無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
「ハァ……ハァ……」
砂を蹴り、前へ、前へと足を進める。
次第に重くなっていくのを無視するため、疲労感を押し殺すように歯を食いしばり、口の端から熱い吐息が漏れる。
それでも消えぬ疲労感に少々の苛立ちを覚えながらも、足を機械的に動かすこと数分、砂に足を取られたのだけははっきりとわかった。
「……っ!?」
声を上げる間すらもなく、視界はブレて……ドサリ、と乾いた音を立てたのを最後に、俺は転んでしまったようだった。
幸いなことに、今は夜、場所は砂浜。特に怪我もなく、砂もそこまで熱くはなく、問題といえばただ砂を口に含んでしまったことぐらい……だろうか。
特に擦りむいた様子もなかったし、取り敢えず立ち上がり、砂を吐き出してトレーニングを続けようとした時だった。
「アンタレスっ!」
唐突に割って入ってきた声によって、トレーニングは終わりを告げた。
◇ ◇ ◇
「——もう……この間、自主トレは相談してからって言ったじゃない……。私が見てあげられない場所だと怪我をするリスクだってあるのよ? 大体、さっきだって……」
流石に反論の余地はない。
ただ感情だけで動いたってリスクしかないのは重々理解していたはずだったというのに、破ってしまったのは事実だ。
ここは、しっかりと聞き入れた上でトレーニングを……
「……だから、明日はトレーニングの代わりに午前から浴衣選び、夕方からこの辺りでやるお祭りに参加するわよっ!」
「わかり……え……?」
顔を上げて真っ先に見たのは、先ほどまでの真剣な表情だったトレーナーではなく、随分と表情が柔らかくなったトレーナーだった。
「アンタレス、自主トレはいつから始めてたの?」
「大体、1週間前から……?」
確か、トライアスロンで大敗を喫した日からだったはず。
俺、今相当な間抜け面してるんだろうな……なんて考えつつ答える。
「でしょ? 自主トレしてた間に潰しちゃった休日の振替えだと思いなさい」
「……でも、そんな……菊花賞までに……」
「休息は大事なトレーニングってよく言うでしょ? オーバートレーニングで怪我したら元も子もないわよ」
残念ながら、オーバートレーニングに対して覚えがなかったわけではなかったために、そこまで言われてしまうと引けなくなってしまう。
完全にペースに乗せられてしまったといって差し支えがなかったのだろう。
「それじゃ、明日は朝から出かけるわよっ!」
すっかりテンションが高くなったトレーナーに対して割り込める言葉もなく。結局、予定を取り付けられたまま、今夜は部屋に帰される運びとなってしまった。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「よ……よかったの? こんなに高いの……」
「いいのよ、トレーナーの給料なんて、ウマ娘のために消えていくものなんだから」
一応古着ではあったものの、状態がよく新品に近いものだったのか、袋の中にあるのは中々に値が張る代物だった。
流石にこんな高価なものをもらうのは気が……。とばかりに、恐る恐る聞いてみる。
「やっぱり……帰ってから私が払……」
「だから……これは私のためでもあるのっ! アンタレス、オシャレに疎いんだからやっぱり見てみたいわよ。自分の担当が着飾ってるところ!」
「着方がわからないんだけど……」
「そんなの私ができるわよ」
申し訳なさは残るものの、そこまで言われてしまえばこれ以上はかえってトレーナーに失礼だ。
きっと、素直にお礼を言った方がいい。
「……ありがとう」
「それでよし。じゃ、旅館に戻って着替えるわよ!」
……あの形容し難い建物を旅館と表現してしまっていいのか、と妙な疑問に囚われつつもやたらとテンションの高いトレーナーに手を引かれて、俺は歩き始めた。
◇ ◇ ◇
「変、じゃ……ないよね……?」
「全然、むしろ似合ってるぐらいよ!」
着付けを終えた後に、相変わらずのテンションでトレーナーは様々な方角から写真を撮っていく。
冷静に考えてみれば、ここまでヒラヒラした服を着るのが初めてだというのも相待って、少々頬が熱くなってくる。
「せめてそろそろ……」
「もうちょっと! もうちょっとだからっ!」
買ってもらった身としては、ストップをかけることなどできない。
それにここまでテンションが高いトレーナーを見るのも久々だったわけだし、意外と満更でもなかったのかもしれない。
冷静に考えれば、ウイニングライブも似たようなもんだ。多分。
「それじゃ、集合場所はここ。間違えないようにね?」
そんなこんなで時は経ち、そろそろ開始時間かといった手前、そんな言葉と共にトレーナーから渡されたのは一枚の紙切れだった。
「これは……?」
「私にも準備があるもの。とにかく時間までに来なさい。いいわね?」
◇ ◇ ◇
「……ルドルフ……だよね……?」
「……アンタレス……?」
浴衣で着飾った少女が二人といえども、呆けた面が二つ揃ってしまえば、気まずい空間ができてしまうのはあっという間だ。
かくて、何故そんなものが醸造されてしまったのかというと、理由は簡単。集合場所に行ったらルドルフがいました。待ち合わせ中でも顔見知りを無視するのって気がひけるよね、といった具合である。
とはいえ、互いの名前を確認したところで会話が続くわけでもない。
喧騒の中で俺たちがいる空間だけが浮いている状況が十分ほど続いた時だった。
軽い振動と共に、メールの着信音が響いた。何ならルドルフと全く同じタイミングで。
送り主はトレーナー、件名は〈行けなくなっちゃった〉内容は〈ごめん〉と。
——え?
思わず、抜けた声が漏れそうになった時だった。
「……は?」
先に声を発したのはルドルフの方だった。
「トレーナー……君……?」
次いで彼女は食い入るように画面を見つめる。
「知り合いと回ってくれ……? 一体どういう……」
普段落ち着いている彼女にしては珍しく、キョロキョロと辺りを見回す仕草。中々にレアだ。
などと適当なことを考えていたら、見事に目があったわけだ。……ルドルフと。
「……なるほど。いいか、アンタレス」
「……どういう……」
彼女が既に合点がいっていたとしても、俺は何も知らない状況だ。
どういうことだかわからないまま、彼女に手を掴まれる。
「どちらにせよ、私たちの待ち人は来ない。であればここで待っているのは時間の無駄だろう? ……とはいえ、私も一人で回るのは少々気が引けたものでね。君さえ良ければ、一緒に回らないかい?」
“君さえ良ければ”という条件が付与されてはいるが、口調から察するに半ば強制に近いものだ。
ただ、気持ちはよくわかる。このドンチャン騒ぎに一人で殴り込んでいく勇気なぞないし、トレーナーがどこにいるかもわからない。
「……了解。そういうことだったら、私も乗るよ……一人は確かに嫌だし」
どちらにせよ逃げ場はないわけだ。
頷くと同時に、彼女は中々のバ鹿力で俺を引っ張り始める。
「……それでは、行くとしようか」
ただし、彼女の口の端から漏れた声は、その鍛え上げられたバ鹿力とは対照的に随分と可愛らしいものだった。
◇ ◇ ◇
「おお……」
カテゴライズとしては東京に比べれば十分田舎に該当しているであろうこの町でもかなりの人混みで、思わず感嘆してしまう。
トレーナーや友達と来ているウマ娘も多いようで、浴衣姿の少女たちがすっかりと情景に溶け込んでいる。
「それでは、どこから回ろうか?」
そう問うてくるルドルフの声もまた、心なしか弾んでいるようだった。
どうしたものか……と思案すること暫し、結論が出るよりも先に鳴ったのは腹の虫。
「まずさ、何か食べない?」
「ふむ……アレはどうだ?」
そんな提案に対して、彼女が指差したのは綿菓子を販売している出店だった。それも自分で作れるタイプのやつ。
——多分、それじゃ腹は膨れないんじゃないかな、とばかりに却下しようとしたが、既に彼女は歩き出してるし、口調に対して足取りは軽やか、ちらりと見えた目は少しばかり輝いている。
……却下するのはきっと無粋だ。
なんて考えつつ、いつの間にやら姿を消した彼女の歩く速さに感心しつつ、慌てて追いかけようとした時にはもう遅かったようだ。
先ほどの出店から既に彼女は姿を消しており、やっとこさ見つけた時には彼女は既に二つほど隣にあった射的の列に、上品に綿菓子を舐めながら並んでいた。
「……やっと見つけた。移動する時はちゃんと……」
「すまない、綿菓子だ。さて、アレはどうすれば……」
綿菓子の手渡しと共に、景品として飾られている茶運び人形をむしろ先ほどよりも目を輝かせながら見つめている彼女の姿にすっかり毒気を抜かれてしまう。
「撃ち落とせば貰えるけど……欲しいの?」
「ああ、生徒会室が少しばかり賑やかになるかと思ってね」
確かにこの間入った生徒会室はスクールモットーを除くと、少々殺風景だったといえたかもしれない。
ちょっとしたマスコットは欲しくなるのだろう。何故アレなのかは不明だが。
そうこう会話しているうちに回ってきた順番。
彼女の様になっている銃の構えに感心していた時だった。
──バン!
一発が全てだった。
突然響いた銃声の末に、台から転げ落ちたのは胴体と頭が分かれてしまった人形。
店主から手渡されたそれを手にして、彼女は何かを憂いているように見えた。
◇ ◇ ◇
「ふふっ……確かに高揚するものだ」
ベンチに腰掛け、食べ物を頬張りながら、何とかテンションが戻ってきたルドルフがポツリと放った一言。
それは、やけに耳に残るものだった。
「お祭り、あまり行ったことないの?」
思わず放った問いに対して、彼女はこくりと頷く。
「……ああ、昔から走ることに夢中だったからね。こうして遊び歩くのも久しぶりだ。それに、君とこうして話しているのも少しばかり不思議な気分、だよ」
彼女にとっては目新しいものが多かった、そう考えれば確かに今日、彼女のテンションが高かったのも頷ける。
ただ、少し引っかかったのは最後の一言だった。
「不思議な気分……って?」
それに答えようとしたのか彼女がこちらを向いた時、ズレていた視点が——目と目が、確かに合ったのを感じた。
「生徒会室で会った時の君も、境内で会った時の君も、勿論、レースをしている時の君も——ずっと、闘争本能を剥き出しにして立ち向かってくる君と今こうして話していること、というべきかな?」
『皐月賞、絶対に私が勝つから。覚悟しておいて』
『……そう、それでも、私も負ける気はないから。……夢がかかってるの』
……思い返してみると、割と殺伐とした宣言しかしていないような気もする。
そう考えると、彼女の表現する“不思議“の意味もわかるかもしれない。
確かに、こうして普通に遊んで、話しているのは不思議な気分だ。
「……トライアスロンの日、感謝しているといったね。あれは何も、君のアドバイスだけに向けたものじゃない。初めて君のレースを見た時から……ずっと、高揚していた。共に走っていて、焦ったことだってあったけれど……それでも、楽しかったのは確かだよ。だからこそ——」
紫色の瞳が、真っ直ぐに射抜き。
一度閉じられた唇が、軽く息を吸って——もう一度言葉が紡がれた。
「——“ありがとう”と伝えたい。そして『菊花賞』で君に負けるつもりはない、と。誰が相手だろうと手を抜いてきたつもりはないが……君が相手だと、より私は“燃えてくる”んだ」
……”燃えてくる”、か。
彼女にしては珍しい、ストレートな発言だった。
だからこそ、その言葉に込められていた芯の強さはよりはっきりと感じ取れて。
——いつまでもしょげて、焦って、我武者羅に走っている場合じゃないんだ。
彼女は、ただ真っ直ぐに勝利だけを見据えていたというのに……俺が脇道に逸れてどうする?
トレーニング不足なら鍛えるしかない、走り方が悪いなら変えるしかない。
でも、そこに数通りの道があれど、持つべきものは一つだけ。“勝ちたい”って意志。
「……ありがとう、ルドルフ。この気持ちを思い出させてくれて。私も......何だか燃えてきたよ」
そこで、一度瞼を閉じて、次に開いた時、真っ直ぐに見据えたのは濁りないルドルフの瞳だった。
「『菊花賞』、絶対に負けない。私が勝つから。だから──楽しくて、すっごい熱くなれる、“最高のレース“にしたい」
きっとその意志に疑念なんか必要ない。
ただ己の勝利だけを信じて、真っ直ぐ進んでいけばよかったんだ。
そんな俺の答えに対して彼女は口を開くことなく、ただ口の端を吊り上げて、片手を上げるのみだった。
それでも、言葉がなくとも何をすればいいかはわかっていて。
俺も片手を上げる。
──パチン!
小気味の良い音が響き、交わされたハイタッチ。
「楽しんでいこう」
はっきりと通ったその声には一切の澱みがなくて。
交わした意志が導いてくれるであろう舞台を想像したのか、彼女は笑みをこぼした。
◆ ◆ ◆
「……随分と荒療治だな」
二人の少女を見つめながら呟いた男に対して、彼女は言葉を返した。
「……それでも、アンタレスには前向きにトレーニングをして欲しかったんです。きっと、焦りからくる自主トレを続けさせているよりも、遥かに効果的でしょうし」
「だとしても……裏目に出たらどうするつもりだったんだ? ルドルフの意志に押し潰される可能性もあり得たろ?」
「いいえ、それはあり得ません」
そんな男の問いに対して紡がれた彼女の答えは、毅然としたものだった。
「彼女は強い意志をぶつけられたら折れるのではなくむしろ——それに対抗して、さらに強い意志を燃やすウマ娘ですから」
「……そう、か。しっかりと築き上げてるんだな、信頼関係」
「ええ、ですから『菊花賞』で勝利を収めるのは私たちです。覚悟しておいてください」
「……ま、それは俺たちのセリフでもあるからな。お前こそ、覚悟しておいた方がいいぞ?」
「あ! そういえばこの後海岸で花火を打ち上げるらしいんです! アンタレスたちも行くみたいですし、見に行きませんか!?」
「コロコロ話を……っておい、そんなに急ぐなよ! 全く、現役の時と全く変わらないな……」
少女たちに合わせて駆け出した彼女を追って、男もまた駆け出すのだった。
次はテイオー&アンタレスwithルドルフです。
次回もよろしくお願いいたします。
リーダー(点)の数
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三
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六