青森県、大湊警備府のある提督の下に、一人の駆逐艦娘がいた。艦娘としての名前を
中でも、舞風と同じく第二艦隊に配属されている駆逐艦娘「
戦場においても彼女たちの友情は、連携力の向上という形でよくよく作用した。二人とも一端の駆逐艦娘と見られるだけの力はあったが、組めばそれが二倍にも三倍にもなった。舞風が引けば野分が進み、野分が避ければ舞風が切り込んだ。艦隊の仲間たちから二人の内のどちらがより優れているかと聞かれれば、彼女たちは必ず自分でない方の名前を挙げた。そういう具合で余りに二人が互いを高く見積もり合ってらちが明かないので、とうとう提督が手ずから幾つかの項目に分けた能力テストを作り、彼女たち一人ずつに受けさせてみることになった。結果は意外なもので、舞風は戦場で発揮するものと近しい、高いパフォーマンスを見せたが、野分は精彩を欠き、その得点は振るわなかった。
より詳細な分析の結果、野分が舞風との連携を前提としてその能力を向上させているのでは、という疑問が提起され、これは提督にとってだけでなく、当の本人たちの悩みにもなった。心情的には今まで通りにしていたかったが、戦争の中では突然その願いが叶わなくなりうることを、彼女たちは理解していた。そんな時に、舞風がいないからという理由で野分が彼女の能力をきちんと発揮できなかったら、轟沈する可能性だってある。それは舞風には到底受け入れられるものではなかった。最終的に二人は、少なくとも野分の単独での能力が一定の水準を満たすまでは、別々の艦隊で戦うことにした。提督も似た考えを持っていたので、この配置換えの陳情は難なく受け入れられた。
二人が共に過ごす時間は著しく減った。舞風は第二艦隊にそのまま残ったが、野分の異動先は夜間任務主体の第三艦隊だった。舞風が寝る頃に野分が出撃し、彼女が帰ってくると、今度は舞風が起きて出撃の準備をする時間だった。二人が会えるのはその間の時間だけで、後は部屋に帰ってきた親友の為に置手紙を残すくらいが、彼女たちにできる精一杯だった。
舞風は、初めは気丈に耐えていたが、やがて親友がいないことに寂しさを感じ始めた。いつか彼女が第二艦隊に帰ってくると信じてはいたが、それがいつになるかは分からない。先行きの不明なことが、彼女の苛立ちを助長していた。そんな時、舞風はいつも、野分から貰った彼女の黄色いネクタイを握って寝るのだった。すると、不思議なことに、舞風は夢の中で出撃する野分にくっついていくことができた。夢と分かってはいたが、同時に、それが現実だとも理解していた。遮るもののない世界で気ままに吹く自由な風に乗って、彼女は野分と共に夜の海を駆けた。初めは単に同道するだけだったが、何度かそれを繰り返している内に舞風はもっと大胆になり、野分の動きに合わせて踊るようにもなった。
踊りながら、舞風は野分に語り掛けた。返事をしてくれることは一度もなかったが、親友に向かって話しかけることができるだけでも、彼女にはありがたかった。それに時折、野分は舞風の声が聞こえたかのように振舞うことがあった。後ろから近づいてくる魚雷に、野分も彼女の艦隊員たちも気づいていなかった時、舞風は必死に叫んだのだ。すると野分が、びくりと震えるや否や振り向いて、
無論、舞風は余り過保護になりすぎないように、気を付けて過ごした。二人が別れているのは、目的があってのことで、その目的を台無しにするような真似はしたくなかったからである。ただ、命の大きな危険に繋がりかねない何かを見つけた時には、舞風は躊躇することなく親友に警告し、野分の方もやがて、敏感にそれを感じ取るようになっていった。のみならず、舞風が発さなければならない警告の回数も、どんどんとその数を減らしていった。野分は秀でた親友への依存を脱し、急速に健全な能力を育み始めていた。舞風はますます喜んだ──親友が帰ってくる日も近い! 事実、提督は次に野分が殊勲を上げたら、第二艦隊に戻すつもりだと彼女たちに告げていた。
ところが、提督が二人を喜ばせてやろうと教えたことが、野分を空回りさせたのか、彼女は中々その条件をクリアすることができなかった。何かあった時にカバーしてくれる舞風が艦隊にいないということが、彼女を僅かに一歩、躊躇させてしまうのだった。第三艦隊の戦友たちを信じていない訳ではないのだが、二人の間にあった長く培った信頼関係は、そうそうそれに比するものを生み出せるほど、やわなものではなかった。
己の不足を補おうとして、野分は焦った。夜戦中、無茶をして突っ込もうとしては、それを夢で見ていた舞風は大声を上げ、彼女の襟を掴んで止めようとして、第三艦隊の艦隊員たちからは無謀を諫められる。そんなことが何度か続き、野分はすっかりしょげてしまっていた。その落ち込みようと言ったら大したもので、成熟した、冷静な軍人である提督も、すんでのところで彼女を第二艦隊に戻す、と命令を発しそうになったほどである。しかしそういう訳にもいかないので、彼は自分の中の良心や、軍人として秩序を重んじ、公正を愛する心と対話を重ね、最大限の譲歩を行った。ここ暫く離れ離れになっていた二人に、数日という少し長めの休みをやったのだ。
上官からの、思ってもみないこの思いやりに、舞風は感激した。野分も、久々に舞風とゆっくり過ごせる時間を持つことができると聞き、笑顔になって喜んだ。彼女たちは何処に出かけるかを話し合った。最後に二人で出かけた時、どちらが場所を決めたか、もう二人とも覚えていなかったからだ。彼女たちにはそれくらい、同じ第二艦隊で戦った日々が、遠い昔のことのように思えていた。
結局、二人は外泊許可を取って、泊りがけで遊び回ろうということに決めた。提督は、外出許可ならまだしも外泊となるとちょっとだけ躊躇ったが、どうせやるなら徹底的に、という軍人らしい思い切りの良さで、許可証に判を押した。二人はまさに、水を得た魚のようになった。恥ずかしげもなく手を繋ぎ、二人並んで警備府を出ると、街に向かった。
久しぶりに同じ時間を過ごす親友たちは、これまで離れていた分を取り戻そうとするかのように、精力的に遊んだ。映画を見に行った。普段なら入らないような、高めのレストランに入った。遊戯施設をはしごして、ボウリング、カラオケ、ビリヤード、ビデオゲーム、ダーツを楽しんだ。休暇中の他の艦娘を見つけた時には、舞風がその時やっていた種目の遊びで勝負を挑みかかり、野分は急いで彼女を止めなければならなかった。夜にはまた、いい食事をして、居酒屋を巡り、お互いにお互いの肩を支え合わなければ、まっすぐ歩くこともできなくなるほど酔っ払ったりもした。この時は野分の方が気が大きくなっていたのか、様子見に声をかけた警官に悪質な絡み方をして、それを見て酔いも吹き飛んだ舞風が止める方に回った。
数日間、彼女たちは本当に楽しんだ。休暇の最後の夜、泊まっていたホテルの一室で、二人は遅くまで話し込んだ。翌朝には警備府に戻って、点呼に出なければいけない。点呼が終われば、また別々に出撃する日々が始まる。それを止めたければ、野分が戦闘で認められるくらい、活躍してみせるしかなかった。でも、野分自身、その問題がまだ解決されないままになっていることは分かっていた。流石にもう寝なければならない、という段階になって、やっと彼女は、最後の一歩、前に出ることを躊躇う自分について白状した。
それは野分にとってみれば、かなり勇気を出しての告白だったのだが、舞風は一切動揺しなかった。例の夢で親友の姿を見て、知っていたからだ。けれど、夢で見たなんて言って、彼女に呆れられたり、真面目な話をしている時に冗談を言わないで、などと怒られたりしたくなかったから、黙っていた。ただ安心させようとするみたいに、にこにこと笑い、野分が最後にはその一歩を踏み出すと知っている、と請け合うだけだった。焦らなくていいよ、待ってるから、と舞風は言った。その点について、全く疑っていなかった。野分は第二艦隊に戻ってくるのだ。また一緒に戦い、一緒に休み、一緒に過ごせるのだ。純粋に、そう信じていた。
だから、同じ気持ちでいる筈の大親友が、頭を横に振った時、舞風はその意味が分からないで首を傾げた。そして、続く野分の言葉で彼女の意思を理解すると、言葉を失って黙り込んだ。彼女は、親友から離れて他の艦隊で戦い、二人組の片割れとしてではなく、野分自身として過ごす内に、これまで単に戦友として、助け合い、守り合う関係だった舞風に対して、違った感情を抱くに至っていた。つまり、駆逐艦娘としてのプライドに基づく対抗心である。それは提督や第二艦隊の艦隊員、誰よりも舞風に、自分の力を認めさせたいという健康的なライバル意識だったが、しかし予想外にその気持ちをぶつけられた舞風は、期待を裏切られ、傷つけられたように感じていた。それでも彼女は、改めて微笑みを浮かべた。懸命な努力と集中が必要だったが、どうにか舞風はそれをやり遂げた。
翌日、いつものように、舞風は出撃した。いつものように彼女はよく戦い、無事に警備府へと帰ってきた。いつものように親友と過ごし、彼女の出撃直前にして舞風の就寝前に、お互いを抱き締めて、「また明日」と囁き合った。いつもならそれで終わりだったが、今回はそれだけではなかった。「あたしがいる、って考えてみて」野分はよく分からない、という風に親友を見つめ返した。「一歩踏み出せない時。勇気が欲しい時。隣にあたしが欲しい時。舞風はそこにいる、って。そしたら勇気が出る、でしょ?」それから舞風は、相手の背に回した腕を解き、その両頬を手で包んだ。名残惜しむように少しの間、そうしてから、手を離す。声にはせずに、行ってらっしゃい、と唇が動き、野分が頷いて、部屋を出ていく。
その夜も、舞風は夢を見た。風に乗って野分の傍を走り、彼女を見守るように、その周りで踊った。知られることもなく哨戒に参加し、飽きることなく暗闇に目を凝らして敵を探した。戦闘になればできることは少なかったが、もうこの頃には、野分は舞風の助けがなくとも、張り合えるほどよく戦うことができるようになっていた。足りないのは彼女自身の言葉通り、あと一歩だったのだ。それだって舞風から見れば、今にも踏み出しそうなほど野分の動きは洗練されていた。今の彼女と自分が組めば──舞風はそんなことを考えて、その日が来るのを楽しみに思った。そんな罪のない想像に
野分の側頭部を、砲撃がかすめて通る。衝撃波が脳を揺らし、端正な彼女の顔、強い意志をたたえた目が力を失い、ぐるん、と白目を剥く。悲鳴を上げて、舞風は野分に飛びついた。倒れそうな彼女の体を支え、あらん限りの声でその名を呼ぶ。意識を失った肉体は重く、舞風が渾身の力を込めても、崩れ落ちないようにするのが限界だった。艦隊員たちは応戦を始めていて、野分を助ける余裕はなさそうか、そもそも気絶に気づいてさえいない。奇襲してきた深海棲艦が先に気づけば、一巻の終わりだった。そんなことは許さない、と親友の名前を呼び、体を揺する。やがて、不意に咳き込むと、野分は目を覚ました。混乱したように周囲を見回し、最低限の状況を把握すると、目についた敵に向かって飛び出していく。
その深海棲艦は、至近弾で動きを鈍らせた艦隊旗艦に、致命的な一撃を与えようとしていた。野分の速力では、間に合うかどうかギリギリのところだった。砲の狙いを定めようとしながら、速力を上げ、距離を縮めていく。焦燥感が、彼女の心を満たした。早く撃ってしまいたかった。でも、これまでの経験から、今撃てば弾は外れ、敵の発砲を阻止できず、艦隊旗艦を失うと分かっていた。その恐怖が、腹から胸へ、胸から頭へと上がっていく。引き金に掛けた指を引きそうになった時、野分は舞風の言葉を思い出した。傍に彼女がいる。横で彼女も戦っている。野分は、そう信じてみることにした。たったそれだけで、感情の高ぶりが少し大人しくなる。顔に笑いを浮かべる余裕も生まれた。それを見て、舞風も笑った。
これ以外にない、というタイミングで、砲弾が放たれる。舞風と野分が見守る中で、それはぐんぐんと狙った通りの場所へ、吸い込まれるように近づいていき、命中した。不意打ちの形になったか、体勢を崩した深海棲艦が、窮地にあった艦隊旗艦からの逆襲を受けて倒れ、海へと沈んでいく。野分は誇りで胸が一杯になるのを感じた。一方で舞風は、さっきの失敗を繰り返すまいと、警戒を強めていた。だから今度は気づくことができたが、野分は間に合わなかった。沈みゆく深海棲艦の、破れかぶれの発砲。その弾丸の軌道は、野分を捉えていた。舞風はその優れた直感で既に、何をすればいいか分かっていた。
誰かの絶叫が聞こえて、野分は艦隊員に何かあったかと恐れ、思わずびくりと身をすくめた。その僅かな、予期せぬ動きによって、狙いを逸れた砲弾は彼女の艤装に当たった。破片は機関部まで食い込み、速力を大きく損じたが、奇跡的に肉体には傷一つなかった。野分が戦友たちの無事を確かめ、その場の深海棲艦を排除した後、第三艦隊の旗艦は警備府に報告して撤退の許可を受け、誰一人欠けることなく帰投した。彼女は命を救われたことを明確に認識しており、工廠で艤装を外した後、負傷の治療の為に入渠する前に、今回の
舞風は、暫く前に死んでいた。