Chloe 〜メスケモTSっ娘が異世界で幸せになる話〜   作:ふえるわかめ16グラム

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01 好奇心は酔っ払いを殺す

 黒江基晴(くろえもとはる)(27)。フルネームの後ろにつく数字が増えることが年々嫌になる今日この頃、彼はまた一つ歳をとった。

 だがしかし、毎年律儀に祝ってくれる友人がいるだけ自分は幸せ者かもしれないと黒江は心のうちで苦笑した。彼はテーブルを囲む、バリエーション豊かな三人の野郎どもの顔を見渡す。誰も彼も片手にビールの注がれたジョッキを掲げ、目をギラギラとさせていた。テーブルの中央は周りより一段低くなっており、そこに置かれた七輪では炭が赤々と燃えている。そして丸い大皿へ盛り付けられているのは、程よくサシの入った牛肉。つまり——焼肉である。

 黒江を除く男どもの眼光の鋭さはもやは剣呑なほどで、とにかくはやく肉を食わせろと言わんばかりだ。それに相反するように冷め気味の黒江の脳内に、しょうもない感想が生まれた。

 たまってる……ってやつなのかな? しょうがないにゃあ……。

 黒江は大仰に「オホン」と咳払いを一つして、ようやく口を開いた。

 

「えーそれではですね、本日はお日柄もよく、皆様におかれましては——」

「カンパーイ!」

「ヴェーイ!!」

 

 本日の主役である黒江がジョッキを掲げ乾杯の音頭を取ろうとした時、哀れ彼の言葉は友人達にぶった切られた。飾らない雰囲気だが提供するものの質は良いと評判の、薄暗い照明の焼肉店の片隅に野郎の野太い歓声が響く。折角の出番を邪魔された黒江はわかりやすく凹んで見せた。

 しかし、黒江はしょげ返ったポーズをとりつつも笑う。なにせここにいる全員、気心知れた仲なのだ。彼は周囲へ軽いツッコミを入れると、笑いながら友人達とジョッキをぶつけあった。そして、まだ霜が溶けきっていない、キンキンに冷えたビールを喉へ流し込む。

 

「ッはぁー!!」

 

 うん! うまい! 優勝!

 極度乾燥(スーパードライ)しちゃった!

 

 炭が発する熱によって温まった顔面によく冷えたビールは一入である。また、日頃のストレスや疲労感がこの一杯で雪がれたようにも感じる。つまり至高だった。

 

 それぞれがビールで喉を潤すと、誰とも言わず熱せられた網に肉をこぞって投下し始めた。するとそれなりに上等な肉から早速脂が溶け出し、炭の上に滴りジュウジュウと官能的なサウンドを奏で始める。これには黒江含め男たちの単純な造りをした脳が『ウヒョーたまんねえっす!』と歓喜の声をあげた。

 

「これもう食えるっしょ!」

「流石にまだ生だべ!」

 

 黒江が適当なことを言えば、席を囲む友人の誰かがすかさず拾ってくれる。実にくだらないやり取りであるが、彼は言葉にしがたい充足感を覚えた。うむ。十分幸せだぜ、俺は。こう、歳を重ねると日々の生活の中の、ちょっとした幸福みたいなものが染みてくるよな。黒江はそう胸中でひとりごち、些細な幸福感を味わった。

 

「んで、クロちゃんはいくつになったんだっけ?」

 

 煙草に火をつけた友人の一人が、煙を吐き出しながらそう訊いてきた。

 

「にじゅうななちゃい!」

 

 黒江はすかさずアヘ顔で即答した。左手がジョッキで塞がっているせいで、シングルピースになっている部分は減点対象であるが。

 

「きたねえ! わはは!」

「んだとコノヤロー! わはは!」

「肉もう食えるわ」

「うんめ肉ヴッメ!」

 

 男だけのむさ苦しい宴は始まったばかりだが、早くも混沌とした様相を呈し始めた。だがそれも親しい友人同士である黒江達にとっては心地の良いものである。各々が好きに動き語り合う。これまでもそうしてきたし、わざわざかしこまったものに変えようともしていなかった。

 

「あ、そうだ。忘れないうちに、これ」

 

 早くも一皿目の肉を全て網の上へ投入し終えたタイミングで、先ほど黒江に歳を訪ねた男が小さな包みを鞄から取り出した。

「えっ何、なんかくれんの!?」

 黒江は予想もしていなかった展開に驚きの声を上げる。すると網の上の肉を丹念に育てていた友人の一人が「なんだ加藤! プロポーズか! めでてえな!」と茶々を入れた。包みを持った男は笑いながら否定するが、当の黒江は「え〜ありがと〜! あたしぃ〜、式はハワイがいいなぁ!」と大げさな身振りで品を作って戯けるから収拾がつかない。雑なフリと悪ノリを重ねたリアクションに、加藤と呼ばれた男は「勘弁してくれよぉ」と笑い、手元のビールをぐっと煽った。黒江たちもどっと笑うと、朗らかな表情のままそれぞれのジョッキを空にしていった。

 

 

 ++++

 

 

(うおー、飲んだぜ。今日は飲んだぜ。これは)

 

 黒江と友人達はその後も数件の居酒屋などをハシゴし、すでに終電間近の時間。彼は有頂天に千鳥足な状態で家路についていた。真夏の重くて湿っぽい空気も、深夜になれば多少は過ごしやすい。丈の短いハーフパンツにTシャツ一枚、肩に斜めがけしたウエストポーチだけという身軽な格好が実に快適である。

 

 黒江はアルコールにたっぷり浸かった脳みそを上機嫌に揺らしながら歩く。日付も変わった時間というのもあるが、めずらしく人通りもないため、つい鼻歌なんかを歌ってしまっていた。

 

(いやあ、それにしてもいい一日だった)

 

 黒江は緩んだ笑みを浮かべる。気の置けない友人たちに誕生日を祝われて(それを口実に集まって馬鹿騒ぎするだけだとしても)、うまいものを好きなだけ飲み食いする。さらにはレザークラフトを趣味にしている友人から、端材で作ったキーケースまでもらってしまった。無着色のヌメ革で拵えられた、存外しっかりとした造りのものだ。彼は早速家の鍵などをそれに仕舞ってみたが、誂えたかのような収まりの良さだった。

 

 ——クロちゃんさぁ、おっちょこちょいだから、ケースごと失くすんじゃね?

 ——だれが天然系愛されボーイだって?

 ——誰もそんなこと言ってねえんだよなあ!

 

 酔いの回った頭で今日の会話を反芻すれば、自然と頬も緩みがちになる。黒江曰く、サンキュートッモ極まれりであった。

 

 そうこうしている間に、黒江の根城であるアパートまであとわずかというところまで来ていた。すると、急に現実に引き戻されたような、どこか祭りの後の寂しさに似たものを彼は感じた。

 

(んがー……。まあ、しょうがないかあ)

 

 黒江は小さくため息をつくと、機嫌がいいあいだに思考を切り替えた。平日頑張って仕事して、週末に遊んで英気を養って。平凡だけど十分いい暮らしじゃないか。楽しかった今日を燃料に、これからもまたお仕事頑張りましょー! おー!

 

 そんな、己を奮い立たせるために心の中で拳を振り上げた時だった。

 

「おん?」

 

 誰もいない脇道に、形容しがたい『(もや)』が浮かんでいた。まるで逃げ水を垂直方向に伸ばしたような靄が、おおよそ腰から顔ぐらいにかけて浮かんでいる。その形は不定形で、全体的に縦長ではあるが常にその曖昧な輪郭を変化させていた。

 黒江は何度か己の目を擦り瞬きをすると、目を細め訝しんだ。だが、相変わらず靄はそのままふよふよと道の上に浮かんでいる。しかし、よくよく見てみればその奥に何かが写っているように思えた。

 

「えっなにこれおもしろ。えーなになに? なんかレアな自然現象?」

 

 酔っ払いの道草力は高い。フットワークも軽い。そして、IQは驚くほど低い。それは通常時のゴキブリに軽く劣るほどである。

 この時黒江は、手から離してしまった風船を追いかける子供のように、一切の迷いもなくその靄に触れようと腕を伸ばしていた。

 

「いてッ!?」

 

 それは一瞬のことだった。静電気を大げさにしたような破裂音が響き、彼は咄嗟に手を引いた。だがしかし、もう、全てが遅かった。あまりに唐突なことだったからあまり覚えていないが、何かとても冷たいものが身体中を貫いた気がした。

 

 黒江は、無機質なほどに冷たい月明かりが射す、石造りの廃墟の中に佇んでいた。屋根はとうの昔に崩れ落ち、壁も所々なくなり、朽ち果てた木材や漆喰に石材が散乱している。

 先ほどまで酒精にまどろんでいた眼をかっと開き周囲を見渡す。三六〇度、どこを見てもごみや瓦礫が雑然と転がっているだけで、生きた人間の気配は感じられない。

 そして、改めて背後を振り返れば。

 

 そこに先ほどまでの靄はひとかけらも見当たらなかった。

 

「はっ……な、なんだこれ……」

 

 むき出しの肌が総毛立つ。

 視野の隅を、白い靄が横切る。

 

「なっ!?」

 

 咄嗟に振り向く。メッシュ素材のスニーカーの靴底が砂を踏み、やけに静かな空間にざりっと音が響いた。その音がまた黒江の精神を逆撫でし、心拍数を向上させる。彼は数回同じように視界の端に映る白い何かを追いかけようとしたが、それはあっという間に消えてしまいどうにもうまくいかない。

 

 そうして、その白い靄は黒江自身が吐き出した呼気らしいということに思い至った時、彼はようやく、この場所の気温が真夏の格好では耐えられないほど低いことに気が付いた。

 

「勘弁してくれよ……」

 

 黒江の呼吸が浅く、間隔は短くなる。ハーフパンツとTシャツだけでは凍えるくらいの寒さだが、無意識に力のこもっていた両手に嫌な汗がにじむ。口腔の奥、唾液が溢れ、背筋にこれまで幾度となく味わってきた悪寒を感じた。

 

「っハァ……ウゥッ」

 

 すり減った石材の床に、宴のあとがぶち撒かれた。咀嚼され混ざり合った諸々が、これまで流し込んできたアルコールとともに床を叩き汚らしい水音を立てる。黒江は(はらわた)を突き上げるような苦しみを、体をくの字に曲げて二度三度と耐えた。その目尻には生理的な反射で涙が浮かんでいる。

 

「なんだこれ、ウソだろ……ははっ……」

 

 空っぽになった胃と、ガンガンと殴られるように痛み始めた頭。

 あまりにも突拍子もない、素面であっても処理できないような状況に、思わず口角が引きつる。

 

 ——一体何が、わけわかんねえ、どこだよここ……。

 

 黒江は掠れた笑い声をあげた。

 その表情はひどく引きつったまま、黒い瞳は己の置かれた状況による不安や恐れに揺れていた。

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