無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
第31R 悔恨
〈果てしなく続く Winning the soul〉
…ずっと、ずっと見ていた夢の一幕、ウイニングライブ。
最後の1フレーズが紡がれ、煌びやかに輝いたダービーの舞台が幕を閉じようとしている中。
その男はただ一人、ステージから背を向けていた。
確かに、その一フレーズには己の担当ウマ娘の声が含まれていた。
…しかし、実際にセンターで歌っているのは白毛と赤い流星を靡かせた少女で。
自身の担当ウマ娘がいるのはその隣だった。
“ごめんなさい、トレーナーさん…私を信じてくれたあなたに恥をかかせちゃって…。私には、無敗の三冠なんて夢…“
「…ごめんな、ルドルフ…———…。」
端の方で縮こまるようにして、頭を抱えながら、彼は何度も、何度も。
二人のウマ娘の名前を口にして、贖罪の言葉を発し。
今や、悪夢へと変貌した夢から、目を背けた。
◆ ◆ ◆
◆ ◆
◆
「…ぜぇ…ぜぇ…」
脚が重くて、息が苦しい…と。
もう端的に換言すると、ぼかあ死にそうだよ後輩、ということ。
「ほらほらアンタレス!あなた、長距離は未経験なんだから、このままじゃ菊花賞、置いてかれちゃうわよ!」
「は…はい…」
横にある標識を見てみたら、あと400mもあるよ?これ。
ふええ…まだ走るのお?と。
もう息も切れ切れになりながらも脚を進めていくこと数十秒後。
「…はい、ゴール。タイムは…3:19.9…と。…2500超えた辺りからの減速がすごかったわね。原因はやっぱり、ペース配分…かしら?」
そう告げつつ、もう一個のストップウォッチを取り出すトレーナー。
「2400mでのタイムが2:29.5…ね。…ダービーの時とあまり変わらないペースじゃない。飛ばしすぎよ。」
「えっと…ごめんなさい…。」
思わず漏れる謝罪の声。
こうして、下手に回ってしまうところもなんとかしたいものではあるが…まあ生来、こういう性分なのだ。
ここは、目を瞑ろう。
「…別に謝る必要はないわよ。まだ、5ヶ月あるんだもの。十分スタミナは補強できる。それにあなたは無敗の二冠ウマ娘なのよ?もっと胸を張ってもいいんだから。」
…と、口ではそういうトレーナーではあるが、若干表情は険しい。
そりゃそうだ。5ヶ月もあるといえば、聞こえはいいが、裏を返せば、たかが5ヶ月。
たったそれだけの期間で更にタイムを縮めなければいけない、と考えると足らないわけだ。
自分がトレーニングをしている間に、ライバルたちはじっとしているわけじゃない。
彼女らもまた、力をつけているのだ。
それはもう十分理解しているはず。
「…でも…」
と言いかけて、口をつぐむ。
トレーナーなりに俺のことを気遣ってくれているのだろう。
…ここは、素直に答えておかねば。
「…わかりました。」
「…うん、それならいいわ。とにかく焦りは禁物なんだから。とにかく、しばらくはメニューに沿ってトレーニングしましょう?」
その言葉にこくりと頷くも、なんとなく胸に残るしこり。
…これを取り除くにはどうすりゃいいんだろうな…?
俺は、ふとそんなことを考えた。
◇ ◇ ◇
…トレーニングしかないよなァ!?
これ以上ないぐらいロジカルな判断を下し、駆けるのは夜の街。
「はぁ…はぁ…」
なんとなくルドルフと鉢合わせしたくないな、なんて考えつつ、神社は避けたわけだが…夜の街を普通に走っているだけのはずなのに、まあ息は切れる。
明らかなスタミナ不足だな、これ。
…なんて考えつつ、橋に差し掛かったあたり、だろうか。
ふと、眼下を見てみると、川の水が月に照らされ、輝いている。
昼間の澱んだ水に比べると、全然綺麗だな、と。
若干気を散らして走っていたからだろうか。
「うわッ!」
目の前に立っていた人影に、俺は気づかず激突しそうになったところを慌ててブレーキをかけよう…としたところで、まあ当然ではあるが…いくらウマ娘専用レーン外で全速力ではなかったとはいえ、そこそこ速度は出ていたのだ。
急ブレーキに体が対応しきれず、もつれる脚と崩れるバランス。
…万事休すか?と思った矢先である。
グッと、強い力で腕を掴まれ、前のめりになっていた俺の軌道は修正された。
「大丈夫か?君?」
片手で小さな缶を持ちながら、そう問うてくる人影に、
「…ええ、まあ…」
と、何とか応答する。
…ってか完全に腰抜けちゃってんな、俺。
「…そっか、それなら良かった。」
声音的に男性…だろうか?
腕への筋肉のつき方はなかなかよく、“兄ちゃん、鍛えてますね!”と、一言言ってやりたい気分だ。
…なんで、腕のレビューしてるんだろ?
「…あの、手を離していただいても…。」
「…手?…あっ…ごめん…。」
そう申し訳なさそうに告げると、手を離す男性。
まあ、悪い人じゃなさそうである。
こうして助けてくれたわけだし、お礼を言わねば、と。
顔を上げた時のこと。
30代後半ぐらいのおじさんと目が合ったまではいい。
気になったのは…彼の表情に、明らかに驚愕の色が滲んでいた点、だった。
◆ ◆ ◆
「ルドルフ、今日のトレーニングは中止だ。一日休んでいてくれ。」
「何故だ、トレーナー君、ダービーで敗北したからこそ…私たちは、菊花賞に向けて邁進していかねばならないのに…。」
声音に悔しさを滲ませながらも、そう言うルドルフの姿が電話越しにでも、ありありと目に浮かぶ。
そも、昨日のダービーから一度も顔を合わせていないのだ。
本来なら、反省会やら、次のレースに向けての調整やらをすべきだろうに。
…それでも、情けない話ではあったが…男はルドルフと顔を合わせることを恐れていた。
昨晩からずっとフラッシュバックしていたのは、過去に己の力不足が原因で夢が潰えてしまった担当ウマ娘の姿、だった。
あれを繰り返さないためにも、トレーニングをすべきなのに。
気持ちとは裏腹に、手は受話器のボタンへと伸びる。
「…とにかく…今日は中止だ。」
それだけを絞り出すように告げると、彼はボタンを押した。
ツーツー
音を立てて、通話が終わったことを教えてくれる携帯電話。
それを知った男は、布団に倒れ込むと、静かに目を瞑った。
“夢はな…自分から掴みに行く準備をしなくちゃ、絶対に叶えられない。…形は変わってもまだ、叶えられるよ。最後の冠を獲りにいこう。…だから…走れ。走ってくれ——。“
瞳を潤ませた少女にかけるにはなんて情けない言葉だろう?
瞼の裏に彼女が担当契約の打ち切りを告げようとした時の情景が浮かぶ。
「…全く、馬鹿げてるよな、俺って…。」
そう口にすると、男は起き上がり、軽く首を振ると、現実から背を向けるようにして、部屋を出ていった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
ため息を吐きながら、橋に立ち、沈んでいく夕日を見つめること、何時間経っただろうか。
時間は物事を解決へと導いてくれる、とはよく言うが、問題に目を背けている現状、どれだけ時間が流れても、解決に至るはずがなかった。
…とはいえ、だ。
今、問題に向き合っても、解決に導ける気がしない。
それほどまでに、矮小な存在になってしまった自分を見下すように。
水に映る夕日を見つめながら、彼はただ手に持った缶コーヒーを握りしめていた。
——“あのレース“を見た時も…トレーナーになれた時も…あんなに俺の瞳は輝いていたのか?
…しかし、今の自分の瞳はすっかり昼間のこの水のように、濁り切ってしまっているはずだ。
違いない、と。
自嘲しながら、プルタブを開け、缶コーヒーを少しずつ啜っていく。
考えてみれば、これもルドルフから普段の労いとして貰ったものだった。
自分は…慕われていたのか?
十分な働きをしていたのか?
そんなことを考え、すぐに首を振る。
——否。
そんなわけがない。であれば、彼女から契約解除を告げられることも、ルドルフが作戦を無視することもなかったはずだ。
その時だった。
「うわッ!」
突然、そんな声が響き渡り、声の聞こえた方向である真横を見てみると、ここまで走ってきたのであろうウマ娘が、すぐ目の前にいた。
向こうも向こうで、慌ててブレーキをかけようとしたのだろう。
バランスが崩れるのが見てとれる。
——このままじゃ、不味い。
そう判断するまでにそう時間はかからなかった。
慌てて、彼女の腕を掴み、引き上げる。
幸い、普段からある程度鍛えてはいたので、彼女の体勢を整えることはできた。
「大丈夫か?君?」
「…ええ、まあ…」
どうやら、怪我などはないようだ。
腰が抜けてしまったのか、切れ切れになりながら、小さい声で答えるウマ娘の声に胸を撫で下ろす。
「…そっか、それなら良かった。」
呟くように、そう口にし。
彼女の顔を目にした時、男は気がついた。
それが、自身の担当ウマ娘、シンボリルドルフを下したウマ娘——トレミアンタレスのものであったことに。
次回、アンタレス+ルドトレ回です。
よろしくお願いします。