悪魔の護り手   作:ケーキ食べたい

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第二話

 

 

 

 

 

 ツンと鼻を刺す薬品の臭い。まず感じたのはそれだった。次いで脳に届いたのはガラスか陶器が触れ合う軽やかな音。それらがまだ半ば微睡みの中にいる脳を程よく刺激して、徐々に視界が鮮明になっていく。同時に手足の感触もゆっくりと復活し、自分が寝ているであろうお粗末なベッドの肌触りも感じることができた。

 

 記憶があやふやだ。さっきまで自分は森の中を歩いていたはずだ。それが何故ベッドに寝ているのだろうか。

 

 最初に視界に映った木の継ぎ接ぎだらけな天井をしばらく見つめる。そして、どうも不自然に視界が狭いことに気がついた。

 

 正確には、右目が映すはずの視界が“ない”。

 

 右目の目の前に手のひらをかざしてみても、視界の右半分はただただ暗闇を映すのみ。

 

 流石に焦った。思わず右目があるであろう部分を指でつついた。だが、どうもそれがよくなかったらしい。

 

 突如、右目から脳にかけて、銃剣にでも貫かれたような鋭い痛みが駆け抜けた。痛い。痛すぎる。脳が半分に割れそうだ。ただ、右目部分に包帯が眼帯のように巻かれていることは確認できた。よく見れば手首や二の腕にも包帯が巻かれている。

 

「気がついた?」

 

 ほんのりと温かく、それでいて大理石のように冷たい声がした。

 

 僅かに上体を起こし、声がしたほうへ首を向けると、そこにはいつか見た白髪の少年がいた。そして、少年の顔を見た瞬間、これまでの記憶が甦った。

 

 そうだ。森の中で小屋を見つけて、コイツが小屋から出てきて、それで……それで…………ん?

 

 まだ完全復活とはいかないようだ。

 

 せっかくなので直接聞いてやろう。目の前のコイツが自分をこのベッドに寝かせた張本人で間違いないだろうし。他にも聞きたいことは山ほどあるが、それは後回し。現在の状況の理解が先だ。

 

「君は倒れたんだ。玄関で。全く、ベッドまで運ぶのに骨が折れたよ」

 

 そう言いながら少年は不自然に折れ曲がった左腕をプラプラ振っている。ジョークのつもりなのだろうがブラック過ぎて全く笑えない。

 

 続いて右目や腕、その他身体中に巻かれた包帯のことや今まで肌身離さず持っていた装備一式について聞いた。一気に質問し過ぎだとは思うがそこは許してほしい。

 

「一度に質問しないでよ。……包帯は僕が巻いた。応急措置だけどね。腹にはふやかせたパンを無理やり流し込んだ。銃はあそこ」

 

 案の定文句を言われた。しかしそうは言いつつも律儀に答えてくれる当たり根は真面目なヤツらしい。

 

 少年が指で示した場所を見ると、確かにレンガ造りの壁に懐かしのエンフィールドライフルが立て掛けてあった。その他装備一式もそこに一纏めにして置かれている。

 

 ──レンガ造り? 木造の家に?

 

 ここで自分は今いる室内全体を見渡した。

 

 蜘蛛の巣が張った天井。塗装の剥がれた壁。埃だらけのテーブル。どこをどう切り取ってもお世辞にも快適な部屋とは言いづらかった。間取りはシンプルな長方形だが、部屋の一部を増設しており、そこにはレンガ造りの工房のようなものが一部窪んでいるような形で設けられている。そして、その工房に設置されたテーブルにはところ狭しとフラスコや試験管、釜などが置いてあり、つい先ほどまでそこで何か作業をしていたようだった。

 

 一通り室内を見回し終えたので、ここらで先ほどから気になっていたことを少年に聞いてみた。家族のことである。一階建ての小屋とはいえ子供一人で住むには広すぎる。しかし、最初に小屋を見つけた時も今この瞬間も、親や兄弟の存在を示す痕跡は見当たらない。そこがどうにも不気味だった。

 

「家族はいないよ。一人」

 

 即答だった。まるで、そんなもの初めから存在していなかったかのように。その返答についオウム返しのように聞き返してしまう。

 

 『一人』ということは、当たり前のことだがレンガ造りの工房で何かしら実験をしていたのもコイツとなる。

 異国語に堪能で、初歩的ではあるが応急処置もでき、なおかつ化学にも精通しているとは、この少年、ただの子供じゃない。

 

 少し考えを巡らせていると、少年がおもむろに口を開いた。

 

「そっちこそどうして一人なの? 軍人っていうのは集団で動くものでしょ?」

 

 思わずヴッと喉の奥を鳴らした。この少年、なかなか鋭い。

 

 しかしバカ正直に答えるわけにはいかないので、ただ単に言えないと苦し紛れに誤魔化す。すると少年は何故か合点がいったように、

 

「ふぅん。……なるほどね」

 

 と相槌を打った。なるほどって今ので何が分かったというのだろうか。

 

「いやぁ、別に。教えない」

 

 なんだお前。

 思わずイラッときた。だが、それよりも聞きたいことが山ほどある。右目に巻かれた包帯のことだ。自分の最後の記憶では右目には何も異常はなかったはず。であるのに何故か包帯が巻かれている。このことについて主治医には納得できる答えを提示して貰いたい。

 

「え? あぁ、少し炎症を起こしてたから目薬を点しただけだよ」

 

 嘘つけ。なら先ほどから断絶的に訪れるこの痛みは何なのだろうか。

 

「痛み?」

 

 ピタリ、と少年の動きが止まった気がした。それとほぼ同時に網膜を針で突き刺しているような痛みのスイッチが入った。

 

 ズキズキ、ギリギリと網膜を(じか)(なぶ)られるような痛み。脳の奥で誰かが甲高い不快な叫び声をあげている。痛い。ただただ痛い。最早それしか考えられない。

 

 自分は無意識のうちに顔を下に向けていたのか、視界が若干暗くなる。

 

 そして痛みが少しだけ収まり、再度顔を上げた時、少年の顔面が自分の顔の間近にまで迫ってきていたことには、流石にブッ!!と間抜けな声を上げざるを得なかった。

 

 まるで色を映す気のないように淀んだ灰色の瞳。全てに疲れきったことを示唆するかのような隈。徐々に吊り上がってゆく口角。それら少年の顔を構成する全てが視野角のほとんどを覆いつくしていた。

 

「痛むんだね」

 

 (よこしま)な印象しか抱かせない笑みを浮かべながら嬉しそうに聞いてくる少年の顔を見て、流石に確信した。絶対右目に何かしただろ、と。

 

 少年はもう気が済んだのか、おもむろに顔面を引っ込めて、壁に埋め込まれている流し台へと体を向ける。錆びた手押しポンプの軋む音が部屋中に響き渡った。

 

「ま、一応治療したんだからそれで許してよ」

 

 あいにく、症状の追加をもたらすような行為は治療とは言わない。そう文句を垂れると

 

「君は片目と命、どっちがのほうが大事?」

 

 と間髪入れずに聞き返された。そりゃあ命だろう。誰がいつどんな状況で聞かれたって同じように答える。

 

「なら右目一つくらいなんてことないよね。どことも知らない土地で一人寂しく死ぬよりは。でしょ?」

 

 コイツに人の心は無いのか。そう思わずにはいられなかった。

 

 桶いっぱいに水を溜め、ジャバジャバと音を立てながら器具を洗い始める少年。自分はそれを横目に見ながらゆっくりとベッドから立ち上がる。

 

 壁に手を付きながら、おぼつかない足取りでライフルが置いてあるレンガ造りの区画へと移動する。今の自分の状態はさっきまでの問答で大体把握できた。次は装備の状態を確認しなければならない。

 

「もう立って平気なの? やっぱり軍人って凄いんだね」

 

 これでも自分は高地連隊(ハイランダーズ)の一員だ。たかだか数時間寝ただけで身体が鈍るような鍛え方はしていない。

 

 ──はずなのだが、3歩進んだところで唐突に目眩に襲われ、装備が置いてあるレンガ造りの工房へ頭から突っ込んだ。その拍子にテーブルの上に積み重なっていた皿が吹っ飛び、壁に当たって砕け散る。

 おかしい。こんなはずでは。

 

 首を捻らせて窓の打ち付けられた板の隙間から外を垣間見る。するとどうだろうか。痩せた針葉樹が淡い月明かりに照らされて一層その痩せた体躯を見せびらかしているではないか。

 

 思い出せる最後の記憶では、空はまだ明るかった。一体どれだけ自分は眠っていたのだろうか。

 

 そう少年に聞くと、少年は作業を止めて、数秒考え込んだ後に静かに答えた。

 

「えっと……3日と半分くらいかな」

 

 なるほど。身体も鈍るわけだ。

 散乱した皿の破片を払いながらとりあえず上体を起こす。

 

 しかし困った。3日も経っているのなら、フランスに散らばっているはずのイギリス軍も海岸付近まで撤退できているだろう。

 

 つまり、自分の推測が正しければ、自分は本当の意味で孤立したことになる。これは困った。

 

「不思議な男だね、君は。困った困ったって言う割に全然危機感を感じない。仲間に会いたくないの?」

 

 少年の問いかけに思わず吹き出す。会いたいかだって? 会いたいに決まってる。でももうみんな()()()側に行ってしまった。もう会えない。

 

()()()、ねぇ。仲間は死んじゃったのか。じゃあなぜ君は生きているの?」

 

 やめてくれ。もう答えは想像ついてるだろう。そう苦し紛れに絞り出すと少年はニヤリと嗤って

 

「そうだね。でもあえて君の口から聞いてみたい」

 

 と憎たらしいほどの笑顔で言った。

 

 とことん意地が悪い。どういう生活をしたらこうも人の神経を逆撫でできる人間になれるのだろうか。

 

 拒否したところで見逃してくれるわけがない上、話が進まなくなるのはこちらにとってもメリットがない。ここは我慢だ。我慢。

 

 自分は言うことを聞かない唇を無理やり開いて、小さく脱走兵だと話した。

 

 それを聞いた少年は満足そうに笑顔で頷く。

 

「そうか、そうか。君は脱走兵か。だからこんな敵陣間際に一人でいたんだね。臆病者のエンフィールドくん?」

 

 急に自分の姓を呼ばれ、身体中の鳥肌が全て立ち上がった。当たり前だが自分はコイツの前で名前を高らかに名乗った覚えはない。

 

 ふと、少年の上着に目をやる。ここで自分は少年の上着のポケットに入っている一冊の手帳の存在に気がついた。それがイギリス陸軍に支給される身分証明のための手帳だとわかった瞬間、反射的に自身のズボンのポケットに手を突っ込んだ。当たり前だが手のひらが掴んだのは空気だけだった。

 

 少年はポケットから手帳を取り出し、ヒラヒラと顔の前で煽って見せる。

 

「君が寝てる間に何も調べてないと思った? 残念だけど色々漁らせてもらったよ。この中身はまだだけど」

 

 そして、おもむろに開いて読み始めた。もうやること為すこと全て癪に触る。いい加減にしてほしい。

 

「えー、ビリー・エンフィールド。23歳。階級は伍長。若いのに凄いね。ていうか伍長が脱走しちゃダメでしょ」

 

 うるさい、と反射的に口に出た。伍長は兵卒や上等兵を監督する役目を与えられた下士官である。当たり前だが、腐っても人の上に立たなければならない立場なので脱走など論外である。

 

「生まれはスコットランド。それもハイランド地方か。……へぇ、あの高地連隊(ハイランダーズ)出身とは。優秀なのも頷ける」

 

 あの、とはどれのこと言っているのか。心当たりがそれなりにあるせいで分からない。というか、フランスのこんな森奥に住んでいるようなコイツがなぜスコットランドの高地連隊のことを知っているのだろうか。

 

「まあ、昔ちょっとね」

 

 なるほど。はぐらかされるというのはこういう気分なのか。

 

 というよりも、コイツの名前は何なのだろうか。一方的に知られるのは気分が悪い。そう訴えた途端、少年は歯車がおかしくなった時計のようにピタっと動きを止めた。

 

 ……嘘だろう。そこ詰まるのか。詰まるところなのか。自分の名前だろう。そう口から出そうになったが、無理やり胸中に閉じ込める。

 

 

 

「……ヨセフ。ただのヨセフでいい」

 

 

 

 音というものは通常、色を連想させることが可能である。『黄色の歓声』など高い音は明るい色のイメージを、逆に暗く澱んだ音は紺色や深緑など暗い色のイメージを連想させる。

 

 しかし、少年の声色は、何も入っていない空っぽの空白のように、ただただ無色だった。

 

「──さ、そんなことより、ビリー」

 

 パチンッという手帳を閉じる音で自分はハッと我に帰る。その手帳、一応人様の物なんだから、あまり乱暴に扱わないで欲しい。

 

「事情はどうであれ、君は戦いから背を向けて、結果的に孤立した。もちろんそれを責めるつもりはないよ。寧ろ正しい判断だと思う。無理に国を背負っても生きづらいだけだからね。そして……あー」

 

 一旦言葉を切って、少年──ヨセフは少し困ったような表情をした。

 

「実は僕もちょっと事情があって一人ボッチなんだよね。……あ、僕達仲間だ。偶然だね」

 

 わざとらしい。言いたいことがあるなら回りくどいことをせずにさっさと言って欲しいものである。

 

「そう……じゃあ単刀直入に言おう。

 

 

 

 ──ビリー、僕の護り手になってくれない?」

 

 

 

 ……マモリテ? と微妙に馴染みのない単語に思わずオウム返ししてしまう。護衛のことだろうか。それともボディーガード? 同じことか。

 

「そう、護り手。平たく言えば護衛みたいなものかな」

 

 護衛のことだった。そりゃそうか。しかしそれは面倒だ。ほとんど間髪入れずに拒否の返事をする。自分には故郷に帰るという目的がある。そんな他人の護衛などという危ない橋は渡っていられない。

 

「そんなこと言わずにさ。それに、いい経験になるはずだよ? 何せまじゅ──」

 

 

 振り向きざまにヨセフが口を開いた時、それは起こった。

 

 

 金属が弾け飛ぶ音が鳴り響き、木板で塞がれていたはずの窓ガラスが割れた。同時に、ヨセフは側頭部を破裂させながら崩れ落ちた。吹き出した紅黒い液体が自分の顔に降り注ぎ、絵の具をぶちまけたかのように真っ赤に染め上げる。

 

 一瞬何が起こったか分からなかった。しかし、ある程度鍛えられていたお陰か、あるいはただの慣れか、思考が再び動き出すのにそう時間は掛からなかった。

 

 自分は倒れたヨセフの腕を掴む。そしてレンガ造りの工房の陰まで引きずり、ひとまず凶弾の射線を切る。

 

 迷わず眼下のリー・エンフィールドを握り、弾を装填する。

 考えろ、ビリー。そして落ち着いて状況を整理しろ。

 

 この銃声は何度も聞いた。間違いない。

 

 

 

 これはドイツ(Gew98)の狙撃だ。

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 ──小屋からおよそ400m南方。

 

 

 雲一つ無い快晴の夜空。柔らかいそよ風が、空気を突き刺す勢いで乱立した針葉樹の葉を優しく撫でる。その際、木の葉同士が互いにぶつかり合い、カラカラという心地よい音が鳴り、それが徐々に周りの木々に伝染していく。

 

 それだけ切り取って見れば、どこの国にもあるただの針葉樹林である。

 

 しかし、ここ、アルゴンヌの森は少し違った。

 

 木皮が幾つも捲れ、骨のように痩せた針葉樹の間を埋めるように、迫撃砲のクレーターが幾つも存在し、幾つかの針葉樹は根元からポッキリと折れてしまっている。

 

 ここでは戦闘があった。人間同士が哀れに殺し合った。これらの痕跡はそれを静かに示していた。

 

 そんな森の丘上に、グレーグリーンの野戦服を身に纏った二人の兵士が、うつ伏せの状態である一点を見つめていた。片方は双眼鏡に目を当てており、もう片方はドイツ製のボルトアクションライフル『Gew98』の引き金に指をかけている。銃口からは薄く煙が立ち込めており、それは今しがた発砲したことを表していた。

 

「側頭部に命中。お見事」

 

 双眼鏡を覗いていた兵士が真横にいる相棒に向けて呟く。それに応えるように狙撃手は深く息を吐いた。

 

 狙撃手(スナイパー)観察手(スポッター)二人一組(ツーマンセル)。これ以上ないほど理想的な組み合わせだが、彼らはそれ以上に理想的だった。

 

「『暗視』の調子はどう? フェリックス」

「上々だ。夜の森のくせに標的がよく見えてる」

 

 フェリックスと呼ばれた狙撃手は表情を変えずに返す。彼の瞳には魔方陣のような模様が幾つも重なって浮かんでいた。

 

「……死んだと思う? 一応倒れたのは確認したけど」

「一応()()()()()()()()()()()を使った。だが、それを喰らってなお動くのなら、ヤツの不死身のカラクリは()()由来のものじゃない。──ホルガー」

「ん?」

 

 観察手──ホルガーは双眼鏡から目を外し、横のフェリックスの顔面に眼球を向ける。フェリックスもライフルの照準器(アイアンサイト)から目を外す。

 

「仲間の位置を()()()()()。そろそろ目標付近にいるはずだ。さすがに同士()ちはしたくない」

「了解」

 

 すると、ホルガーはゆっくりと目を閉じて、フェリックスのこめかみに人差し指を当てた。そして、針葉樹の間を縫うそよ風に乗せるように、小さく何かを呟き始めた。

 

 途端に変化は訪れた。フェリックスの瞳に浮かんでいた魔方陣が、飛行機のプロペラのようにゆったりと回転し始めた。それは徐々に速度を増していき、それに応じて瞳も淡く輝き始める。

 

 同時に、フェリックスの視界を変化が訪れる。件の小屋の周りに、輝く人影がまばらに出現し始めた。正確には、夜の影に紛れていた仲間の部隊がホルガーの魔術により二人にだけ分かるよう浮かび上がったのだ。

 

 魔術師と護り手の二人一組(ツーマンセル)。彼らはこの上なく理想的な組み合わせだった。

 

「順調に包囲できてるな。これなら捕縛も時間の問題だろう」

「1、2、3と……8人か。かなり念を入れてるね」

「当たり前だろう。標的はあの『彷徨えるユダヤ人』だからな。大佐も慎重になる」

「大佐、ねぇ」

 

 ホルガーがやや含みを持たせて唸る。

 

「なんだ」

「いや、やっぱりオレにはどうにも理解できないなぁと思ってね」

「何がだ。主語をはっきりさせろ」

「主語はいろいろだよ。急に軍から部隊ごと離脱させたり、俺らを他所から引き抜いたり、かと思えば魔法使いを引き入れたり。今、手に入れようとしてる物だってそうさ」

 

 日頃の鬱憤をぶちまけるようにホルガーの弁舌は止まらない。これを上官(少佐)に聞かれたたどうなるか分かったものじゃないだけに、フェリックスは頬をひきつらせっぱなしだった。少佐の耳はドイツで最も優れているともっぱらの噂なのだ。

 

「──賢者の石、か」

 

 フェリックスがやや疲労を含んだ声で応えた。

 

「そう。そりゃあ最初聞かされた時はびっくりしたよ。今まで文章でしか見たことがなかった伝説が、本当に実在するっていうんだから。けど実際問題、誰が使いたいって話でしょ。危険過ぎる」

「何故だ? 賢者の石があれば鉄を金に変えれるし、生成される命の水を飲めば不老不死にだってなれるだろう。誰だって欲しがるはずだ。それこそリスクを差し引いてもお釣りが出るくらいには」

 

 ホルガーは口内に溜まった唾液を飲み込んでから、口の隙間から滑らすように呟いた。

 

「金はともかく、不老不死はゴメンだね。死ぬ権利を奪われるのは怖い」

 

 ほお、とフェリックスは思わず舌を巻いた。コイツがそんな壮大なことを言うとは珍しい。明日は嵐だろうか。

 

「それには同感だ。だが大佐はそう思ってないらしい。あの感じじゃ、きっと金より生を欲しがってる。多分直属の部下も同じだ」

「うへぇ。面倒だね。とりあえず、なるだけ目立たないよう、命令には素直に従ってたほうが良さそうだ」

「そうだな」

 

 フェリックスがホルガーの呟きを飲み込むように頷いた、その時。

 

 ──それは、あまりに突然過ぎて、誰しも反応が遅れた。

 

 例の小屋の方角から、砲弾の着弾音にも似た低い轟音が響いてきた。同時にバキバキと木材が割れる音もここまで届いてくる。

 

「ん……」

「ン?」

 

 二人は疑問の声を上げ、互いの顔を見合せる。

 

 おかしい。爆発物の使用は許可されていなかったはずだが。

 

 ホルガーが双眼鏡を覗く。すると、それとほぼ同時に轟音の発生源の中で一粒の光が閃いた。

 

「え──」

 

 それが銃口火だと()()()()()に、フェリックスは相棒の側頭部を思い切り突き飛ばした。直後、ホルガーの顔面から逸れた双眼鏡が軽快な破損音と共に後ろに弾かれ、夜の森の暗闇に吸い込まれていった。

 

 フェリックスは小屋の方角を睨む。しかし、見えるのは果ての無い真っ暗闇とぼんやりと浮かぶ木の影だけ。

 

「魔術が切れてる。『望遠』と『暗視』をもう一度くれ」

「ィイイイ今のって狙撃だよな!? ねねね狙われたんだよな!?」

「いいから早く魔術をくれ! 撃ち返す!!」

 

 パニックに陥っているホルガーを無理やり押さえつけ、再度フェリックスはライフルを構える。そして3秒もしないうちに小屋の様子が鮮明に見えるようになった。

 

 フェリックスは、そこに見える有り様を見て目を見開いた。

 

「あれは……」

 

 

 

 3日前に発見し、これまでほとんどの時間を偵察に費やした、件の小屋。その壁は、裂かれ、砕かれ、()()()()()()

 

 小屋の四方を破壊して、真っ白の卵から孵るかのように産声を上げていたのは。

 

 

 

 

 ──瓦礫を纏った、土塊の巨人だった。

 

 

 

 

 

 

 




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