ほんの少し慎重になったスバル君を異世界に投入する話 作:面白い小説探すマン
ユークリウス邸5日目の夜。煌めく月の元に三つの戦場があった。
「まさか兄ちゃんの言っとったことがほんまに当たりよった。お前ら!!一匹も逃がすんとちゃうぞ!!」
「ミミはさいきょー!!だんちょーもいるから絶対逃がさなーい!!」
『鉄の牙』vs『魔女教徒』。ユークリウス邸の周囲で繰り広げられる激戦。一方、時を同じくしてユークリウス領郊外でも激しい戦闘が行われている。
「ウフフフフ。盗品蔵ではお世話になったわね。今度こそ、あなたのお腹の中身が知りたいわ。とっても綺麗なんでしょうね」
「スバルは私にあなたの相手を任せると言った。ここで私があなたを止められなければ計算が狂うようだ。スバルが用意してくれた一対一のこの戦いで私が負けるわけにはいかない」
『腸狩り』エルザ・グランヒルテvs『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス。そして我らが主人公ナツキ・スバルもユリウスと同じ戦場で戦っていた。
「あぶらはんさむみだ!!」
辛うじてしゃがみこんだそのすぐ上を魔獣の巨大な顎が通過する。ナツキ・スバルは耳元で牙と牙がぶつかり合う音を聞きながらすぐさま逃走を再開した。
「スバルばっかり攻撃しないでよね!!」
「アル・ヒューマ!!」
エミリアとレムの氷の魔法がナツキ・スバルの逃走を援護する。ユリウスがエルザを倒すまで魔獣をユリウスに近づけない。それがナツキ・スバルの戦いだ。前回のループではユリウスはエルザと魔獣の連携に敗北していた。如何な『最優の騎士』であっても『腸狩り』の相手をしながら魔獣の攻撃を捌くのは容易ではない。
「くっそ!!何体いやがるんだ、デカイ犬っころ共!!」
絶え間なくナツキ・スバルへと襲いかかる犬の魔獣。エミリアとレムの援護がなければ今頃、骨まで仲良くシェアされていただろう。ナツキ・スバルのそれと比較してエミリアとレムは魔獣の攻撃をほとんど受けていない。これはナツキ・スバルが自身の纏う魔女の残り香を利用して魔獣を一身に引き受けているのだ。魔女の残り香に激しい敵意をぶつける魔獣。『死に戻り』暴露によって強化された魔女の残り香の効果は凄まじい効果があった。
しかし、ナツキ・スバルが身に纏う魔女の残り香を感知できない者にとってはどうして魔獣がナツキ・スバルを執拗に狙うのか分からない。それはこの魔獣の群れを率いてきた者ですら理解できない。魔女の残り香を感じる術がないのだから。そして遂に、この戦場に似つかわしくない一人の少女が不機嫌になり始めた。
「ちょっと!!どうして私の言うこと聞かないであっちのお兄さんの方に行ってるのよ!!」
青髪のお下げの少女が離れた場所から文句を言う。
「あの子は!!」
魔獣の攻撃を回避しながら横目に映ったら少女にナツキ・スバルは既視感があった。あの子は確か、前回のループでユリウスを下した後にエルザに話しかけていた少女だ。エルザとあの少女は笑いながらユリウスを魔獣の餌にしていた。
「くそっ!!」
胸糞悪い光景を思い出してしまい思わず悪態が出た。
「あなたたち!!そっちのお兄さんはいいから、さっさとあの入り口から屋敷に侵入するのよ!!」
お下げの少女が魔獣に指示を下した先はユークリウス邸の隠し階段に繋がる入口だ。魔獣の侵入を許してしまえばユークリウス邸は前回と同様に地獄と化すだろう。
お下げの少女の指示を受けて、ナツキ・スバルから遠い場所にいた魔獣の何体かが、入り口へと向かう。しかし、入り口に入る直前で魔獣は動きを止めた。
「どうしたのよ?」
それに不思議な顔をするお下げの少女。目を凝らして見てみれば入り口の先にある通路が淡い緑色に光っている。
「あれってもしかして結界石?!!」
エミリアが訪問した1日目にナツキ・スバルがエミリアに頼んで仕掛けた結界石が効果を発揮した。お下げの少女が強く命令しても、その入り口に入ろうとする魔獣は一匹もいない。エミリアとレムの援護によって余裕が出てきたナツキ・スバルはその様子を見てお下げの少女にマウントを取り始めた。
「どうした?どうした?自慢のペットが役立たずになっちまったか?」
そう言われてはお下げの少女もムキになるしかない。魔獣を従える力を持つとはいえ、まだまだケツの青い幼女なのだから。
「もういいわ!!そんなに死にたいんならお兄さんから殺してあげる!!」
ナツキ・スバルのニヤケ面が凍る。よりにもよって自分の首を自分で絞めてしまった。ナツキ・スバルの全方位から魔獣が襲いかかる。エミリアの魔法によって魔獣は潰されるが、全てを仕留めるには至らない。
万事休す。
しかし、突如横から現れた鎖がナツキ・スバルの胴体に巻き付いて、魔獣を潰したエミリアの氷塊の上にその体を移動させた。
「ぐぉぉぉぉ!!」
いきなりの立体機動に三半規管が揺さぶられる。氷の上で頭を抱えるナツキ・スバルの隣から同じく氷に乗ったレムが呆れながら言った。
「あなたは自分で自分を窮地に追い込んで何をしているのですか?」
「た、助かったぜレム」
「これに懲りたらあまり敵を挑発しないでください。只でさえあなたはどす黒い臭いを纏っているのですから」
「どす黒いって……。でも結界石のお陰で魔獣は屋敷に入れないのはナイスプレイじゃないか?俺?」
「結界石を取り付けたのはあなたではなくエミリア様ですが……。あなたはこの状況を読んでいたということですか。1日目だというのに他陣営である私たちにあの隠し階段を見せてまで」
レムからすればナツキ・スバルの1日目の行動は今まで意味が不明だった。何が狙いなのかまるで分からなかったが、主人への手土産が増えるならそれに越したことはないと割り切っていた。その提案が魔女の臭いを纏う者からであっても。ユークリウス邸では手が出せなかったというのが大きい。
「魔獣がユークリウス邸に湧くなら、あそこしかないと思っただけだよ」
「あなたの未来視はどこまで見えているのですか?」
ナツキ・スバルが今夜の襲撃を手っ取り早く説明するために使った嘘。しかし、この状況ではレムに疑う余地はない。アナスタシアと契約を結んだナツキ・スバルの言う通り実際に襲撃が起こったのだから。襲撃者と内通しているのなら、わざわざ隠し階段の通路に結界石を取り付けるはずはないだろう。
しかし、それすらも見越してこちら側に溶け込むためのナツキ・スバルの策略なのではないかと、レムは未だに心の何処かで疑っていた。疑わしきは罰する。レムのメイドとしての心得であるが、現状ナツキ・スバルは魔獣を引き付けているため利用価値がある。レムは全てが終わった後に審判を下す心積もりであった。
「俺の未来視?まあ断片的なもんだ。でもこの状況の先は分からない。どうなるか分からないからレムも気を引き締めてくれ」
「あなたが言うと説得力がありませんね」
言外に気を引き締めるのはお前の方だと言ってくるレムにナツキ・スバルは苦笑いする。しかし、お喋りの時間はここまでだ。魔獣がジャンプして氷塊の上のナツキ・スバルに襲いかかって来た。
「うわぁぁ!!」
ここは氷の上。当然足場も悪い。
「スバル!!」
エミリアが咄嗟に氷のスロープを作った。体勢を崩したナツキ・スバルはそのままスロープで下っていく。しかし、それは急造のスロープであるため曲がりきれず途中で空中に投げ出された。その下に待ち構えるのは魔獣の薄暗い口内。
「アルヒューマ!!」
巨大な氷柱が魔獣の口を上から強制的に閉じる。ナツキ・スバルは重力に従って落下したが、魔獣の鼻がクッションとなった。ナツキ・スバルが魔女の臭いを間近で放っているが魔獣は氷柱に口を地面に縫い付けられて動けない。
「はぁはぁはぁはぁ」
ナツキ・スバルは肉体的にも精神的にも限界だった。数多の魔獣に絶え間なく襲い掛かられるプレッシャー。そこへ更にスロープからの落下による痛みが加わる。
「ユリウスは……いや、今は少しでも魔獣を引き付けねぇと」
ユリウスの戦いが気になるが、確認する余裕はない。ナツキ・スバルはユリウスを信じて自分のやるべきことに集中する。
そこで魔獣の動きが変わった。魔女の残り香を発するナツキ・スバルを仕留めようとしても、周りの二人に殺されることを学習した魔獣がレムに集中攻撃を始めた。ナツキ・スバルのデコイにエミリアとレムの援護があってどうにか持ちこたえている状態で1人欠けてしまえば陣形はあっという間に崩壊する。
レムの実力は今までの戦闘で確認した。魔獣を2体までなら同時に相手にできる強さだ。1体ですら相手にできないナツキ・スバルと比較して逆立ちしても勝てないレベルだが、今レムに襲い掛かっている魔獣は6体。如何にレムと言えども多勢に無勢で死んでしまう。前回のループの記憶がフラッシュバックする。あの魔女教徒相手に戦い、多勢に無勢で殺されてしまった姿が。
「俺は『死に戻り』をして──」
男の意地だ。今まで散々レムに助けられっぱなしじゃ情けなさすぎる。例え相手が自分より強いレムであっても曲げれない意地。
世界が止まった。
再び世界が動き出した時、変化が訪れる。魔獣はレムへの攻撃を中断して、地面にうずくまるナツキ・スバルへと駆け出した。
その突然の変化にエミリアは対応できない。何が起こったのか理解したのは、ナツキ・スバルの魔女の残り香を感知できるレムのみ。しかし、レムはナツキ・スバルを助けない。自分が助けられたのは理解している。だが、レムがこの世で最も忌むべき連中。最愛の姉の角を奪った奴らと同じか、それ以上の悪臭にレムは行動を起こせない。
ナツキ・スバルは自分に迫るいくつもの巨大な口を見ながら覚悟を決めた。無数の牙が己を噛み砕んとする。どうやら今回はここまでらしい──
「ハーーーーーー!!」
突如、横から襲来する巨大な衝撃波。ナツキ・スバルの目の前に迫っていた魔獣が全て吹き飛んだ。エミリアもレムも間に合わないタイミングだった。それを成した人物の方へ振り向く。
「助太刀に来たったでぇ、兄ちゃん」
「リカード!!」
そこには『鉄の牙』の団長であるリカードが立っていた。しかし、リカードはユークリウス邸の警護で魔女教徒の相手に回っていたはずだ。
「お嬢の采配や!!大罪司教は居らへんかったようやからな。魔女教の連中はあらかた片付けてきたで!!お前ら!!次はあの魔獣共の殲滅や!!」
リカードが率いてきた『鉄の牙』のメンバーによって、魔獣が次々と倒されていく。
「これが……ミミの言う団長の力か」
三人掛かりで漸く相手にしていた魔獣の群れがあっという間に片付いていく。魔女教徒の相手で精一杯と思い込んでいた『鉄の牙』。しかし、その力はナツキ・スバルの予想を遥かに超えていた。
「ハハハ」
その光景に思わず笑みが漏れる。この戦い、俺たちの勝利だ!!
魔女教徒を殲滅した『鉄の牙』の援軍によって、ユークリウス邸での戦いはいよいよ佳境を迎える。
「フフッ」
「何が可笑しいのかしら?」
数百を越えた剣とククリナイフのやり取りの中でユリウスは軽く笑った。ユリウスの笑いにムッとして問い掛けるのはユリウスと切り合う『腸狩り』エルザ。尚も、エルザと戦いながらユリウスは答えた。
「素晴らしいだろう?私の仲間たちは。誇らしい限りだ」
ユリウスはその仲間たちに応えるために剣を振るう。
「頼もしい仲間たちが私の背中を守ってくれている。この戦い、負ける気がしないよ」
過去、たった一人で戦わなければならない状況がユリウスにはあった。その時は背筋が凍えるように寒い。背後を取られてしまえば、そこで決してしまうからだ。しかし今、ユリウスの背筋は燃えるように熱かった。
ユリウスは仲間のためにも絶対にエルザを倒さなければならない。その想いにユリウスの精霊が応える。六色の輝きを放つ六体の精霊がユリウスに力を与えた。その力は剣へと集約されていく。
「これで終わりにしよう」
ユリウスは極光に輝く剣をエルザへと放った。
「アル・クラウゼリア!!」
その一撃はククリナイフを破壊してエルザの心臓へと向かう。体勢を崩したエルザに捌く術はない。しかし、その直前で黒い影が横からエルザを回収した。
「ちょっとメイリィ!!まだ終わってないわ!!」
「足の速い子を残しててよかった。これ以上は無理よ!!ここは引くわ!!」
魔獣に跨がったお下げの少女─メイリィがエルザに撤退を伝える。エルザとしてはこんな結末には到底納得できない。
「逃げたいなら一人で行きなさい。私は最後まで戦うわ」
「お願いエルザ」
真剣に懇願するメイリィにエルザも気が冷めていった。
「……わかったわよ」
エルザは最後に一人の男を睨む。その男とは自分を打ち破ったユリウスではない。この襲撃をユークリウス邸に被害を出すことなく防いだ無力な男だ。エルザはその男の最後の言葉で、次は確実に腸を引きずり出すことを決意した。そこにはもう前回の王都で去り際に見せた余裕の表情はない。
その男─ナツキ・スバルは魔獣の死骸を踏み台にして声高々に叫んだ。
「尻尾巻いて帰った帰った!!一昨日来やがれ!!」
その日、ナツキ・スバルは一人の死傷者も出さずにユークリウス邸5日目の夜を乗り越えた。
そして、その日の翌朝ナツキ・スバルは約束通りロズワール邸へ向かうためにユークリウス邸の玄関にいた。
「結局行くハメになんのかぁ」
ユークリウス邸の襲撃を乗り越えても、それは変わらない。ナツキ・スバルは知っている。ユークリウス邸一度目のループでロズワール邸へ向かう途中で魔女教徒に遭遇しレムに殺されたのだ。しかし、今回は一度目とは違って大勢の見送りがいた。ユリウスに加えて『鉄の牙』の面々が別れの挨拶をする。
「兄ちゃんも大変やなぁ。昨日の今日でもう出発かいな?」
「ああ。なんでも先方のロズワールに今日向かうって伝えちまったらしい」
リカードの横から次はミミが話しかけてきた。
「おにーさん、また遊ぼーね」
「そうだな。生きてたらまた遊ぼうな」
挨拶を終えたナツキ・スバルは竜車へ乗り込もうとする。一度目のループと同じく御者がレムでナツキ・スバルはエミリアの横だ。全く変わらない竜車の様子に辟易する。
「それでは行きましょうスバル君」
レムが早く乗るよう促した。あの夜の戦いの後、レムと話をする機会があった。何故あの時身を危険に晒してでもレムを守ろうとしたのか等。やはり助けられた今でもナツキ・スバルを全面的に信頼するのは無理とのこと。しかし、レムは一度ナツキ・スバルを見捨てようとしたことが心に残っていた。何かお詫びをさせてほしいとのことだったので、ナツキ・スバルはレムに他人行儀な呼び方をやめるよう頼んだのだ。
今でもレムによる監視は続いているが、一度目のループと比べて多少なりともレムとの関係が向上したということで、問答無用に殺されることはないと信じたい。
「あ、ああ。わかった」
ナツキ・スバルが竜者に足を掛けた瞬間、とある人物が待ったを掛けた。
「ちょっと、待ちぃ」
その人物とはホーシン商会の会長でありユリウスが王と崇める女性─アナスタシア・ホーシンだった。アナスタシアとユークリウス邸の最終日を迎えるのは初めてだったりする。
「どうしたんだ?アナスタシアさんも見送りに来てくれたのか?」
ナツキ・スバルの質問に答えることなく、アナスタシアは御者席に座っているレムを呼んだ。
「ナツキ君はユークリウス邸の食客やから、辺境伯の謝礼は必要ないって伝えといて」
「え?」
「はい?」
「アナスタシア様……それは……」
ナツキ・スバル、レム、ユリウスがアナスタシアの発言に三者三様の反応を見せる。
「え?どゆこと?俺、ロズワールん家に行かなくてもよくなったの?」
ユリウス曰く、それではロズワールの顔を潰すことになり、アナスタシア陣営とエミリア陣営の関係に亀裂を入れるのではなかっただろうか?
ユリウスがアナスタシアの思惑についてナツキ・スバルに小声で説明した。
「アナスタシア様はエミリア様の陣営と敵対してしまう不利益以上に君を抱えることによる利益が大きいと判断されたんだ」
「そ、そうなのか?」
ナツキ・スバルとしてはユークリウス邸から離れなくていいなら、それに越したことはない。
アナスタシアの発言を受けてレムが裏手に回っていった。しばらくするとレムが戻ってくる。
「ロズワール様にお伝えしました。その報告を受けて、ロズワール様は自らこのユークリウス邸にお越しになるそうです」