無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
「…ふぅ。」
走っては立ち止まり。
夕日が、水平線の向こうに消えていくのを、俺は眺めていた。
…トレーニングに身が入らない。
それは、強く実感していたことだった。
一週間前、彼女が俺に言い放った言葉が、再び脳裏をよぎる。
“…だったら…だったら、私と戦いなさい。それで、私がアンタを完膚なきまでに叩き潰したら、中央に行けないでしょ?違う?“
勝負の日は、一週間後となった。
ルドルフが、俺に一週間以内に考えろと言った期限と同じ。
そして、俺たちが戦うのは…その最終日、と。
もう既にその日は明日に迫っているというのに。
未だ考えはまとまらなかった。
それでも、彼女と走れば、何か見えてくるものがあるのか。
まだぼやけているそれが何かもわからず、脚に力を込めると、俺は我武者羅に走り始めた。
◆ ◆ ◆
正直、あの時アンタの背中を見て、はっきりとわかった。
“私は、中央に行けない。“
…でも、それが事実だとしても、受け入れるほかないのはわかっていた。
だったら、せめて中央に行くアンタを応援したいなって思ってた。
それなのに、あの娘は…。
彼女が、中央に行かないって言った時、正直、少し嬉しいって感情は芽生えたと思う。
それだけ、アンタが私のことを想ってくれてるっていうのがわかったから。
…それでも、彼女はここにずっといていい器じゃない。
夢を、叶えてくるべきなんだ。
あの時、感情が昂ってしまい、放ってしまった言葉。
…違う。私はアンタに中央に行って欲しい。
——なのに、私、背中を押せるのかな…?
ふと湧いてくるのはそんな疑問。
答えを掴み取ろうとして、手を伸ばしても、それはどんどんと遠ざかっていく。
…追いかけないと。
脚に力を込め、大地を蹴る。
遠ざかっていくそれが、なんなのかもわからないというのに…。
私は、我武者羅に駆け出した。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
…結局、一言も言葉を交わせなかった。
湧いてくる感情は、後悔か…それとも、別の何かなのか。
正直、俺にはよくわからなかった。
なんなら、それだけじゃない。
なんのために、俺はこのレースに臨んでいるんだ?
…勝つため?
違う。
…中央に行くため?
違う。
自分の中ですら、答えは見つかっていないというのに。
でも、俺はこうしてスタートラインに立っている。
スタートの合図をするように立っているのはトレーナー。
それに、わざわざルドルフまで来ているときた。
…俺はどうすれば…いい…?
何度も投げかけてきた質問だ。
でも、何度投げかけようと答えは出なかった。
「——よーい、ドン」
突如、隣で砂塵が舞い起こった。
そうか、スタートか、と脳が処理を下すまでカンマ0.5秒。
…出遅れなんて、選抜レースの時以来だなって。
そんなことをぼぅっと考えつつ、足元の芝を踏み始動する。
それにしても、不思議なこともあるもんだ。
…いつもより、脚に力が入らない。
——いや、むしろ当然というべきか。
俺自身、本当に走りたいのかもわかっていないというのに。
身体がついてきてくれるわけもなかった。
早々に開く、先頭——ヴァーゴとの差。
身体が勝手に内ラチ側へと傾き、あとは作業的に脚を動かしていく。
そうしている内に、どれくらいの時間が経っただろう?
突如、目の前を走るヴァーゴが速度を上げた。
…追いつかなきゃ、と。
反射的に脳が処理を下し、脚に力が込められようとする。
…だが、無理だった。
一瞬加速しようとするも、なにかがそれを阻み、減速して。
前のめりになりかけるも、その場でステップを踏み、なんとか体勢を整える。
「…できない…できるわけないよ。」
つんのめって、転びかけた挙句、そんな弱音が漏れて…それでも、走りたくなくて。
——だって、走り抜いた先にあるのは、彼女との別れなのだから。
鎖のように、脚を縛り付けるそれが、加速を阻み。
“…は?って何よ、アンタが前、また食べたいって言ってたクッキーよ!とにかくありがたく受け取っておきなさいよね!“
“あ、そうそう、アンタも頑張りなさいよ!“
“アンタは夢を宣言した時だって…走ってる時だって…それこそ、夏合宿の時だって…ずっとずっと真剣だった。それもバカみたいに。アンタがそれぐ
らいの覚悟を決められないわけがないわ。私が保証したっていいもの。“
思い出が濁流となって、胸中を流れていく。
彼女は…何度も俺を励ましてくれた。立ち止まりそうになった時には、手を差し伸べてくれた。
この世界に来て、右も左もわからなかった俺の前に立って、ずっと走り続けてくれた。
…まだ、なんの恩返しもできてないのに…。
置いてけるわけがない。
一人で中央になんて行けるわけがない。
——加速なんか…できないよ。
段々と、視線が下がっていく。
目の前には、ただ踏みつけられていくだけの芝と、残った足型。
それが見えていたということは、きっと俺は俯いていたのだろう。
…それでも、こんな姿勢で走れるわけなんてなくて。
速度が落ちるのは当然だった。
…きっとさ、このレース、俺は負けるんだ。
今まで感じたものとは全く別種の確信が、絡みつくように包み込む。
…だったら、彼女に負けた手前、俺は中央には行かない。いや、行かなくていい。ずっと、彼女と一緒だ。
直視したくない現実から逃れるように段々と瞳は閉じてきて。一緒に脚の運動も止まってきて。
視界が、暗闇に包まれた時だった。
「目を…開きなさいよ…。アンタっ!」
怒声にも似たような声が。
必死に絞り出されたような声が——耳に入り、反射的に瞳を開ける。
その時、視界に映ったのは…。
走りながらも、こちらを振り向き、手を差し伸べるヴァーゴの姿だった。
瞬間、強烈な既視感がチリリと走る。
…そうだ。初めて走った時も確か…。
走るのが怖かった俺の手を引っ張って、彼女は走ってくれた。
俺が、走れるようになったのは確か…彼女のおかげだったはずだ。
ふと空を見ると、一杯に広がる青空。
空から差し込んだ光に照らされ、芝がキラキラと輝いている。
あの時に見たのも、確か…こんな景色だった。
——そうか。
“ライバル…ふふっ、ありがとう。いい勝負だったわ。“
“…しばらく、こうしてたい。だから、離さないで…。“
“うん!アンタっていつも、ヘアゴムを使って、髪を留めてるじゃない?だから…もっと、オシャレをして欲しいなって…思って…。“
“…必ず、届いて見せる。一等星に…アンタに!“
彼女は…俺に、走ることを教えてくれた。
——そして、走っている限り、きっと俺と彼女は繋がっている。
…だって、俺が、初めて走れたのは…一歩踏み出すことができたのは…彼女の——ヴァーゴのおかげなのだから。
ずっと、彼女は前で手を握って、引っ張ってくれてた。
けれど、その手を解き、今度は俺が…彼女を追い越さねばならない時が、来たんだ。
不意に湧いた確信と共に、一気に地面を踏み締め、蹴り上げる。
段々と景色は加速していき、先ほどまで見ていた青空は、遠ざかっていく。
だが、彼女とて本気だ。
そう簡単には追いつけない。
だったら、もう一度…!
今度こそ、全霊を込め、地面を蹴り上げる。
一気に彼女の背中が近づき。
栗毛が、視界いっぱいに映る。
そして、もう手は解いた。
…なら、あとは追い越すだけだ。
もう一度、もう一度…脚に力を込める。
——並んだ。
彼女の横顔が、表情が、はっきりと瞳に映る。
…不思議と、彼女は、微笑んでいるように見えて。
最後に口が小さく動かされた。
「夢、叶えてきてね…?」
あまり、大きくない声のはずだったのに、はっきりと、俺の耳は拾った。
そしてトンと、背中を押すように、触れる彼女の手。
「…ああ。」
最後に答えを口にすると、俺は、地面を、深く踏み締め、前を見据え——
そして、突き放した。
遠ざかっていく彼女の姿。
…でも、もう立ち止まってはいられない。
彼女を追い越した以上…あとは、進むだけなんだ。
頬を撫ぜる風。
五感が…全ての感覚が、今、俺は走っているのだと、伝えてくれる。
そして、ゴール板が段々と近づく。
踏み締める直前、後ろを振り向くと、彼女はくしゃくしゃな笑顔と共に、こちらを見つめていた。
それを視界にいれた瞬間だった。
たった一雫、熱い何かが、頬を伝った。
汗なのか、それとも他の何かなのか、俺にはわからなかったけど...。
それでも——立ち止まることは、もうできなかった。
「…ヴァーゴ…ボク、中央に行くよ。」
たった一歩、踏み出した脚がゴール板を踏み締めて。
その時間は、終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「全く…もう準備は終わったんでしょうね?」
「…うん。昨日のうちに済ませておいたよ。」
いつぞやの神社の境内にて。
明日が、中央のトレセン学園へと旅立つ日であるというわけではあったが。
どうしても手渡したいものがあり、ヴァーゴをここに呼び出していた。
「…これさ、どうしてもヴァーゴに渡しておきたくて。」
手に持った小包を、そっと彼女に差し出す。
「…えっと、これは…耳飾り…?」
「…うん、クリスマスの時のお礼がしたくて。」
「…ありがと。」
彼女は、そう口にすると、そっとそれを耳につけた。
「…似合ってるかしら?」
「うん、とても。」
月並みな表現ではあったが、まあいいだろう。
それよりも、俺の想いが、彼女に届いたことがたまらなく嬉しかったのだから。
「…ねぇ、アンタ。」
その時、彼女はそっと呟いて。
「…私ね、新しい夢ができたの。」
そう口にすると、俺を指差した。
「誰よりも先に、アンタに勝つことっ!」
そこで、一息吐くと、彼女は言葉を紡ぎ出し。
「…だから、“無敗“の八冠ウマ娘って夢、叶えてきて…?私も、中央に行くから…いつか、アンタを追い越すからっ!」
その瞳に湛えられた橙色の輝きが、俺を捉える。
「…わかった。絶対になってみせるよ。」
そう口にすると、彼女の出してきた小指を、己の小指と絡ませる。
「約束、ね?」
「…うん、約束」
天に遍く星々が俺たちを照らす中。
忘れられなくて、破れなくて。
その時にきっと、ずっと大切な約束ができたんだと思う。
——絶対に、守るから。
心の中で立てたそんな誓いと共に。
いつまでも、小指は繋がっていた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「…忘れ物、ないわよね?」
「…うん、多分、大丈夫なはず。」
わざわざ、駅まで見送りに来てくれたヴァーゴの質問に返す。
今日が休日だったということも相まってか、ヴァーゴのトレーナーさんに、フォルテと。
それに加え、随分とたくさんの人が俺を見送りに来てくれていた。
「おい、アンタレスッ!アタシもいつか、お前に勝つからなぁぁぁぁ!?…だから、頑張って下さい…。」
「う…うん。頑張ってくるよ。」
「アンタレスさん、僕も陰ながら応援しておりますので。」
「はい、ありがとうございます。」
皆からそれぞれ、言葉を受け取り、最後にヴァーゴの方を向く。
「…もう、私から伝えることは、昨日全部伝えきったわ。だから…だから、最後に一つだけ言わせて。」
その一節を大切にするように。
たっぷりと間を空けてから、最後に彼女は言葉を紡いだ。
「ありがとうって。アンタがいたから、私、ここまで走ってこれた。新しい夢もできた。だから…夢、叶えてきて!」
不意に、彼女が俺を自分の方へと抱き寄せる。
一瞬、どきりと跳ねる胸。
若干どぎまぎしながらではあったが…俺も腕に力を込め、ぎゅっと彼女を抱きしめ返す。
…やがて、そんな時間も終わりを迎え。
「それじゃ…みなさん、私、行ってきます!」
そう宣言し、電車に乗り込むこと、少し。
ガタンと、小さな振動を経て、電車が動き出す。
その時、彼女たちは、急に、大きな幕のようなものを広げ出した。
目指せ!無敗の八冠ウマ娘!
その横断幕を目にした途端、感情は止まるところを知らなくなって。
思えば、ここ——モリオカにも、随分と世話になったものだと、この一年間の出来事が脳裏を閃き——
俺は窓から顔を出すと、溢れ出てくる感情のままに声を張り上げた。
「私、無敗の八冠ウマ娘に…なってきますっ!」
◆ ◆ ◆
「…行っちゃった…わね…。」
名残惜しそうに、遠ざかっていく電車を見つめながら、栗毛の少女はそう呟いた。
「…それじゃ、行きましょ。トレーナーさん。」
と、近くにいたトレーナーに話しかけると、彼女は駅のホームから出ようとする。
「…いいのか?もう、見送らなくても…。」
「…ううん、もう大丈夫。私も中央に行かなきゃいけないんだもの、こんなところで立ち止まってちゃいられないわよっ!」
そう宣言すると、彼女は、踏み締めるように、一歩、踏み出してから、学園へと駆け出していった。
遠ざかっていった背中を…一等星を目指して。
というわけで、モリオカ編完結となります。
次話は章管理も含めて、23時に投稿するウマ娘名鑑 ver.モリオカとなっています。
…なお、テイオー要素が薄まって来ていますが、中央行ったら会う機会も多いのでもうしばらくお待ちください。
あと最後に追記です。
トレーナーさんはアンタが旅立つ数日前に手続きやらなんやらのために中央に行っただけですのでご安心を。
それでは、次回もよろしくお願いします。