「何だか怪しい空模様だな……こんなことなら傘、持ってくりゃよかったぜ」
退屈な期末考査も明日で終わり……雛見沢での記念すべき二回目の夏休みを間近に控えてるってのに、まだまだ梅雨明けは遠いようだった。
「……ちぇ、こうずっと雨ばっかりだと嫌になるな」
こんなときレナがいればな。あいつはいつもやけに準備がいいから、俺が傘を忘れたといえば、どこからともなく不思議と傘を取り出して来るに違いない。
それでもって相合傘なんかしちゃったりして。同級生の女子とふたりでひとつの傘の下、イチャイチャしながら下校ってのは男の永遠のロマンってやつだ。
……魅音のヤツが卒業しちまってから、はや数か月。
俺が委員長と部長を継ぐことになったとき……魅音は、俺にだけあの部活の設立秘話を教えてくれた。俺が転校して来る前年、まだ悟史が雛見沢にいた頃の話だ。
沙都子と悟史を引き取ったっていう叔父夫婦はそれはそれは悪い奴らで……ふたりに暴力を振るったり、食事を抜いたり、虐待を繰り返していたらしい。ダム戦争でダム賛成派だった両親のせいで村八分ってのにも遭ってたそうだ。
そんな状況で家にも村にも居場所のない沙都子のために、魅音と悟史が協力して……学校で楽しく遊べる環境を作ってあげたってのが真相だったらしい。俺はもっとこう代々続いて来た歴史ある部活なんじゃないかと思ってたんだが……。
だから俺は、魅音の遺志を継ぐつもりで部活の会則を変えていった。(「圭ちゃん!あたしゃまだ死んでないよ!」と聞こえてきそうだが……。)
過激な罰ゲームやイカサマやラフプレーは禁止、ゲームもルールが簡単なものを選んで、とにかく分校生徒が誰でも参加できるように敷居を下げたのだ。……俺が卒業した後も、虐待されていた昔の沙都子みたいな子の居場所になれるように。
イカサマやトラップが主力の沙都子が省かれる形になったのは想定していた。沙都子といつも一緒にいる梨花ちゃんが部活をやらなくなるのも分かっていた。だがレナが部活に参加しなくなったのは……俺の、計算外のことだった。
沙都子は初めこそブーブーと文句を言っていたが、すぐに部活どころではなくなったので自然と離れていった。例の沙都子の叔父が雛見沢に帰って来たのだ。まあ過去が過去だけに梨花ちゃんや詩音がすごい形相で詰め寄ったのは言うまでもない。
俺はよく知らないが、沙都子の叔父は沙都子に頭を下げ、真摯に謝罪をしたらしい。園崎にも詫びを入れ、これからは真面目に働いて、家族である沙都子と一緒に暮らしていきたいと梨花ちゃんと真剣な話し合いをしたって話だ。
叔父との同居を受け入れ、梨花ちゃんの家を出た沙都子は、詩音と一緒に協力して家事をして、北条家で悟史を待つことにしたらしい。
ひとりになった梨花ちゃんはといえば……詩音が昔行ってたという全寮制のお嬢様学校を目指すことにしたと聞いた。分校の学習進度では追いつかないので、放課後は家でずっと自主的に受験勉強をしているんだとか。
ふたりが部活に参加しなくなったのはそういうわけだ。
だが、レナも部活に参加しなくなったのは理由が分からない。
部活に参加しないってことは俺と下校することもなくなったってことだ。
以前は毎朝レナと待ち合わせて登校していたが、レナは最近俺を置いてすぐに出発してしまっている。……俺、避けられてんのかな。だとしたら結構ショックだ。
すっと空気が冷え、日が落ちたと勘違いしたひぐらしがなきはじめる。
……ぽつ、ぽつ、と頬に水滴が落ちた。
ん?と見上げると、バケツをひっくり返したような大雨が降り注ぐ。
「うおぉぉおおぉ!!やべー!マジで降って来やがった!」
そういえば近くに屋根のあるバス停があったな、と思い出し、砂利道を蹴って全力で走り出す。前も見えない滝のような豪雨の中、必死にバス停へ向かって駆け抜けた。
「はぁー、やれやれ……ひどい目にあった……」
ぐしょぐしょに濡れたシャツのすそを絞りながら、バス停のベンチに座る。
ったく、ゲリラ豪雨ってやつか?困ったもんだぜ……。
バス停の中は気味の悪い張り紙でいっぱいだった。ダム戦争に反対するビラやら御社様とか祟とか呪とか殺とか朱墨でびっしり書き込まれた呪文のような怪文書やら……もうダム戦争も何もかも過去のものだと分かっていても気味が悪い。
さっきよりは雨も弱まったみたいだが……ざあざあと降り続ける雨はバス停から見える雛見沢の景色を白く染めている。こりゃあ、まだ降りそうだな……。
と、そこに……。
「はぁ、はぁ……!もう~、びちゃびちゃだよぉ……はぅ~!」
息せき切ってレナが飛び込んできた。
「よう、レナ。できればシャワーは服脱いでから浴びたほうがいいと思うぜ」
「もう、圭一くんってば、そうやってすーぐ意地悪ばっかり言うんだから」
頭からつま先までびっしょり濡れたレナは文句を垂れながらスカートを絞っている。レナの身体には濡れたセーラー服がぴったりと張り付いて、健康的な肌や淡い桃色の下着に包まれた胸のふくらみをくっきりと透けさせていた……。
やべ、鼻血☆
レナと目が合い、いやらしい目で見ていたことを咎められると思って目を逸らす。
何も言わず、レナはただ……くすりと笑って俺の隣に座った。
……なんだか調子が狂うぜ。
「そ、そういえばレナ、最近何してんだ?この頃、一緒にゴミ山行ってないよな」
「あぁ、あれね……もういいかなって。圭一くんのおかげでもうお庭に置くところがないくらい、たくさん集まったんだぁ~☆」
最近、レナとはゴミ山に行っていない。それどころかレナ自身がゴミ山でのかぁいいもの集めをやめてしまっているのだ。理由は、実は……俺は気づいている。
「ふーん。そういや親父さんは元気でやってるのかよ?」
「あはは、元気だよ。何でも会社で新しい仕事任されたとかで張り切っちゃって~!レナ、お父さんが元気でとってもうれしいの」
レナの家庭は複雑で、ご両親の離婚後、親父さんはずっと酒浸りで働かずに家でゴロゴロしていたらしい。レナはそれでずっと悩んでいて……ある日魅音に相談して考えをまとめ、親父さんと一対一で話し合って立ち直らせたらしい。
その話をだいぶ後になって聞かされた俺は……レナのことをすごい奴だと思った……と同時に……俺には相談してくれなかったんだな、と寂しい気持ちにもなった。
要するに、家に居場所がないからゴミ山で遊んでいたわけで……それが解消された今となっては別にゴミ山通いをする必要もなくなってお役御免。
実はコイツ……俺に惚れてるんじゃないか?なーんて思ってた頃もあったっけ。
……まぁ、盛大な勘違いだったってわけだ。
暇潰し相手の友達、レナにとって、俺は……その程度の存在だった。
「圭一くん?どうしたのかな?……かな」
「あ、あぁ……いや別に……」
レナにそう問いかけられ、ふと顔を上げる。
オレンジ色の髪が濡れて頬に張り付いて、なんとなく色っぽかった。
俺の勘違いが解けると同時に、気付いたことだが……。
レナには……本音を隠して、レナを演じているようなフシがある。
コイツと一年付き合ってようやく、レナが表情や言動とは裏腹に心の中で別の事を考えているとき、それを何となく感じ取れるようになってきたのだ。
例えば今は「圭一くんと雨宿り楽しいな~はぅ~☆」と振舞っているが……「何だか気まずいなぁ、早く雨があがってくれないかなぁ」と考えていると分かる。
「なぁレナ、夏休みはなんか予定あるのかよ?」
レナは一瞬何か言いたげな表情をして、それから少しだけ間を空けて……言った。
「うん、受験勉強……しようと思って」
「受験勉強?」
「レナね、魅ぃちゃんの入った高校に行きたいんだけど……今のレナの学力じゃ厳しいんだって。だから穀倉にある大きな学習塾の夏期講習に行くことにしたの」
「そうか……ま、確かに分校の学習進度じゃ興宮高校はちょっと厳しいかもな」
雛見沢分校は知恵先生一人で小中学生全員の勉強を見ている都合上、授業の進み具合は相当遅い。……中三の夏なのにまだ中二半ばくらいの授業をやってるはずだ。
「圭一くんは?何か予定があるのかな、かな?……はぅ」
「……いやまぁ、俺は……別に何もないぜ?」
「……それ、嘘だよね?」
レナに急に冷たい声で呟くようにささやかれて、ドキッとした。
「レナ、知ってるから。別に隠さなくていいよ」
レナは鋭いなぁ……やっぱりコイツに隠し事はできないな。
「別に隠すってほどのことでもないんだけど……俺、岐阜市の進学校を受験しようと思ってるんだ。だからレナよりレベルの高い進学塾に通って、合宿にも行くと思う」
「どうしてなのかな……かな?」
「……雛見沢ってさ、綺麗なところだよな」
「……うん」
「この村って農業以外、何の産業もないだろ?はっきり言ってみんな笑えるくらい貧乏でさ……この村に若い人が少ないのって、よそに働きに出てるからなんだってな」
綿流し祭のシーズンに急に村に人が増えるのは帰省して来るからだと聞いた。
「これから日本はどんどん経済が発展して……そうなると雛見沢はこのまま取り残されちまう……近場に仕事がないならみんなよそへ移っちまうからな……」
村のリーダーの園崎だって実際には……雛見沢の外で事業をやってるわけだ。
「これは魅音に聞いた話なんだけどな、雛見沢には21世紀に向けて高速道路を誘致する計画があるらしいんだ。たぶん……金沢なんかの拠点港と中京工業地帯を繋ぐ物流需要をにらんだ話なんだと思う……」
レナにはおそらく……半分も分からない話だろう。
「太い幹線道路が高速道路のインターから雛見沢を通って興宮へ抜けてさ……荷物を一杯載せたトラックがばんばん走って、物流センターが出来て、お店がたくさん建って、村人が仕事に困ることはなくなるし、今よりずっと便利になる」
でもな、と一旦話を止める。
「……そしたらこの綺麗な雛見沢はさ、ダムなんか作られなくたって……いずれなくなっちまうと思うんだよ……」
「そうだね……そうかもしれないね」
「だから、俺……東京の大学を出てさ、役人とか政治家になって……雛見沢を国立公園とか世界遺産に登録して、観光地にしてずっと残したいって思ってるんだよ……観光地だったら金も稼げるし、高速道路が通っても綺麗なままで残せるだろうしな」
「……そっか、うん……圭一くんなら、きっとできるよ」
レナがニッコリと笑って言った。
「ま、まぁ……そう言われると照れるけどな……まだ口だけだし、どうすりゃそんなことができるのかも、今の俺には分からねえしよ」
「じゃあ……夏休みは去年みたいにみんなでたくさん遊べないんだね」
「沙都子も叔父さんと過ごすだろうし、魅音には高校の友達がいるしな……梨花ちゃんも俺たちと同じで、夏期講習で塾通いだろ?たまには集まれるだろうけど……」
「うん、みんなで集まって……楽しく遊ぼうね!はぅ~!」
レナは微笑んでいる。でも、本当に考えていることは、きっと違うんだろう。
今の俺の目には……全身で「寂しい」と訴えているように見える。
みんなそれぞれ人生があって、それぞれ進む道が違う。
だから友達だからって……ずっと、一緒にいられるわけじゃない。
……それは、レナも分かってはいるんだろう。
「あっ、雨あがったね」
「やれやれ、やっと帰れるな……」
「じゃあね、圭一くん!レナこっちだから!」
俺が立ち上がってバス停を離れて歩き出すと、レナは弾かれたように、子供みたいに……俺とは逆方向に走り始めた。……なんというか……忙しないヤツだ。
通り雨がやんで、雛見沢の上には真夏のような青空が広がっている。
びちゃびちゃの濡れた服に、熱い太陽の光が当たってやけに不快だ。
……この姿を見られたらお袋に傘くらい持っていけってどやされそうだなー。
「────けぇーいちくぅーーん!」
遠くからレナが呼ぶ。俺は振り向く。
眩い光の中、レナが手を振っているのが見えた。
「────約束っ!忘れちゃったのかなぁーー!……かなっ!」
「なんだってぇーレナ!?約束ぅーーー!?明日なんかあったっけーーー!?」
遠くて、レナの顔がよく見えない。
一瞬だけ泣き笑いのような表情をして、レナはその手の甲で顔を拭った。
「────ううんっ!なんでもなぁーーーい!」
レナはただ青く澄んだ空を背に、逆光の光暈の中で微笑んでいる。
その光景はまるで写真のように切り取られて、焼き付いた。
夏の日差しに、ひぐらしがなきやんで。
────ひょっとすると、俺は……君の事が好きだったのかもしれない。