【完結】範馬勇一郎vs宮沢尊鷹【挿絵有り】   作:ロウシ

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第四話:決着、そして……

1.

 

 

 エルオ・グライシーではなかった。

 

 範馬勇一郎の、その分厚い肉を叩くたびに、蹴るたびに、尊鷹は確信を深めていた。

 尊鷹が日本から離れ、その真裏のブラジルの地にいるのは、グレート・スピリットの導きだった。

 海の外に強敵がいる。

 自身の全存在を賭けるに値する強者がいる。

 あの時、グレート・スピリットは尊鷹にそう語りかけた。

 

 文字通り、臓腑を分けあった弟──宮沢鬼龍に橋から落とされ、しかし一命を取り留めた尊鷹は、なんとか意識を取り戻した時、灘の元に戻るべきか悩んでいた。

 

 灘神影流にとって、自分は異物だ。

 高潔なる鷹、そう呼べば聞こえはいい。

 しかし、その実態は龍虎並び立つ灘の宿命に入り込んだ異物に他ならない。

 疑念が絶えなかった。

 父、金時をして宮沢尊鷹という存在はずば抜けていると言う。

 そして、そのずば抜けた強さが、超越性が、鬼龍にいらぬ劣等感を抱かせ凶行に駆り立てたのではないか?

 初めから灘を継ぐものが鬼龍と静虎だけならば、例えその二人が将来命を賭して灘の次代を争ったとしても、それは灘の宿命の内に収まったのではないか?

 戻ってしまえば、再び鬼龍は尊鷹の息の根を止めにかかるだろう。

 恩着せがましく思ってはいないが、尊鷹は鬼龍に情けを欠けている。

 鬼龍はそこに漬け込んで、殺しにかかってきた。

 一線を越えてしまったものは、次なる一線を越えることに躊躇しなくなる。

 鬼龍の憎しみを止めるためには、鬼龍を殺すしかない。

 それはしたくない。 

 と、なれば、戻るべきではなかった。

 自分は死んだ人間として生きるべきだ。

 灘のしがらみから解放されるべきなのだ。

 

 その思想は、老齢の日下部丈一郎の前に座した時、自らの口から言葉となって、より具体的な思想となり形となった。

 金城剣史と共に丈一郎から幽玄真影流を学ぶ日々、ふと、風が語りかけてきた。

 

 ──尊鷹よ、尊鷹よ。

 ──海の外へ出るのだ。

 

 グレート・スピリットは尊鷹に囁いた。

 尊鷹は聞いた。

 

 ──どこへゆけばいい?

 

 グレート・スピリットは答えた。

 

 ──ブラジルの地へ。

 ──そこで、運命の敵と出会えるであろう。

 ──己の全てを受け止める相手と出会えるであろう。

 

 そして、尊鷹は旅立った。

 日下部丈一郎がこの世を去ったのは、それからすぐのことだった。

 

 大自然の導きのままにたどり着いたブラジルの大地で、尊鷹はエルオ・グライシーと果たし合うこととなった。

 夜。

 月明かりの下。

 辺り一帯に闘気が充満していた。

 尊鷹はもちろん、エルオの闘気でもある。

 並び立つ二人。

 混ざり合った二つの闘気。

 それが、彼らを中心に円状に広がって、結界のようになっていた。

 エルオは、尊鷹より二回りは歳上だ。

 これからピークを迎える尊鷹と、下り坂に差し掛かっているエルオ。

 しかし、瞑想から立ち上がった尊鷹と相対するエルオの目には、炎が宿っていた。

 範馬勇一郎が敬意を表した、闘志の具現化である。

 勝つ。

 絶対に勝ってやる。

 月明かりの妖艶な光と対照的な、ギラギラとした肉食獣の眼光であった。

 尊鷹はエルオの戦闘力を瞬時に読み取った。

 

 強い。

 

 肉体の強さもだが、心が強い。

 己の強さを信じきっている。

 信じるに足るトレーニングを積み上げた肉体だ。

 尊鷹はエルオの肉に触れた風の音を聞く。    

 風切り音が鋭く、なめらかだ。

 柔軟で、瞬発力のある肉をしている。

 打突に優れた肉であると同時に、逆技に優れた肉でもある。

 組むのは得策ではないだろう。

 灘神影流は投げ、締め、極めにおいても並の柔術とは一線を画す技術がある。

 それでもエルオを、彼ほどの男を相手の得意分野で迎え撃つのは愚策であろう。

 尊鷹の呼吸を見計らって、エルオが仕掛けた。

 それを、尊鷹は軽く突き出した掌で、額を叩いた。

 それだけで、エルオは糸の切れた人形のようにへたり込み、動かなくなった。

 見た目には軽い一打であるが、渾身の一撃であった。

 灘神影流、兜浸掌(としんしょう)

 戦国の時代、鎧兜を纏った武者を倒すために考案された技である。

 外傷を与えず内部を破壊する、浸透系の打撃である。

 この技の優れているところは、他流派の多くが持っている内部破壊とは、効果は同じでも原理が異なる点である。

 例えば、須久根流には内部破壊打撃として、衝撃を二度当てすることで浸透度を深め、これを一撃必殺とする「無寸雷神」がある。

 兜浸掌と無寸雷神の違いを述べるなら、技の効果までに二手必要となる無寸雷神と、一手で技が完結する兜浸掌というところにあるだろう。  

 原理としても、一打目で衝撃を発生させ、二打目で発生した衝撃を敵体内で重複させて内部破壊を成す無寸雷神と違い、兜浸掌は(たなごころ)に気を纏わせ、それを直接相手の体内に送り込むことで破壊する──と言った明確な違いがある。

 ただの正拳突きですら内部破壊攻撃に昇華させてしまう、灘神影流の色が濃い恐るべき奥義であると言えた。

 技として、どちらかが極端に勝り、劣っているというわけではない。

 あくまで差異である。

 同じような効果の技ですら、流派が違えば全く違う術となるのだ。

 今、ここで確かなことは、これほどの技を容易く扱える宮沢尊鷹という男が、灘神影流歴代当主と比べても、群を抜いた強さを持っているということなのだ。

 

 故に、孤独であった。

 誰と戦うにせよ、決して本気を出せない。

 戦いとはコミニュケーションである。

 己の世界と、相手の世界をぶつけ合うのだ。

 相手がその拳に何を込めているのか、なぜ負けられないのか、なぜ勝ちたいのか?

 肉体言語のみではなく、本質は魂で繋がることにあると言ってもいい。

 その瞬間、相対する二人は同じ世界を共有するのだ。

 しかし、尊鷹の戦いにはそれがない。 

 強すぎる故に、無双の強さであるが故に、ただひたすら孤独であった。

 

 エルオ・グライシー。

 確かに強い、間違いなく。

 しかし、尊鷹が戦い方を工夫すれば、難なく倒せる程度でしかなかった。

 彼はグレート・スピリットの語る強者ではなかったのだ。

 

 エルオ・グライシーではなかった。

 

 孤独の世界を生きる尊鷹に、しかし目の前の男は言った。

 

「手加減なんか、しなくていいんだよ」

 

 優しく、諭すような口調だった。

 

「俺は、自分が頭がいいと思ってないし、気が効く性格だと思ってないけどね、こういうことだけは、わかっちまうんだなぁ……」

 

 勇一郎は、太い指でコリコリと悩ましげに頭をかいた。

 

「だからよォ、はっきり言えることは、ひとつだけなんだよな。お前の相手は範馬勇一郎なんだぜ? これだけさ」

 

 尊鷹の中で、何かが弾ける音がした。

 

「お、おお……」

 

 尊鷹の目が震えていた。

 

「うおおおおおおおおおおっ!!!!」

 

 咆哮、慟哭。

 獣のそれに近かった。

 それは夜の世界を揺らした。

 尊鷹の魂を解放されていく。

 押し込めていた、有り余る力が尊鷹の肉から溢れ出す。

 

 範馬勇一郎だったのだ。

 

 勇一郎は、尊鷹の変わる様を笑って見守っていた。

 まるで、親が子の成長を見守るが如く、優しい目をしていた。

 

「しゃあっ!!」

 

 尊鷹が飛んだ。

 今までより高く、速く。

 打ち出される蹴りが、範馬勇一郎の顎を貫いた。

 

 歓喜。

 そして、解放。

 

 エルオ・グライシーではなかった。

 範馬勇一郎だったのだ。

 

 

2.

 

 

 マイったねぇ……どうも……

 

 掴もうにも、

 防御(うけ)ようにも、

 速すぎて、反応が間に合わねぇや……

 

 範馬勇一郎は打たれるがままであった。

 尊鷹の速さについていけない。

 尊鷹は、もうずっと空を飛んでいる気がする。

 それでいながら、意を決して勇一郎が掴みにかかると、その尊鷹は残像であり、虚像の奥から尊鷹の鋭い蹴りが伸びて、勇一郎の体を穿つ。

 

 これが、いてぇ。

 今までの蹴りたぁ、種類が違ぇや……

 

 ガードを固める。

 狙いを絞る。

 打たれた後に掴みに行っても虚像だ。

 だから、打たれるのと同時に掴む。

 当たり前だが、蹴りがガードに当たる瞬間は実体があるからだ。

 

 来た、速い。

 左回し蹴り。

 掴めるか? 

 来たッッ! 

 掴めるか? 

 掴んだ!

 

「ドレスだああああぁッッ!!」

 

 いつのまにか広場に来ていた新堂卍次が叫んだ。

 言われるまでない。

 ここから一気に決める。

 ただの投げではダメだろう。

 ならば、ドレスでいく。

 足首を引っこ抜くように尊鷹の状態を降り起こす。

 ドレスとは人間ヌンチャク。

 範馬勇一郎の得意とする、範馬勇一郎にしかできない技だ。

 

 ぽこん、と音がした。

 勇一郎の手の中の、尊鷹の足首からだった。

 それは、骨が外れる音だった。

 勇一郎の手から引っ掛かりを失わせた尊鷹の足が、するりと抜けた。

 勇一郎の顔が、それを驚きの顔で眺めていた。

 灘神影流の脱骨術。

 それで足首の関節を外して抜けたのだ。

 

 おいおい。

 

 勇一郎の顔が苦い笑みを浮かべる。

 その顎に、右膝が突き刺さる。

 跳ね上がる勇一郎の顔。

 

 おいおい。お前さん、逆技にも対応できるのかい?

 

 勇一郎の体が大きく揺らいだ。

 

 外から見ていた卍次が叫ぶ。

 

「尊鷹ッッ……は、速ッッ! 尊鷹の体が分身している!? な、何人いるんだッッ!!?」

 

 当の勇一郎は、己に問いかけていた。

 

 このままじゃ、受け止めきれねぇな。

 マイったなぁ、お前を受け止めてやる、なんて、カッコつけたってのによ。

 使うか? アレを。

 使うしかねェのかなァ、アレを……

 

 殴られながら、

 蹴られながら、

 勇一郎は、逡巡する。

 

 尊鷹くんなら、耐えられるかな?

 いてッ! ああ、というかよ、もうキツイねえ。

 特に、蹴りだよ。

 蹴りの刺さる音がよ、肉を叩く音じゃねェんだな。

 パン、とかボゴっ、とかじゃねぇ。

 ザクッ! ザクッ! ってぇな。

 刃物だ。

 鋭利な刃物。

 この範馬勇一郎の肉に容易に突き刺さる、一級品の刃物だ。

 尊鷹くん、強ぇなぁ。

 まだ若ぇんだぜ?

 坊やさ、俺からしたら。

 おっ! 

 今ちらっと顔が見えたが、いい顔してるぜ。

 笑ってら。

 とりすました顔より、ずっと魅力的だよ。

 抱きしめてやりたいけど、ああクソッ。

 捕まえられねぇや。

 使っちまうか。 

 使おう。

 女々しいこと言わせてもらうけどよ。

 お前さんが強すぎるのが悪いんだぜ?

 

 

3.

 

 

 もし、この世で鋼鉄より硬い筋肉を持って生まれたら?

 もし、生まれた時点でこの世のあらゆるのもより強靭な筋肉を持っていたら?

 おそらく、その人間には敵に勝つための武術などという後付けは、必要ないだろう。

 あらゆる相手を、ただ思い切りぶん殴る。

 それだけで全ての敵を倒せるだろう。

 

 

4.

 

 

 肉の感触が変わった。

 

 範馬勇一郎の、肉の感触が変わった。

 五段蹴りの、三段目からだ。

 硬くなった。

 それも、筋肉を引き締めたとか、乳酸が溜まってバンプ・アップしたとかじゃない。

 肉そのものの質が変わっていた。

 粘土が、鋼鉄に変わったような、あり得ない硬度変化だった。 

 なぜ変わったのか、尊鷹には見当がついている。

 『鬼』だ。

 尊鷹の塊蒐拳を弾き飛ばすほどの鬼が、範馬勇一郎の肉の内側を満たしているのだ。

 空気が変わる。

 張り詰めていく。

 新堂卍次と、エルオ・グライシーが、月明かりのわずかな視界の中で、確かに見た。

 

 背中に映る鬼の貌を。

 勝ったッッ 新堂卍次が思わずガッツポーズを取った瞬間。

 

「しゃあっ」

 

 尊鷹の掌底が範馬勇一郎のこめかみに突き刺さり、勇一郎は七孔噴血し、ぐらりと傾いた。

 

「ああっ、勇一郎さんッッ!!」

 

 卍次が叫ぶ。

 倒れゆく勇一郎の顔目がけで、尊鷹の右の回し蹴りが飛んだ。

 

「!!」

 

 蹴りが勇一郎の側頭部に当たるのと同時に、勇一郎は凄まじい速さで尊鷹に突撃した。

 崩れ落ちる重心を敵方向に流して加速する。

 脱力から発生した最速のダッシュ。

 流石の尊鷹も避けきれなかった。

 それでも、そこから抜け出そうと飛ぶ──飛べない!?

 

 範馬勇一郎が、超人的な握力で、尊鷹の背骨を掴んでいた。

 そのまま押し倒す。

 覆いかぶさった勇一郎が、尊鷹の頭にその太い腕を回した。

 

「関節、外せるンだもんなぁ……だから、これしかないわな」

 

 ヘッドロック。

 倒れ込んだまま。

 

「よいしょっ」

 

 血だらけの貌で、軽く、勇一郎が言った。

 その太い腕が、尊鷹の頭を締め付けた。

 

「ぐっ! がっ……」

 

 尊鷹が両脚を折り曲げて、勇一郎の腹筋に押し当てて伸ばそうとする。

 尊鷹の脚は鷹腿脚(ファルコン・フット)

 尋常の脚力ではない。

 それでもなお、勇一郎の体はびくともしなかった。

 姿勢が悪い。

 尊鷹が下から勇一郎の側筋を叩く。

 しかし、勇一郎の中の『鬼』が、尊鷹の発勁を弾き出してしまう。

 地面に弾き出された発勁が、砂埃を舞い上げた。

 

「ぐががががあっ……」

 

 尊鷹の視界が黒ずんでいく。

 酸素が足りない。

 血が脳へ向かわない。

 脳細胞が軋んでいる。

 

 そして──

 

 気づけば、尊鷹は空にいた。

 空に立っている。

 どこだ、ここは?

 

 ふふ……

 

 笑い声。

 そこに、範馬勇一郎がいた。

 同じように、空に立っている。

 尊鷹は、それでようやく理解した。

 眼下で、勇一郎に締められる自分がいる。

 

 強いなぁ。

 

 勇一郎は言った。

 

 真剣勝負の最中に、たらればは意味がねぇけどな。

 お前さんが、あと十年早く生まれてくれてりゃあな。

 あるいは、俺があと十年、遅く生まれてりゃあなぁ。

 もしかしたら、もしかしたらよ。

 日下部先生の道場なんかで、ばったり出会ってたかもしれんね。

 

 …………。

 

 約束……ってワケじゃねぇが。

 言っておくよ。

 ガキがよ、いるんだ。

 俺のガキなんだが、たぶん、強くなる。

 とんでもねぇじゃじゃ馬に、なるだろうなァ、ありゃあ。

 もう、跳ねっ返り極まっててよ。

 いずれ、たぶん、俺と喧嘩することになる……

 そしたらよ……

 

 まぁ、たぶん、そうなるわな。

 

 だからよ、尊鷹くん。

 そいつがよ。

 俺のガキがよ。

 もし暴れん坊すぎて、誰にも止められなかったらよ。

 お前さんが、止めてくれちゃくれないかい?

 

 ははは、そんな暗い顔しなさんな。

 それとは別に、よ。

 また、範馬と……灘神影流だっけ?

 また、やり合おうぜ。

 

 強かったよ、尊鷹。

 宮沢尊鷹。

 今度やる時は、俺も、もっと体をしあげてくるからよ。

 

 また、やろうや。

 

 そこで、尊鷹の意識は途切れた。

 

 尊鷹が意識を取り戻した時、全ては終わっていた。

 こちらを見下ろす範馬勇一郎。

 となりに立つ新堂卍次とエルオ・グライシー。

 

 そこで初めて、尊鷹は負けを受け入れた。

 

 

5.

 

 

 その時の様子を度々父親から聞いていた、新堂流柔術当代新堂万次はこう語る。

 

 美しかったそうっス。

 その時の、二人。

 月明かりが照らす中で、大の男が寝技で極めて、極められてる。

 そんな状態が、とてつもなく美しかったそうっス。

 

 自分の親父は、不器用を絵に描いたような人間っス。

 言えた義理じゃないんスけど、頭も良くないし、勉強だってできたわけじゃない。

 それでも、その親父が、ギリシャ彫刻だの、ダイヤモンドだのを喩えて出すほど、それは美しかったそうっス。

 

 勇一郎さんのことを語る親父は、ご馳走を前にした子供みたいに目を輝かせてました。

 あの戦いのこととなると、なおさらでしたね。

 範馬勇一郎と、宮沢尊鷹。

 二人の超天才が、誰にも知られずに戦ったんスよ。

 親父はその場に居合わせたんスから、羨ましいっス。

 え?

 キー坊のこと?

 確かに、ハイパー・バトルの予選で、自分はキー坊に負けました。

 確かに、自分はあの時キー坊に「あなたは天才じゃない」って言いましたね。

 よくご存知で。

 でも、しょうがないじゃないっスか。

 自分にとって、天才っていうのは範馬勇一郎や、宮沢尊鷹のことなんスから。

 あの時のキー坊にそう言っても、仕方ないってやつっスよ。

 まぁ、はい。おっしゃる通り。

 キー坊と尊鷹の関係に、なんとなく気づいてはいましたよ。

 だって、宮沢で、灘神影流なんですもん。

 尊鷹がバトル・キング本人だったことは知らなかったっスけど、キー坊が尊鷹の身内なことは、なんとなく察してましたね。

 ああ……そう考えると、自分、ムキになってたんでしょうね。

 今?

 今は、キー坊の才能は認めてますよ。

 上から目線に聞こえるでしょうけど、ハイパー・バトル本戦の話や、この間の親子喧嘩を観ましたもの。

 あんなの見せられたら、認めちゃいますよね。

 まぁ、今キー坊とやれ……って言われたら、やりますよ、もちろん。

 あ、そうだ。

 今度のスペシャル・マッチ。

 せっかくだし、ご一緒しませんか?

 

 

6.

 

 

 朝、皆で飯を食っていた。

 誰も、何も言わない。

 勝ったものと、負けたものが同席しているのだ。

 気まずい雰囲気の中、しかし各々の箸は進む。

 

 そのまま、お別れの時となった。

 

 尊鷹は何も言わない。

 勇一郎が、ずい、と前に出た。

 ぽりぽりと頬を掻いて、毛恥ずかしそう言った。

 

「鍋、美味かったよ。()()、一緒に食おうな」

 

 そして、片腕を差し出した。

 尊鷹は、ふっと笑った。

 微笑だ。

 さわやかだった。

 憑き物が落ちたようだった。

 

 勇一郎の分厚い手を、握り返した。

 

()()、会いましょう」

 

 勇一郎は笑った。

 熱を持った手で、強く握り返した。

 

 

 しかし、この時が二人の今生の別れとなった。

 

 範馬勇一郎は帰国後、プロレスラーとなり、大相撲関脇上がりであった力剛山と組んでプロレスで世を座冠する。

 しかし、範馬勇一郎は『昭和の巌流島』でその力剛山に、全国民の前で敗北してしまうのだ。

 『昭和の巌流島』自体が八百長であり、台本ありきのショーに過ぎないこと、あまつさえ力剛山はその台本すら破り捨てて卑劣な不意打ちを仕掛けたことは、その後にまだ若き修行者だった愚地独歩が力剛山に「制裁」を加えたことで明るみに出たものの、範馬勇一郎が「八百長を受けて試合をしたこと」と、「無惨に敗北した姿を見せたこと」、その結果として誇りある日本武道の価値を地に落としたことは、もはや動かしようのない事実となっていた。

 範馬勇一郎はこれ以降、歴史の表からも裏からも消えてしまうのだ。

 

 そして、時は流れ──

 

 

7.

 

 

 現在──東京ドーム地下闘技場。

 

 熱気に溢れていた。

 観客は、満員。立ち見するものすらいる。

 爆発的な熱は感じないが、その空間にはじわりとした熱気が溢れていた。

 爆発の時を待っていた。

 堪えきれない観客たちの談笑が絶えない。

 議題はズバリ、どちらが強いのか?

 今宵のメーンエベント。

 

 範馬刃牙vs宮沢熹一。

 

 観客の中にも、ただならぬものが多かった。

 生意気盛りの少年の隣に座る、顔に傷のある男は、実戦空手の丹波文七。

 その隣の恰幅のいい年配の男は、彼の後見人である古武道の重鎮、竹宮流の泉宗一郎。

 実戦派で括るなら、愛弟子ガイアを連れた本部以蔵の姿もあった。

 その向かいのやや右側に、岩がある。

 北辰館の松尾象山である。

 もちろん、姫川勉もいる。

 松尾象山の対角線上には、渋川剛気と愚地独歩がいた。

 その愚地独歩の隣に、今、立った男。

 分厚い生地のロングコートを羽織った男を見て、愚地独歩が天邪鬼な笑みを浮かべた。

 拳願試合の王、怪腕流の黒木玄斎であった。

 そのすぐ近くには、日本三大プロレス団体の一角、FAWのグレート巽こと、巽真。

 その隣に、あろうことかアントニオ猪狩が座っていた。

 立ち見している者も曲者揃いである。

 その中で、特に抜けた者を挙げるなら、筆頭は上から下まで黒い男、暗器の久我重明だろう。

 並び立つ美丈夫は、かつて柳龍光を破った男、葛城無門である。

 ほかに、覇生流から独立し、総合格闘技の世界で躍進を続ける風のミノルこと鈴木実がいる。

 並んで弁当を行儀よく食べている四人組は、幽玄真影流の死天王だ。

 二メートルを超える巨躯でありながら、最前列の席にジャック・ハンマーがどっしりと構えていた。

 その後方、ジャックに負けぬほど「太い」アメリカ人は、ビスケット・オリバである。

 超VIP席にも、大日本銀行総帥片原滅堂を初め、日本の「もう一人の」フィクサー、不知火検丈などを迎えている。

 この場にいる誰もがメーンエベントをこなせるほどの傑物揃いである。

 彼らが──全員ではないにせよ──思うことは、一つだ。

 

 範馬刃牙と宮沢熹一、どちらが強いのか?

 

 あの、時期をほぼ同じくしてお茶の間を釘付けにした『二大親子喧嘩』。

 範馬勇次郎vs範馬刃牙と、

 日下部覚吾vs宮沢熹一。

 どちらもが常人の理解を越えた戦いを行い、共に息子が父を超えた戦いである。

 

 もちろん、この闘技場の主であり、このマッチメイクの仕掛け人である徳川光成も、どちらが強いのか気になっている。

 

 その徳川光成は、宮沢熹一の控室にいた。

 宮沢熹一が入念に柔軟をしている横に立っていた。

 

「しかし、現金なジィちゃんやで、ホンマ」

「すまんのぉ、熹一くん」

 

 宮沢熹一──キー坊が皮肉を叩くのには理由がある。

 キー坊がヤクザのリキ丸と組んで闇試合に出る前に、徳川光成はキー坊に声をかけていた。

 しかし、これをキー坊は断っていたのだった。

 理由は、地下闘技場にはファイト・マネーがないからだ。

 宮沢鬼龍に廃人にされた父、宮沢静虎を救うために、まだ高校を卒業したばかりのキー坊にはまず大金が必要だった。

 今でこそ地下闘技場で戦うことは、それ自体が表の格闘家の間でも「ステイタス」となっているものの、それはあくまで最大トーナメント以後の話である。

 キー坊が堂々と光成をフった後、光成はこの時までキー坊に声をかけていなかった。

 

「不知火御殿での戦いの後、ようやっと建てた道場に、ゴツい車と黒服がずらりと並んだ時にゃー、また鬼龍がなんかやらかしたんかと思うたやんけ」

「ククク、ひどい言い様だな。俺だって弁えることはあるんだぜ?」

「ウソつけっ! 今まで散々めちゃくちゃやらかしとるやんけっ!!」

 

 キー坊と言い合う男こそ、宮沢鬼龍その人である。 

 その隣には、宮沢静虎がいる。

 

「なんだったら、この戦い、俺が変わってやってもいいんだぞ? もっとも、俺が殺したいのは範馬刃牙の親父の方だがな……」

「やめとけ、お前じゃ殺されるわっ。親子喧嘩はワシも観たけど、アレと戦えるんは灘やったらワシか……尊鷹ぐらいやろ」

「そう言えば、鷹兄ィは来てないんか?」

「静虎よ、尊鷹の気を感じないのか? 尊鷹なら、客席にいるぞ」

 

 闘技場──

  

「!」

 

 その気の発現に、強者たちは気づいた。

 観客席の最上段に現れた。

 

 宮沢尊鷹。

 

 闘技場を見下ろしている。

 

 範馬勇一郎のことを想っていた。

 範馬と灘で、またやろう。

 まさか、それがこんな形で叶うとは思わなかった。

 

 尊鷹が勇一郎の訃報を知ったのは、勇一郎が亡くなってからだいぶ後だった。

 同じ世界を共有できる唯一の相手を失ったと思い込んだ尊鷹は、バトル・キングとして虚無的な戦いをこなし続けていた。

 

 しかし、今となっては、知る限りでもキー坊や覚吾と言った、自分と並ぶ者たちがいる。

 それだけではない。

 この闘技場に集まる強者たちには、いかに尊鷹といえど戦って圧勝することは難しいだろう。

 

 範馬刃牙。

 

 強い名前だ。

 事実、強い。

 

 しかし、宮沢熹一も強い。

 

 どちらが強いのか──

 

 思考に耽る尊鷹の耳に、

 

 ふふふ……

 

 と低い笑い声。

 尊鷹が顔を上げた。

 心眼で見るまでもない。

 そこに、範馬勇一郎が立っていた。

 

「勇一郎さん……」

 

 尊鷹くんや。

 

 勇一郎は、太い笑みを浮かべた。

 

 刃牙ちゃんは、つえぇぞ?

 

 それだけだった。

 それだけ告げて、勇一郎は去っていった。

 

 尊鷹がそれを見送っている。

 歓声が上がった。

 

「宮沢熹一だあっ!!」

「キー坊だあっ!!!」

「ホントに強いのか!?」

「刃牙だあああッッ!」

「待ってたぞォ! チャンピオンッッ!!」

「瞬殺だぁーッ! 刃牙ィ!!」

 

 闘技場の中心で向かい合う、範馬刃牙と宮沢熹一。

 

 そこに、あの時の自分達が重なる。

 

 あの時は、まだ若かった。

 あの時は、負けてしまった。

 

 だが、熹一はあの時の私より強い。

 

 試合が始まった。

 

 範馬と灘の戦い。

 今度は勝たせてもらいますよ。

 

 

<終>




これで終わりです。
読んでいただきありがとうございました。
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