無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第37R 一歩先を

「もーらいっ!」

 

そんな声を最後に、目の前で自転車は走り出す。

何とかなれない水泳をクリアしたところまでは良かったわけだが、スタミナ管理もあまり上手くいかなかったために先を行っていたミスターシービーを見送る形になってしまった。

 

そんな中、何とか自転車のところまで辿り着くまでにも数秒。

やはり慣れない砂のせいで、砂浜から道路に出るだけだというのにそこそこの時間を要してしまった。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

とはいえ、かなり体力は消耗しているのだ。いくら急がなければならないとしても水分補給は欠かせない。

さっきサラッと水分も塩分も補給したから問題ないね!なんて言葉を振り払いつつ、喉奥へ一息にスポーツドリンクを流しこむ。

口の中に程よい酸味が広がり、とりあえず先ほどの不快な塩っ気を流して俺は自転車に跨った。

 

「アンタレス〜? 水分補給はちゃんと……」

「した! したからっ!」

 

大音量で名前を呼ばれたことへのちょっとした気恥ずかしさとその他諸々の入り組んだ感情から、半ば自暴自棄気味に叫ぶと、俺は自転車を漕ぎ出した。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「……ふぅ」

 

道も荒れてきたため、どうやら山道に差し掛かったらしいことに気づき、自転車から降りるとルドルフは一度息を吐いた。

タイミング的にはシービーやマルゼンスキーも今しがた走り始めた頃だった。

 

しかしこのトライアスロンという競技に慣れているからか、積み重ねた場数の差か、自分ほど疲弊してはいないようで彼女たちはすぐに走り始める。

すぐに後を追わねば、と脚を動かそうとして——

 

「……アンタレス……?」

 

ふと大きく出遅れた少女の姿を思い出し、一瞬、彼女は脚を止めた。

確か、スタート時に開いていた差は相当に大きかった。

 

あの具合だと、彼女がここに辿り着くのはいつ頃かと、少しばかり思案し……彼女はすぐに首を振った。

 

——他者のことを気にしていては、勝てるレースも勝てない。

 

そんなこと、何度も肝に命じてきた。

レースにおいて、他者を気にし過ぎるのは致命的だ。

 

当然、破滅的なペースで逃げを打つ者もいれば、最後の最後まで後方に止まり、一気に差し切ってくる者もいる。

自分のペースは、保たねばならない。

 

——それに……彼女ならば、必ず食いついてくるはずだ。

 

大きな出遅れを見た後でも、勘はそう告げてくる。

 

しかし、今までの彼女の走りを見た後では、あり得ないと一蹴することの方が難しかった。

そう結論づけて小さく頷き、再び地面を蹴り上げた時だった。

 

ザッと後方から響く足音を、彼女は確かに聞いた。

 

◆ ◆ ◆

 

「ぜぇ……ぜぇ……」

 

ペダルから離した脚は重く、息は荒い。

 

とはいえ、山道には何とか辿り着けたようで、少々の安堵感も襲ってくる。

しかし、ここから慣れた走りに移せるのだとしても、安心するのはまだ早い。

目の前に広がるのは、かなり急な勾配。

 

停められた残り三つの自転車を見るに、皆もう先に行ってしまったのだろう。

積んでたスポーツドリンクを一気に飲み干すと、軽く踏み込んでみる。

 

……スタミナの消耗からか、少しばかり重さを感じないことはないが、走れることには走れるはずだ。

 

「すぅ……はぁ……」

 

肺を空気で満たし、吐き出す。

 

……よし、行ける。

地面を踏み、最初のステップは軽く。

 

その後、しばらく間隔を広げていくようにして走り始める。

木陰にいるからか、思っていたほど暑くはない。気温は丁度いい。

 

しかし、整備されているとは言っても足元の状態はあまり良くない。

何なら坂道もあるわけだし、スタミナを奪う要素に随分と富んだ山である。

 

でも、その割に思考は落ち着いていて。

一定間隔で刻まれる拍動と歩幅はある程度の安定感を持っている。

 

まだ山道は序盤、急ぐ時じゃない。

 

深く息を吸うと、俺はもう一度地面を蹴り上げた。

 

◆ ◆ ◆

 

——中盤を過ぎた辺り、だろうか。

 

呼吸を整えるのは忘れずに、前で揺れる白い帽子と中腹辺りから見える景色を眺めながらルドルフは距離を測っていた。

シービーは目の前、マルゼンスキーは二バ身ほど先を行っているといった具合、だろうか。

 

……しかし、アンタレスの姿はまだ見えない。

 

純粋に食いついてこれていないのか、それともスタミナを温存している状況なのかを計りかねたせいか、彼女は一度ため息を吐いた。

こうなってしまった以上は、とにかく前に集中するしかなかろう。

 

一度、彼女のことを思考から外そうとした時だった。

 

「……見つけたっ!」

 

明らかに聞き覚えのある声と、視界の端に映り込んだ白毛。

……間違えようがなかった。その特徴と紐付くのは一人の少女だけ。

 

——アンタレスだ。

 

途端、明らかに空気が重くなったのをルドルフは感じた。

 

声に反応して、前の二人も一斉にアンタレスを警戒し始めたから、だろうか。

それとも……この状況がダービーの時と似通っているから……か?

 

焼き付いた赤い瞳。

 

一歩前で踏み締められた脚。

 

脳裏をよぎるターフと、自分の先を行った少女の姿。

 

しかし——

 

既に山頂(ゴール)は見えていて、皆スパートをかけ出していて。

 

——過去が絡みついてきていたとしても、今、私は走っている。であれば、ただ……

 

深く地面に脚がめり込み。

 

「……振り切るのみっ!」

 

蹴り上げた途端、速度は跳ね上がり、景色は加速していく。

目の前を駆けていた背中が近づき、遂に追い越さんとした時だった。

 

「……っ」

 

確かに感じた悪寒は正しく、背後で一度聞こえた足音と共に、前に躍り出たのは——アンタレスだった。

正にそのまま先頭にすらも追いつかんとする勢いに、急く気持ちを抑え込み冷静に、脚を踏み出す。

 

——あくまでもここは山道。大きく歩幅をとっている彼女の方が若干スタミナ切れを起こすのは早いはずだ。

 

刻むペースは細かく、速く。

 

「……え?」

 

唐突だった。

 

ガクン、という擬音が相応しいほど唐突に彼女は、抜けた声を発して速度を落とした。

 

追い越すまでにそう時間はかからなかった。

 

……しかし、その瞬間に映った、見開かれた赤い瞳はこれまた酷く印象的なものだった。

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

「……ありがと、ルドルフ。それに先輩方も……」

 

木陰で仰向けになった俺に、濡れたタオルを当ててくれる先輩方にお礼を言いつつ、渡されたスポーツドリンクを飲み干す。

そうこうしてもらっているうちに、少し思考が鮮明になってきて、何とか体を起こす。

 

「アンタレス……大丈夫なのか?」

「うん。多分君のはただのスタミナ切れ、でしょ? 違う?」

 

シービーが代わりに質問に答えてしまったのは置いておくこととして、先ほどの感覚には随分と覚えがあったものだった。

 

「おそらくは……」

「やっぱり。アタシたちはある程度慣れてたけど……初めてだったのなら相当バテるはずだよ」

「……確かに。大分原因はあるもの。慣れない水泳にサイクリング、それに山登りもあったわね……でも……」

「……ペース……ですか……?」

「ええ、スパートのタイミングがちょっと早かったかしら? あたしたちを見つけた途端にギアを上げたわけでしょ? スタミナも切れるわよ」

 

一通りアドバイスを貰った後、一度息を吐く。

 

「貴重なアドバイス、ありがとうございました。それに今日のトライアスロンもいい経験に……」

「いいわよ、そんなに堅苦しい言葉は。戻りましょ、トレーナー君たちも待ってて……それにスイーツも食べれるんでしょ!?」

 

浮かれた足取りで山を下っていく先輩方二人を見送りながらもどこか、俺の足取りは重かった。

 

……正直理由は分かりきっている。

 

思い込んでたんだ。このペースでいいって、スタミナ管理はできているんだって。

……それでも、その果てに待っていたのはこの結果だった。

 

——中距離ならまだしも、長距離で勝てるのか?

 

競技自体の形が違うとはいえ、実際に走ってみると尚更不安は募ってくる。

 

それに……ルドルフは……。

 

一歩目の前を行く彼女を見つめ、今日の展開を思い出す。

一瞬、抜かせたと思って、それでも急に脚が重くなって、抜かされて。

 

胸中で騒めくそれらを引き摺って、俺は帰路につく。

 

()()が、菊花賞で起こり得ないとは、限らないと。

こびりついた嫌な考えを振り払おうとしながら。




次回はアンタレスとルドルフの絡みです。
それでは、次回もよろしくお願いします。

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