名前、いらないかなぁとも思ったんですが、色々と困る部分も出てきそうなので。
このままでは、秋川やよい理事長や理事長秘書の駿川たづなさんに怒られてしまいそうだ。
そのような状況もあり、同期で頼りになる? その人物を相談も含めてちょっとお高めなバーラウンジで待っていた。
カラン、と乾いた耳心地の良い音を店内に響かせながら、その待ち人は二十代半ばを過ぎ去った大人の表情で、俺の隣に座った。
「すみません。平日に時間を割いて頂いて」
同期とはいえ年長者、こちらの呼びつけで足を運んでもらったことに感謝を示した。
「君を笑いに来た。そう言えば、君の気は済むのだろう?」
途端ににやけ面でガツンと言われてしまった。
「好きでこうなったのではない。それは貴方にだって分かる筈だ」
俺はバランタインの十七年物を悔しさと共にグイっと飲み干す。
「あはははは、お前さんにその悔しさがあれば大丈夫だろ」
俺の背中をバシバシ叩きながら笑い飛ばす沖野さん。痛ぇし。
「冗談抜きに困ってはいるんですよね。チーム解散届にチームの部室の片づけ…… ふぅ」
チェイサーの水を飲み干して一息つく。
「以前のお前のチーム、俺は好きだったぞ。どんなに頑張ってもトレーナーが付かないウマ娘達に手を差し伸べる。トレーナーの仕事の一つでもあると、俺は思うけどね。とはいえ、トレーナー各々にも功名心だってあるから、そう綺麗事のようにはいかないがな」
同じものをとマスターに頼み、お互いにグラスで口を湿らす。
「……勝たせてやれないのは辛いですよ。中央に受かったとはいえ、勝てるのはその中でも上澄みのウマ娘達、ましてや重賞クラス何て一握りです。GⅠ何てさらにそこから摘まみ上げるレベルの極々少数…… ウマ娘達も分かっています。トレーナーに選抜レース四回で選ばれないという事が、どういう事実を表しているかという事を」
俺の言葉を聞いた沖野さんは正面を向き、しかし視線はここではない、どこか別の場所を見つめているように感じた。
「ウマ娘達はさ。走ることを本能的に求めている。速く走りたい。本能と個人の欲が混ぜ合わさっている。極端になると走ることが己全ての存在意義だとでもいうウマ娘だっている――」
どうした急に?
「――しかし勝てるウマ娘達は怪我も多い。一年間棒に振ることだってままある話だ。最悪引退どころか歩行すら困難になることも。本格化を終え全盛期を過ぎ、ターフから去らなければならなくなる。でもウマ娘達も俺達と同じでその先の生活のほうが遥かに長いんだ…… お前のほうが俺よりも実感として理解してるんじゃないのか?」
沖野さんは俺の右肩に右肘、左膝に視線を走らせてから、グラスに注がれている琥珀色の液体を眺め出す。
「そりゃぁ、まぁ。己が望む場で全てが終わったとしても悔いが無い、そういう気持ちも分かるつもりです」
自らが望んだ場所での怪我、それが二か所ともだ。満足だったし贅沢だったとも感じている。
「お前のチームの五人、地方移籍が一人に自衛官と警察官にレスキュー、十分に面倒見れたと思うぜ。後一人はあれだ。結構面白いよな、あの音楽関係の……」
「大勢のアイドルグループの派生グループとして、中央トレセンで活躍出来ずに顔が売れていないウマ娘達を集めてアイドルとして売り出すそうですよ」
百人以上いる女の子のグループ、更に派生形態として複数単独グループを運営している音楽芸能社だ。
「そうそう、中央トレセンブランドを利用したUMM69だっけ? 面白い事考えるよな」
「記者を通じて総責任者の音楽プロデューサーから連絡が入ったんですよ。名前が売れていない未勝利のウマ娘達でさえ、踊りは練習しています――」
「中央所属のウマ娘は見目も整っていて更には踊れる。歌って踊るアイドルグループには持って来いって事か。だが――」
意図は読めるというように俺の言葉に被せてくる。
「――いくら数で攻めようとも重賞を取るようなウマ娘一人の存在感、そこから放たれる輝きに叶うかどうか…… か?」
そこだ、送り出した一人のウマ娘は、まだ形は違えど戦う道を選んだ事に不安を覚える。ウイニングライブを行うウマ娘達と比べられて、学園外でも打ちのめされるのではないかと。
「音楽プロデューサーとも話をしましたが、やはり彼等も重賞勝利クラスのウマ娘の引退後は。って誘われましたよ。可能性は限りなく薄いと伝えましたがね」
「そのクラスになると引退した後もレースに関わるか、自分の興味が惹かれる内容にしか進路を進まないみたいだからな。でも上も認めたんだろ? ウマ娘達の今後の長い時間の生き方の一つとして必要だって。お前はよくやったよ。自分の仕事は自分でも認めてやる事だ」
ウマ娘自身の興味が惹かれる事……
トレーナー不足の要因の一つになっているとかいないとか。若造には難しい話ですね。
バシン、とひと際強く背中を叩かれた。だから痛いって。
カラッと氷が少し溶けた
「じゃぁやっぱり方向性は以前と同じジュニアC組やシニアでトレーナーが付いていないウマ娘達を満足するまで走らせてやってから、進路先の相談から決定ですかね?」
自分で以前と同じ方向性でのトレーナー業としてウマ娘達に関わることを口に出してなお、あのゴールドシチーの走りを見た時の感覚が妙に忘れられない。
「トレーナーとして少し横道ではあったが、チームを運営するという仕事はお前は果たした。区切りは付いたんだ、次は専属としてウマ娘を担当してみろ。そうすることで、また違う物の見方が出来るんじゃないか? その後でまた最初の時のように動いてもいいと思うぜ。まだ、同じような仕事の仕方を選択するような年齢でも経験数でも無いだろ? 俺達はさ」
誰かの専属、か。ゴールドシチーの姿が頭を
「沖野さん、あんたやっぱり地方に行くんでしょ? 何かあったんですか?」
「さぁ、な」
「別にとやかくは言いませんが、なるべく早く戻ってきてくださいよ。東条さんの機嫌がここ最近かなり悪いんですから」
二人の関係は俺には良く分かっていない。何度も三人、そこに小宮山さんを加えたりと飲んではいるが、関係性は過去も含めてはぐらかされている。
「おっと、俺もおハナさんは怖いからな。あ、そうだ! 本河内のやり方に唆されたって言っておこうかな?」
「おい!? ちょ! 俺だってあの人怖いんですからね! しかもあの歳でもう滅茶苦茶発言権強いんですから。あの人怒らせると同期以下は居場所が無くなりますよ…… 場合によっては下手な中堅トレだって」
俺の言葉にむふふん、と笑った沖野さんは、待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「仕方ない! 同期でもあり、年下の頼みとあればそこは口を紡ごうじゃないか! ならば――」
「はいはい、分かってますよ。奢ればいいんでしょ。奢れば」
最後まで言わせるのは腹立たしいので言葉を重ねてやった。
くそぅ、けっこう尊敬しかけていたというのに。俺の感動と感謝を返せ!
「わかってるねぇ、流石あの難関試験を高卒予定者で受かっただけの事はある」
あんたもでしょうが。そもそも大学新卒予定者で採用試験突破も十分過ぎるほど凄い。
就職浪人して二十五、六で入社してくるトレーナーがほとんどだ。だからこそ、東条さんは気を常に張っているし、俺は俺でやたらと悪目立ちする。
そういうのを何故か一切気にせず、唯我独尊なのが沖野さんだ。正直そこだけでも尊敬しているさ。
俺の尊敬や感謝を余所にお代わりしまくった沖野さんに肩を貸して、何とか二十三時過ぎには店を後にしたのだった。
これ、俺が貸したほうが沖野さんからの借りよりも多くない?
☆
ゴールドシチーは未だ寮の自室で、トレーナーに選ばれたという実感が興奮を催し眠ることが出来ないでいた。
「やった! ギリギリとはいえ、ついにアタシも。くぅぅぅうう、やっと明日トレーナーに特訓を見てもらえる!」
自室のベッドにてバタバタと嬉しさの余り身もだえていた。
「……もう、うっせぇっすよ。何時だと思ってるんすか」
さすがに見兼ねたというか、自身が眠るのに悪影響を及ぼすゴールドシチーの騒がしさを、同室のバンブーメモリーが注意してきた。
「あ、わり。でもさぁ、アタシにもやっとトレーナーが付くんだよ。この興奮マジヤバいって!」
「気持ちはわからんでもないっスけど。自分、風紀委員なんで同室でもこれ以上は取り締まるっスよ。それに明日トレーニング見てもらうなら、なおさら早く寝たほうがためっス」
ゴールドシチーに至極尤もな忠告をした後、バサリとバンブーメモリーは布団を頭から被って寝るという意思表示を示す。
「そう、よね。あんがと、おやすみ」
「おやすみっス」
布団の中から少しくぐもった声色で、ゴールドシチーに挨拶を返すバンブーメモリーの律義さが窺えたのであった。
バンブーメモリー、シチーさんより一年生まれが遅いのに、なんでうまよんとかだとシチーさんの先輩扱いなのだ?
誰か教えて欲しいっス! なのだ。