美しく残酷にこの大地から......とまでは言わないのでちょっとの間幻想郷から出てってください。 作:妖念
目深に被ったハンチング帽の下で、何かをうかがうような赤い瞳が見え隠れする。帽子の中には長い兎の耳がしまいこまれていた。折り畳まれた耳が少し痛むが、人目につきにくくするためには仕方ない。ここは外の世界。行き交う人々の中に兎の耳がついた人物なんぞいないのだから。
「......ホントにやるの?」
「あったり前じゃん」
鈴仙・優曇華院・イナバは数少ない兎の同僚に伏し目がちに囁いた。自分でも不安げだと思う声に対して、因幡 てゐはニヤリと不敵に笑う。
「ここまで来て今さら何言ってんのさ。鈴仙......いや、"所長"さん? ほら、もう着いたよ」
鈴仙より一回り小さなてゐはキャップを逆向きに被り、頭の後ろで手を組んでいる。こう見えても鈴仙よりもはるかに年上......らしい。当然兎の耳はうまいこと帽子で隠されている。
てゐと鈴仙は歩を緩め、小さなビルの前で立ち止まった。鈴仙は叫びたくなるのを必死にこらえながらそのビルを見上げた。
「うわぁ......ホントに書いてある......」
ビルの3階の窓には大きく『優曇華探偵事務所』と書かれていた。自分の名前、しかも愛称の方がでかでかと晒されている。当然自分で命名したはずもなく、正直恥ずかしいどころの騒ぎではない。もう年も明けようかという真冬の屋外で鈴仙は顔がカーッと火照るのを感じた。
「何やってんの、鈴仙。入ろうよ」
鈴仙が1人悶えている間に、てゐは躊躇なくビルの入り口、ガラス張りの引戸を引いていた。
鈴仙もしぶしぶ後に続いた。中に入るとてゐがとっくにエレベーターのボタンを押していた。少し薄暗い1階の広間で2人はエレベーターを待つ。
待ち時間で鈴仙はこうなるに至った主人・蓬莱山 輝夜の一言を回想していた。
──「イナバ! あなた、探偵をやりなさい!」
──「え?」
テレビを見ていた輝夜が突然そんなことを言い出したのはちょうど5日程前のことだったか。
輝夜が突拍子もないことを言うのは日常茶飯事ではある。ひょんなことから無理難題を突きつける──それは幻想郷でも外の世界でも変わらないスタンスらしい。
多くの幻想郷の住民が外の世界に放り出されて途方に暮れているのであろう。が、輝夜は違った。もともとが好奇心が服を着て歩いているような性格だ。異なる文化に日々目を輝かせている様は鈴仙からすれば羨ましくもある。好奇心は猫をも殺すというが、彼女が猫なら誇張抜きで100万回は死んでいる。
しかし、幸いと言っていいのかどうか、持ち前の好奇心のお陰で彼女は不老不死の薬を口にし、不死身のお姫様になっていた。
そんなお姫様の暴走を止められるものなど存在しない......いや、正確には1人いる。
輝夜の付き人にして、鈴仙の薬学の師匠にあたる賢者・八意 永琳だ。
しかし、長年連れ添ったが故の諦めなのか、単純に輝夜に甘いのか、あるいはそのどちらもか、永琳は輝夜の気まぐれな思いつきを絶対に止めることはない。
結局今回も、あれよあれよと話が進んだ結果、今鈴仙はこうしてエレベーターの前に立っているわけだ。とばっちり以外の何でもない。
「あんたでしょ、うちにテレビ買ってきたの」
「さあねぇ?」
隠すつもりもない様子でてゐはおどけてみせる。
鈴仙はすかさず咎める目付きを送ったが、そんなものこの小兎にはどこ吹く風のようだ。
こちらも幻想郷の頃と何1つ変わっていないので、鈴仙も早々と諦める。しかし、外の世界よりも高度な文明と技術を持つ月の民の3人と違って、てゐは地上の妖怪だ。そんな彼女がいとも簡単に外の世界に適応している様は流石だな、と感心する部分もあるのは確かだ。
エレベーターが到着し、ベルの音と共に扉が開く。
5人も乗ったらすし詰め状態になりそうな狭い箱の中。その扉がシュウッと閉まる。軽い閉塞感がしばらく続いた後、ゴトゴトと音がしてエレベーターが止まった。3階なので直ぐである。
「にしても、どこにこんなお金あったのかしら......」
エレベーターから降り、無骨なコンクリートの廊下を進みながら、鈴仙は顎に手をあてた。そこまで大きくないビルのオフィスとはいえ、それなりの金額、外の世界に来たばかりでは到底払えないような金額がかかるはずだ。もちろん鈴仙はそんなお金持っていないのでびた一文払っていない。
「金なんてお師匠様と私がいればどうにでもなるってことさね」
てゐが鈴仙の疑問に答えたようなそうでもないような返答をする。
「結局何から何まで全部あんたが元凶じゃないの」
それに何で師匠が......と続けようとして鈴仙は口をつぐんだ。輝夜の興味に永琳が全力で協力するのなんて当たり前のことだった。
「何かご不満かい?」
「不満っていうか......疑問? 姫様が自分でやるんじゃなくて何で私に、とは思うけど」
幻想郷では──というか外の世界でも割りとそうではあるのだが──フィクションにしか登場しない探偵に輝夜が興味を持つのはまだ分かる。が、それを何故鈴仙に託したのか、これが分からない。
「何か他にやりたいことがあるとか言ってたけどね」
「他にも何かやるつもりなの? まあ、でも......」
事前に渡されていた鍵を片っ端から差し込む。3つ目の鍵でがチャリ、と手応えがあった。
「所長かぁ」
響きはいい。
経緯や実態はともかく、鈴仙は肩書きそのものは満更でもなかった。
◇
魔理沙に誘われ、訪れたのは『秋刀雀』。
「......っていういきさつよ」
鈴仙は少し赤らんだ顔でミスティアに話す。
ちなみにこの話をするのは、秋姉妹、妖夢、隣ですっかり出来上がった魔理沙を含めてこの日4回目だ。しかし、鈴仙も酔いが回っているのでそんなことはほとんど気にしていなかった。
「へー、で、探偵って何するの?」
「結構地味よ。逃げたペット捜しとか浮気調査とか......」
探偵の業務そのものは鈴仙にとって天職といって差し支えないものであった。音、光、果ては精神に至るまで──あらゆる"波長"を操れる鈴仙は、透明になって尾行なんてお手のもの。人が出す感情の波長から浮気しているかどうかなんてある程度読み取れる。
(ペットは、その辺の犬猫を目的のペットに幻視するようにしちゃえば......いや、駄目か)
酔いのせいか余計な考えが浮かんだことを自省していると、静葉がカウンターから身を乗り出した。
「そう言えばペット捜してるってお客さんいたわよ? 紹介しましょうか?」
「あら、そうなんですか? じゃあ、名刺を......」
鈴仙は懐から名刺入れを取り出し、静葉に手渡した。
自ら用意したものではない。
知らない間にてゐか輝夜のどちらかが勝手に作っていた。癪に触るのがデザインをちょっと気に入ってしまっていることだ。こうやって常に持ち歩いているのがいい証拠である。
「名刺とかあるの? かっこいい!」
「え......そ、そうかしら?」
ミスティアに素直な褒められ方をし、思わず口角が上がる鈴仙。口元を拭うふりをして何とかごまかす。
「私も響子捜して貰おうかな」
「なんでペット捜しで名前が出るのよ。まあ、人捜しもできなくはないけど」
「幻想郷の住民からひたらぁ......結構ー需要あるんじゃーねえかぁ? 普段いっひょの連中とはぐれたって奴、そこそこいるだろぉ」
一応、話を聞いていたらしい魔理沙が急にガバッと起き上がり、怪しい呂律で喋り始めた。完全に酔っぱらっている。
「でも、多分そういう人たちって私の事務所も知らないでしょ」
「そりゃあ、まあ、地道な広報活動を......例えばここの店でチラシを配るだとか......って今は誰もいないか」
「そういえば私たちだけね」
鈴仙は店内を見渡す。カウンター席に、テーブル席がいくつか設置されている。淡い茶色を基調とした店内にはどこかで見たことのあるような日本刀が飾られており、なんとも上品で和風な佇まいだった。最初、魔理沙に誘われた時はさぞ高級な店だと身構えたのだが、お品書きも何のことはない、どの商品もリーズナブルなものばかりだった。挙げ句、それが旨いときている。
にも関わらず、だ。魔理沙と鈴仙が座っているカウンター席以外は全て空いていた。客よりもカウンターの向こうの店員の方が多い。時間は7時を既に回っているので、他に客がいてもおかしくはない。豊穣の女神や大食亡霊専属料理人の食事が不人気というはずもないので、不自然とまでも思える。
「そりゃまあ、お店はもうやってないから」
「時期考えなさいよ。年末だもの。お休みよ、お休み」
妖夢と穣子が呆れ気味の苦笑いで首を傾ける。
「え? 私たちのために開けてくれてるんですか?」
「魔理沙がね、どうしてもって言うから」
静葉は頬に手を当て、困ったような笑顔を見せる。
「ま、いいんだけどね。年の瀬だからって特にやることもないし。何となくまわりに合わせて閉めてただけだから」
「だからって客2人に4人も集まることないとは思うんだけど」
穣子がそう言うと、店員4名は一斉に笑い始めた。
つられて笑う鈴仙が完全に潰れた魔理沙のお代を持つことになるのはこの数時間後の話である。
◇
「ん......」
「あ、起きた」
鈴仙は『優曇華探偵事務所』の中で目覚めた。
視界に白い味気ない天井が飛び込んできた後は、見慣れた兎が鈴仙の顔を覗き込む。
「いてて......」
体の節々が痛む。まさか年のせいとも思えないので、ソファーで寝たためだろう。ここ1週間はずっとこんな感じだった。事務所のホームページまで開設したらしいてゐが有能なのか、クリスマスを過ぎて冷めた夫婦が増えたのか、はたまたクリスマスに何もしてもらえなかった恨みからか、浮気調査等やたらと仕事が多い。家に帰るのが面倒になって事務所で寝る日も増えてきた。
二度寝しないよう体を起こす。いつまでたっても慣れやしない文字が見える窓際で、てゐは早速デスクでパソコンをチェックしていた。
「いつ来たの?」
「今さっき」
「あんた、幻想郷の時より働き者になってない?」
「やだなぁ。こんな面白そうなのに黙って見てるわけないじゃない」
てゐはあっけらかんと笑った。てゐに限らず幻想郷にはこんなスタンスの連中が多い。そしてこのような性格の物ほど外の世界への適応も早いのだろう。
「それに、実際仕事してるのは鈴仙だしね」
「いや......まあ、それはそうなんだけど」
「あ、そうだ。暖房つけたまま、口開けて寝てたから喉乾いてるでしょ。はい、これ飲み物」
「ん? ああ、ありがと」
寝相を見られた恥ずかしさが少し込み上げてくるが、確かに喉は乾いた。
てゐから差し出されたコップを受け取り、そのまま一気に喉に流し込む。
「どしたの? 渋い顔して?」
「うっ......何これ......?」
口いっぱいに不快な青臭さが広がる。
「やっぱ飲まなくて正解だったな。河童からもらったきゅうりジュース」
悪びれもせず、てゐは机の下から1本の瓶を取り出し、しげしげと眺める。
「何でそんなもん押し付けんのよ!?」
「......実験台?」
前言撤回。彼女は働き者でも何でもない。単純に鈴仙で遊ぶチャンスを増やそうとしてるだけだ。そのうち引き受けてくる仕事がとんでもないものになるかもしれない。
「......歯磨いてくる」
鈴仙はノロノロ洗面台に向かうと雑にはみがき粉をつけた歯ブラシを口に突っ込み、てゐの元へ戻る。
「今日はどんな感じ?」
「んーと......? 今日は変な依頼1件だけ。何て読むんだ、これ? 秋に刀に雀に......そこから紹介受けたって」
「ん......ああ、こないだの。ペット探しだっけ?」
「そうだね。2匹らしいけど」
「何時に来るって?」
「10時頃だってさ」
「名前は?」
「それは......会ってからのお楽しみの方がいいんじゃないかなぁ」
シシシと笑うてゐ。適応力はともかく、こういうことがあるので秘書のような適性はない気もする。
しかし、まだ脳が覚醒してない鈴仙はそれ以上追及しようとはせず、はみがき粉を吐きに洗面台へと戻る。
まだ寝ぼけた顔で、ぼーっと鏡を見た時だった。
「ん? ......んー?」
鈴仙は洗面台からばねのように勢いよく飛び出す。
その赤い眼は一層爛々と輝いていた。
「てぇぇゐっ!? 何してくれてんのよっ!」
鈴仙はてゐに飛びかかるが小柄な彼女には辛くも届かない。てゐはキャッキャッと笑いながら、木枯らしに吹かれた木の葉のように逃げ回る。
「最近忙しそうで顔色悪かったから良くしてあげただけじゃんー!」
鈴仙のほっぺには赤ペンで渦巻き、という何とも古典的ないたずらが施されていた。
◇
『秋刀雀』から紹介を受けた、つまり静葉に渡した名刺づてで依頼してきたという"ペットを捜している人物"を前に、鈴仙はだんまりを決め込んでいた。
自分でもいささかコミュニケーションが苦手なのは自覚している。が、何も今はそれが原因で喋っていないわけではない。
言葉を発しようとはするが、その必要性がないのだ。
勇気を出してもう一度話しかけてみる。
「ペ......」
「ええ、ペットです。2匹......いえ、2人ほど」
鈴仙は1度咳払いで自分の呼吸を整える。
「とく......」
「そうですね......特徴と言ってもただの猫と鳥ではないので」
徐々に口元が凝り固まっていくのを感じる。このままだと2度と喋れなくなってしまいそうだ。
(そうだ、ペットの特徴を聞かないと......)
「どん......」
「特徴ですか? 2匹、いえ2人とも人の形をとっています。猫の方が赤髪の子で、鳥の方が黒髪の子です」
依頼人・古明地 さとりを前に鈴仙は苦笑いを浮かべる。なんせ、質問を発する前に答えが返ってくるのだ。何とも......
「やりづらい、ですか。よく言われ......いえ、思われます」
黒いダボダボのパーカーの裾からはみ出し、にゅう、と覗く赤い目玉と目が合う。
てゐはさとりに心を読まれるのが余程嫌なのかどこかへ既に逃亡していた。
「でも、素晴らしい能力でしょう?」
操り人形のように体はギクシャクと、しかし力ない笑み以外の表情ができない。最大限のぎこちなさと居心地の悪さ、そしてその原因たる心読妖怪・覚に鈴仙はメンタルをガリガリと削られていた。
「大丈夫ですか? お疲れのようですが?」
「あ......いえ......」
「なるほど、お忙しい上に同僚の方と......フフフ、仲がよろしいのですね」
鈴仙は恥ずかしさから膝をかきむしるように擦った。
鈴仙は心は読めないが、今さとりの脳内に思い浮かんでいるのが落書きされた鈴仙とてゐの鬼ごっこだというくらいは分かる。
◇
射命丸 文は自宅の玄関でほとほと困り果てていた。目の前で頭を下げる2人の少女──火焔猫 燐と霊烏路 空をどうするか。
「さとりさまに逢いたいの!」
「頼むよ、天狗のおねーさん!」
かれこれ15分ほどこの押し問答だ。話を聞く限り、どうやら主人の古明地さとりとはぐれてしまったらしい。それで、何故かたどってきたつてが、伝統の幻想ブン屋・射命丸 文だった訳だ。
といっても文のもとへ来ること自体は、彼女たち地底に暮らす妖怪の交遊の狭さと取材活動による文自身の顔の広さを考慮すると、全く考えられないことでもない。
「同じ鳥じゃん!」
「いや、鳥のよしみって......私は鴉天狗であなた八咫烏......」
食い下がる空になおも難色を示す文だったが、燐の次の一言が文の琴線に触れた。
「お願い! 幻想郷の住人のことなら色んな所に取材してる天狗のおねーさんが1番詳しいでしょ?」
「いや......まあ、それは......」
否定するのは文のプライドが許さない。事実、幻想郷でも発行していた自作の新聞『文々。新聞』を外の世界でも発行してみようかと目下画策中だったのだ。
新聞を配るため、幻想郷の住民たちの誰がどこにいるかは少しずつではあるが、メモしている。
しかしながら、問題が2点程ある。心を読める彼女に文は余り会いたくない、ということ。誰しも心の中だけに留めて置きたいことはあるものだ。
そして何より、彼女たちが捜している古明地 さとりの場所は文のメモにはない、つまり全く手がかりがないということだ。
が、このままでは情報が命のブン屋としての沽券に関わる。
それにこれ以上、ここで粘られるのも困る。2人とも幻想郷の時とほとんど格好が変わっていない。つまり、燐は猫耳が、お空に至っては八咫烏の馬鹿でかい両翼が丸出しだ。凄まじく人の目を引く。
「あーもう! 分かった! 明日1日! 1日だけ! 協力するから! また、明日来なさい」
文はそれだけ言い放ち、少し晴れやかになった2人の表情を確認しながら扉をゆっくり閉める。
やれやれ、明日はどうしようか、と考えながら部屋の奥へ引き返そうとした際、何かを感じとった。
再び玄関へと戻り、ドアをうっすら開け、目だけで覗く。
まだ、いた。
「......何してるの?」
小声で文は問いかけた。
「いやあ、行くとこ特にないから......」
「......一晩だけよ」