無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
第20R ケツイ
パチリと覚める目。
考えるまでもなく、今日が岩手ステークス当日であると理解する。
時計を見ると、起きた時間が普段より1時間ほど早い…だろうか。
そして…全身がざわつくような、心臓の鼓動が止まないような…。
襲ってくるのはそんな感覚。
とにかく、じっとしていられなかった。
「…行かなきゃ。」
誰に聞かせるともなく、そう呟き。
髪を、ヴァーゴから貰ったピンクの髪留めで結わえ、ジャージに袖を通す。
最後に、軽く首を振ると、俺はドアを開いて、部屋の外に一歩…
「アンタっ!?」
「わわっ!?ってヴァーゴ…?」
踏み出そうとしたんですよ?そしたらね、見事にヴァーゴさんと鉢合わせした…と。
「…もしかして、アンタも…じっとしてられなくなったの…?」
「う…うん。」
図星です。対戦ありがとうございました。
しかし、まさか最大のライバルとこんなところで鉢合わせするとは…。
まあ、そりゃ隣人だから、対面しても、うんって感じではあるけどね?
それでも、クールに決めて、走りに行きたかった感があるから、ちょっと残念ではある。うん。
「…とりあえず、走りに行かない?」
っべー、完全に目的を忘れていた。
「…うん。」
こうして妙な空気感の元、岩手ステークスは幕を開けた。
◆ ◆ ◆
「はぁ…はぁ…」
走り始めて、どれぐらい経つだろう?
寮から出た時には、暗かった空がだいぶ明るくなってきているから、そこそこ時間は経っているのだろうけど…。
視界の端で揺れる白い髪は、離れることなく、ずっと、ついてきている。
「…アンタ…疲れてないの?」
「…別に…疲れてないわけじゃないけど…負けてられないなって!」
返ってくるのは、若干切れ切れになりながらも、力強い返事。
少しでも気を抜けば、前に立たれそうな状況。
…だったら、私も負けたくない。
そう意志を固めると、地面を蹴り、私はさらに速度を上げた。
◆ ◆ ◆
「…つか…れた…」
もう…なんというか…端的に換言すると、ぼかあ死にそうだと言うことだよ。後輩。
なんて、大の字になって、河川敷に寝転びながら考える。
「…やるじゃない…アンタ…」
返ってくるのは、こちらも大の字でぶっ倒れているヴァーゴの声。
「ヴァーゴも…ね。」
相手を讃える意を込め、そう返しておく。
「…今は、引き分けみたいなものだけど…今日は、絶対に負けないわよ。」
寒風のせいか、少し潤んだ橙色の瞳が、こちらを見据える。
「…それは、こっちの台詞。私も、負ける気はないから。」
なんなら、勝つ気しか無いまである。
…そりゃ、中央には行きたい。
でも…何よりも彼女と最高の勝負をしたいんだ。
そんな思いが、俺の感情を突き動かし、真横に向かって、手を伸ばす。
「…どうしたの?」
「握手、しよう?」
「…アンタからなんて、珍しいわね。」
そう呟くように、口にしたかと思うと、彼女の手が伸び、繋がれる俺の手。
「…心境の変化、かな。最高の勝負をしたいなって。」
「…それは、私の台詞よ。」
そうはっきりと言い放つと、笑みを浮かべるヴァーゴ。
繋がれた手の熱が、彼女の意志をはっきりと示していた。
◆ ◆ ◆
『1番人気は1枠2番トレミアンタレス。今日も自慢の末脚を見せてくれるのでしょうか。非常に期待が高まりますね。』
実況のその声に、鹿毛の少女がピクリと耳を動かす。
「ルドルフ、この娘か?お前が気になってるってのは。」
「…ああ。今のところは5戦5勝。戦績は申し分ない。だが…」
そこで一息吐くと、彼女は目の前のターフで軽くストレッチをしている白毛の少女を見つめた。
「彼女の強さはそんな戦績には縛られないよ。…少なくとも、こんなところで燻っている器ではない。」
「…とすると…生徒会長であるお前の権限を使ってスカウトする気か?」
「…もちろん、結果を見てからだが…私の権限を使えば、
「なるほどな、まあその辺のルールはよくわからないが…お前が注目してる娘ってのも珍しいからな。集中しておくよ。」
「そうするといい。月並みな表現ではあるが…彼女は“強い“。」
彼女は頷くと、再びターフに視線を戻した。
…一層目つきを鋭くして。
◆ ◆ ◆
今日、ここで己の担当ウマ娘が中央に行けるかが決まる。
そう考えると、彼はいてもたってもいられず、体をその場で軽く揺らした。
「緊張しているの?」
「…そりゃそうでしょ…。だって…ここで中央行きが決まるんですよ?」
正確には一週間後、己に届く中央のトレーナーライセンスの合格通知も気になるところではあったが…。
それ以前に、ここで己の担当ウマ娘が勝利を掴めるのか、彼の興味は現在、その一点に向いていた。
「そうね。しっかりと見届けないと。」
「…先輩は緊張していないんですか?」
「ええ、誰が勝とうとも、それが彼女たちの出した“結果“だもの。だったら、ただ受け入れるだけ。緊張しても仕方ないじゃない。」
「…た…確かに…。」
だが、隣でそう答える先輩の声は確かに震えていて、尻尾は忙しなく揺れていた。
…恐らく、少し強がっている節はあるのだろう。
それか、“結果を受け入れるだけ。緊張していても仕方がない。“と自分自身に言い聞かせているのか…。
だが、今更考えていても仕方がないのは確かだ。
だったら、今はただ結果を見守ろうじゃないか。
そう結論づけると、彼は再び己の担当の方へと、視線を向けた。
◆ ◆ ◆
歓声が、風に溶け込み耳に入る。
そして、感じるのは数多の視線。
…観客のものか、それとも今この場にいる
全身がざわつくような感覚。
段々と高まっていく鼓動と、荒くなっていく呼吸。
「…すぅ…はぁ…」
深く、息を吸って吐き出し、コンディションを整える。
…緊張しているのだろうか。
ちらと隣を見ると、私の最大のライバル——アンタが、軽く頭を振っているところだった。
——そうだ。緊張する必要なんてない。
アンタも含めて、この場にいる全員叩き潰して、私が——勝てばいい。
ただ…それだけ、だ。
決意を固めて、真っ直ぐ前を見据える。
イメージトレーニングは十分。
あとは、出走を待つだけ。
いやに長い、静寂に包まれ——
ガコンッ!
——レースが始まった。
◆ ◆ ◆
よし、まず出遅れはなし、と。
緩やかに斜めを見つめ、進路をイメージする。
内側なのも相まって、動きやすさは申し分ない。
あとは向かうだけ、と。
脚に力を込めようとした時だった。
——一陣の風が、内ラチ側を駆け抜けた。
…んな馬鹿な。
俺より内側からスタートしたウマ娘はヴァーゴだけだったはず。
それに…彼女の作戦は追い込みだったはず…と、ここまで考えて、はたと気づく。
彼女は…この大一番で、作戦を変えてきている。
敢えて、慣れた追い込みではなく…
『さあ、ハナに立ったのは1番マロンヴァーゴ!』
…逃げに。
理由は…一体…?と考えた時、思い出した。
クリスマスの時に、彼女は目を輝かせて言っていた。
“でも、でもね、彼女は勝った!大外からでも、逃げ切って…1着を掴み取った!あの姿がずっと忘れられなくて…私、憧れてるの。“と。
彼女の憧れたウマ娘の作戦が…逃げだったのは間違いないだろう。
そして、彼女は…この大一番で…いや、この大一番だからこそ、憧れていた走りに切り替えた…と?
そこに、どんな決意や葛藤があったのかは、俺にはわからない。
…だが、ここは彼女の走りに全力で応えるまで、だ。
とはいえ、これぐらいで動揺していてはいけない。
鋼の意志を保ちつつ、慎重に進路運びをしていく。
先頭から数えると…今立ったのは6番手と言ったところか。
位置自体は悪くない。
己を律しながらも、俺は慎重に脚を運んでいった。
◆ ◆ ◆
“トレーナーさん、今回の作戦は『逃げ』に変えたいの。”
確か、きっかけはそんな会話からだったろうか。
あの時は大分、困惑されたのを覚えている。
理由は…言うまでもない。
アンタに、私が憧れた走りで勝ちたかったから、だ。
もちろん、追い込みじゃ、アンタの末脚に勝てる自信がなかった、とかはあるけど…そんなのは関係ない。
ただ、ただの感情論だけで…私はこの作戦を選んだ。
…それでも、後悔なんか一切ない。
するわけがない。
そんなものをしている暇があったら、ただ…走ればいい。
私の憧れのように。
『さあ各ウマ娘、第3コーナーに入りました。先頭は依然変わらず1番マロンヴァーゴ!2番手との差は5バ身…6バ身…どんどんと開いていきます!』
気づいたら…もうレースも終盤、か。
ここまで、逃げてきたのが、ほんの一瞬のようだ。
…そして、ここまできたと言うことは…。
遠くで響く轟音。一瞬視界をチラつく、白い髪。
「…やっぱり来たわね…アンタッ!」
絶対に、抜かせない。
先頭は譲らない。
負けてやる気なんか、微塵もない。
脚を地面に叩きつけるように、踏み込み、一気に蹴り上げる。
「…絶対に…抜かせないっ!」
◆ ◆ ◆
差し掛かった第3コーナー、大分ヴァーゴと後続との差は開いている状態。
今行かねば、きっと追いつけない。
「…はぁぁぁぁ!」
一気に地面を踏み込み、ギアを上げる。
段々と熱せられていく身体。
外に出て、一気に、前へ前へと進み、後方集団を置き去りにしていく。
ヴァーゴに接近するまで、そう時間はかからなかった。
既に、靡く栗毛は目の前。
「…っ!」
彼女の漏らしたであろう声が、風に乗って、俺のところまで届く。
滲んでいたのは驚愕。
完全に、肉薄した。
…だが、当然、彼女も一筋縄じゃいかない。
刹那、鳴り響く爆音と共に、引き離そうと、彼女の速度が上がる。
きっと、今日この日のために、慣れない作戦であろうとも、練習を積んできたであろうことが、はっきりと見てとれる。
それだけ、彼女が本気であるならば、俺は応えたい。彼女の想いに…魂に!
さらに深く、地面を踏み締め、蹴り飛ばす。
『並んだ!並んだ!トレミアンタレスがマロンヴァーゴに並んだ!もつれたまま、最終直線に差し掛かりました!』
——並んだ。
飛び散る汗、息遣い。
彼女の熱をはっきりと感じる。
「…絶対に…抜かせないっ!」
…生憎だが、俺もだ。
このまま、前に行かせる気なんか、毛頭ない。
目の前に迫ってくるゴール。
ここで勝てば中央に行けるのだと。
そんな思考が、チリリと脳裏をよぎる。
だが、今の俺が走る目的はそんなものじゃない。
——彼女の想いに応えるため。
——彼女に勝つため。
「…抜かせるわけ…!」
歯を食いしばり、前を向いた時だった。
俺は聞いた。
ピキリと、何かにヒビが入ったような音を。
もしかしたら、幻聴だったのかもしれない。
それでも、聞こえたような気がした。
瞬間、白に包まれる視界。
何も聞こえず。
ヴァーゴの輪郭と、ゴールしか見えない。
そして、脚と直接リンクしたかのような感覚。
思考が加速しているのか、サファイア賞の時の感覚だ、と一瞬で思い出す。
もう、前に行くしかない。
全身全霊を込め。
俺は、深く、深く、地面を踏み締めた。
「…ないだろッ!」
◆ ◆ ◆
一瞬、アンタの瞳に赤い閃光が迸ったように見えた。
次の瞬間、
『トレミアンタレス、トレミアンタレス、ここで抜け出した!』
轟音が鳴り響いたかと思うと、実況の叫び声と共に、遠ざかっていく背中。
抜かせる気なんか毛頭なかった。
もう一度、脚に力を込めるも…。
追いつけない。
脚を溜めていた彼女と、最初から逃げていた私。
どちらの方が、競り合いになった時に有利かなんて明白。
どこか冷静に脳が処理を下す。
「…っ。」
口の端から、声にならない声が、熱せられた空気となって漏れる。
ゴール手前。
どんどんと加速していく彼女に対して、減速していく私。
手を伸ばしても、届かない背中。
それを今、私ははっきりと目にした。
『トレミアンタレス、今、1着でゴールイン!激戦を経て、岩手ステークスを制しました!』
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「…はぁ…はぁ…」
ゴール板を踏み締めた瞬間、色を取り戻す視界と共に、一気に抜ける全身の力。
思わず、その場で倒れこむ。
見上げた空はどこまでも高い。
今なら、手を伸ばせば届くような気がするくらい、視界いっぱいに広がっていた。
そうやって伸ばされた俺の手を確かに掴んだのは、
「…全く、勝ったんだから、ちゃんと立ってなさいよ。」
ヴァーゴだった。
彼女の力強い手を握り、一息に立ち上がる。
「…ありがとう。最高の勝負だったわ。」
そう口にし、彼女の手に力が込められる。
「うん。本当に、楽しかった。」
そう返し、俺も彼女の手を握りしめる。
瞬間、湧き上がる大歓声。
大舞台だったから、だろうか。
今までよりも、ずっと大きな、大きな歓声が俺たちを包む。
この大舞台で、ヴァーゴと戦えた。そして勝てた。
そんな感情が、喜びが、俺の心を満たしていく。
その時だった。
「良い勝負を見させてもらったよ。」
そんな声を拾い、耳がピクリと跳ねる。
後ろを振り向くと、立っていたのは…。
鹿毛の少女…いや、間違いなく俺は彼女の姿に、見覚えがある。
「…シンボリ…ルドルフ。」
「…おや、私を知っているのか。だったら話が早い。」
彼女の瞳が真っ直ぐに俺を射抜く。
「トレミアンタレス君、君に話がある。」
…来た。
「君を、中央にスカウトしたい。」
いつかと、覚悟していた瞬間が、ついに来たことに、全身の震えが止まらなくなる。
…そうだ、俺の目的は中央で無敗の八冠を獲ること。
そのために、ずっとここまで走ってきたんだ。
差し伸べられた手を掴もうとした時。
ふと引っかかり、手が止まる。
「…ヴァーゴは…中央に行けるんですか…?」
そこで降ろされる、彼女の手。
少し、間をあけて、彼女が口を開いた。
「…いや、私の権限でスカウトできるのは一人までだ。そして、私は君を選んだ。つまり…」
ここで、彼女は口をつぐんだ。
それでも、それが何を意味するのか、俺にははっきりとわかった。
「…少し…考えさせて…ください。」
なんとか、声を絞り出す。
横に立つヴァーゴの顔を直視することすらできずに。
俺は、一人で帰路についた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「…クソ。」
勝ったはずなのに。
中央に行くという目的は達せられたはずなのに。
俺は、布団の中で声を漏らした。
俺は確かに中央に行きたかったはずだ。
この世界に転生してきた時から、俺を突き動かしてきた原動力は常にテイオーの憧れになること、だった。
…だったら、間違いなく中央には行かねばならない。
そう頭では理解していた。
それでも、感情が、理性なんかじゃ制御しきれない大きな感情が、ヴァーゴ——この世界で初めて出会った最高の親友にしてライバルと、別れることをよしとしなかった。
その時、コンコンと、控えめにドアがノックされた。
「…どうぞ。」
もう誰かはわかっていた。
「…アンタ…?入るわよ…?」
部屋に踏み込んでくる彼女。
視界の端で揺れる栗毛。
「…何そんなところでうずくまってんのよ…。アンタ、中央に行けるんじゃない…。もっと…もっと…喜べばいいのに…。」
喜べるはずがなかった。
「…だって、ヴァーゴが一緒にいないんだもん…。」
辛うじて、漏らした声。
自分でも、子供っぽいことを言っているのはわかっている。
…それでも、彼女がいないまま、中央に行くことができるわけが…。
「…もう、何よ。私のことなんて、気にしなくていいのに…。」
彼女もまた、強がっているのがわかった。
声は、切れ切れで何かが滲んでいるようで。
「…置いてけるわけないじゃん。」
「…じゃあ、中央に行かないの…?」
その問いに対して、震えながらも、首を縦に振る。
「…なんで…なんでよ…アンタ。いつも…いっつも、あんなに楽しそうに夢を語ってたのにっ! その程度で終わるものじゃないんでしょっ!? アンタの夢は…っ!」
ここで、駄々をこねたところで、彼女は中央に行けない。
だからこそ、“彼女が夢を叶えられない“という、その事実が、俺をここに縛り付ける。
その問いに対して、答えることができなくて。
布団の中でうずくまりながら、しばらく時は流れる。
やがて彼女は、静寂を打ち破るようにして、口を開いた。
「…だったら…だったら、私と戦いなさい。それで、私がアンタを完膚なきまでに叩き潰したら、中央に行けないでしょ?違う?」