞳を見つめた事に気づき自然を装って目線をずらす。なぜずらしたのかはサクラバクシンオーにも分からない。

 

「なんでしょうか?」

「その、脚立の上は怖くないのですか?」

 

 サクラバクシンオーがいるのは脚立の天板より1つ下の段。高さにして約2m弱。自分の身長を超える高さで身軽に作業する姿にミホノブルボンは疑問を抱いたのだ。

 脚立の段に腰掛けたサクラバクシンオーは顎に手をやると天井を見上げた。ちらりと下を見ると何やら心配するようにオズオズとミホノブルボンが胸に手を置いている。それを見なかった事にして壁の方を向く。

 

「1人なら怖いですよ」

「──え?」

「落ちたら怪我するかもしれませんしね」

「では、何故?」

 

 溜め息混じりに漏れた笑いにミホノブルボンはその大きな瞳を何度も瞬きする。勿論、壁の方を向いているサクラバクシンオーにはそんな事知る由もないのだが。

 

「だって、もし私が落ちてもブルボンさんが助けてくれますから。だから怖くないです」

 

 それを聞いたミホノブルボンがどれほど顔を紅らめ目を見開いたか、それを知る者はこの世界のどこにもいない。

 

 飾り付けの片付けは順調に進んでいき、ミホノブルボンが手に持つ袋は針金などのゴミで一杯になった。一度中身を捨てて空にするために2人は学園内にあるゴミ集積所へと向かった。集積所は学園の裏門近くにある。

 下駄箱を抜けて外に出ると乾いた風が吹き付け2人の体温を奪い去る。その寒さに思わずサクラバクシンオーは身を震わせた。

 

「ううっ、寒いですね」

「はい。とても寒いです」

「ブルボンさん、私に良い案があります」

「どのような案ですか?」 

「私がブルボンさんと手を繋ぐんです」

 

 サクラバクシンオーの言った言葉が上手く飲み込めず、ミホノブルボンは大仰に目をパチクリさせて立ち止まった。

 

「はい? あの、それは何故……?」

「今、私達の体温は急激に下降しています」

「そうですね」

「しかし1人では体を暖められません」

「それは……そうかもしれません」

「しかし! 手を繋ぐ事で互いが互いを暖める事が出来るのではないでしょうか!」

 

 一見、合理的に聞こえるサクラバクシンオーの理論をミホノブルボンは自己反芻した。  

 

「確かに私達の体は体温が下がっています」

「そうでしょう、そうでしょう」

「では温かい飲み物を飲むなどの方法を取れば良いのではないでしょうか?」

「待ってました!」

「え?」

「あ、いえなんでもありません」

 

 自分の思った通りの言葉がミホノブルボンから出た事で、サクラバクシンオーは思わず心の声を口にしてしまったのだ。

 

「ブルボンさん、学園にある自販機はどこに設置されていますか?」

「それは──」

 

 トレセン学園の自販機は主に校舎内の一角などに集中して設置してある。屋外に設置されている自販機はコースの付近などのみだ。

 

「そう、私達の近くに自販機はありません」

「確かに盲点でした」

「では、疑問も解消出来たという事で」

 

 手のひらを差し出すサクラバクシンオーにミホノブルボンは尚も困惑した。

 

「あの、手を繋ぐ以外の方法は?」

「ありません。あ、1つだけありますよ」

「それはどんな方法ですか?」

「ハグです!」

 

 ミホノブルボンの思考回路は今やショート寸前で、頭の中を2文字の片仮名が巡る。

 いや、もしかすれば自分の知っている言葉と同じ響きの別の言葉かもしれない。ミホノブルボンはそう思う事で冷静を保った。

 

「は、ハグというのは?」

「ハグとは身体を寄せて抱き合う事です」 

 

 自分の知っている意味の言葉だった。

 

「しかしハグをしますと歩きづらいです」

「あの、そもそもが……」 

「ブルボンさんはどっちが良いですか?」

 

 サクラバクシンオーは既に差し出している片手をより鋭くミホノブルボンに向けた。一方の片手は大きく広げている。

 手を繋ぐか、ハグをするか。2択の選択を迫られたミホノブルボンだが、実質的に答えは1つに絞られていた。

 

「手で……お願いします……」

「はい、どーぞ!」

 

 恐る恐る手のひらを差し出したミホノブルボンにサクラバクシンオーは躊躇なく手を重ね合わせた。それだけならまだしも、指を固く絡ませたものだからミホノブルボンは驚きのあまり声が出せなくなってしまった。

 

「あの、な、な、なぜ指を!?」

「この方が暖まりますからね!」

 

 一切合切が落ち着かないミホノブルボンは前を向いて歩くのすら精一杯だった。そんな事など気にも止めず、サクラバクシンオーは満面の笑みで暖かいだのなんだの言った。

 

「ブルボンさんの手は大きいですね」

「へ? あ、そ、そのすみません」

「なぜ謝るんですか?」

「それは、私にも分かりません……」

「ブルボンさんの手は優秀ですね!」

「私の手が優秀ですか?」

 

 ミホノブルボンは手を繋いでいない反対側の手を見つめた。それから今自分と繋いでいるサクラバクシンオーの手を見つめる。自分と違って細くて鋭い指が羨ましかった。

 

「大きい事は優秀な事ですから!」

「そ、それならバクシンオーさんの手も」

「私の手も……ですか?」

「その、バクシンオーのおかげで私の体温は上がりましたので。なので、優秀です」

「では私達の手は優秀なんですね!」

 

 冬にも負けぬ満面の笑みに、ミホノブルボンは胸の奥底から湧き上がる熱い感情をどう処理すればよいのか困った。

 そうこうしている間に集積所に到着し、不自然な程自然に離れた手をミホノブルボンは名残惜しく思ってしまった。

 サクラバクシンオーは慣れた手つきで金属製のトングを持つと袋の中から針金を掴み、それを金属ゴミ用のポリバケツに入れた。

 その姿にミホノブルボンは抱いていたある疑問を口にした。

 

「もしかしてバクシンオーさんは以前にも同じような仕事をされたんですか?」

「ええ、去年も同じように」

「その時は誰と?」

 

 何か深い意味があったわけでもない、純粋なただの質問だった。しかしサクラバクシンオーは一瞬手を止めるとミホノブルボンから目を逸らしてまた作業を再開した。

 

「1人ですよ」

「1人……ですか?」

「はい。1人で脚立に乗り、1人で外して、1人で袋に入れ、1人で捨てに行きました」 

「大変じゃなかったんですか?」

「大変でしたよ」

 

 どこか冷たい言い方。まるで、過去のそれを嫌うような言い方だ。

 

「優しいブルボンさんはこう思ったでしょう、なぜサクラバクシンオーは1人で作業したのだろうか、そしてなぜ今年は2人で作業したのだろうかと。当たっていますか?」

「……はい」

「今もそうですが、私は傲慢です」

 

 突然の告白にミホノブルボンは何を言えばいいのか戸惑う。しかし何も言わずともサクラバクシンオーは勝手に言葉を続けた。

 

「去年、生徒会の方から仕事を頼まれた私は1人で充分だ、なんて事を言いました。自信があったんですよ。それが私の傲慢です」

 

「そして私は1人で作業を始めました。2人でやれば良かったのに、1人でやったので倍以上の時間がかかってしまいました」

 

「それでも傲慢な私は傲慢にも1人で脚立を立てて1人で作業を進めました」

 

「そして、脚立から落ちました」

「──え」

 

 サクラバクシンオーはかがみ込むと、ゆっくり右足を擦った。そこにはもう傷は無い。  

 

「捻挫で済みましたがその場から動けなくなりました。痛くて声が出せませんでした」

「バクシンオーさん……」

「その後私の帰りが遅い事を心配した生徒会の方が見つけてくれるまで私は冷たい床に体温を吸われ続けたんです」

 

 ミホノブルボンの脳裏にサクラバクシンオーが言った言葉がよぎる。

 ──1人なら怖いですよ

 ──落ちたら怪我するかもしれませんしね

 

「では、では何故また今年も脚立に乗って作業をしたんですか? その、トラウマになったんですよね? それなのにどうして?」

 

 ゴミを全て捨て終わったサクラバクシンオーはポケットから小型のアルコールスプレーを取り出して自分の手を消毒すると、迷いなくミホノブルボンの手を握った。 

 

「だから言ったではありませんか、貴方となら怖くないと。貴方とだから出来るんです」  

 

 空気の澄んだ青空に映える桜色の瞳は、震える目尻によって細く絞られている。それでも上向きに笑顔であろうとする口元によって、クリスマスの飾りを詰め込んだ箱のようにぐちゃぐちゃな感情が滲み出ていた。

 少しだけ握る手が強くなった気がする。ミホノブルボンはそう冷析するがそれをどう受け止めて良いのかは分からない。

 

「さあ、行きましょう」

 

 サクラバクシンオーが背を向けた。

 

「これで作業は終わりですか?」

「いえ、今年はあとツリーの飾りを取り外す作業が残っています。大丈夫ですよ2人なら」

 

 ぐいと自分を引く手は微弱に震えている。ミホノブルボンはただ黙って両手を添えた。

 

 正面玄関に立てられたツリーも灯りが消えれば悲しげなオブジェになる。

 脚立を側に立て下から順に飾りを取り外していくが、ミホノブルボンは意を決した。

 

「あの、私に作業させてください」

「ブルボンさんがですか?」

 

 それはサクラバクシンオーが脚立にかけた右足が小刻みに震えているのを、ミホノブルボンが見逃さずに気づいたからの言葉だ。

 

「駄目……でしょうか?」

「良いんですか? 怖くありませんか?」

「はい。バクシンオーさんと一緒なら」

「ブルボンさんは優しいですね」

 

 その優しい声は温もりに満ちており、ミホノブルボンは耳が熱くなるのを感じた。

 まずは下の方にある飾りから外し、それをサクラバクシンオーの持つ段ボール箱へめがけて落とす。そして少し上の飾りを外しては落とす。そうして繰り返し、残るはツリーの頂上に乗せられた星型の飾りのみとなった。

 

「気をつけてくださいねブルボンさん」

「……はい」

 

 そのままの脚立の高さでは僅かに届かないので身を乗り出さなければならない。ミホノブルボンは天板に片手をつくと、もう片方の手を伸ばして飾りの端を掴んだ。そして勢いよく身を引くとその掴んだ手を高く上げた。

 

「やりましたバクシンオーさん!」

「お見事です!」

 

 地上のサクラバクシンオーは嬉しそうに飾りを掴むミホノブルボンに笑みを浮かべた。が、次の瞬間にその笑みは恐れに変わり、そして叫びへと変貌した。

 

「ではこれを──あっ」

「ブルボンさん!」

 

 身を引いた反動か、脚立の上でバランスを制御出来なくなったミホノブルボンはそのまま背中から床面へと落下していく。先に落ちた飾りが派手な音をたてて砕け散った。

 

「ブルボンさーーーーん!」

 

 高さ約2メートル、普通なら落下までに受け止めるなど不可能だ。しかしサクラバクシンオーは渾身の思いで脚を突き動かし落下するミホノブルボンの真下へと駆け込んだ。

 

「間に合え、間に合えぇぇぇ!」

 

 ミホノブルボンの肢体が打ち砕ける前にサクラバクシンオーはそれを受け止めようとした。しかし落下の勢いは強く、衝撃を受け止めきれなかったサクラバクシンオーはよろけるとそのまま壁に体を打ち付けた。

 

「──っ、ぁああ!」

「ば、バクシンオーさん!!」

 

 そして脚立が倒れ、それを最後に世界から騒々しい音は消え去った。それから低く静かな息の音とすすり泣く声が響いた。

 

「バクシンオーさん……」

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

「そんなに謝らないでください」

「バクシンオーさん!」

 

 余りの嬉しさにミホノブルボンは我を忘れてサクラバクシンオーに抱きついた。

 

「ブルボンさんこそ怪我はありませんか?」

「はい。バクシンオーさんが助けてくれたおかげです。そのせいで、そのせいで……」

「別に大した事ありませんて。それに、貴方が無事で何より良かったです」

 

 どんなに慰めても涙の止まらないミホノブルボンの背中をサクラバクシンオーは優しく擦った。それから堪えきれずに手を回して抱き寄せると、ミホノブルボンもより一層抱きしめる腕を強くする。少し苦しかったが幸せな苦しさだとサクラバクシンオーは満足した。

 どれくらいの時間が経ったか。時刻を確認する手段は無く、確認したところで身体を離す気は2人に無かった。離れたくなかった。

 

「落ち着きましたか?」

「はい……でも……」

「もう良いんですって、貴方さえいれば」

「バクシンオーさん……」

 

 ミホノブルボンの体温を全身に感じながら、サクラバクシンオーは気づかれないように涙を流した。ほんの一滴、ほんの一筋だけ。    

 

「これで、ブルボンさんも脚立がトラウマになってしまいましたかね?」

「はい……でも……」

 

 この『でも』は否定しなくても良い、サクラバクシンオーと目があったミホノブルボンは涙の小粒を輝かせながら目を閉じた。

 

「貴方と一緒なら怖くありません」

「そうですか、それは何よりです」

「バクシンオーさん」

「はい。何でしょうか?」

「寒くありませんか?」

「寒いですねえ」

「手を繋ぎますか?」

「それは名案ですね」

 

 再び目を開いたミホノブルボンに涙の影など無く、代わりに煌めく瞳がどんな飾りよりも美しく光を放っていた。

 

「ですがバクシンオーさん、手を繋ぐよりも良い方法がありますよ」

「ほう、それは何でしょうか?」

「それは……それは……もうしていましたね」

「……ふふっ、ああ確かにそうですね」

 

 そして改めて強く強くハグをする。

 それから2人は時が満ちるまで互いの熱い体をさらに暖め合ったのだった。

 

 


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