足山九音が幽霊なのは間違っている。續   作:仔羊肉

3 / 7
黄金週間 弐

『八幡くん、八幡くん』

 

 深夜の夜行バス。およそ十四時間の旅路。GWではあるものの夜行バスの利用率はそこまで高くなかった。これが運がいいのか悪いのか。

 

『これから行く福岡ってどんな土地なんだろうね』

 

 福岡。その地域は教科書やテレビの上でしか知識がない。そもそもこんな機会が無ければ行くことなど無かったのかもしれない。

 

『そういえば八幡くんって県民性って言葉は知ってるかい?』

 

 首を軽く横に振る。軽い意味くらいなら文字からも予測でき、どこかで聞いたような意味くらいなら答えることが出来る。しかしながら九音が求めているのはそういうことじゃないのだろう。

 

『しょうがないなぁ~、ではこの九音ちゃん様が教えてしんぜよう』

 

 うきうきと何が楽しいのか。俺としてはそろそろ眠気が強くなってくる。窓の外をぼーっと眺めて四半日。二つの針が示す時刻は頂点を指している。

 

『県民性。その県に住んでいる人たちがどんな性質を持っているのか。もともとはステレオタイプ――思い込み、先入観、認知、固定観念、レッテル張りに偏見や差別。そういった側面が強いんだよね。実際のところ、県民性というのは割と新しい考え方でね、基準となる大きな枠組みでいえば国民性、お国柄。そういった言葉の方が聞き覚えがある人の方が多いんじゃないかな。そうやって大きな枠組みから細分化して県民性、外国では州民性とでも呼ぶんじゃない?』

 

 確かに外人の多くは社交的でイエス・ノーがはっきりしているなどーー思い込み、レッテル貼りでしかないのだろう。事実としてそうじゃない外人は幾らでもいるのだろう。

 

『だからね、県民性ってのは無いって主張する人も世の中には一定数居るんだよ。他にも風土、環境で分類するのなら県というよりかはそれより前の藩から始めなきゃいけない。そうするとさらなる細分化が必要であり一概の県一つでまとまるはずが無いって部分的肯定もあるかな。また、それは思い込みや幻想であり確証バイアスの一種であるって完全否定の人もいるんだってさ。まぁ、わからなくもないかな。でもね、私や私らみたいなのからしてみれば大多数が望んで思い込んでいる以上、そこには『ある』んだって信じる、いや知っている』

 

 県民性の有無。もしもこの手の事柄に縁がなければ確かにバイアスや思い込みの一種と考えることはできただろう。しかしながらそんな事を信じるにはあまりにも俺は遅すぎた。俺たちは知っている、知りすぎている。多数の人間がそれを是とした時に嘘だった代物が本当になるということを。

 

『そして目的地の福岡。ここで囁かれている県民性はせっかち、大雑把、派手好き、情が深い』

 

 九音の話に耳を傾けながらも、うとうとと瞼が重くなる。

 

『おや、おねむかい。そろそろいい時間帯だしね。その代わり明日は目一杯楽しもうね』

 

 明日を強調してワクワクとした表情を浮かべている。考えてもみればそうか。一年よりも前の記憶を持っていない九音は関東圏から出るのは初めてのこと。

 

 俺としても別に楽しみじゃなくもないのだ。それでも俺が未だに行楽モードに入れないのは今までの非日常と思っていたものが一年前を皮切りに日常となったため。異常が身近すぎるため。むしろ日常が非日常となった今は遠い昔のようにすら思える。

 

『明日はどんな日になるかなぁ』

 

 旅ボケでもしたのだろうか。ハム太郎に尋ねるロコちゃんみたいな台詞言ってんな、こいつ…… 

 

 こんな側面だけを切り取ればこいつは普通の女の子に見えてしまう。

 

 少なくとも、気を張って眠れなかった――高速道路に纏わる怪異に対して気を張って窓の外をずっと見やっていた俺なんかよりかはよっぽど。

 

 

 

 

~~~~~

 

 

 

 血塗れで手紙をこちらの方へ持ってくる九音は間違いなく普通の女の子とは言い難かった。

 

『はい、八幡くん』

 

 突き出された手紙を俺は受け取り、目の前の物体を見ながら何とか意識を戻す。

 

「……あ、あぁ、サンキュー」

 

『どったの?』

 

 あっさりと轢かれて死んだ猫。いや猫であるからこそ車は避けれないのか。

 

 猫と車の関係性において猫は非常に轢かれやすい生き物であるといえる。それは猫の身体の構造上の仕組みにある。猫は後ずさりできない、猫は後ろに戻ることができないのだ。故に驚き立ちすくむか、そのままの進行方向に進むしかない。

 

 他にも猫は獲物を追っている時には注意が周りに向かないといった習性を持つ。発情期の猫が良い例だろう、異性の猫を追いかけている最中に交通事故に合うなど現在の日本全国でよく見られる光景だ。

 

 故に九音はあえて宣言するように大声を出し、石を自分の背後から飛ばして、わざわざ猫が見える範囲で避けやすいように意識を注意深く引っ張り、あえて避けるならその方向になるよう誘導して、目論見通り、自ら車体に飛び込むように動かしたんだろう。

 

 猫には車が避けられない、避けることが出来ないタイミング、理由を見計らって。

 

 結果はお察しの通り、完全に肉塊。

 

 速度がそれなりに出ていたトラックと正面衝突。勿論、これが普通の猫なら即死は間逃れないであろうぶつかり方。猫の動物霊だったとしても九音の呪い染みたポルターガイストもどきを食らえば結果は御覧の通り。物を言わない物体へと早代わり。そしてその肉体は視界から少しずつ消えていく。

 

 それは果たして成仏しているのか、それとも俺の目が障害にならないものと認識したから見えなくなっているのか、定かではない。

 

 しかしながら一つだけ言えるのは。

 

「……えっぐいわ」

 

 俺が引いた目で見ていると九音は心外とばかりにこっちに抗議してくる。

 

『はぁぁぁぁ!? 八幡くんのためにしたのに何だよ、その言い草ァ! これが彼女だったらちょっと喧嘩になって謝ったあとにイチャイチャさせてくれないと不機嫌なるレベルだよっ! 謝って! 誠心誠意謝って!』

 

「はいはい、悪い悪い」

 

『こもってないっ! まったくこもってない!』

 

 めんどくせぇ……

 

『めんどくせぇって顔した! イヤイヤじゃなくてイチャイチャさせろ、オラァァァァっ!』

 

 本格的に癇癪を始める前にさっさと目的地を目指すか。

 

 未だにぎゃーすかと騒ぐ幽霊を引き連れて来た道を戻る。少しばかり時間をくったが、それでも日が落ちる前に終わりそうだ。夜はそのまま博多辺りにでもいってご飯を食べてネカフェかビジネスホテルにでも泊まろう――と、そんなことを考えていたらいつの間にか再度、目的地へ。

 

 何度か深呼吸をして、インターフォンに指を伸ばそうとしたその時。

 

「……あの、うちに何か?」

 

 声をかけられた方向へ向き直る。そこにはやつれた女性が立っていた。頬はやつれ、血の気が悪く、全身がダークカラーでまとまった地味な服装はまるで目立つのを嫌っているかのよう。

 

 わかる、一目でわかってしまう。

 

 この女性が目的の人物だと。テニス部の少女が手紙を渡してほしいと指定していた母親なのだと。感じる面影は先日出逢った少女の代物。

 

「あー……」

 

 なんていうべきか、唐突すぎて答えを用意できなかった。不思議そうに見る女性に対して、俺は言葉を放とうとしては飲み込み、それでいて結局のところ、わかりやすく率直に。包む紙など用意せずに簡潔に。他人がどう捉えるかなどよく考えもせずに流されるように一人の女の子の名前を出す。

 

「その子から手紙を渡してくれとお願いされたんですけど……」

 

 俺は一枚の便箋を取り出し、相手の様子を伺う。その両の目は見開いて、まるで信じられないものを見るかのよう。当然の反応だった。

 

「……ごめんなさい、少し、詳しい話が聞きたいのだけれどいいかしら?」

 

 けれども相手は大人で、俺みたいな子供の悪戯かもしれない出来事に対しても聞く耳を持つといったスタンス。どうやら受け取ってくれるようだ、肩の荷が降りる。

 

「住居の方は散らかってて、店舗の方で話を伺ってもいいかしら?」

 

「え? はい……」

 

 そういって、女性は鞄から鍵を出し、閉まっていると主張する看板を気にも留めずに喫茶店入り口の開錠する。

 

「ごめんなさい、少し埃っぽいけど……」

 

「いえ、お構いなく」

 

 確かに長期間使われてなかったのだろう、溜まった埃がちらほらと見える。店内を眺める――八つのテーブル、うち二つが壁側のソファーつきのテーブル。そこからカウンター席、レジ近くにはガラスのショーウィンドウがあり、本来ならケーキなどの食べものを入れていたのだろう。トングとトレーだけが残っている。奥に見えるガラス戸の中には瓶が並んでいた。棚には豆だろうか。恐らくではあるが様々な種類のコーヒーの生豆が見える。

 

『おぉ……レトロチックな良い内装だね』

 

 九音の言うとおり昭和モダンな内装からはまるで外界とは違う時間が流れているかのような錯覚が起きる。これで埃っぽさがなければ素敵な店だったのだろう、いや逆にこの埃っぽさがノスタルジーを更に加速させている。まるで世界が終わったかのような風景に小さくため息が漏れる。

 

 店内を惚けて眺めていると、暖簾の掛かった奥の部屋からいい匂いが漂ってきた。

 

『……どったの?』

 

「いや、この匂い……コーヒーか?」

 

 すると俺の声に気づいたのか匂いの原泉から声がかかる。

 

「ごめんなさい、少し時間がかかるけど、適当に腰掛けて待っててもらえるかしら」

 

「あ、いえ、なんかすいません、お構い無く……」

 

 萎縮するように縮こまる。あまり歓迎されてなど来なかった人生だ。どういう反応が正しいのかなんて分からなかった。

 

「いいのよ、多分、こんな機会でもなければそのまま腐ってた代物だから。賞味期限ギリギリで申し訳ないけどね」

 

 俺としては悪戯として通報されるという最悪のケースや怒鳴られ詰られ追い返されるケース、もしも上手くいけば受け取っては貰える程度の希望を想定していた。けれども、想定など完全に裏切られ、まさかここまでの歓迎を受けるとは思ってもなく、内心など初対面の俺が推し量れるわけもなく、俺はただ縮こまる思いで立ち尽くす。

 

『思いの他、悪くない対面でこの手の展開は予想はしてなかったや』

 

「だよな……」

 

 俺は近くのソファーを軽く掃い、腰掛ける。そこから少しして奥からお盆を持って目的の人物がやってくる。

 

「ごめんなさいね、お口に合えばいいのだけれど……」

 

 そういってお盆の上に載っていた二つのティーカップのうち一つが俺の前に出された。

 

 ……あぁ、そうか。

 

 俺はとある事実を認識して、小さく頂きますと呟いてから口をつける。

 

 ――美味い。

 

 添えられた砂糖やミルクを使わずとも飲みやすい口当たりの珈琲に感嘆の息。そもそもが大して珈琲など知らない俺だ。普段口にしている黄色と黒の模様で出来た缶くらいしかわからない俺である。美味しく、そして良い豆だということはわかる。勿論、詳しい分析など出来やしない。酸味やコクなどよくわからず、香りなども良いくらいとしかわからない俺には過ぎた代物だろう。

 

「……あの、それで手紙なんですが」

 

 俺は恐る恐るといった手つきで机の上において女性の前に滑らせた。。

 

「……えぇ」

 

 その便箋に手を伸ばしては引っ込める。そして、再度伸ばしては――震える指で触ろうとする。

 

 けれども伸ばした指は恐れが上回ったのか閉じられて、元の位置へ。

 

「ごめんなさい、やっぱり混乱してるわ。別に君が嘘を吐いているというわけでもなくて、ね……」

 

 当たり前だろう。そんなの当然だ。ごくごく自然な反応だ。

 

 死者からの手紙。

 

 そんなものを持ってきて、すんなりと受け取って貰えるなんて都合よく考えてもいなかった。少なくとも受け取ってくれる意思を見せてもらっただけで想定の中でも相当に上の反応。

 

「……不躾なお願いかもしれないのだけれど、よければ読んで頂けないかしら、勿論断って貰っても……」

 

 どうするべきなのか。関係の無い第三者たる俺が果たして踏み込んでいいものだろうか。

 

 わからない。どうするのが正解なのか。対人コミュニケーションなど無いに等しい俺である、こんな時どう対応すればいいのか。

 

 もしも――と考える。雪ノ下ならば卒なくこなすのだろうか? 雪ノ下も俺同様に対人に難ありの人物ではある。それこそ一刀両断するがごとく断るのかもしれない。

 

 由比ヶ浜ならどうするだろう、彼女なら悩んだ挙句に慮って相手の望む通りに読むのかもしれない。

 

 平塚先生ならどうするのか、励まして自ら読むように進める、そんな気がする。先生ならば、きっとこれは第三者が入り込んでいい領分ではないと大人の部分で割り切りながら、それでも相手に必要なら背中を押してくれる。これは期待しすぎだろうか。

 

 足山九音ならなんていうだろうか? もしも彼女だったら――自分の気持ちを偽らずに思うがままに行動するのだろう。それこそ他人からどう思われようがなど気にも留めずに。人情など義理など正しいことだとか悪いことだとか。そういう類を一切合財考えずに己が答えに従う。きっと余計な口を叩きながら。

 

 勿論、こんなものは予想、妄想の類だ。知った風な口を利きながら相手ならこうするだろうと勝手に想像しているだけに過ぎない。

 

 そんな他人事ではなく自分事。俺の事なのだ、俺の答え、俺自身の解答。比企谷八幡ならばどうする? 

 

 そう考えた時に自然と手は動いていた。封筒指に取り、中身を取り出す。

 

 この便箋を用意したのも俺で、封筒に入れたのも俺ではあるのだが――書かれた内容までは知らなかった。

 

 だから、開いて見えた文字に俺は驚愕する。そして、俺は喉を震わせながら文字を読み上げる。

 

 ――ごめんなさいおかあさん

 

 口に出して何とも言えない気持ちが湧き上がる。十一という短い文字の並びに俺はどうすればいいのか途方にくれる。

 

「……あの子、らしい」

 

 空気を読み取って続きがないことを察してくれたのだろう。わざわざ便箋に包まれた言葉は言葉数どころか文字数すら少ない代物。俺は便箋を封筒の中へ。そして、再びテーブルの上に置く。

 

「昔から文字を書くとか本を読むとか嫌いな子でしたから、勉強を疎かにしていたからかしら、高校に入学してからも一切の手紙はなかった。そうと思えば偶に連絡無く帰ってきては元気な姿を見せてくれたわ……懐かしい……」

 

 震える声で語られる少女の歴史。俺にはどんな感情持っていいのかわからなかった。どこまでも俺は第三者でしかなかった。手紙を渡そうとも、わざわざ福岡に来たとしても、悼むべき存在だったとしても。

 

 俺は少女とその母親とは本当に赤の他人でしかないことをひしひしと感じていた。まるで痛ましい事件をテレビ越しで見ているかのよう。

 

 結局の所、思うところがあっても口に出すほどのことではなく、ましてや偉そうに批評なんて出来るわけもなく、聖人ぶってアドバイスや慰めなんて放つわけもなく。

 

 只々黙って聞くだけしか出来なかった。だから、これはきっと対話でもなく、懺悔でもなく、独り言でもなく、自問自答。

 

「小さい頃に始めたテニス。小中と県でトップクラスの成績を取っては嬉しそうに賞状を見せてくれた。私はあまりテニスのことは知らなかったから出来ることなんて精々あの子が好きなおかずをお弁当箱につめることくらい。どれだけ凄いことなのか高校でスポーツ留学の話を聞くまでは全然想像もしていませんでした。いえ、聞いても理解しきれていなかったのでしょう。私は喜びよりも困惑の方が大きかった。だってテニスで高校にいけるなんて知らなかったのだから。あの子のことはあの子に任せきりで、私は何も母親らしいことしてなかったの……テニス用品を買いに行っても私はあの子に対してただ買い与えるだけで、送り迎えはしてもテニスなんてあまり興味が無かったから……てっきり他所の子がやっている習い事で一番になったくらいとしか見てなかった」

 

 後悔しか存在しなかった。少女も、母親も、そして――俺自身も。

 

「だからあの子は私に証明するために世界で一番になるって言って高校にいったの……私がもう少し、あの子のやってることに興味を持っていたらこんなことにならなかったんじゃないかって、よく知りもせずに凄いねなんて言葉を使わなければこうならなかったんじゃないかって」

 

 間が開く、俺はいつの間にか自然に伸びていたカップに口をつけた瞬間に――この珈琲はこんなに苦味があったのか、と気づく。

 

「……たら、ればなんて考えても意味がないことだってわかってるんですけどね。それでも、私がもっと見て上げれたらよかった」

 

 刻々と時間だけが過ぎる。

 

 ひたすらに繰り返される自問自答を俺は見ているだけでしかない。相槌も、口を挟むことも出来ない。

 

「――ごめんなさい。随分長く、つまらない話つきあわせちゃったわね」

 

「……いえ、そんなことは」

 

 言葉を出してみればそんな台詞。気の利いた内容でもない。そもそもが必要ない。

 

「ありがとう、届けてくれて」

 

 俺は思う。

 

 思ってしまうのだ、そんな言葉を言わないで欲しいと。こんな手紙を受け取って、そんな態度はやめてくれと。ぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。まるで魂が軋みをあげる。本当は言いたい言葉があるハズなのに、それを言えない。言えやしないんだ、無神経に。当たり前のことを。

 

 だって――既に。

 

 もう既に――手遅れだったのだから。

 

 自殺した少女の母親は既に亡くなっていた。そして――その地に留まるかのように待ち続けていた。

 

 そこから――少女の母親が自殺したであろう筋道に辿り着く。

 

 まるで他の可能性などあり得ないとばかりに俺の中の勘が示す。悪いことばかり中る俺だ。正しいことなど間違うばかりなのに。都合の悪い出来事は嫌というほど当たってしまう。

 

 すべてが遅かった。遅い上に間抜けだった。まるで生きている人間に手紙を渡すかのように思っていて、その可能性を想像していない俺が愚かしい。

 

 それでいて、まるで生者に対するかのように普通に目的を告げて、九音の目の前に出てくるティーカップを見るまでは気づけなかったというのだから底が抜けるほどの間抜け。

 

「……よければ、お二人のお名前を聞かせて貰えないかしら?」

 

「比企谷八幡です」

 

「そう、ありがとう比企谷さん……貴女は?」

 

 九音はどう答えようか迷い、そして諦めたように溜息を吐いて。

 

『別に私はあの子の友達でもないし、顔見知りって言うほど仲良くないし。八幡くんについてきただけだし』

 

「そう……それでもありがとう」

 

『……ッ!!』

 

 その時の九音の表情を何と呼べばいいのかわからない。憤激、憎悪、憐憫、自嘲。

 

 まるで何かを我慢しているかのよう。

 

『八幡くんッ! もう帰ろうッ!』

 

 横から圧力がかかる。無理に立たせようとするその行動に俺は成されるがまま。

 

「……本当にありがとう。この辺は危険だから御気をつけて」

 

 九音の癇癪にも特に反応せず見送ってくれる。失礼な態度ではあるものの、俺は小さく「お邪魔しました」と答え、足早に去る。

 

 ――そして、そのまま玄関を出て、少し進んだところで振り返る。

 

 そこにはもう暫く誰も入っていないような喫茶店、手入れがまったくされていない外観、見るものが既に誰も住んでなど居ないだろうと思わせるほどに廃墟染みた一軒家が建っていた。

 

『……最悪だよ、最低の気分だ。感謝なんて君からだけでいいのに。君以外の存在からは何も要らないのに。あの女』

 

 前を飛ぶ九音が吐き捨てるように言う。

 

『あんなの自業自得だろ、そうだよ、因果応報なんだよ。どうでもいいし、興味もない。そうだよ、だから、だから――私たちには関係ない。関係ないんだよ、八幡くん。君が間に合わなかっただとか、もっとタイミングが早かったらとか、何か出来たんじゃないのかとか、言葉を重ねられたんじゃないのかとか。そんなの必要ない』

 

 くるりと振り返る彼女の眼は――俺の自傷を許さないと告げていた。悲しみに酔うのも必要ないと、他人事だと割り切るべきだと。

 

『結局、私たちのこの旅の目的は果たしたんだよ。決して――何の意味も無かったなんて思わないで。そもそもがこんなのおまけじゃないか。君と私は福岡を楽しみに来た、それだけでいいでしょ?』

 

 俺は――判っているつもりだった。割り切っているつもりだった。第三者であると黒子に徹しているつもりだった。

 

 表情に出しているつもりもなかった。これが雪ノ下や由比ヶ浜なら隠し通せたと自惚れる。平塚先生でも気づかなかったと天狗になる。戸塚や材木座あたりでも普通に接することが出来たと思う。例え、小町が相手だったとしても隠しとおせる自信はあった。だが、足山九音相手にはその嘘は通じなかった。

 

 第三者とまるで自分に言い聞かせるように、手紙を渡した時も、手紙を読むときもまるで自分は関係ないという素振りで、そしてお礼を言われた時も決して表情は出さないで。

 

 けれども――自分のやった行いが何の意味もなく、誰のためにもならず、ただ後悔だけが残る後味の悪い結末を、この感情を他人事だとは到底思えなかった。

 

 外から見るにしてはあまりにも近すぎた、それどころか舞台に登ってしまったのだ。役柄なんて無かったにも関わらず、役柄を演じ、他人事であった御話を自分から巻き込まれにいって、それでいて虚しさだけしか残らない舞台にまるで置き去りにされたかのよう。

 

『いいんだよ、もう。こんなのもういいじゃないかよ、八幡くん。私たちには何の関係も無い。他人の家庭の問題なんだ』

 

「わかってるよ」

 

『わかってないよ! 私は今ムカついてるんだよ? 君が――今、私以外のことで頭が一杯になっていることを見逃せるほど心の広い女じゃない。ねぇ、いいじゃん、簡単に切り替えて。まるでB級映画を見たかのようにあっさりとクソだったみたいな感想で捨て去って、さっさと気持ちを切り替えて、さ』

 

 九音の言はわかっている。

 

 この感情は、この心の痛みは――自分たちには必要ない偽者だと。作り物から貰った作り物の感情としてさっさと仕分けてしまえと。

 

 けれども、俺は、それでも。

 

 娘が死んだことを許せずに亡くなった母親の無念を無かったことになど出来なかった。そんな誰の記憶にも残らない、俺が忘れてしまえば誰にも知られずに終わってしまう物語を決して忘れることは出来ない。思い出すだけで、虚しくなるようなこんな結末を無かったことになんてきっと出来ないだろう。

 

「心配ねぇよ、別に傷ついたつもりなんてねぇわ」

 

『……嘘吐き』

 

 だから、見破られたとしても、だ。全然平気だと、気にしてないと嘯こう。例え、それが悪いものを引き憑ける原因となる同情や後悔や共感に近い感情でも、それが悪いものを引き受けたとしても。

 

 それでも俺は平気な顔をすべきなのだ。

 

『……強がり、捻くれ、八幡』

 

 多分、これは男の意地って奴なんだろう、きっと、多分。

 

「俺の名前を悪口のラインナップにいれるんじゃねぇよ……悪口と俺がごっちゃになってまるで俺が悪口みたいじゃねぇか。せめて悪口だけにしとけ」

 

 だからいつものように振舞う。いつもの俺を。

 

『八幡、八幡、はちまーん』

 

「いや、それ俺の要素しか残ってないんですけど……悪口の語彙に俺が登録されてんじゃねぇか」

 

『えー? ソンナコトナイヨー』

 

 クスクスとようやく笑い声が漏れる。そんな九音の声に――に"ゃぁぁぁぁぁぁ

 

 聞こえた。唸るような鳴き声が。

 

『……ちっ』

 

 小さく舌打を打つ九音。

 

 そして、振り向けば――猫。

 

 猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫猫。

 

『――ッ』

 

 流石にその光景に俺も九音も絶句する。

 

 一目でわかった、これはどうしようもないと。

 

 そこには大量の猫が群れていた。一歩足を後退させれば――に"ゃあぁぁぁぁぁ。

 

『――参ったね、これは』

 

 九音はお手上げとばかりに両手をあげる。

 

 振り向けば――さらに猫の群れ。

 

 目が熱くなる、喉が焼ける、足が震え、意識が朦朧とする、胃がキュルキュルとなり、吐き気が湧き。

 

「ッ、ぉオ"ェッ」

 

 地面に零す――その色は赤。

 

『八幡くんッ!?』

 

 平衡感覚が失われ――そして、自分が今、地面に倒れ付していることに気がつく。失神でもしたのだろう、既に猫達は眼前まで近づいてきていた。

 

『――ごめんッ、これッ、もうどうしようもないッ、かもッ。あー、何が悪かったのかなんて私にはさっぱりわからないけど、もしも死んでも安心しなよ。少なくとも君と私は死んでも一緒だからねッ!』

 

 暗闇に――落ちる。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。