足山九音が幽霊なのは間違っている。續   作:仔羊肉

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立夏 参

 かぽーん。

 

 お風呂の表現でよく使われる擬音。風呂桶が床や壁に中り響く音。一説によればこの擬音はかの有名漫画化が考えたと囁かれているが、人によってはそれよりも前に聞いた覚えがあるという話もあって真相は定かではない。テレビ、メディアとありとあらゆるジャンルのお風呂の表現にこの音が使われていて。長音ではなく波形が正しい表記という主張もあるが正直に言えば俺としてはどうでもいい。

 

「俺はここで何をしているんだろうか」

 

 湯船に浸かり、銭湯絵による壮大な絶景を眺めながらポツリと零す。そんな俺の右隣に、

 

『いい湯だよね……夫婦みたい、全然湯加減わからないけど』

 

 髪はタオルで纏め、バスタオルで着用したまま湯船に浸かる九音。隣に並んで座りながら同じように富士を見ていた。

 

「ほんと、どうしてこうなったんだ……」

 

 軽く思い出してみれば廃墟探索後の小町の雑な提案が事の発端。

 

 ――銭湯いきませんか!

 

 廃墟で汚れた身体を洗うためというお題目を掲げて唐突に出たその一言。雪ノ下と由比ヶ浜は少し考えた後に毒を食らわば皿まで、と最後まで行動を共に。

 

 現在の時刻は既に七時を過ぎている。三十分ほどの廃墟探索を無事に終えて風呂に至るというわけだ。

 

 意味がわからねぇ。

 

 なんで風呂? なんで銭湯? それもこんな寂れて人気の無い。仮に風呂に入るにしてももっと選択肢があっただろう。けれども選ばれたのは大型のスーパー銭湯ではなく、閑古鳥がなく隠れ家的お風呂。むしろ隠れすぎてて誰も見つけられないような一般公衆浴場。まるで小学生時代に写真に写った俺。ちょっと親近感沸いてきたわ。

 

「あー、いい気持ちっすねぇ」

 

 左隣側、少し離れた場所でぐでーっと伸びをする川なんとかくん。さらにその隣では目をつぶってひたすらお湯に神経を研ぎ澄ませている坊主頭が居た。

 

「貸切っすよ、貸切。ラッキーっすね」

 

「むしろ、ずっと貸しきってそうだがな」

 

 中学生のポジティブさ、前向きさに少しだけ呆れて周囲を見る。マジで人っ子一人居ねぇ。

 

「実はここも出るらしいっすよ」

 

 ばしゃばしゃと顔を洗いながら川なんとかくんは何かがあると厳かに言った。

 

「……ほぉ」

 

「あー、俺、先にあがります」

 

 坊主頭はあまり興味がないのか、一足早く脱衣所へ。ぺたぺたと歩いていく少年を放置して俺は続きに耳を傾ける。

 

「知ってるっすか、サウナの怖い噺。とある男と、とある太った男の二人の客について」

 

「知ってる知ってる。超知ってるつーの。サウナにデブが倒れてて出れないってオチだろ。知ってる知ってる」

 

「めっちゃ雑に答えられた!? しかも先にネタばれしながら!?」

 

 多分、話したかったのはインターネットあたりに落ちていたサウナに纏わる怖い話のことだろう。内容は俺と云う主人公とオレという主人公の一人称を変えた叙述トリックによる意味が分かると怖い話系統の代物。叙述トリックの時点で完全に人の手による創作物なんだが。まぁ、簡単に思い出すなら。

 

 俺という主人公がサウナに入っていると恰幅の良い男が入ってきた。巨漢の青年に対して主人公はサウナで無言の我慢大会をしかけるといった話。何とか主人公が勝つ。巨漢の男がふらふらになるまで我慢して勝った。足取り悪く出て行った男に満足して主人公である俺もサウナから出ようとするものの我慢しすぎたのか視界がぐるぐると回り、倒れそうな足取りで出口を目指した。そしてオレは気がつけば白い天井を眺めていた。番頭が言うにはサウナ室の扉に倒れこんでいたらしい。今度からはサウナに長居するのはやめよう。

 

 そんな話。

 

 つまるところ『巨漢が倒れていたら先に入っていた男は出れない』という部分を隠した御話なのだ。

 

「いやー、そうなんすけどぉ。ここのサウナでぇ」

 

「いや、ここのサウナ押し戸だから。さっき確認したわ」

 

「……じゃあ、これもガセっすね!」

 

 あはは、と能天気に笑う中学生。

 

「いやー、でも何か噂に聞いてた話と全然違うっす。意外と話しやすいっていうか」

 

「意外って何だよ、意外って」

 

『目じゃん?』

 

 違うところから撃たれた。ちょっと九音さん、あなた背後から撃つのやめてくださる? とついお嬢言葉になりそうなほど見事に背後からのフレンドリーファイア。

 

「あ、や、すいません……俺、比企谷さんに相談してて最近うちの姉ちゃんが不良なったって。そしたら比企谷さんのお兄さんもそうって言ってたからてっきり……」

 

「次、俺のことをお兄さんと呼んだら埋めるぞ」

 

「不良より怖い人だ……」

 

『シスコン……』

 

 知らん知らん。こんなもん序の口だ。それに俺はこの少年のことを思って言っている。

 

 まずうちの妹は頭は悪いが顔は良い。めちゃくちゃ美少女。そんな美少女に惚れない男子などいないわけで、この小町に近づく羽虫がうちの妹に告白するのは自明の理、時間の問題。そうなると振られて傷つくのはこの男子中学生なわけでそれを止めるためにあえて厳しい態度を取っているのだ。

 

 俺は口パクだけで少年とは逆方向に座っている九音に説明する。

 

『万が一告白が成功したら? 振られるとは限らないじゃん』

 

 俺はにっこりと微笑んで。それ説明する必要ある? と言葉にせずに伝えた。

 

『クソシスコン……まぁ小町ちゃんは私にとって妹みたいなものだしね。碌な男に近づいてほしくないのはわからなくもないかなぁ』

 

 いや、俺の妹なんだが? むしろ俺だけの妹なんだが? 勝手にお前の妹にすんなよ。俺の小町だぞ。小さい頃はお兄ちゃんと結婚するって言ってたあの小町なのだ。俺だけの小町なのだ。

 

『め、めんどくさぁ……はいはい、そうですねぇ。もうこの話やめやめ』

 

「あ、じゃあ、俺サウナに入ってくるっす!」

 

 そう言って川なんとか少年は逃げるかのようにサウナへと入っていった。

 

『今度こそ二人っきりだね……』

 

 ふぅ、と九音が熱のこもった息を吐きながらポツリと零す。いや、二人きりというには壁を挟んだ向こうから声がうっすらと聞こえてくる。

 

「この……声は小町か!」

 

 カットインでも入ったかのように決め顔で俺はそう言った。すると向こう側から声が聞こえてくる。

 

「いや、こまっちゃんのお兄さん、メチャ聞こえてるからぁ」

 

 俺の台詞に反応したのは恐らくギャルギャルしい恰好をしていた少女だろう。

 

「お兄ちゃん恥ずかしいからやめて。大人しく黙るか一時間くらいサウナに入ってて」

 

「小町さんや、俺、死んじゃうんだが……」

 

 え、何、それとも遠回りに死ねって言われてるの……悲しい。しくしくと凹んでいると横から水が思いっきりかけられた。

 

 勿論、俺の視界には人体などない。水の出どころは幽霊の手で作った水鉄砲。こいつ、マジで器用だな……

 

『女風呂なんかじゃなくて私の相手してよ! えいっ! えいっ!』

 

 手から飛び出す適量を絶妙な感覚で飛ばしてくる幽霊。これポルターガイストの要領でやってるのか。半透明の手の中を細い水が通って射出。

 

 顔面に結構な勢いで飛んでくる水を鬱陶しく感じながら、湯船に浸かっていると二、三分くらいして中学生がサウナから出てくる。そして水風呂に入っては「と、整うー」とか戯言抜かしていた。こいつはサウナーではない。ニワカ野郎である。

 

 ふっ、俺が本物の整うというものを見せてやりましょうかね。ニヒルに笑みを決めて湯船から出てはそのままサウナを目指す。

 

「あっ、お兄さんもサウナですか? 今貸し切りっすよ」

 

「元々、貸し切りだっただろうが。よく潰れねぇよな、この店」

 

 そう言って俺はサウナ室の押し戸を開いて中に入れば……。室内に溜まった熱気がムワッと襲いかかってきた。サウナの入口近くの時計は八の時を指していて。室内を見回してサウナストーブの一番近く、最前列真ん中へ。ふぅ、と腰掛けた瞬間に気づいた。

 

 フーッ、フーッ、と。荒い息が俺の座った席の背後から聞こえてきたのだ。誰も居ない筈のサウナで。

 

 おいおい、お客さん居るじゃねぇか。あいつの目は節穴なのかよ、俺も居ない気がしたんだけど見逃したのか――なんて思うわけがない。思えるわけがない。

 

 そもそもが、この銭湯に俺たちが入ってきてから誰も入ってきてないのだ。最初から居た? 冗談ではない、何分経ってると思ってんだ。

 

 日本の銭湯に馴染み深いドライサウナ。その室温は八十度から百度。十五分以上は疲労状態になって健康に良くないと言われているその場所にどのくらい留まり続けているのか。

 

 そっと後ろを伺うとサウナ室の隅、タオルで股間を隠し、目をギョロリと開いて、まるで仁王像のように憤怒の表情を浮かべた恰幅の良いおじいさん。その全身から汗が噴出しては鼻息荒く此方を見ている。

 

 そのおじいさんと目があっては、さらにビキビキと青筋を立てていた。

 

『は、八幡くん、絶対やばいよ……というか、何この部屋……なにこれ? えっ……なにこれ、むわむわする……暑い……? 暑いよ、この部屋』

 

 そりゃあ暑いだろ、サウナなんだからと小言を言う気になれやしない。寒さや暑さなんて感じるわけもない幽霊が感じているのが異常なのだ。

 

 俺はそっと俯いたまま、九音にだけ判るように口だけ動かして伝える。

 

 ――出るぞ。

 

『う、うん。やだ、暑い。暑いのやだ……これ、あんまり好きじゃない』

 

 九音の方向を盗み見ればじっとりと汗をかいていた。魅入る程に幻惑的で美しい少女だ、その少女が潤んだ瞳と汗で濡れた肌は酷く官能的に見える。

 

 ひゅるーと俺より先に軽快に移動して外に出ようとした瞬間に――ぶつかる。

 

『あいたぁっ!?』

 

 頭から扉に激突した九音。おいおいおいおい。

 

 嫌な予感。追加注文を受けたかのように背中の汗が吹き出ては体温を奪う。そして、木製のサウナ扉は熱く引けば――予感は的中とばかりに当然の如く開かない。

 

 ふ、ふざけんなっ!

 

 内心で叫びながら、俺は熱を貯めた引き手を力の限り引っ張るが、びくともしない。

 

 背後を見る。そして、目が合った。見開いては血走った目のままお爺さんはブルブルブルブルと震え、目を見開き。

 

「黙ッて入らンかアアアアアアァァァァァァッ!」

 

 雷鳴の如く、鼓膜が破れるかと思うほどの怒鳴り声で俺に、俺たちにそう言い放った。

 

 

~~~~~~~~ 

 

 

 しくしくしく、しくしくしくと。

 

 蒸し暑いサウナの中で必死に声を押し殺してすすり泣く声が隣から聞こえてくる。

 

 バスタオルの裾をギュッと握りしめて俯き涙をポタポタと落とす幽霊。

 

 つい数分前には『へへっ、お爺ちゃん肩凝ってない? 本当なら私のような美少女に揉んでもらうことなんて許されない爺だけど肩揉んであげてもいいよ?』やら『ねぇねぇ、お爺ちゃん熱くない? 私がキンキンに冷えたビール持ってこようか?』やら揉み手とヘッタクソな作り笑顔をしては必死に媚びていた。

 

 しかしながらその全ては爺さんの一喝、黙って入れの一言に両断されていた。

 

 そして隣に座って泣きながら恨み言をひたすら呟いていればそれすらも「黙らんかぁぁッ!」と完全に封殺。

 

 最早、声を殺して泣くことしか出来なくなった九音。酷いよぉ、辛いよぉ、暑いよぉ、出せよぉと先程まで口にしていた泣き言も必死に我慢してポロポロと泣いている。

 

 声を殺して必死に泣く九音の我慢できず漏れる嗚咽がカチリと時計の進む音に瞬間だけかき消された。

 

 いや、まぁ、確かにあんまりだろう。

 

 九遠も何とかしようと試みたらしいがポルターガイストはおろか着替えることすら叶わず、唯の幽霊のように恨み言を呟くしかできない状態で、そして怨み言すら許してもらえず。自分の持っている力で武力行使できずに癇癪を起こすこともできなくなった少女は襲いかかる理不尽に対して只々、涙を溢していた。

 

 そしてそれは事実上として俺にも打開策が無いということ。そもそもが、だ。

 

 こんな妖怪聞いたことがない。こんな怪異を知らない。ならば考えられる可能性、俺の知識を総動員して思いつく可能性を鑑みた時に思い浮かぶのはゴールデンウイークの御話。

 

 霊と化したとある少女の母親。そして足山九音を幽霊と仮定した時に唯一と云っていいほどに省かれる名称。

 

 地縛霊。

 

 その霊は何を持ってその土地に留まるのか。通説によればその土地に留まり続ける霊の要因は二つ、三つと言われている。

 

 一つは自分が死んだことを理解していない。また一つは生前の強い恨み、負の感情を持つ。そして最後に自殺した人間。

 

 おおよそは二つか三つに分けられる起因。二つ目の負の感情と自殺に関しては混在することもあるが――今回の場合は自殺ではないと俺は考えている。

 

 老人、それも健康に悪そうなほどに恰幅の良い。太り過ぎにも見える老人の年齢を考えれば――死亡したのは自殺ではなく他の線が濃厚に見える。

 

 勿論、地縛霊であるからして可能性はゼロではない。けれども引っ掛かりを覚えるのは恨み、負の感情の類だろう。

 

 うっすらと脳裏の後ろ側、ジリリと焼ける感覚。何か重大な事実に近づいているはずなのに熱気と奪われていく水により思考が上手くまとまらない。

 

 何か、何か思いつきそう。何かを。何だ、何が近い? 何を俺は見落としている。暑い、熱い。

 

 カラカラと口の中が乾く。また一回、カチリと時が進む音が鳴った。

 

『……もう、やだっ!』

 

 我慢ならずにとうとう九音は立ち上がり叫ぶ。

 

『やだよっ、こんなのっ! こんなわけのわからない感じで死ぬなんてやだっ! 嫌だっ! 八幡くんだって――』

 

 ――黙って入らんかァァァッ!

 

 一喝に瞬間、怯むものの九音は声の発生源を睨みつける。

 

『何が黙れだっ、クソじじいっ! お前のルールを押し付けんなっ! お前が死んでしまえっ、バァァーカッ!』

 

 くらくらと、ふらつきながら、九音の肩を触ろうとするもすり抜ける。当たり前だ、何を考えてんだ俺は。

 

『出してよっ! 返してよ、私の力! ふざけんなっ、出してよぉぉぉっ!』

 

 九音は扉に近づいてドンドンと扉を叩く。

 

 ――黙って入れといってるだろうがぁぁぁっ!

 

『うっさいうっさいうっさい! 何様なんだよ! ただの地縛霊のくせにっ! なに格ゲーに出てくる強キャラみたいな顔してんだよっ! 恥を知れっ! 恥をっ! 老害! クソジジイ! お前みたいな俺ルール押し付ける爺なんて水風呂でぽっくりいってろっ!』

 

 九音と地縛霊の言い合いはヒートアップする。ふらつく頭で俺はよろよろと――扉に近づく。やはり、開かない。

 

『う、うぅぅぅっ、やだよ、こんな所で。八幡くんとは結婚式場で一緒に死にたいのにぃ……』

 

 室内を調べる。ゾンビのようにゆっくりと這う這うの体で。時計、温度計、そして木製の格子で近づけないようになっているサウナストーンとストーブ。

 

『うぅーっ、うぅぅぅっ……ぅぅっ』

 

 九音の方向を見れば、サウナ入り口近くの上段で横になっていた。全身からだくだくと汗を流し、目から滂沱の如く涙を流しては口からは恨み言を呟いている。

 

 対照的に爺は黙って瞑目したままサウナの中をじっと座っている。その汗の量は俺たちと同じように限界一杯まで吹き出していた。

 

 冗談じゃねぇ……なんでこっちが我慢大会につき合わさなけりゃいけねーんだ。

 

 いいや、我慢なんかじゃない。あっちは既に死んでいる、こっちが我慢するだけの理不尽。

 

「……あ"ぁ、くそっ」

 

 悪態をついて、九音の前に座って少しでも熱を遮ろうと試みるが焼け石に水――水?

 

 水さえあれば何とかなる、しかしながら俺は飲めたとしても九音に飲ませる方法など。

 

 そもそもここから出たときにこいつは大丈夫なのだろうか。それすら判らず見通しもつかない。

 

 けれども追い出し猫。俺は九音が殺した追い出し猫が消えてった光景を思い出す。同様の出来事が起こらぬと。どうして足山九音だけは大丈夫だと、消えないと楽観視できようか。

 

 様子を伺うと――

 

『……ううっ』

 

 九音の奴は完全に意気消沈。嫌な予感がどんどんと増してくる。いつもとは逆の構図、いつも先に絶体絶命に陥るのは俺だった。だからこそ完全に沈黙した女幽霊を見るのは初めてで。

 

 黙ってりゃ最高の美少女だよな、とか緊張感なくそんなことを思ってしまう。

 

 カチ、っと時間がまた進む。

 

 時間?

 

 俺はバッと、サウナ室の時計を振り返った。体感では既に二十分以上は居るにも関わらず、頂点に針が止まっている。

 

 入った時間はいつだった? いや、そもそもあの時間は正確なのか? サウナ時計は十二分で一周だ、一周した後に更に一二〇度回っただけ。俺の体内時計が間違っているだけでは?

 

 いいや違う。

 

 そうじゃない。そうだ、思い出してみろ、あの老人の幽霊は何を求めていた?

 

 沈黙。

 

 最初から最後まで求めていたのは沈黙だった。故に――俺は九音へ近づき小さく声をかける。そして声をかけた瞬間にサウナ時計の秒針から目を逸らさずに。

 

 あぁ、やっぱり。

 

 俺が声を出した瞬間に時計の短い針は動きを止めた。そして、声を出した瞬間に再び動き出す。

 

 九音に伝えたのは一言。黙って後八分耐えろ、と短い指示。そんな俺の指示に弱々しく首だけを動かして首肯する。

 

 俺の予想が間違っていないのならば。

 

 一分、ひたすらに蒸し暑く汗が止まらない。だくだくと溢れる汗が木製の床に染み込む。

 

 二分、僅かこの間にどれほど汗が出ただろう。既にタオルは重く、絞ってみれば水が大量に滴り落ちる。

 

 三分、キツイ。ただひたすらにキツイ。秒針の動きが酷く遅く感じてしまう。それでもただただ時を待つ。

 

 四分、限界が近い。自分でもわかる感覚。口の中が乾き、視界も白ずむ。

 

 五分、俺はタオルの噛み、汗で喉を潤す。大した量でもなければ飲んだ側から体内から吹き出していく。

 

 六分。タオルを噛み続けてゆっくりと立ち上がる。ふらつく足取りでサウナの入り口を目指す。

 

 七分。口が開きっぱなしになり、顎に力が入らない。扉の近くの壁にもたれかかる。

 

 俺の中で何かが囁く。

 

 このやり方は合ってるのか。間違っているのではないか。ミスれば死ぬのにそんな短慮で答えを出してよかったのか。お前の出した結論で死ぬかもしれない。お前の出した結論が哀れな幽霊を道連れにする。お前はこの八分を無駄に使っただけではないか? 八という末広がりの数を、思考を回すチャンスにはありあまった時間を無駄にしただけ。お前のミスがこんな状況を生み出した。そもそも何で怪異に襲われた。この場所は何なんだ? どうして俺が襲われた。悪いのは俺か? そもそも小町が言わなければ、中学生達があんな場所に入らなければ、雪ノ下と由比ヶ浜が銭湯へ付き合うのを断っていれば、足山九音という幽霊が居なければ――

 

 あぁ、これは俺じゃない。俺の本音なんかじゃない。わかる、それだけはわかる。

 

 まかり間違っても、俺は誰かのせいに出来るわけがない。全ては自己責任、俺が死にそうな目に遭うのも、何もかもが俺のせいで俺の責だ。俺だけの物だ、俺のものを勝手に人に与えてなどやるものか。俺が怪異に見舞われるのは、俺が――。

 

 だからこの惰弱で弱々しい気持ちは嘘なのだ。本物ではない。俺の本心なんかじゃきっとない。

 

 間違っていて終わるのならそれは間違えた俺の責任なのだから。ミスリードに引っ掛かり、思い込みで自滅して、解決方法を見つけれなかった俺が悪い。

 

 ――カチリ

 

 瞬間、力を振り絞り扉を開く。変な笑い声が喉の奥から零れて囁く悪魔に言い放つ。

 

「ざまぁみろ、開くじゃねぇかっ……」

 

 扉を開いて即座に駆け出し俺は一番近くの湯船へ顔だけ突っ込み、喉を潤す。まるで野良犬のように恥も外聞もへったくれもなく、水を飲む。

 

 そして、背後を見る。

 

 ――九音が憑いてこない…… 

 

 俺は瞬間的に決断する。サウナの中で思いついたもしもの可能性を。唯一の筋を。

 

 足山九音を見捨てる? 馬鹿言え、遠回りな自殺じゃねぇか、そんなもん。

 

 慌てて脱衣場に飛び込んでは俺の荷物の入ったロッカーへ一直線。

 

「わっ!? お兄さん、遅いっすよ、いつまで風呂入って――」

 

 着替え終えていた中学生には目もくれず、手首に巻いていたミサンガのような鍵を突っ込んでは回す。開いて鞄を乱雑に取り出し、そのままサウナの扉前まで戻る。そして――無印ラベルのペットボトルを鞄から取り出して、中身を両腕にかける。

 

 ひんやりとした水が腕へかかっていく。独特の臭いの水が腕、そして地面へ。

 

 そして、すぐさま桶を二つほど持ってサウナの扉へ。

 

 入り口扉が閉まらぬように桶がストッパーとして働く位置にセットして横たわる九音の元へ。

 

 浅い呼吸、瞑目された目は開く様子がなく、ほんの僅かに揺れる息だけがまだ消えてない証拠で。

 

 そして俺はゆっくりと右手を伸ばす。

 

 ――触われる。触れることができる。

 

 一度たりともその質量も、その柔らかさも感じたことのない女の子。余りの柔らかさと余りの細さに手折れてしまいそうな体躯。その身体を下から持ち上げて、両腕で決して折らないように大切に抱える。

 

 蒸しあつい部屋で肉が焼ける臭いがする。煙が昇り、鼻の中へ飛び込んでくる悪臭は人の、怪異の肉が溶けている証。

 

 煙を纏い、九音を抱えたままサウナ室を出てタイルの上へと横にして下ろす。俺はすぐさま桶に水を入れて顔にかけてみるものの素通りするだけでまったくの反応がない。

 

 焦るな。

 

 理性を総動員して混乱へと誘う悪魔の業火に水を差す。そして、理性の指示通りに焦りを無視して、次の可能性を――。

 

 ペットボトル。

 

 俺はペットボトルに残しておいた少量の水を口に含むか一瞬だけ考えて否決。水風呂から水を掬い取り中身を薄めてから振る。

 

 そして、それを口に含んで重ね合わせた。

 

 ――どうだ……?

 

 こくこくこく、と喉がなる。それを確認して再度として水を口に含んでは飲ませる。

 

 そして、何度か飲ませたら。

 

『ふぁれ!? ぁぁぁぁアアア、痛っ! 痛い痛い痛い! めっちゃ背中痛いっ! なんか足関節の裏と背中が痛いぃぃぃ! なんでなんでなんでぇぇ! なんか唇もピリピリするし! 胃もムカムカするぅぅぅ!』

 

 失神から回復したのか起き上がってすぐさま痛みに悶絶し始める九音。

 

『あぅぅ、この痛み覚えあるぅぅ! 八幡くん! 私が何をしたっていうのさ! 私はどこ! 此処は誰!』

 

 逆だ、逆……。いつものようにぎゃーすかと五月蝿い幽霊。幽かで静かな九音など想像など出来やしない。こいつはほんと、いつでも煩い。煩わしい程に騒がしいのだ。

 

『思いッ、出したッ……! 私の名前は足山九音ッ! ねぇねぇ! 何がどうなってるの!』

 

 頭の緩い小芝居の後に軽快にふわりと宙に浮こうとするが。

 

『あぅ……むぅんっ!』

 

 一瞬だけふらつく。しかし、気合なのかよくわからない一言を呟いてはぶるぶると犬のように顔を振ってくるりと宙返り、そしていつものように一瞬で白装束へと着替えていた。頭には蝋燭、左手には藁人形、右手にはトンカチが。そして桜色の唇からは銀の釘が生えている。

 

 バスタオルから完全に丑の刻参りスタイル。

 

 いや、もう何か色々と毒気抜かれたわ、完全にボケかましやがって……。

 

『八幡くん! 悔しいからなんとかしてよ! なんかやり返して!』

 

 なんかってなんだよ……俺は小さく溜息を吐いて、カバンの中から液体が並々と注がれたペットボトルを差し出す。背後の開きっぱなしの扉、浴場入り口を一度見ては誰にも見られていないことを確認して放り投げるかのように九音へ。

 

『いや、八幡菌水でどうしろと? あぁっ! もしかして!』

 

 なんでこいつ一々、トラウマ抉ってくるわけ……?

 

 しかしながら今回は流石に俺だって殺されかけた、思うところが無いわけではない。それに今回は『地』縛霊だ。追ってこれないのなら、存分にやってくれ。

 

 サウナ室の扉は開かれて、ペットボトルがお邪魔しますとばかりにふよふよと浮いては入る。そして一分も立たぬうちに開きっぱなしのドアから食欲を唆るような音が響く。先ほど、九音を抱えた時よりも遥かに大きな音が扉の外に居る俺の耳にまではっきりと届く。 人ではない何かの音。水が蒸発する音。

 

 そして音をかき消すかのように扉は勢いよく閉まる。俺の場所からサウナ室の様子は一部しか見えない。それでもまるで霧が立ち込めているかのように窓から見える白煙。

 

 ――サウナ室の窓が「ドンドン! ドン! ドン!」と叩かれる。それは怒りなのか、苦しみなのか俺には判断がつかない。

 

 窓を叩く力が少しずつ、少しずつ弱くなっていく。そして最後には叩いていた筈のナニカは完全に沈静化。

 

『はんっ! ざまぁみろ!』

 

 サウナ室に向けて中指を立てる九音。俺はその背中側を見て余りのグロテクスな光景に驚いて気持ち悪くなる。

 

 白装束の一部は溶けて、爛れた背中と足関節の裏側だけがはっきりと見えた。そりゃあ痛いだろうな、と他人事のように呟いた。骨と肉が見える背中はじゅくじゅくと蠢いては肉を少しずつ、ほんの少しずつ正常な形へ。

 

 水浸しのタイルに横になり、死ぬかと思ったと一段落。全身の筋肉を弛緩させて緊張状態を解く。

 

 そしてバタバタと聞こえてくる足音、その音は――。

 

「お、お兄ちゃん! なんか大志くんが変になったって言ってたけど――何してんの!」

 

 現れたのは大志と小町、そして血相を変えた様子の雪ノ下と由比ヶ浜。慌ててその辺にあった桶で大切な部分を隠す。

 

「いや、お前ら、ここ男湯なんだが……」

 

「そ、そうっすけど! おばあちゃんだったから他の人に手伝って貰おうって思って! だってお兄さんが急に変になるから、俺、なんか呪われちゃったのかとか思ってぇ!」

 

 半泣きで大志とやらは状況を説明する。お婆ちゃん? 記憶を遡れば誰のことか分かった。恐らく番頭のことだろう。なるほど、理由はわかった。しかしながら。

 

「俺をお兄さんと呼ぶな、呪うぞ」

 

「ちょっと、今の状況でそれはマジで怖いっす……」

 

 こんな軽口のやり取りを小町は睨み続ける。まるで我が家の恥部とばかりに。いやいやまさかまさか、小町が俺のことをそんな扱いするわけないよな。

 

「いちおー、小町達は無事だって判ったから出ていくけどせめて何してたのかだけ聞かせて」

 

 ドスの効いた声。俺は半分だけ正直に答えることにした。

 

「いや、その……だな……サウナで気絶した女の子が居たときを想定して救助の訓練してただけなんだが」

 

 その俺の台詞を聞けば四者四様の反応が返ってきた。雪ノ下は頭が痛いとばかりにコメカミを揉み、由比ヶ浜は「まぁ、ヒッキーだから……」と変な方向へ納得を見せ、小町の近くにいる羽虫は怯えて、そして我が家のアイドルはゴミを見るかのような目をしていた。

 

「粗大ごみ……ごみいちゃん……」

 

 そういう視線、癖になっちゃうからやめてくんない? 俺は裸で大の字にまま、そう思った。

 

 

 

~~~~~~~

 

 

 

 帰り道。流石に夜遅い時間帯で中学生が出歩くには不味い時間。そもそも高校生でも余りの外聞はよろしくないが、それでも遥かに中坊たちよりマシだろう。

 

 一足先に駅方面へ消えていく――由比ヶ浜、雪ノ下を見送っては軽く伸びをする。銭湯前で、ぺちゃくちゃ喋る三人の中学生達へ近寄って声をかけた。

 

「一応、全員送っていくから」

 

 はーいと低音、高音、高音と揃い、俺は自転車の中に鞄を入れては銭湯の前に自転車を止めて腰掛ける。

 

「……お兄ちゃん、出発しないの?」

 

 先程までの怒りは多少収まったのか、それとも外故に仮面を付けているのかわからないが表面上は普通に接してくれる妹。やっぱり宇宙一可愛い。

 

 湯上がりなのかどことなくしっとりとした姿は俺が同級生なら告白しちゃうね。そして振られちゃう。

 

 しかしながら可愛い小町であるが頭が弱いのは兄として悲しいところ。とうとう数学どころか算数も間違うようになったのか。

 

 今ここにいるのは三人。ニワカサウナ野郎とすっぴんの方が普通に可愛いギャルとそして小町。

 

「いやいや、小町さんや、まだ全員揃ってないでしょーが。それとも何だ? 先に帰っちゃったのか?」

 

『いやいや、何言ってんの、揃ってるじゃん、全員』

 

 ちょっと待って、ちょっと待て。おい、ふざけんな、幾らなんでもお代わりは無理だ。流石にお清め用の水、対霊用の水を詰めたペットボトルは二本とも使い終えている。

 

 去年の中春から定期的に作っていた、塩と酒の混合水は既に手持ち分は完売御礼。

 

 足山九音には効果が抜群で、クッキーの解呪にも役立ち、水死体の怪異にも効能はあり、そしてテニスの少女にも効いた水は俺がもしもの時用に持ち運んでいる代物。局所的な御話ならば何度だって俺の命を救ってくれた救世主。

 

 猫と雪ノ下の時は相手の数が多すぎて使い所を見いだせず、蜘蛛の夢は持ち込みすら出来ず。神相手には鞄ごと失った。

 

 それでも穢れを祓う聖水として割と重宝しているのだ。幸いな事に日本最大の霊峰が日帰りでいける距離にある俺はこの一年間で試行錯誤の末に辿りついた自慢の逸品。

 

 勿論、家庭用のカルキ臭のする水でも効果はあったのだが、それでもやはり『霊水』として扱われる代物は効果が違う。

 

 数に限りがあるので多様することは出来ないがマジで死にそうな目に合う時やここぞという時に使っている。でもよくよく考えれば結構な頻度で中身を補給している気がするのだが流石に死にすぎじゃない? ロックマンだってもうちょい学習してステージ進めるわ……。

 

『うーっ、まだ背中と関節がひりひりする……』

 

 空中で女の子座りしながら太ももを擦り合わせている様子を見て安堵の息を漏らす。

 

 今回も最悪の事態は間逃れた。

 

 俺にとって、俺の現状にとって最も最悪なケースは二種。一つは自らの死であり、もう一つはこの女幽霊が消えること。そうなれば俺に待つのは死なのだろう。今や怪異に襲われるなど一生に一度だとか夢にも思えない体質の俺は九音無しで生き残れる気がしないのだ。完全に毒されている。

 

「何言ってんのお兄ちゃん、大志くんも姫凛ちゃんも揃ってるじゃん」

 

 呆れたような声が俺を現実に引き戻し、今回はそれ以上の追求をしないことにした。それがいい、それが精神衛生上正しい。というか今、プリンとか言わなかった? え、というかこのコギャルの名前プリンっていうのか……。

 

『……それにしても、やっぱ地図のあの丸って此処のことだったんだろうね』

 

 その情報初耳なんだが、と九音をにらみ付ける。

 

『……だって、すっごく良い情報だって言ったのに八幡くんが聞いてくれなかったし』

 

 そう言われれば、ファミレスで何か言ってたな。つまり、今回の出来事は偶然ではないのかもしれない。

 

「……小町、一つ聞きたいんだが、どうしてこの銭湯に来たんだ?」

 

 少し低くなる声。その声に小町はそっぽを向いて、小さく、とても小さく呟いた。

 

「怒らない?」

 

「当たり前だろ、小町。可愛い小町のことで俺が怒るわけねぇだろ!」

 

「キモい……えっとね、実は此処、曰くつきの銭湯でね、何でもサウナに厳しいお爺さんの霊が出るんだって。ルールを守って入らないと呪われるって」

 

「えっ? そうなんすか、サウナに入ると入り口に誰かが倒れてて出られないとかじゃなかったですっけ」

 

 小町に近づく羽虫が驚いたとばかりに目を丸くしていた。ギャルメイクを落とした元ギャルが呆れたような目で見ている。

 

「いや、そんなの一言も言ってないケドぉ……サウナに幽霊が出るとしか教えてあげてないじゃん」

 

「……そういや、それ言われたんで自力でパソコンで調べたっす」

 

 駄目だ、コイツ……役立たず。

 

「それで? どうして、このか、かわ、かわ」

 

「川崎大志っす!」

 

「おう、こいつに教えてやらなかったんだ?」

 

「お兄さんぅ、そんなこと教えたらぁ、サウナ入らないかもしれないじゃないですかぁ。だから、黙っておこう、って……あーあ、またここもガセだったかぁ」

 

 元ギャルはがっかりと肩を落としている。というか、こいつら、怖い……さりげなく川なんとか大志を実験台にしてやがった。中学生たちってこんなに気軽に呪いとか扱っちゃうの……? 文化が違いすぎる。

 

「というか、そんな話どっから持ってきたんだ……」

 

 少なくとも千葉県内の掲示板や学校掲示板に目を通している俺は初めて耳にしたような話だった。

 

「えっとぉー、うちの学校に十何年前だっけ? 忘れちゃったけど、ひこーしきのオカケンがあったらしいんですよぉ」

 

「……オカケン? あぁ、オカルト研究会か研究部か」

 

「そーそー。何でもその部活の二人がある日一人が神隠しにあって、その翌日にもう一人が熱で死んじゃったとか」

 

 二人……あぁ、なるほど。確証なんてない、間違っているかもしれない。それでもその消えた人数と俺が勘違いしていた人数が同じなのは偶然とは考えにくい。

 

「その時の地図が見つかったんだよねぇ、うちの中学校で。それでおもしろそーってなって何人かに声かけてたんだけど、来てくれたのこまっちゃんと大志だけでぇ……私、嫌われてんのかなぁ……」

 

 ちょっと悲しそうに呟く元ギャル。いや、嫌われてるも何も――。

 

「いやいや、そんなことないよ! 皆、忙しかっただけだよ!」

 

「そ、そうっすよ! ぜんぜん、そんなことないっすよ!」

 

 必死こいてフォローする二人を他所に俺は一つの事実を言い当てる。

 

「いや、あんな厚化粧してたらフツーに浮くだろ……」

 

「お兄ちゃん! 馬鹿っ! デリカシーゼロッ! 八幡ッ!」

 

「ちょっと、小町さん、その最後は俺の名前……最近、何か俺の名前が普通に悪口になってない? 違うからな、八幡って八百万の依代ってすっごい壮大な感じだからな。もしくは八幡神、戦の神様。八幡イズゴッドだぞ……」

 

「意味わかんないし! お兄ちゃん、謝って、早く!」

 

 俺はギャル子に対してペコりと頭を下げる。

 

「いや、悪かった、すまん……」

 

「そっかぁ、メイクかぁ、浮いてんのかなぁ……でも、上手にメイクできないしぃ」

 

 その悲しげな呟きに俺は。

 

「あー、それなら……丁度、教えてくれそうな奴に心辺りあるわ」

 

「ほんとぉ? お兄さん」

 

「あぁ。その代わり、一つ条件がある」

 

 相変わらず最低な交渉方法。これが神相手なら間違いなく怒りに触れるレベル。なんなら人間関係においても嫌われちゃうレベル。 

 

「えっとぉ……お金あんま無いし、エッチなことはちょっとぉ」

 

「お兄ちゃん最低……」

 

「お兄さん最低っす……」

 

 もじもじとするギャルと軽蔑の視線を寄越す中学生二人。こ、こいつら俺を一体、何だと思っているんだ……。

 

「ちげぇよ……俺が頼みたいのは、地図だ。それをくれ」

 

「地図ぅ? 地図って元オカケンのぉ? いいけどぉ、どうしてぇ?」

 

「……最近、試験勉強もせずにオカルトスポットに行く中学生がいるらしい」

 

「あははー、それ私ぃ」

 

 からからと笑うこぎゃるに俺は頭をさげる。

 

「ちょ、ちょっと、お兄さん、急に何ぃ……」

 

「頼む。駄目か?」

 

「……わ、私はいいけどぉ」

 

 ちらりと顔をあげれば大志は頷き――そして、小町はぶんぶんぶんと首を横に振っていた。

 

「小町、かーちゃんに告げ口されたくなかったら黙って縦に頷いとけ」

 

「はぁ!? そ、それ卑怯じゃない、お兄ちゃん! さっき怒らないって言ったくせに!」

 

「いいか、小町。大人になるってのは愚痴をこぼしたり、汚い嘘を吐いたり、卑怯な手を使ったりすんだ。ついでに言えば俺は怒ってないがかーちゃんが怒らないとは言ってない」

 

「ひ、卑怯じゃん、そんなの」

 

「ふっ、そんなに褒めんなよ……というわけで小町以外の意見がいいならくれ。というかお前らもこいつの友達ならオカルトスポットに行ってる場合じゃないって気づいてくれ。うちの小町はバカなんだ……」

 

「ば、バカじゃないもん! そ、そりゃあ最近、成績は落ちたけど……明日から頑張るもん!」

 

「いいか、明日野郎はバカ野郎って言う言葉があってな」

 

「小町、女だし」

 

「そういう意味じゃねぇよ……というわけで頼むわ、なんなら土下座してもいいぞ」

 

「そ、そういうのいいよぉ! で、でも、小町ちゃんが成績上げたら返してあげてほしい……」

 

 そういって持っているリュックから一枚の紙切れを取り出す。中身を確認してみれば三つの場所に円が書かれていた。そして、その内二つは今日巡った場所。

 

「……お兄ちゃん、ちゃんと成績あがったら返してよね」

 

「あぁ、考えてやる」

 

「……ちゃんと返してね」

 

 小町の弱弱しい懇願に俺は縦に頷く。そして本心は――返すつもりはない。こんなものは二度と世に出回らせるつもりはない。そんな俺の本心を判っている唯一の幽霊は。

 

『ほんと、悪い男だよ、君はさ』

 

 何とでもいえ。ともあれ、こうして俺は春の後始末、中学生たちの後始末を終えた。それでも不可解なことはまだ残っている。

 

 俺が見た中学生二人組について。色々と可能性を考えながら中学生をそれぞれの家へと送る、一人目は男子、二人目はコギャル。そして最後に小町と並んで家まで。

 

 どうやらかなりご立腹らしい。今日あった色々な出来事を鑑みれば暫くは口を利いてくれなさそうだ。そのうちスイーツでも買ってご機嫌を伺いますかね。

 

 そうやって諸々と終わらせて部屋に戻って九音に尋ねる。

 

「なぁ、九音。お前、銭湯で坊主頭、廃墟では三つ編みの中学生見てたよな?」

 

『えっ……見てたけど、八幡くんも見えてたの?』

 

 そう、そうなのだ。俺と九音は見えていたにも関わらず、お互いがそれを認識できていなかった。

 

 確かに俺はあの坊主に話しかけていないし、三つ編みにも声をかけていない。そもそもがコミュ力なんて死んでいる身だ、わざわざ話しかけなどしない。

 

 だから、俺が見えたことに意味がある。何が悪いのか、あの二人が何を示すのか。

 

 ――いや、考えてみれば都合は悪いか。

 

 何せ、小町が追っているオカルトの話に関わる存在だ。俺にとって悪以外の何者でもない。

 

 こうして地図を没収した以上、今後出遭うことはないだろう。たとえ、中間と期末のテストがあがったとしても無くしたと言っておけば諦めがつくだろう。そう考えればもう関係ない話、終わった話なのだ。

 

 それでも俺の中に一抹の不安が残る。

 

 円の数は二ではなく三。

 

 少なくとも三つの怪異の話がある。そしてその内二度は本当にあったのだ。

 

 一つは付喪神。もしくは人形の幽霊の成れの果て。

 

 一つは地縛霊。もしくはサウナのヌシ。

 

 そして最後は何だ? 鞄の中から地図を開き、その場所は都心部近郊の建物のようだ。

 

 二つが本物だから三つ目も本物なんて短慮だと楽観視する俺が居る。けれども俺を生かしてきた勘が言うのだ。二度あることは三度ある、と。

 

 故に俺はこの目印に近づかないよう心がけよう。そして俺はその心がけを形にするべくスマホで危険と記された場所を調べる。そして同時にその場所が俺みたいな一般庶民には何の関係も無い場所だと悟り、警戒を少しだけ緩めた。

 

 高層ホテルなんて高校生になんの関係の無い代物。俺はそのウェブページを閉じて、明日の準備に取り掛かる。まずは水を補給しなきゃな。クローゼットの中に隠してあるウォータータンクをポンプと漏斗を使って零さないようにゆっくりと空の五〇〇ミリペットボトルに注ぐ。そして二本目に取り掛かる。

 

『あれ? 二本とも使ったの? どこで?』

 

「別にいいだろ……。それよか、九音、小町の様子を見てきてくれねーか? 機嫌悪そうだったからな」

 

『別にいいけど、あれぇ……? いつ使ったっけかなぁ?』

 

 消えていく九音。背後から完全に気配が消えたのを確認してから、ようやく俺はマスクのように手で口を押さえる。顔に熱が帯び始める、こんな表情を誰にも見られたくなど無い。

 

 火照る顔の熱、その理由など考えもせずに、俺は水を注ぐのを再開した。

 

「……っ、勘弁してくれよ」

 

 脳裏に過ぎるのはずっと同じ出来事。その出来事を俺は口にしない。きっと、誰にも言わないだろう。誰にも言えないだろう。

 

 清めの水を注ぐ、サウナの熱が残留したかのように火照る顔を手で仰ぎながら。




※今回で今章は終わりです。少し構成が甘かったと感じています。楽しんで頂けると幸いです。
※前作完成を優先してほしいとの要望がありましたので色々と吟味した結果少しだけ前作完成を急ぎます。ご理解いただけると幸いです。
※立夏→次章→次々章で二巻分は終わる予定です
※感想、評価、ここ好きありがとうございます。凄く嬉しくてエネルギー貰ってます。感想返しが無味乾燥で申し訳ありません。クオリティや更新速度といった面で返還できるよう誠意努力します。
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