無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
第28R ボクだけじゃない
「…ふああ…。」
「…眠そうね?アンタレス。」
トレーニング中、突然アンタレスがあくびをした。
…おかしい。普段はこんなことなんてなかったはずなのに。
彼女とて真面目なウマ娘だ。トレーニング中はいつも真剣に取り組んでいた。
だからこそ、妙に引っかかるところがある。
「どうする?寝不足だったら、今日のトレーニングは早めに切り上げちゃうけど。」
「…いえ。やらせてください。日本ダービーまではもう日もないですし。」
皐月賞が終わってから彼女はずっとこんな様子だ。
休養も大事なトレーニングなのだから、しっかりとってほしいのだけど、と。彼女はため息をつく。
こんな状態で、トレーニングをしたところで、普段よりパフォーマンスは落ちる。
…とはいえ、だ。
アンタレスが焦燥感を感じるのも無理はない。
皐月賞が終わってからというもの、シンボリルドルフは、並々ならぬ努力をしていると聞く。
当然、皐月賞以前も人一倍努力はしていたのだろうが、アンタレスに敗北を喫してからと言うもの、さらに激しいトレーニングを積んでいるとか。
でも、きっと彼女がダービーに対して焦りを感じている要素はそれだけではないのだろう。
おそらく、モリオカ時代の…。
そこまで思案すると、彼女は再び前を向いた。
◆ ◆ ◆
…いつからだったろうか。ダービーに対してここまで執着するようになったのは。
走りながらふとそんなことを考える。
“…私、ダービーウマ娘になるのが夢なの。“
ふと、思い起こすのは去年のクリスマスに彼女が言っていた言葉。
“彼女は勝った!大外からでも、逃げ切って…1着を掴み取った!あの姿がずっと忘れられなくて…私、憧れてるの。“
彼女が憧れていた舞台に…俺が立てる。
その事実は少なからず、俺を駆り立てた。
皐月賞が終わり、ダービーを意識するようになった時、真っ先に脳裏に浮かんだのは彼女の言葉。
…彼女の夢を、代わりに叶えたい。
当然、彼女がそれを望んでいるかはわからなかった。
それでも…俺は——
と、考えた時だった。
ぐらり
と、突如視界が揺れた、と同時に崩れるバランス。
まずいと、思うもバランスを整えるにはもう遅かった。
このまま、転倒するのか、と。
考えたその時。
細くも、しっかりと鍛えられた両手が俺を抱えた。
「…はぁ…はぁ…間に…合った。」
今までになく鬼気迫る表情をしたトレーナーの顔を見ながら、俺の意識はブラックアウトしていった。
◇ ◇ ◇
「ねぇ!アンタ!私もダービーに出れることが決まったの!」
「本当!?よかったじゃん!でも私も負けないから!」
部屋に戻ってくるなり、歓喜の声を上げるヴァーゴの声に俺も答える。
彼女の念願とも言えるダービー出走が叶ったというニュースは、俺にとっては大変喜ばしいものだった。
そして——彼女とそんな大舞台で戦える。
「…でも、二人で地方から出てきて、遂にダービーまで出ちゃうなんてね…。本当に信じられないよ。」
「…そうね。でも、今こうして、二人ともここに来れた。それだけで十分じゃない。もちろん、負ける気はないけど!」
確かに、そうだ。
信じられないぐらい物事がうまく進んでいることに、ふと疑問を覚えたその時だった。
突如、視界が真っ黒に染まった、かと思うと、俺は一人になっていた。
「ヴァーゴ!どこ!?どこに行ったの!?」
声を絞り出しても、彼女はどこにも——
「——レス!——アンタレス!」
その時、どこからか声が聞こえた。
瞬間、光に包まれる視界と開く瞼。
視界には白い天井と、心配そうに俺を覗き込むトレーナーの顔が映った。
「トレー…ナー…?私は…一体…?」
「…よかった、アンタレス…。寮長から聞いたわよ?最近、朝早くから夜遅くまで、ずっと自主トレしていたんですってね…?…本当に大事に至らなくて…」
もう泣き出しそうなほどに、顔を歪めてトレーナーは語る。
言われてみれば、確かにそうだった。
最近はずっとそんな風にトレーニングを…
「アンタレスが、そこまで無理する理由、ヴァーゴちゃんのため…でしょ?」
「…なんで、それを…」
図星、だった。
だからこそ、疑問を孕んだ声が漏れる。
「…だからね、もう一度、彼女と話してほしいの。」
そう告げると、彼女は俺の前にコトリと、スマートフォンを置く。
「…嫌、です。彼女に心配をかけたくないので。」
彼女に心配をかけたくない。
「…そういうと思ってたわ。だから、先に連絡は入れておいた。事情説明と、アンタレスからもう一度かけるってね。」
しかし、それとは別に、今まで電話をかけて来なかったもう一つの理由もあった。
…モリオカにいた頃、俺は彼女がいなきゃダメダメなぐらい頼りきっていたから。
だからこそ、電話をかけたら、もう一度そうなってしまう気がして…。
そうなったら、間違いなくお互いに強く影響が出てしまう。
だからこそ、2、3度の文通程度にとどめていた。
でも、今、俺は…。
震える両手を使って、電話を開き、ゆっくりと、彼女の電話番号を表示させる。
そして、通話ボタンまで来た時だった。
…だめだ、押せない。
どうしても、最後の一歩を踏み出す勇気がなかった。
もう一度、彼女に依存してしまうのではないかと言う不安が、俺を縛り付けていた。
「…大丈夫。あなたは、あなたが思ってるほど弱くない。だから…かけなさい。」
はっきりと、そうトレーナーは言い切る。
…そう…なのか…?
思わずその言葉に釣られた最後の一押しは思ってたより遥かに呆気なかった。
プルル、プルル、としばしの発信音の後に、ガチャリ、と。
彼女が出たことを示す音が聞こえる。
「アンタっ!?アンタなの!?」
久々に聞く、その声は、思ってたよりずっと変わりなくて。
思わず、彼女の声が聞けたと言うだけで、込み上げてくるものがあるほどだった。
「…うん、私、だよ?…アンタレスだよ?」
切れ切れになりながらも、なんとか声を絞り出す。
「…そう。本当に…よかった。トレーナーさんから聞いたわ。アンタがオーバーワークで倒れたって。」
「…そっか…でも、私は大丈夫。」
「そうみたいね。安心したわよ、本当に…。」
そこまで言うと、彼女は少し声音を変えた。
「それでね、アンタが今、焦ってるっていうのも聞いたわ。だからね、聞いてほしいの。私も5月27日。ダービーの日にレースに出ることにしたわ。でね、何が言いたいかって言うと…」
そこで、彼女は少し間を置くと、口を開いた。
「アンタは一人で走るわけじゃないって言うこと!アンタがダービーを走る時、私は走ってる。一緒に…走るのよ。」
「本…当…?私は…一人じゃ…。」
さっきの夢のせいか、思わずそんな質問が漏れる。
「本当よ。アンタは一人じゃない。…だから、あんまり一人で抱え込まないで。」
じわりと、視界が滲むと同時に、わかったのは今まで勘違いしていたこと。
そうだ、俺は一人で走るわけじゃない。
応援してくれるファンがいて。
トレーナーがいて。
ヴァーゴがいて。
初めて俺は走ることができていた。
だから、これはきっと俺が一人で抱え込むものじゃない。
「…ありがとう、ヴァーゴ…。わかった、私、勝つよ。みんなと一緒に、ダービーで…!」
最後に放った言葉は、自分でも驚くほどに、自信に満ちていた。
◆ ◆ ◆
「よし、いい感じにタイム伸びてるわよ!」
数日間の休養を経て、トレーニングに復帰したアンタレスにそう声をかける。
あれから、何かが吹っ切れたように走る、アンタレスのタイムはどんどんと伸びていっていた。
これなら、勝てるかも、なんて。
そう考えた彼女は、少し笑うと、もう一度、アンタレスに声をかけた。
「もう一本、行きましょうか!」
アンタっ!は、アンタッチャブルからの変換です。
次回、ルドルフ視点です。
それでは次回もよろしくお願いします。