pixivにも上げています。
「月が一夜ずつ形を変えるように、僕たちの関係も変わっていく」
「なんですの、それ」
「今、即興で考えた」
「大概ロマンチストですわね、あなた」
新芽が顔を出しはじめた季節。すっかり雪も溶けたが、いまだ突き刺すような冷気が肌にささる。
初めは暗かったグラウンドも日が頂点まで達するほどに時間が経過していた。
トレセン学園の練習場でメジロマックイーンはクールダウンをしていた。蹲踞でぼんやりと空を眺めるトレーナーの姿を横目で見ながら。
トレーナーは自分の息がどこまでも上に上っていくのを眺めて、消えてはまた息を吐き眺める。
意味などないのは本人もわかっているだろうに、どうしてそんなことをし続けるのかマックイーンには理解できなかった。
「それに、月が形を変えるわけではありません」
「それいっちゃあおしまいでしょ」
「月も、人と人との繋がりもそれ自身が意思を持って変わるわけではありません。見ている側が変わったと思い込んでいるだけです」
とかく人やウマ娘等知性のある生き物は、無機物に意思を持たせようとする傾向にあるとマックイーンは考えていた。
水筒が汗をかく。箸が飛んでいった。膝が笑う。
水筒は汗をかかないし、箸はひとりでに飛ばないし、膝が笑い出すわけではない。
それらは結局はただの生理的な反応や物理法則によるものでしかない。
「事物に意思を持たせたとしても、それは結局エゴでしかありません。自分がそう思っていることを言葉なきものたちにそう押し付けているだけ」
マックイーンには嫌悪に値するほどの一番唾棄すべき表現がある。
「ましてや、勝利の女神が微笑んだなど」
馬鹿馬鹿しい。
マックイーンは頭頂から伸びる耳から足先まで全身の身の毛がよだつほどの憤怒を覚える。頭をかきむしりたくなるほどの苛立ちとやるせなさを感じる。
勝利の女神などいない。そんなものが微笑むだけで勝てるのであれば最初から勝敗が決しているようなものではないかとマックイーンは思っていた。
人間には三大欲求という原始的な欲求があるがウマ娘にはそれからもうひとつ、走る欲が加わる。
普通のウマ娘たちもそれに駆り立てられるように走ることが生活の一部となっている。
さらにここはトレセン学園である。走ってウマ娘のなかの一番を決める場所において、ウマ娘たちの中でも一際膨大な欲求を抱えている。
それこそ誰もが必死になって、死に物狂いで練習している。その努力の尊さをメジロマックイーンは誰よりも知っていた。
だから、彼女は思うのだ。
勝利の女神などいない。いるのは勝者と敗者だけ。
そうでなければ、いけない。
そうでなければ、努力が無駄になってしまう。
そうでなければ「前から思ってたけど、この耳暖かいなぁ」
「ひゃっ!? な、なにを?」
マックイーンの心中は灼熱のような感情で煮立っていた。寒空の下であっても、その冷気が全く気にならないほどに。
それほどまでに煮立ったマックイーンの神経は研ぎ澄まされていた。中でも葦毛が覆う耳は、どのような小さな音でさえ拾うほどの感度になっている。そこに冷えた手で触れられたマックイーンはたまらずに声を上げ、その手の主の方を睨んだ。
「やっぱり俺はとびきりのロマンチストじゃないとダメだわ」
気づけば、トレーナーはマックイーンの背後に立っていた。かじかんで先端が赤くなった指先を暖めるように丹念に白煙を吹きかけている。
「そうじゃないと、現実に足とられて転んじまうだろ」
「……現実は、ものではなく抽象的な概念でしかありませんが」
「ツンツン言う悪い口はこれかー?」
「ひゃ……やめ、やめひぇふだふぁい!」
マックイーンにとって自分のトレーナーは異質な存在であった。メジロ家として生まれそれに恥じない生き方をしてきた。その一生の中で男性と接する機会も少なくはなかった。しかし、その全員がマックイーンを子どもではなく一人の小さな大人として礼節を持って接する人達であった。
少なくとも、無断で人の体に触れるようなことはしないし、ましてや耳を触ったり頬をつまむなんてことはしなかった。
マックイーンにとって考えられないような常識外れの男性であるのは間違いないが、どうしてかマックイーンは彼と契約を結んだ。
「マックイーンは難しく考えすぎなんだよ」
昔に思いを馳せていると気づけば、トレーナーは頬から手を離し、笑いながらそう言い放った。
「難しく考えているつもりはありません。ただ、どうなってもおかしくないように常に最悪を想定しながら、自分にとっての最善を追求しようとしているだけです」
冷静に振り返ると彼の行動はマックイーンにしてみれば失礼極まりない。
しかし、突拍子もなさすぎて怒りよりも先に驚きが来てしまい、怒りを感じようとした瞬間にはトレーナーは離れているのだ。
「そのせいで自分の首絞めてしまうのは本末転倒ではありませんかって言ってんのよ」
「そんなこと……あり得ません」
すぐに否定するつもりだった。
しかし、マックイーンは言葉に詰まってしまう。思い当たる節がありすぎたから。
「勝ったか負けたか。良いか悪いか。二極に分けると物事ってのは分かりやすい」
その通りだと思う。
「でも、人生ってのはそんなもんじゃないと思うんだよなあ」
「意見の押し付けでしかありませんわね」
「前回の結果。ずっと考えてるんだろ?」
これだ。
トレーナーのこういう部分がマックイーンにとっては一番不快でたまらない部分である。そして彼をトレーナーとして採用した理由でもあった。
不意に先ほどまでの流れなんか無視して、本当に一番触れられたくない場所を直に掴んでくる。マックイーンが逸らしたくて、逃げてはいけない核心そのものに。
「あれは、俺のミスだ」
彼は吐き気を催すほどの抗いがたい甘言を弄してくる。
そう思わないとマックイーンは冷静にいられないから。
彼の言葉にその通りだと、他人に責任を押し付けられたらどれほど良かったことだろうか。その可能性を思い描いてはすぐに消す。
「マックイーン、君は強かった。間違いなくあのレースの勝者は君だ。そして、俺が君を表彰台から引きずり下ろした」
トレーナーの言葉はどこまでもマックイーンをかき乱していく。
怒髪天を衝く。憤怒に湧く。自分の中に言い表せない感情が煮立っていくの自覚する。怒りに打ち震えているはずなのに、喪失感や虚無感もあり、薄く笑うトレーナーにそんな顔をしてほしくないという祈りさえ抱いてしまう。
不可思議で説明のしようがない自分の心。
彼の言葉を否定しようとした。そうではない、そうではないのだとマックイーンは口を開こうとする。
しかし、それよりも先にマックイーン達の間に割って入った声が聞こえた。
――い~しや~きいも~♪
ぐぅ~~~~~~っ
「~~~~~~っっ!」
マックイーンの口よりもお腹の方がよっぽどうまく感情を表すことが出来ていた。
マックイーンの全身は煮立ってしょうがない。違う意味で、そうではないのだと口を開きたくなった。彼に弁解をしたくて堪らなかった。
「勝者には、ご褒美がないとな」
トレーナーは髪が乱れるほどにマックイーンの頭を撫でながらそう言った。
「私は何も言っていません!」
また、無断で触れられた。それが不快で仕方ないはずだった。自分はそこまで何も卑しくはないと否定したかった。
「……まあ、午後に備えてエネルギーを補給するのはやぶさかではありませんが」
自分とトレーナーは男女であり、了解もなく触れられるのは不快でたまらないはずなのに、マックイーンは振り払う気にはなれなかった。
多分、先ほどまで見せていた消え入りそうな笑顔が消え、いつもの目元に涙が浮かぶほどに大笑するトレーナーの表情が見えたから。
「本当にあなたは突拍子もない事ばかりしますわね」
「とびきりのロマンチストだからな」
「いえ、ロマンチストというよりは……っ!」
「どうかしたか?」
「いえ、なんでも」
――晴嵐のようですわね
そう言おうとした言葉をマックイーンはかみ殺した。
彼は晴れの日に吹き渡る風ではない。陽光に暖められ、勢いを増し気の向くままに吹く風ではない。
ただのトレセン学園に所属する一トレーナーである。
彼の言葉に浮かされて、夢見がちになりそうになった自分の心をマックイーンは律した。
「五個あればいいかな?」
「そんなに卑しくはありません!……三個……ぐらいで」
「はははっ!」
「も、もう!」
マックイーンの話も半分に、トレーナーは焼き芋屋の屋台に向かって歩き出していった。
マックイーンは後を追うように歩きだす。
クールダウンも終え、汗が気化して体は冷えているはずなのに、マックイーンは不思議と寒くはなかった。先ほどまでの煮立った感情が胸の内を占めているわけでもない。
理由は分からない。自分の中の感情の澱が消えたわけではない。
ただ、晴嵐に攪拌されたせいで、紛れただけなのかもしれない。
それでもマックイーンの足取りは軽かった。
マックイーンは焼き芋を想像する。
サツマイモは熱でデンプンが分解され糖分になる。舌の上で後を引くほどの粘度を持った魅惑的な甘さに想いを馳せていた。工夫しないと手が糖でべたついて取るのが大変である。如何に手を汚さずに食べきるかを苦心していた時もあった。けれど、手についた蜜を舐めとるのもマックイーンは嫌いではなかった。
だから、攪拌されたのではなく、自分で感情を熱しすぎたのだとマックイーンは思う。そのせいで少しだけ分解された。
醒めればまた澱に還ってしまう。
気分が軽いのはこの瞬間だけなのだろうと思う。けれど、この瞬間をマックイーンは大切にしたいと思った。
『審議の結果。メジロマックイーン選手、他のウマ娘の進路妨害により18着となります!』
メジロマックイーンにとっては全力を尽くした結果だった。だからこそ、その判決は到底受け入れられるようなものではなかった。
どうして。その発表があった時。そんな感情がマックイーンの中で頭の中に渦巻いていた。
――どうして、あなたは勝利したのにそんなに悲しい顔をしているのでしょうか。
――どうして、あなたは私のせいで結果的に、転倒しそうになったというのにそこまで申し訳なさそうな顔をするのでしょうか。
――どうして、おばあ様。私に慰めの言葉をかけるのでしょうか。敗者でしかないのに。
どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして、どうして。
『あれは、俺のミスだ』
――どうして。私はあなたにそんな顔をさせているのでしょうか。
「!?」
マックイーンの視界に天井が映る。伸ばしたその手は空だけを掴んでいた。
「夢……ですか」
虚しさと安堵が隣合わせになったこの感情をマックイーンは言葉に表せなかった。ただ、彼女の体に張り付く汗が気持ち悪い。
「汗を……流しましょうか」
シャワールーム。
熱いほどの湯でマックイーンは汗を流す。
周りからしなやかと形容される四肢も衣服を脱げばアスリートとしての肉体そのものだ。
質量を持った上腕、薄く割れた腹筋。肥大した大腿から下腿にかけてボディソープを乗せた両手を滑らせていく。
メジロの名に恥じないウマ娘であるために、マックイーンは努力を重ねた。
比喩ではなく本当に血が滲むほどの負荷で、血反吐を吐くことさえいとわないほどの過酷さのものであった。
それゆえの強烈な自負。絶対的な自信。自惚れであるという自覚がマックイーンにはあった。しかし、他人にそう言われるのは許せなかったし、そんなことを思うことも出来ないほどの実力を見せつけてきた。
その自意識はこの世界において、唯一抜きん出て並ぶものなどないと本気で思うほどであった。
「私は驕っていた」
菊花賞、阪神大賞典、天皇賞(春)。
出走したレースに弱者など1人もいなかった。気を抜けば、負けがチラつくほどの猛者だらけであった。
しかし、その中でマックイーンはただメジロとしてのプライドを以て勝利を掴んだ。
初めて土をつけられたのは宝塚記念。
メジロライアン。彼女の走りは凄まじいものであった。
マックイーンは毎試合ごとに全存在を懸けて一つ一つを走っていた。手を抜いたことなど一切ない。
しかし、心の中で驕りがあったのだろう。慢心があった。絶対的な自負がマックイーンを曇らせた。
実力は拮抗。
勝つか負けるか、それはどちらがメジロを体現しているか。その心身のあり方がメジロたることが出来ているかとさえ言えるものであった。
「ライアン。結果として彼女こそがメジロの体現者だった」
どれほど脚を使っても追いつくことが出来なかった。マックイーンはスパートをかけライアンの背を差そうとした。しかし、どれほどペースを上げてもライアンとの差が縮まることはなかった。
回転を上げ、鬼気迫ると言われるほどの追い上げをしてもライアンには追いつくことは出来なかった。
彼女はスパートをかけていなかった。いや、かけ続けていたのかもしれない。どちらにせよ、彼女のペースは最終直線から変わってなどいなかった。
だから、マックイーンは末脚を使えば逆転の目があると信じていた。しかし、現実はそうではなかった。
マックイーンはその脚を以てバ身を縮める。
その差をライアンが一歩踏み込んだだけでなかったことにされた。
どれほど詰めても簡単に突き放され、結局、一バ身の差を以てマックイーンは敗北した。
ライアンにあって、マックイーンにないもの。マックイーンが抱いていて、ライアンにはなかったもの。
様々な可能性を思考して、たどり着いた一つの結論。
「甘さなんていらない。理想にうつつを抜かしてはいけない。もしもは努力を鈍らせる。私は現在を見つめるだけ」
それだけに邁進し続けてきた。
高潔であれ。高貴であれ。模範であれ。エゴを捨てて、他者への思いやりを第一とせよ。
その敗北は自分を見つめ直す奇貨としようとマックイーンは自身に言い聞かせながら毎日を過ごした。
「じゃあ、現実に裏切られた時はどうすればよいのでしょうか……」
天皇賞の春秋連覇はマックイーンにとってはメジロに生まれたものとして並々ならぬ熱意で挑むものであった。
「『どれだけ攻めてもいい。今の君なら絶対に勝てる』」
マックイーンが走る前に言われたトレーナーからの一言。口に出せるほど鮮明に覚えている。
「あの言葉で私も浮かれていたのでしょう」
今でこそ、自分のレースにとって欠かせない存在となっているトレーナーだが、出会いはマックイーンにとって衝撃だった。悪い意味で。
『これ以上やるとケガするぞ』
『ひゃ、ひゃあ!……な、なんですのあなた!? レディーに断りもなく触るなんて。それも尻尾を!』
ウェイトトレーニングの小休止を終え練習に取り掛かろうとするマックイーンを、尻尾を掴んで止める存在などこの学園に居てはいけないと思った。
「やっぱり、あの人は失礼極まりないですわね」
『やるたびに、バーベル持ち上げる動きが鈍くなってる。そのうち間違いなくケガする。皆黙ってるのはお前があまりにも必死過ぎるからドン引きしてんだよ』
「ああ、もう本当にうるっさい!」
思い出すだけで、マックイーンは地団駄を踏みそうになるのを堪える。
「けれど、あの人の言う通りでしたわ。本当に腹立たしいことに」
マックイーンは周りが見えていなかった。その苛烈さは勢いだけが空回りした空虚なものになっていた。
ふと周りを見れば、マックイーンに向けられる視線は奇異なものや心配そうな目、畏敬の視線など。決して負の感情ではなかった。しかし、メジロの名を背負うものが向けられるものでもなかった。
「それに気づかせてくれたことだけは……その……感謝していますわ」
気づけば、マックイーンは彼と契約を結んでいた。
『君なら勝てる。絶対に』
メイクデビュー直前。
自分に対する自信があるとはいえ、初めてトゥインクル・シリーズに足を踏み入れようとするマックイーンに向かって彼が放った飾り気のない言葉はどんな声かけよりもマックイーンを奮わせた。その言葉に応えるように確かな勝利を掴み取った。
「だから、あの時も私は勝たないといけなかった」
『どれだけ攻めてもいい。今の君なら絶対に勝てる』
メイクデビュー以降、トレーナーはトレーニングが過度になりすぎないように調整する以外は、マックイーンの好きにさせていることが多かった。試合でも頑張れとか、いつも通りなと当たり障りのないことしか言うことはなかった。
そんな彼が秋の天皇賞直前に、そう声をかけたのだ。
マックイーンは勝利を持ち帰りたかった。春秋の盾を揃える。それは一族の悲願であり、彼への恩返しに他ならないと思っていたから。
「ええ、浮かれていた。私はまた、大事なところで周りが見えなくなっていた。それだけは確実ですわ」
外枠から抉るように内に攻めた。限界を攻めていった。自分の持ちうる全てをぶつけた。見えていたのは鈍く光る盾だけ。
歯を食いしばって、今までのレースで背負ってきた期待や責任や、感情に後押しされてマックイーンは5バ身も突き放した。
「そんな余裕も見せないで走るもののどこに高貴さがあったでしょう。高潔さが見えたでしょう。模範と言えたでしょう」
進路妨害による降着。
それは、フェアプレイに終始する王道ではなく、力任せに突き進む覇道を歩んだものの当然の結果でしかなかった。マックイーンは今なら理解できる。
「私はどうすればよいのでしょうか」
慢心を捨てた。メジロ家としての責務を全うすることだけに注力することに決めた。
しかし、それも無意味だった。
結局は周りが見えなくなっていた。どうして、その理由を自分の中で考える。
思い当たるのは一つだけ。
「あの人の言葉……」
マックイーンの理性では結論が出ていた。しかし、それを口に出すことはどうしてか、したくはなかった。
「どうすれば、よいのでしょうか……」
最も確実で冴えた答えは胸の中にある。しかし、マックイーンはそれを選びたくはなかった。一番に目立つそれを除けながら、最善を思考する。
「私は、どうすれば」
結局マックイーンは答えが出せなかった。
ざあざあと、シャワーから吹き出るお湯をただその身で受け止めるだけだった。
「……シャワーを浴びながら考え事をするのはちょっとやめましょう」
布が擦れるだけでヒリヒリとする足を撫でながらマックイーンはそう決意した。
冷めた飲み物で気持ち程度のアイシングをしていると、シャワールームの出入口の方からドタドタと大きな足音が聞こえてくる。
「あー、マックイーン! こんな所にいた!」
「声が大きいですわよ、テイオーさん」
マックイーンを見るや否やトウカイテイオーは不機嫌そうな声を上げる。
鹿毛の髪と、中央から垂れる白い流星が彼女のスター性を現しているようであるとマックイーンは常々思っていた。
青い瞳は海を思わせるようにどこまでも澄んでいる。本人に言うと調子に乗って面倒極まりないので、マックイーンは黙っているが。
「声が大きいじゃないよ! マックイーン、ボクのメッセージずーーーーっと無視してたでしょ!」
「?……メッセージ?」
何を言ってるのかはじめは分からなかったが、すぐに答えにたどり着く。
「ああ、すいません。さっきまでシャワーに入っていたもので、手元にスマホが」
「ふーん、へー、ほー」
「……なんですの? その態度」
「いやー、50分ぐらい時間かけてシャワーに入って、そんでもって丁寧に足のケアをしてるなんてオジョーサマはシャワールームをお風呂かなにかと勘違いしてるのかなって」
「……ご想像にお任せしますわ」
そんなことはなかった。しかし、釈明すると自分の情けないところまで白状しなければいけないと思ったマックイーンはテイオーの言葉を流す。
「うわー、嫌味だなー。まあ、いいけど。……じゃあ早速いこっか?」
「なんの話ですか?」
テイオーの言葉には全く脈絡がなかった。何の話か見当もつかなかったマックイーンは困惑気味に聞き返す。
「だーかーら、今からボクとゲームセンターに行くよって話!」
「聞いていませんわ」
「ニシシ、答えは聞いていないのだー♪」
テイオーの理不尽極まりない提案に呆れてしまう。しかし、屈託のない笑み、断られないだろうという自信、心から楽しみにしているような声音、そんな彼女の天真爛漫さにマックイーンは断りきれなかったし、嫌ではなかった。
ゲームセンター特有の大音量の音楽や効果音が痛いほど耳に響いてくる。マックイーンは頭が痛くなってしまいそうなこの空間が苦手だった。
「あなたって本当に身勝手ですわね。いつか周りから誰もいなくなってしまいますわよ」
だからだろうか、マックイーンは思わず言葉がきつくなったのを自覚しながらもテイオーに悪態をついた。
まるで、自分を見ているようだなどとはマックイーンはつゆにも思っていないが。
「えー、大丈夫だよ」
「また根拠もなく」
「ボクがマックイーンのことを気に入っているんだよ? じゃあ、マックイーンは絶対にボクのことを気に入っているはずじゃん」
「……っっ」
マックイーンは言葉に詰まった。やはり、テイオーは自分とは違うと改めて認識する。身勝手な行動、驕った考え、慢心、自分が今まで失敗してきた全てを内包してなお、やり方を改めようとしない。マックイーンは本当にテイオーのそういう側面が[[rb:嫌いで>眩しくて]]しょうがなかった。
「どうしたの、マックイーン?」
「早く案内してください」
「あれれ、乗り気じゃなかったんじゃないの?」
「じゃあ、もう帰りますわ」
「もうー、冗談だってばー」
どこからどこまで気に入らなかった。マックイーンは抱いたこの気持ちから目を逸らすようにテイオーにエスコートを促す。
初めに案内されたのは、格闘ゲームだった。
「ぷぷぷー、マックイーン。どうしたの? ボク、ダメージ受けてないんだけど」
「その遠くから攻撃するやつ、おやめなさい! なんですのそれ!」
「対策出来てない方が悪いんだもんねー」
「こっちは初心者ですのよ!」
手も足も出ずに嬲られるだけになったマックイーンは、その闘争心を刺激され気づけば10戦ほどしていた。そしてようやく
「あ、当たりましたわ!! 見なさいテイオーさん! あなたに一矢報いましたわ!」
試行錯誤した末、初めて当たった一撃。感極まったマックイーンは思わずテイオーに向かって叫ぶ。
「おめでとう、マックイーン」
そう祝福するテイオーの表情は穏やかなものだった。
そして、マックイーンの画面に表示されるのは敗北した際のリザルト画面。試合の途中で叫んだこを思い出したと同時に、前の筐体から押し殺したような笑い声が聞こえる。
「ボクの勝ちだけどね、ぷぷぷ」
「あ、あ、あ、あ、ああああああ! もう知りませんわ!」
油断していた。詰めが甘かった。それもテイオーの前で情けない姿を晒してしまったことがマックイーンの羞恥をさらにくすぐる。恥ずかしさを誤魔化すようにマックイーンは立ち上がった。
「次! 行きますわ!」
「……てっきり止めるって言うかと思ったよボク」
「アナタに負け越すわけにはいきませんわ!! 私はアナタよりも強いことを証明して差し上げます!」
「……そういう所なんだよ」
「テイオーさん! 次のゲームはなんですの!?」
マックイーンには何も聞こえない。ただ、思い描くのはライバルと認めた相手に対する完璧な勝利。それだけだった。
「じゃあ、次は音ゲーだね」
「難しそうですわね」
「画面に譜面が流れるから、譜面に沿って床にある矢印を踏むだけだよ」
「なるほど。では、難しいからやってみましょうか」
「このゲームそういう難易度じゃないんだよね」
以前、テイオーに教えてもらった太鼓を叩くゲームではそういう難易度表記であった。ゲームによって違うことをマックイーンは把握すると、質問を続ける。
「では、テイオーさんがクリアしたことがある最高難易度は?」
「え?」
「アナタに出来て、私に出来ないものなんてないでしょう?」
「……バカだなあ。マックイーンは」
癪に障る言い方なのは間違いない。しかし、その声は言葉とは裏腹にひどく穏やかで、マックイーンはあまり激昂することはなかった。
「うーん、……ボクがクリアしたことがあるのは16までかなあ」
「そうですか、ではそれぐらいなら簡単にクリアして見せましょう」
「ふーん、期待してるよ」
マックイーンは吠え面をかくテイオーの姿を想像するだけで、気力が満ちるのが分かる。実力の違いを見せつける。マックイーンはそれだけに注力することを決めた。
「はぁ……はぁ……んっ……ま、まあ……はぁ……このぐらい……」
「ちょ、ちょっと。マックイーンそろそろ」
「まだ! 私は一曲も! クリアできていませんわ!」
「そうじゃなくって!」
物事に貴賤はない。だが高を括っていたのは間違いなかった。
音ゲー程度。
その慢心がマックイーンの目を狂わせた。
テイオーにカードを借りて挑戦したその曲の難易度に足がついていかない。リズムが分からない。譜面が意味が分からない。何が何だか分からない。
膨大な視覚的情報量による心理的な混乱。画面を認識する思考と、足の動きが一致しない。追いつこうとする気持ちが理性を隅に追いやっていく。目的がなんだか分からなくなり、自分自身が何をしたいのか分からなくなってしまう。
ただ、脳裏に最後まであるのはテイオーに勝つという意思だけ。
だから、マックイーンは挑み続けた。同じ曲を20クレジット分は挑戦した。その結果、譜面は覚えた。後は体をそれに馴らせるだけ。時間の問題だった。だというのに、テイオーは止めようとするのが、マックイーンには気に入らなかった。
「だーかーら! 後ろみなって」
気づけば、列ができていた。次にプレイしたいユーザーが手持ち無沙汰にスマホを弄っている。自分の意地でずっと筐体を独占していた。子供じみた行為を自分が行っていたことに羞恥を煽られ、全ての熱が集まっているかのように顔が熱い。
「つ、次に行きますわよ! テイオーさん!」
テイオーを引き連れて逃げるようにマックイーンは筐体を後にした。
「このゲーム、一番難しくありませんか」
「クレーンゲームで獲物を直接狙うのは、まだまだだなあ」
「いえ、そういうゲームでしょう。これは」
目の前のアームには商品を掴むための爪がついている。これでしっかりと掴むことで商品をゲットできる。そういうコンセプトのはずであるなのに、テイオーは、直接狙うことが間違っているという。マックイーンにはその言葉が理解できなかった。
「目に見えるものだけが全てじゃないんだよね」
マックイーンが3000円かけてもちっともかすりもしなかった商品。あっさりと排出口に落ちていく。テイオーは決して爪で掴みはしなかった。ただ、ずらしただけ。一度も無駄な動きはなかった。ゆっくりとしかし、大胆に、爪が開くタイミングなどを考慮した上でのアーム操作。思わず、文句を言うのも忘れただテイオーの技術に食い入るように眺めるだけになっていた。
「はい、これが欲しかったんでしょ」
「え、ええ。ありがとうございます」
テイオーは有無を言わさず商品を手渡してくる。
手の中にあるのはデフォルメされたフクロウのぬいぐるみ。別に知っているキャラクターではない。しかし、くたびれた雰囲気と軽薄そうに笑う表情がどこか気になっただけ。
「マックイーンのトレーナーさんみたいだよねぇ、それ」
「……私のトレーナーはフクロウではありませんわ」
「ブーブー、たとえ話じゃんか。なんで分かんないのかなあ、マックイーンはさあ」
その存在はその存在でしかない。間違っても、他の存在足りない。マックイーンのトレーナーは人間である。間違っても、フクロウのぬいぐるみではない。
それは、マックイーンが常に思うこと。でも、それだけでは余りにも図々しすぎる。
「当たり前のことです。私のトレーナーは私のトレーナーでしかありません。ですが、その」
施しを受けたのであれば、感謝するのが最低限の礼儀である。それはマックイーンも痛いほど自覚していた。しかし、口が上手く動かない。
「その……あ、……あり、……あ、あ……ああ!もう! なんで私がここまでしなくてはいけないんですの!?」
「急に怒らないでよぉ」
「ありがとうございますわ! これで貸し借りありません! いいですわね!」
「怒りながら感謝されたらどんな気持ちで受け取っていいか分かんないよぉ」
マックイーンもどんな気持ちで感謝していいか分からずにから回ってしまう。いつもはからかわれてばかりなのに、今回にはどこにも隔意が見当たらない。だからこそ、自分の怒りも見当違いなのは自覚しているが、強い口調になってしまうのを抑えることは出来なかった。
「ねえ、マックイーン。今日は楽しかった?」
ゲームセンターを後にして、夕暮れ時の赤く染まった帰り道を二人は並んで歩く。
マックイーンはテイオーのその質問をすぐに答えることは出来ないでいた。
「それは……難しい質問ですわね」
「えー、楽しくなかったってこと?」
「いえ、そうではありません」
「じゃあ」
「楽しいというよりも、夢中になっていた。というのが適切ですけれども、この気持ちは楽しいだけで終わらせるのは少々味気がないなと思いまして」
「あー……」
最近はずっと走ってばかりいたマックイーンにとって今回のお出かけは新鮮な出来事の連続だった。それこそ、あんなに固執していたはずのレースのこと短い時間だったが頭の隅にも存在しなかった。
けれど、それは楽しいとはまた別なような気がする。
目の前のゲームに対して何度も試行錯誤を繰り返しながらできることを増やしていく過程、ドンドンとのめり込んでいくワクワク。楽しいというよりももっと別のもっと大きな感情で表現したいとマックイーンは思っていた。
「それはね、マックイーン、楽しいじゃなくて、最高って言うんだよ!」
「最高、ですか」
「うん。楽しいの限界を越えて、自分の中にあるもの全部出し切って、それでもまだ越えられない、それでもずっとしがみついていたい。もう意地だけになって気力だけでも、離すことはない、自分の魂が震えて、その中に刻まれるくらいの出来事に会った時、最高って言うんだよ」
「なるほど」
「マックイーンは今日は最高だった?」
「いえ、別に」
「はああああ?」
別に、自分の魂が震えてそこに刻まれるほどの衝撃的な経験と言うには薄い。だから、この感情は最高ではないのだろうと思う。しかし、この瞬間がずっと続けばいいのにと思ってしょうがなかった。こんなことを言うと調子に乗ってしまいそうで言わないが。
その感想に、端正な顔が台無しになるほど驚いた表情をするテイオーにマックイーンはつい吹き出してしまう。
「なんですの、その顔は」
「あっ!」
「突然、大きな声出すのやめていただけます?」
「久しぶりにマックイーンの笑った顔見ちゃった~」
「アナタ、私のことをなんだと思っていらっしゃるんですの?」
心外だった。こう見えても、メジロに連なる者として、余裕は崩さずに生きてきたつもりだった。周りの人間のせいで、少々荒っぽくなってしまうこともあったが、それでも笑みは絶やしていないつもりだったから。
「でも、さっきみたいに自然に笑っているマックイーン。久しぶりに見たよ」
「それ、は……」
照り返しの加減か、テイオーの姿がよく見えない。
「なんて言うのかな。何にもないただのメジロマックイーンの笑顔だったよ。……マックイーン気づいてた? 家のこととか、やらなくちゃいけないこととか、沢山あるんだろうけど、ずーっと怖い顔してたよ」
その言葉に返す言葉もなかった。
「マックイーンってやらなくちゃいけないとか、そうじゃなきゃいけないみたいな頭カチコチの考え方してたけど、最近は特に酷かったもん」
「な、そんなこと!!!」
「だからさ、ボクがゲームセンターに行こうって言った時ついてきてくれて、実は嬉しかったんだよ?」
そう言いながら、テイオーは松葉杖を横に置き、柵に体を預けながらゆっくりと川を眺める。
「みーんな頑張ってとか、早く待ってるとかは言ってくれるけどさ。それだけだ。本当に慰めの言葉ばっかり」
結局、可哀想な子扱いだもんね、とテイオーはギブスが巻かれた左足を小突きながら薄く笑った。
マックイーンには彼女に対してなんて言葉をかければいいのか分からずに黙ったまま、テイオーを見つめる。
「キミだけだよ、今のボクの遊びのお誘いにケンカ売ってくるのは。みーんな、受けてくれても遠出しようって行ったら結局は足の方をチラチラ見て断るか、延期されちゃう。それは仕方ないよ。でもね、じゃあ、走れない今のボクは前のトウカイテイオーとは違うってことなのかな」
「よく分かりませんわ」
マックイーンには何も分からない。
「あはは、そうだよ。ボクにも何にもわかんない。でも、キミだけは違うと思った。キミだけはボクのことなんか頭になくて自分が行きたいかどうかで判断する無神経なウマ娘だと信じていた。そしてそれは確かにそうだったんだよね」
「何が言いたいのか全く分かりませんわ。その話、長くなるなら帰ってもよろしいでしょうか」
「出た出た! そういう所だよ。……そういう所にボクは救われているんだ」
最後はよく聞こえなかった。しかし、口元を見る限り、テイオーは何かを呟いていた。ただ、それを聞き返すのも野暮だと思い、マックイーンも詮索することはしなかった。
「だから、ボクはさ、今のマックイーン見ててイライラしてたんだよね」
「ケンカ売っていますの?」
「え、そうでしょ」
「アナタは!」
「走ることが楽しくないくせに、走り続けるキミって見てて面白くなかったよ」
その言葉はひどく冷たかった。そして、目を逸らすことの出来ない事実にほかならなかった。
「ボクたちはもっとずっと自由だよ。どうして走っているのかなんて考えないでしょ。走りたいから走る。それだけだったんだ」
幼い頃のマックイーンはただ風を切る感覚が気持ちよくって、体力が尽きるまでよく走っていた。
その時は走る理由なんて考えてもいなかった。
「でも、勝って強いって言われてさ、今まで気にも留めなかったようなものも背負って走らなくちゃいけなくなって、楽しいことが楽しくなくなった」
メジロを背負った。一族の悲願が目の前まで来た。あの人に届けたい。純粋だったはずの走るという行為に様々な付加価値が付けられた。ただ、走ればよかったものに、品格を、優雅さを、美麗さを、高貴さを、今まで考えもしなかったものを背負うことになってしまった。
あまりにも重すぎる荷物。マックイーンにはがむしゃらにそれを全部こなすしかなかった。
「でも、それでさ、追われるように走って勝利しても、見てる方はちっとも楽しくないんだよ」
勝ったか負けたか。目に見えるそれだけではないとトレーナーは言っていた。
単純な物事だけで全てが決まるとマックイーンは信じていた。しかし、テイオーもトレーナーもそうではないという。マックイーンにはその言葉がまだよくわからない。
「ボクたちがどうしようもないほど、走りたい。ワクワクしてるうずうずしてる。すぐそこに手に入る。それだけしか見えていない。何が何でも手に入れたい。自分自身がそう思っている」
高鳴る鼓動を抑えるようにテイオーは胸を掴みながら、言葉を続ける。
「それが、勝者だ。持つべきものの在り方だ。ボクたちは選ばれた存在だ。他の子じゃたどり着けない場所にいる。その栄光を掴むことが出来る。一握りの存在だ。じゃあ、死に程喜ぶしかないじゃないか。自分の魂が震えてその中に刻まれるほどの衝撃だと、最高だって言って全員が呆れるぐらいに勝利を喜ばないといけない」
「だって、そうしないと負けた子たちの立つ瀬がないじゃんか」
その声はひどく寂し気な声だった。
「まあ、ボクにはもう無理な話だけどね」
その言葉を耳にした瞬間、マックイーンは燃えるような怒りが宿るのを実感した。
「だから、キミには分かってほしかったんだよね。キミは勝てるウマ娘だ。その才能がある。だから走るのが楽しくてしょうがないって気持ちで走ってほしい。そうしないと勝てるものも勝てない。誰も喜ばない。だから、楽しいって表情を、感情を思い出して欲しかった」
どうして目の前のウマ娘は既に終わったかのように振舞っているのだろうか。どうして、もう走れないと決めつけているのだろうか。あれほどまで走ることが楽しくてしょうがなかったはずのあの表情は少しの間だけ走れないだけで搔き消えてしまうような薄っぺらなものだったのだろうか。
マックイーンは訳の分からない感情に突き動かされる。
「テイオーさん」
「どうしたの」
「今のアナタは不快でしょうがないですわ」
「え!?」
「まずは、感謝を述べておきます。本当に今日過ごせた時間は私にとって有意義でした」
「それは……どういたしまして」
「だからこそ、ですわ」
この感情はどうしようもなくマックイーンの中で滾ってしょうがない。
「私たちは選ばれた存在だとアナタは仰いました。他の方ではたどり着けない場所にいる。その栄光を掴むことが出来る。一握りの存在だと」
「うん」
「だと言うのに、アナタの今の振る舞いはなんですか!? もう無理な話? 笑ってしまいますわ! まだアナタには両方の足がついているではありませんか。走れないわけがない! 目指せない訳がない。薄氷の上だとしても、小さな可能性を掴むものだとしてもアナタはいつだって笑って、余裕そうに笑って勝ちを掴んでいた」
少なくとも、その程度の障害で全てを投げ出すような柔な思考ではなく、図太さの塊だった。
「最強無敵のトウカイテイオーなのでしょう? アナタに敵うものなど1人もいないのでしょう!? トウカイテイオーはいつだって、どこでだって、不敵に微笑むウマ娘です!!!」
「……少なくとも、私から見たアナタは確実にそうだった」
「……ズルいなあ、マックイーンは」
「覚悟しなさい!!! 次の天皇賞春。私は勝ちます。誰よりも鮮やかに! 高貴で美しく! これがメジロの在り方だと走りで証明して見せます。そして、最後にインタビューでアナタに宣言します」
もう、マックイーンはどうでもよかった。そんなこと考えていなかった。それは無理だと思う気持ちもわいていた。でも、それ以上にこの感情はマックイーンの全てを突き動かしてしょうがないのだ。
「アナタのような諦めたものが嫉妬してしまうほど強烈な言葉を誓いましょう!!! アナタはテレビの前で無力さに震えてしまいなさい!!!!」
「なんだよぉ……なんだよぉ……」
マックイーンは引くに引けなくなった。もう、やるしかなかった。彼女に残された道はただ、それだけだった。
「どうして、あんなことを言ってしまったのでしょうか」
控室で、以前のやり取りを思い出し、マックイーンは自分の発言に後悔していた。勢いに任せた行動に頭を抱えていると、ドアのノック音が聞こえる。
「……空いています」
すぐに姿勢を正し、高貴たる振る舞いを意識する。
自分のためではなく、一族のため、自分に流れる血脈のため。勝利のためにはそれだけに邁進して走ることが全てだと思っていた。
「よ、調子はどうだ」
「このレースは初めてではありませんわ」
「それだけ、跳ねっかえりが強かったら大丈夫だな」
いつも通りのやり取り。それだけで気持ちが幾分か落ち着く。自分の中でトレーナーの存在の大きさを改めて再認識したマックイーンは咳払いをする。
「んんっ。今回もいつものように走るだけです。高貴で、優雅で、誰もを魅了するように」
「いい気合の入り方だな」
「私には背負っているものがありますわ」
これは自分に対する鼓舞だった。
「おじい様、おばあ様、お父様、お母様、メジロに連なる者たち。そして、テイオーさん。あのおバカさんに見せつけて差し上げましょう」
「なるほど」
「そして」
いつもとは違う、スーツを身に纏ったトレーナーの姿。改めて、トレーナーの姿を見たせいで普段とのギャップに口が上手く動かなくなる。最後に言うはずだった言葉も飛んだ。
「そして?」
疑問を向けるトレーナーの視線が痛い。
羞恥のあまり、ネクタイを掴んで、彼の体を手繰り寄せる。
「アナタに見せて差し上げますわ! 瞬き一つしないでください!!!」
呆気に取られた表情を見て後悔する。脱力して彼のネクタイから手を離す。しかし、離したその手は温もりに包まれた。
「君なら勝てる。絶対に」
真剣な表情。思い出すのは過去の辛酸を舐めた屈辱。夢にまで出てくるほどの忘れがたい記憶。
そのはずだった。
「……もう一回、言ってください」
「君なら、勝てる。絶対に」
「それだけじゃなくて、もっと近くで!」
「は?」
「頭が寂しいです! もっと近くで励ましてくださいませ!!!」
もうやけくそだった。気づけば、ただ、マックイーンは思ったことをすぐに口から出していた。
パドックを抜けてゲートの中で時を待つ。
思うのは、トレーナーの表情。腹が立つようなテイオーの切ない顔。
今日に至るまで楽しく走れたかは分からない。しかし、約束をした。胸に誓った。
勝利を捧げるしかマックイーンに道はなかった。
ゲートが開かれる。
逃げるウマ娘の後に続き先頭集団の中でメジロマックイーンは機会を窺う。
焦ってはいけない。ただ、今までを信じて走るだけ。
以前は焦っていた。ただ走ったその先にだけ目が行っていた。しかし、そうではない。
走っているのは、今ここだから。
向こう正面に入る。
まだ、機会ではない。その時を待つ。
第三コーナーに入った。
後続がドンドンと勢いを増してくる。その足並みにつられてマックイーンもギアを上げてしまいそうになった。しかし、それではダメだった。
――ここではない。だって、ここではまだ、楽しくないから
3200m、後半になるにつれ、息が苦しくなってくる。それはどれだけ走り慣れたとしても変わるものではない。しかし、その過程の中、磨かれて行った感性でマックイーンは虎視眈々と機を狙っていた。
今までは足りないもの、余計なものを切り離してきた。自分を構成したモノではなく、自分の中の不要な物ばかりを見つめていた。
しかし、そうではなかった。
――私が勝った時はそんな小さなこと考えてはいなかった
肺が締め付けられる。長距離特有の、頭がクラクラとする感覚。
周りのウマ娘だってそうだ。彼女たちもこの感覚からは逃れられない。しかし、マックイーンは彼女たちと自分は違うと思っていた。
――だからこそ、楽しい。難しいこと全部放り投げて、ただただ走ることが楽しい
苦しい。だから、笑みがこぼれる。
胸が痛くて仕方ない。だから、このまま限界を目指したくなる。
足が重たい。だから、意地でもフォームを保ちたくて仕方ない。
体が、頭が、心が、魂が、マックイーンを構成する全てが、今この瞬間震えていた。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと。
もっとその先へ!
腕を振れ! 足を上げろ! 全身で酸素を取り込め! この瞬間を余さずに味わい尽くせ!
高貴だとか、優雅だとか、使命だとか、義務だとかくだらない。
くだらないことに囚われている。くだらないことに囚われ続けた結果、生まれたのが自分だとマックイーンは考える。でも、悪くはないのだ。だからこそ、マックイーンは気兼ねなく走ることが出来る。この世界で選ばれた一握りの存在として誰もが羨む栄光を手に入れられるチャンスがある。
それは、なんと素晴らしいことか。
――私は愚かだった。
一族など、テイオーなど、トレーナーなど、この楽しさに比べれば全てが些末でしかない。嘆いていた。勝てないことばかりに思いを馳せていた。
――この楽しさを全部味わい尽くせるのは私だけ。これだけは他の誰にだって邪魔させたくはない
楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい。
この時間がずっと続けばよかった。それだけを切に願っていた。しかし、終わりはいつだって、突然だ。
「マックイーン!!!!」
その声で意識を取り戻す。気づけば、マックイーンの周りには誰もいなかった。それに見たことのない場所コースの上だった。
「ん?」
立ち止まり、振り返るとゴール板は遠く。
気づけば、ゴールしたのも忘れてマックイーンは走り続けていた。
電光掲示板が目に入る。
「マックイーン」
一着の場所にあるのはメジロマックイーンの文字。
実感がわかない。
「君の勝利だ。やっぱり、君はすごいウマ娘だ」
理解が追いつかない。しかし、二文字だけはマックイーンの中に確かに入っていった。
勝利。勝利。勝利。勝利。勝利。
「やりましたわああああああああああ!!! 勝ちましたわあああああああああ!!!」
何ものにも代えがたい。魂が震えるような歓喜、興奮。一人では到底抱えることが出来なかった。誰かに伝えたかった。早く誰かと分かち合いたかった。
「勝った! 勝った! 勝った!」
「お、おい急に抱き着くなって」
誰かなんてどうでもよかった。ただ、この感情に突き動かされていただけだった。
「なんて恥ずかしいことをしてしまったのでしょうか」
マックイーンは控室で先ほどまでに自分の軽率な行動を恥じていた。あんなに大胆な行動をするのは淑女としてあるまじき行為だった。
「あ、あれは事故みたいなものですので」
「よ、マックイーン」
「!?!?!?……こほん、先ほどはお見苦しい姿をお見せして申し訳ありません」
「あ? いいよ。びっくりしたけど。可愛かったし」
「な!?……んんっ、どんな用件でいらっしゃったのでしょうか」
これ以上、ペースをかき乱されないように、マックイーンはトレーナーの本題を尋ねる。
「どんな用件って、決まってるだろ。インタビューの時間だ」
『では、今回の天皇賞春の勝利を掴んだマックイーンさんより言葉を頂きたいと思います』
「凄いなあ、マックイーンは」
トウカイテイオーは自分の部屋で、スマホでインタビューの様子を眺めていた。
『今回の勝利は私一人だけでは成しえませんでした』
テイオーはマックイーンが眩しかった。どんな苦境からも逃げずに立ち向かうその姿勢にテイオーも影響されたものが間違いなくあった。そして、彼女の姿を通してテイオーは高潔の意味を知った。
『私には背負っているものがあります。メジロ家の悲願。全ての模範足りえるように振る舞う覚悟。それらが私に力を与えてくれました』
「やーい、頭でっかちー」
その言葉は布団の中で途絶えてしまう。
誰にだって届かない言葉。
今のテイオーは走ることは出来ない。完治したとしても、また元のように走れる保証などない。だから、テイオーはターフではなく、布団の中から彼女をからかうことしか出来ていなかった。
『しかし、この勝利を捧げたい人はまた別にいるのです』
「まーたかっこつけちゃって」
『一人は、私をここまで導いてくれたトレーナーです。それは間違いありません。彼は素晴らしい人です。私がここまでやってきたのは彼無しにはあり得なかった。沢山のことを教えていただきました。私のこと、もっと速く走れる方法。長く走れるようにする方法。その全てが私の中で根付いて確かな実力になっているのです』
「デレデレじゃんか」
『彼とならどこまでだって目指せる。敗北の数など関係ありません。彼と一緒に挑み続ける限り、勝利を掴むことが出来る。そして証明しました。ですから、今回の勝利は彼に捧げる勝利です』
どこまでもまっすくだとテイオーは思った。入学して一目見た時から、テイオーはマックイーンの美しさに見惚れていた。そして、彼女を良きライバルとして思っていた。
しかし、それはもう過去に過ぎない。
「キミは先に行っちゃうね。マックイーン」
自分は一握りの存在から零れ落ちた。それだけだった。
その事実がひどく虚しくさせる。
『そし私のトレーナーとはまた別でこの勝利を捧げる人がいます』
「……」
『トウカイテイオー! 見ていますか!!!!』
「!?」
『私は最高でした! この世界で一番走ることに夢中になっているのは私でした! それは間違いなかった! 最高です! 最高に気持ちいい!!! ああ、こんなに楽しくてしょうがないなんてこと、私すっかり忘れていましたわ!!!!』
「ああ」
『それを思い出させてくれたのはアナタ!!!! でも、アナタはもうこの気持ちよさを味わいことが出来ないんですのね!!!! だって、諦めていますもの!!!!』
「ああ、もう」
喉が熱い。もう高貴さなんて全部放り投げた、前のめりな宣言にテイオーは笑ってしまいそうになる。
『私の知っているアナタがいるべき場所は! ターフだけ! それ以外にアナタが一番楽しいと思える場所はない! 絶対です。間違えるはずがありませんわ!!!!』
「ボクのこと……いうけどさ。キミも……大概だよ」
『アナタは私のライバルだから!!!! 私が思っているんです。アナタだって私のことをそう思っているに違いありませんわ!!!!』
「嫌だなあ。キミのそういう所」
『悔しいですか!? 悔しいでしょうね! アナタはもうずっと私の態度が気に入らないでしょうね。でも、私はアナタの態度の方がもっとずっと気に入りませんわ!!!!』
「本当だよ」
『だから、早く!!! ここまでいらっしゃい!!! 私はアナタよりもずっとずっと楽しみます!!!! この世界で誰よりも走ることを愛していると!!!! アナタのちっぽけな走ることに対する感情を笑ってあげます!!!!』
もう、限界だった。視界が滲んで画面が良く見えない。
『……来年、待っていますから』
「本当に……自分勝手だよ、キミ」
本当によくわからなかった。どうしょうもない感情だけがテイオーの胸のうちで渦巻いている。練習から遠ざかっていたはずなのに、体が、心が、魂が走りたくて、たまらない。
――だが、足はまだ満足に動かせないのに、気持ちだけが先行しても
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
体が、心が、魂が震えている。だと言うのに、頭だけが恐れていた。
「よっし」
だから、吹き飛ばした。全部、全部。
全身から追い出しても追い出しても、残っているものがある。
今のテイオーに必要なのはその魂の震えだけだった。
「ふっふーん。テイオー様はふめつなのだー♪」
欺瞞だ。偽物だ。強がりだ。虚勢だ。
どうやったって、元には戻れない。しかし、魂だけは本物だ。この震えは間違いない。だから、テイオーはそう振舞う。
嘘だって、つき続けばそれが真実になるはずだから。
「月が一夜ずつ形を変えるように、僕たちの関係も変わっていく」
「以前もそう言っていませんでした?」
「結構気に入ってるんだよ」
「大概ロマンチストですわね、あなた」
あれから何度も敗北と勝利を重ねた。しかし、後ろを向くことはなかった。自分の中の欠点を探すことは止めた。
ただ、マックイーンは自分の心に従うだけだった。
そのせいか少し変わったこともあった。
「それに月は一夜ずつ、形を変えるわけではありません」
そう言いながら、マックイーンはトレーナーの姿をじっと見つめる。
「常に変わり続けています。不変などあり得ません。……そして、この気持ちも」
「思いは募るばかりです」