これは本当の話。
任務からの帰り道、夜営に使った無人の島から、パラオ泊地に犬を連れ帰ったことがある。見つけたのは響だった。放っといてやれ、と那智や長門は言ったのだが、響は頑としてその意見を受け付けなかった。可愛らしいが、それだけでしかないペットを飼う余裕なんて、響のみならず誰にもなかったのだが、とにかく彼女はその犬を見つけた場所に置き去りにすることを、どうしても受け入れられないらしかった。「人間としての責任というものがあるんだよ」と彼女は言った。那智は、彼女が一つの神聖な義務としてそうしなければならないとでも思っているかのように──つまり、いつものようにだが、混ぜっ返した。「その責任とやらは、一匹分しか存在しないのか? 猫についてはどうだ? あいつらは助けてやらないのか?」響は一にらみ。それだけで勝利は彼女のものだった。
那智はぶすっとした顔で道中、犬を抱えて運んだ。犬の方は、反抗する気力もなかったのか、身じろぎもろくろくしなかった。興味深かったのは、帰路に犬を抱えたまま戦闘に突入してしまった時のことだ。私は那智が、犬を捨てるだろうと思っていた。かわいそうな話ではあるが、犬と心中するというのも中々心情的には受け入れがたい。だから、響の見ていないタイミングで海に投げ捨て、戦闘後に運よく生きたまま見つかったなら、また回収するんだろう、と。ところが敵を片付けた後、那智が抱いていた彼女は、水飛沫が掛かって不愉快そうに身を揺すっていたが、ずぶ濡れではなかった。彼女はその動物を、腕の中で守り通したのだ。
いい話だが、パラオに帰ってからは少し大変だった。まずは那智が、彼女の体に異変を訴えた。これは犬から移乗攻撃を仕掛けてきたノミだのシラミだのが、うようよしていた為である。彼女は頭のてっぺんから爪先までを殺虫用の薬剤で洗い*1、服と下着は泊地の人目につかない場所で燃やして、その周りでやけっぱちになって踊り、犬に向かって今度はお前がこうなるのだと大人げなく脅しかけた。お陰で、犬の駆虫には苦労させられた。次に、ペットを隠れて飼うというのは規律に反していたし、現実的ではなかった*2から、許可を取らなければならなかった。言うまでもなく提督はかなり渋った。しかし、結局は折れた。殺処分しようものなら私たちの士気は大いに下がっていただろうし、何処かに捨ててこいと命じても、それに従わないのは目に見えていたから、この妥協は正当化できた。
犬の食事や必要な品々、それに掛かる費用を泊地が援助することはない、という点だけ確約させて、提督はパラオ泊地が設置されて以来初めてのユニークな辞令を発した。その内容によれば、彼女は、我が艦隊の「士気向上担当係」ということになっていた。本当に単なるペットでは外聞が悪いので、軍での仕事を与えてやろうという訳だ。何らかの実体を持ったマスコットを制定する艦隊は、それまでに類がない訳ではなかったが*3、パラオ泊地では初めてだった。しかも可愛らしい犬となれば……次に起こることは予期できて当然だろう。
彼女は大人気になった。お陰で彼女に何を食べさせればいいか、困ることはなかった。艦娘の誰もが手に土産を持って来たので、すぐに我らがマスコットは艦隊の誰よりも資産家になった。その中の大半はちょっとした遊び道具とか、おやつとかで、特別誂えの服なんかもあった。響はそういうもの全部を見る度に、これこそが彼女の受けるべきだった正当な扱いであって、あの日に自分がしたことは正しかったのだと、口にはしないけれど満足げに、小さな頷きを繰り返した。そして犬はそんな彼女に気づくと、とことこと歩いて行き、その横に従者のように控えるのだった。
最初の話し合いを彼女が聞いていた筈もないとは思うが、誰に救われたのか、分かっていたのだと思う。犬は響によく懐いた。私たちに出撃などの任務がない時、彼女は響の部屋で過ごしていたが、どれだけ寝床を別に用意しても、夜になるといつの間にか響の隣に潜り込んでくるので、やがて部屋の主は小さなベッドで並んで眠るという技能を身につけた。出撃の際には海にまでついて行こうとするのを、別の艦娘に止めて貰わなければならなかったし、数日離れるということにでもなれば、信頼できる誰か──たとえば訓練所の同期で、同じ提督の指揮下、違う艦隊にいた時雨。どんな相手に対しても愛想のよかった、工廠勤務の工作艦「
本人は苦手そうにしていたが、響の次に懐かれていたのは那智であり、これには普段悪ふざけや悪戯、大掛かりで倫理に欠けるが、
「まあ、そこらの犬よりかは気に入ってるさ。うるさく吠えたりしないのもいい。考えてみれば、悪くない拾い物だったな」
いつだったか食堂で、艦隊のみんなと夕食を取りながら那智も言ったものだ。隣の席にその“拾い物”を行儀よくちょこんと座らせて、食事の片手間に、やや乱暴な手つきで頭を撫でながら。犬がそれをしつこく感じて響の隣に席を移ると、那智はちょっと顔をしかめて、それから全然何でもない風を装った。微笑ましいものだが、こうなると面白くないのは長門で、いつもつるんでいる悪友だった那智が、自分ではない新入りの誰かにもっぱら気を割いているのが、彼女には親友を取られたように感じられたのだろう。当時、長門は十代後半というところだったから、こういった独占欲は理解できる心の動きだった。
長門は食事を載せたプレートを持って立ち上がると、どすんどすんと音が立つのが聞こえそうなほどの感情的な大股で、那智の隣席までやってきた。犬の体温が残るその席に、これまたどすんと擬音を付けてもいいくらい乱暴に腰を下ろし、それなのに何の要求もしないまま、むすっとした顔で前を向き、席を立つ前と同じように食事を続けた。だが呆気に取られていた那智が我に返って笑いを漏らすと、己を客観視したのか、長門は表情を硬くしつつも顔を赤らめた。それでも彼女は、那智がさっき犬にやっていたのより、幾分か優しい手つきで頭を撫で回すのを、止めはしなかった。
ところで、そう、那智も言った通りだが、犬は吠えなかった。鳴くことすらなかった。食事の時を除けば、私は平時に彼女が口を開けたところを見た記憶がない。だからてっきり私は、声帯か何かに異常があるのだと思っていたくらいだ。怪我をして、きちんとした手当てなど望むべくもなく、障害が残ってしまったとか、もっともらしい想像ではある。しかし医者の言を全面的に信じるならば、肉体的機能には何の問題も見られないということだった。私は少し心配したが、響が彼女の魅力的な楽観さで「それならそれでいいさ。きっと、吠えたくなったら吠えるよ」と言い、この意見には聞く人を納得させる力があった。第一、うるさくされれば困るのは私たちなのだ。静かにしてくれていて、しかもそれが別に致命的な病気や、肉体的障害の結果でないなら、文句はなかった。
それどころか、肉体的な案件に限ってなら、彼女は時に私たちよりも遥かに効率よく物事をこなして見せたのだ。迷宮入り寸前だった、ある艦娘を発端とした
この頃の長門はただの一艦娘でしかなかったものの、後に出世して本土所属の艦隊で旗艦を務めるようになる。が、その立場に相応しい面倒見の良さは、地位の向上を待たずして既に彼女の中にあった。パラオではよく雨が降るが、犬はそうなると決まって外に出たがった。朝でも夜でもおかまいなしにである。そうして外に出て、私たちがシャワーを浴びるように雨水を浴びて、泥の上を転げ回るのだった。それはきっと、彼女が歩んできたタフな生涯で身につけた、独特の清潔さの保ち方だったのだろう。
響は飼い主筆頭としての義務的な心情から、これに付き添うようにしていたが、そうと知った長門は役目の交代を申し出た。駆逐艦娘はこの提案に乗り、その日からパラオ泊地では、原始的な楽しさに奇声を上げながら、犬を抱き締め、彼女と共に雨と泥の中を転げ回る、大戦艦の姿が見られるようになった。艦隊旗艦の古鷹は、よき母が子を躾ける時のような厳しさと優しさで、随分叱ったのだが、放蕩娘は馬耳東風の様子で聞き流した。あまつさえ泥まみれのまま、平気で何処へでも行こうとするものだから、その度に長門は古鷹や響の手で犬共々風呂桶に沈められ、揃ってぴかぴかに輝くまで磨かれるのだった。
ここで私による、品のない推測を申し上げたい。これは推測というよりも遥かに、憶測と呼ぶべきものだから、もし古鷹がこれを読んで反駁したいと思ったなら*7、大いにして貰って構わない。私は彼女の言葉を謹んで受け止め、いかなる反論もするまい。しかし古鷹は、私の目には、という限定を付けなければならないけれど、その犬を娘のように可愛がっていたように見えた。年齢*8のせいもあったのかもしれない。古鷹はパラオ泊地だけでなく、当時の日本海軍に所属していた艦娘全体の中でも、一番の古参艦娘だった。彼女が艦娘でなければ、あるいは適当な理由をつけて、もっと早くに退役の道を選んでいれば、家庭や子供を持つこともできていただろう。でも、彼女はそうしなかった。
その理由について、何も知りもせずにあれこれ言うのは、古鷹に対する侮辱になるかもしれない。だから言わないでおくが、それはそれとして、古鷹と響と犬が並んで歩いていると、私たちは平和な世界の平和な家族をそこに見て、幸せになったものだ。私たちが何の為に戦っているのかということを、彼女たちの姿は表してくれていた。もちろん、それだけが私たちの戦う理由ではない──ほとんどは生き延びる為に戦っているだけだったのだから。でも、そういう美しいものとか、素晴らしいものの為に、自分たちは血を流しているのだというロマンチックな幻想は、私たち自身を現実以上に、何らかの尊い存在、気高い命、誇り高いものであるかのように思わせてくれた。そしてそれは、空腹の時に振舞われる一杯の粥と同じくらい、私たちにとってありがたいものだったのだ。
私たちは自分たちが誇り高いことを認める。大体の艦娘はプライドの塊だ。それは艦娘訓練所*9で厳しい訓練を受けてきたとか、その後の実戦を生き延びてきたからだったり、横須賀鎮守府所属だから、舞鶴所属だから、戦艦だから、空母だから、駆逐艦だからという理由だったりする。が、気高いか、尊いかと言われると、私たちはきっと、ばつの悪い時用のにやにや笑いを浮かべて、黙るしかない。私たちがそのどちらでもないことくらい、きちんと弁えているからだ。でも、そうだったらいいのにな、とは、きっとみんなが考えていたことだと思う。誰だって自分を高く見積もりたいし、見積もられたいものだ。私だってそうだった。
残念ながら、この
無論、泊地に残っていた艦娘たちが、その攻撃をぼんやり眺めていた訳ではない。私も含め、攻撃に備えて対空警戒に当たっていた空母艦娘は、制空権を取ろうと必死に戦った。防空に優れた駆逐艦娘である「
響は、艤装を見つけられず、諦めて退避した者の一人である。けれど、ただ逃げるというのは、駆逐艦娘である彼女の敢闘精神にもとる行いだったのだろう。退避中、最初に見つけた、自力での移動が不可能な負傷者を、響は連れて行こうとした。艦娘は普通の人間よりもずっと力が強いが、体格は違う。駆逐艦娘はおおむね、幼い姿だ。響という艦娘は中でも更に、子供らしい背丈だった。足元も悪かった。爆撃で壊れた施設の瓦礫が散乱していて、死者もあちこちに倒れていた。だから、後もう少しで退避壕にたどり着けるという時に、響は転んだ。上空にいた敵の艦載機が、この好機を逃す筈もなかった。爆弾は全部落としてしまっていたとしても、機銃掃射だって、頭や心臓に受ければ無事では済まないのだ。それは致命的なミスだった。
先に退避壕に到着していた艦娘の中には、古鷹もいた。彼女は艦隊の仲間が倒れた時、それを救う為に、迷わず壕から出ようとした。それを、他の艦娘たちは力尽くで押さえ込んだそうだ。古鷹は一般的な艦娘の何倍も生き延びてきた古参兵で、重巡で、艦娘としての価値は響よりも勝る。助けに行って死なせる訳にはいかないと、そこにいたみんなが判断した結果だった。そこに気高さは全くなかった。シンプルで、実利的な、計算があるだけだ。
ところが、ここに例外がいた。犬である。混乱の最中、壕に逃げ込んできていた彼女は、暴れる古鷹に他の者たちが掛かりっきりになっている隙に、ぱっと飛び出して行ってしまった。犬の一匹、響を助けるのに何の足しになる筈もない。一緒に死ぬだけだ。退避壕にいた誰もがそう思った。古鷹は
そして彼女は吠えた。
長く、遠くまでそれは届いた。誰もが初めて聞いた吠え声だった。ずっと離れたところで防空戦闘に従事していた私にすら、その声は聞こえた。負傷者を抱え、姿勢を正し、立ち上がろうとしていた響は見た。自分に向かってくると思った敵機が、その機首の向きを僅かに変えて、響の近くにいる何かに対して照準を合わせるのを。彼女が見たのはそこまでだった。響は負傷者を抱え直し、立ち上がって退避壕に走った。背後で機銃掃射の音がした。何があったのかは明白だった。壕に滑り込んだ後、響は負傷者を下ろし、退避壕の壁に足を掛けて、さっきまで自分がいた辺りを覗き込んだ。犬はまだそこにいた。彼女はすまし顔で振り返り、もう一声だけ吠えた。
で、とことこ走って帰ってきた。機銃掃射は全然、彼女をかすりもしなかったのだ。目を真ん丸にして驚いていた響を踏み台にして、犬が壕内に飛び降りると、凄まじい防衛戦の真っ最中だというのに、みんな馬鹿みたいに笑った。普段、無神論を標榜するどんな艦娘も、その時ばかりは神様というのも案外身近にいて、見守ってくださっているんじゃないかと、半ば本気めかして言ったそうだ。壕内の艦娘たちは犬の全身を
この出来事により、防衛戦の後、愛玩犬並びに猟犬としてだけでなく、泊地の非公式な英雄として崇められ、攻撃を生き残っていた工廠の明石から手製勲章付きの首輪まで贈られた彼女だったが、ある日ふらりと泊地を出て、二度と戻らなかった。山に猟でもしに行って、そこで獲物の逆襲に遭ってしまったんだろうと言う者や、あれはあの日のパラオ泊地を守る為に、神の遣わした御使いであって、役目を終えたので天に帰っていったのだと冗談交じりに話す者もあった。興味深いものだと、休暇を使ってパラオの山に単身登り、興味本位から道を外れた結果迷った、ある艦娘の話が記憶に残っている。彼女の話では、完全に遭難して死さえも覚悟したその時、一匹の犬が現れて、登山道だと分かるところまで連れて行ってくれたらしい。首には、勲章付きの首輪をしていたそうである。
嘘か本当か分かったものではないが、私たちは彼女の話を真剣に受け止め、お金を出し合って記念碑を作り、泊地の片隅にこっそり設置した。後に憲兵隊より撤去の指示を受けたそれは今、間抜けな艦娘をあの犬が助けてくれたという、ゲルチェレチュース山の登山道入口にあり、ハイキングにやってきた人々に、多少の困惑と、ちゃんと道を行けという戒めを与え続けている。