それは小さく、でも確かなもの。
心の一番深い場所に、キックを入れてくれるもの。
人は皆、それを知っている。
だからそう、求めてやまない。

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アオき灯火は揺らめいて

「大喜くん、コーヒー平気だっけ?」

「あ、はい頂きます」

 キッチンに立つ千夏先輩の背中を見ながら、テーブルの前で固まっている俺。猪股家に来たばかりの頃、先輩もこんな風に緊張したんだろうか。あれからもう、二年になるけど。当時とは俺も先輩も、大分変わったと思う。

 栄明を卒業した先輩は、結局家族とは合流しなかった。と言うかその時点での先輩には、家族のいる海外へ行くという選択はなかったのだ。高卒資格だけ持って向こうへ行ったって、脛をかじることしか出来ないから。一先ずは大学を出て、最低限生活できる能力と資金を確保してからどうするか決めるのだと言う。

 先送りと言えばそうだけど、間違ってはいない。親御さんも認めてくれたし、うちの親が身元を保証して独り暮らしをすることとなった。

 そして俺は今、千夏先輩の部屋にお邪魔している。1Kバストイレ別2.8万という激安物件で、もしかすると事故物件かもしれないとか。でもまあ、先輩の眩しさを前にしたら、悪霊だって砂になって消えていくだろう。

 ……なんだかソワソワするのは、霊障とかではないはずだ。二人きり、だからだ。出されたコーヒーを飲みながら、そう思う。

 猪股家では、俺たちが二人きりになることは殆ど無かった。有ったとしても、いつ誰が来るか分からないから下手に動けなかった。でも今は違う、ここは千夏先輩のプライベートな空間。誰も邪魔をしない、そんな場所。

 だから、そう。俺たちは――。

 

 初めてキスをしたのは、秋風の吹く中だった。

 好きだけど、好きだから。離れたくなくて、でも近くにいるのが辛くて。夏が終わっても、心は癒えないまま。引きずり続けていた。千夏先輩に嫌われたくない、でも今のままではいたくない。そんな堂々巡りの俺は、それでも。それでも、耐えられなくなった。

 千夏先輩のことなんか、考えなかった。ただ一方的に、気持ちをブチまけていた。

 殴られたって文句は言えない、そんな状態なのに。でも千夏先輩は、黙ったままそれを聞いてくれた。

 全てを聞き終えた先輩は、涙を浮かべて俺を抱き締め、――キスしてくれた。

 でもそのキスは、俺が期待した意味ではなかった。

「ありがとう。けど今は、応えてあげられない」

 先輩の瞳から溢れた涙が、頬を濡らしていく。俺の視界も涙で歪みだし、先輩の泣き顔さえ見えなくなっていく。

 分かっていたのに。先輩が、俺を受け入れてくれる筈がないのに。

 分かっていたのに、涙が止まらない。

 分かっていたのに、――。

 でも声を上げて泣きじゃくる俺を、先輩は更に強く抱き締めて。涙に声を震わせながら、言ってくれた。

「……卒業するまで、待って……」

 

 体の良い拒絶だと思った、でも俺は信じた。只の同居人として過ごす日々の先に、きっと望んだ未来があるのだと。でも時間が経てば経つほど、後悔だけが膨れ上がっていくばかりで。もう一度先輩に自分の気持ちを伝えたい、何度そう思っただろうか。それで袖にされてしまえば、そこでもう苦しまなくて済むから。

 そんな思いを抱えたまま、先輩が猪股家を去るのを見送って数ヵ月。家の端々に焼き付いた先輩の気配は消えることなく、俺を苦しめていた。もしあのLINEがなかったら、俺は押し潰されていただろう。

 飛んできたのはケープ君のスタンプと、そして一枚の地図画像。言いたい事があったら無言で良いからこのスタンプを送って欲しい、とあの日言ったのを思い出すまで、ほんの数秒。千夏先輩は俺を呼んで、何か言おうとしている。そう理解すると、居ても立ってもいられなくなり、俺は画像に示された場所へと駆け出していた。

 そこにあったのは、一件の賃貸物件。そしてエントランス前には、千夏先輩が立っていた。ほんの少ししか経っていない筈なのに、何年も逢っていないかのように心がざわめく。

 千夏先輩は、約束を守ってくれた。そう、確信する。

「遅いよ」

 ちょっと怒った風に頬を膨らませて、俺を抱き締めて。あの日のように、涙を浮かべてキスしてくれた。

 でも、その顔は微笑みを湛えている。

「私も、大喜くんが好き」

 あの日の返事を受け取った俺の目からは、あの日のように涙が溢れて止まらない。

 でも、その涙は暖かくて、幸福で――。

 

 告白されて嬉しかったけど恐かったんだよ、と千夏先輩は照れ臭そうに笑っている。あの頃の千夏先輩は、バスケ以外の全てを切り捨てなければならない状態だったから。もし俺を受け入れてしまったら、――恋をしてしまったなら、自分が自分で無くなってしまう。でも、それでも。

「私は大喜くんが好きだから、嫌いになんかなれないから。だから、待っていて欲しかった」

 勝手な事ばっかり言ってるね、と自嘲する先輩。そんなことないです、とはさすがに言えない。先輩は自分勝手で、言葉が足りなくて、不器用だ。俺と一緒で。

 二人きりの部屋の中、俺たちは笑いあう。

 これからはもう、隔てるものは無い。

「先輩、好きです」

 あの日の言葉を、もう一度。もう一度、口にしてみる。

 今までずっと、そして。これからも、ずっと。

 俺の中に、アオい炎を灯し続ける言葉を。


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