無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第42R 菊花賞 後編

——『写真』

 

掲示板の1と2の間、点灯する二文字。

息は荒いまま、吐き出す度に視界は滲む。

走り終え、その二文字を見るまではまだ辛うじて体勢を整えていられたものの拍子抜けとでもいうべきか、その文字を視界に入れた瞬間に、身体から一気に力が抜ける。そのままとさり、とその場に倒れ込んだ俺を湿った芝が受け止めてくれる。

それにしても随分とありがたいものだ。熱された身体を、これは十分に冷ましてくれる。

土で汚れるのなんてお構いなし。顔を埋め、両手両足を投げ出し、頭を空っぽに。全身で芝の心地よさを味わう。

 

そうしていて、1分ほどが経ったろうか。

ようやく呼吸が落ち着いていたために顔を上げてみると、ちょうど屈んでいたルドルフと目が合った。

何か言葉を交わすでもなく……というかそんな気力すらももう残っちゃいない中で菫色の瞳を見つめること少し。

彼女は、ふっと表情を綻ばせた。

あまり見たことのない表情だったせいか、尚更力が抜けていくのを感じる。

きっと、俺の表情も先ほどよりは随分と緩んだものになっているのだろう、なんて考えながら。

 

——いいレースだった。

 

口が聞けない代わりに瞬きを数度、彼女にそんな念を伝えたうえで、俺も口角を上げる。

若干歪んだ笑みになってしまっている可能性もあるにはあるが……まあ、今は仕方がないだろう。

うんうんと割り切りつつ、再び芝に身体を埋めようとした時だった。

 

突然、歓声が止んだ。

張り詰める空気、一斉に息を呑む音。

一瞬、何が起きたか理解できなくて——考え始めた直後、視界に映る掲示板。

 

他のウマ娘も、目の前のルドルフも。皆その一点を見つめていて。

 

「——っ」

 

1と2の間、『写真』から切り替わった二文字がそこには灯っていた。

一瞬、その意味が理解できなくて。

思わず、そのままの体勢でできる限界まで首を持ち上げて。

それと一緒にするりと解けた髪飾りが首筋をなぞり、地に落ちていく。

視界の端で白毛が広がって。それと同時に響いた実況——それで、ようやく俺は結果を理解した。

 

 

『——同着……同着です……っ! G1レースでは初の同着……異例ですっ! 今年の菊花賞を制したのは5番シンボリルドルフと——7番トレミアンタレスっ! 今、ここに——二人の菊花賞ウマ娘と——史上初の、無敗の三冠ウマ娘が誕生しました——っ!』

 

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

 

「果てしなく続く Winning the soul」

 

 

隣のルドルフと目配せをし、タイミングを合わせながら最後の一節を歌い切る。

ダブルセンター。

異例の事態——というよりも、G1レースではそもそも史上初めての出来事だ。

そして、史上初の三冠ウマ娘になったという事実。

結果が出てみても、控え室に戻ってみても、実感の湧かなかったものが、ようやく目の前の景色を前にして像を結ぶ。

 

《woh woh woh》

 

揺れるペンライト。届く声援。そして、コール。

止まないそれの前で、もう一度ルドルフと目配せをして。

俺たちは二人、拳を突き上げた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

 

「今後の目標をお願いします」

「そ、そうですね……」

 

普段よりも多い記者と多めに焚かれたフラッシュ。

おいおい聞いてないぞトレーナーどうすんだよこれ、だなんて。心の中で愚痴れたのも怒涛の質問振りが来るまでだった。

 

「三冠レースを制することができた秘訣、などはありますか?」

「ひ、秘訣……ですか?」

 

「ご自分の担当トレーナーに対して一言、お願いします」

「と、トレーナー……?」

 

「無敗の三冠ウマ娘になったことへの感想をお願いします」

「コ、コメ——コメ……?」

 

とまあ、最早言葉の体を成さないぐらい散々だった俺の受け答えに対して、ルドルフの受け答えは堂々としたものだった。

むしろ彼女がいなければ、この場が相当惨たらしいことになっていたことに違いはないだろう。

感謝の念を込めた視線を送る……という名目の元、視線を逸らそうとしたが、流石にこれ以上はまずい。

幸い、今後のローテーションもある程度打ち合わせ済みだ。

記憶を手繰りつつ、ある程度言葉を整理したのちに口を開く。

 

「今までと変わらず“無敗の八冠”を獲ること、ですが……まずは二週間後、ジャパ——」

 

しかし、口にしていた言葉は途中で止まった。

記者たちの間をすり抜け、こちらにやってくる小さなシルエットが一つあったからだ。

ちらちらと揺れる鹿毛、体こそ記者の間を通るために右へ左へと逸らされど、こちらを見つめる青い瞳は、決して逸らされることはない。

 

「あ、あの……っ!」

 

そして一つ、高い声が響いた。

今まで聞いてきたものよりも上ずったもので。そのために、彼女がここまで来るのにいかに勇気を振り絞ったかは明白だった。

 

 

——“でも、いつか……答えを聞かせてくれると嬉しいな“

 

 

ずっと——ずっと、皐月賞前からずっとお預けになっていた答え。

きっと、彼女がここに来た理由はそれを伝えるためだろう。

 

「——ボクは……ボクは——」

 

記者に途中で止められながらも、彼女は一歩一歩進み、ようやく抜けて。

 

「——シンボリルドルフさんと、タイチョーみたいな強くてカッコイイウマ娘になりますっ!」

 

振り絞られたその声は、シャッター音と騒めく記者たちの中でもはっきりと通るもの。向けられた視線は真っ直ぐ。

……だったのだけれど、俺の視線は、全然違う場所へと移っていた。

 

鹿毛と白い流星。

その既視感は、ずっとルドルフと似ているせいだと思っていたが……。

 

「テ——」

 

思わず声が漏れる。

ずっと気づかなかった……というよりもむしろ、もっと縁遠い存在だと思っていて。自然とそんなわけがないと、その可能性を潰していた。

 

「——君の名前を、聞いてもいいかい?」

 

茶髪にポニテと青い瞳、愛くるしい容姿。

そして何より……どんな逆境にでも立ち向かうその精神(たましい)

 

「と、“トウカイテイオー“ですっ!」

 

違いない、と。

判断した時にはもう、視界が滲んでいた。

 

「——て、テイオー……その——その——っ!」

 

一歩踏み込み、前に出て、未だキョトンとしている彼女の手を掴む。

 

「ずっと……ずっと——っ!」

 

声は詰まる。それどころか脳の処理が追いつかず、次から次に浮かんでは絡まり、浮かんでは絡まり……。

鼓動はあまりにもうるさい。

視界はさらに霞み、最早彼女の顔すら見えない。

さればこそ、どうしても彼女の顔がまだ見ていたくて。

慌てて袖で拭った時だった。

 

「——どう、したの? タイ、チョー……?」

 

ゼロ距離テイオーの御尊顔と、脳の蕩けるようなボイス。

 

「あ、ぁぁ……」

 

違——処理が……処理が……本当に脳が蕩けて——力が抜け——? 視界が……。

 

 

「タイチョーっ!?」

 

 

しかも、耳元でのボイスまで完備とか……やばい、死ぬ……。

 

「……しゅき……」

 

薄れていく意識の中で、一度返答をして。

それを最後に、俺の意識は途切れた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

 

憧れは、いつだって自分を突き動かす力となる。

みんながみんな言ってたこと、ようやくその意味が分かった気がした。

 

——ボクの……ボクの夢は——

 

少女——トウカイテイオーにとって、初めてその瞳に“カッコイイ”と映った少女——シンボリルドルフ。

何度も手を取ってくれて、無敗の三冠を為し得た少女——トレミアンタレス。

誰か一人だなんて、決めることができない。

それは、スッキリしない答えのようで。それでも、今のテイオーにとっては、やっと見つけた憧れで。

上手く言い表せないものだったけれど、今、この気持ちをほっぽり出しておくわけにはいかなかった。

突き動かされるままに記者を掻き分け、先へと進む。

何度か止められたとしても、ここで全て——ぶつけなくちゃ、いけない。

焚かれるフラッシュをも超えた先、二人の姿はあまりにも眩しいものだった——けれど。

 

「——シンボリルドルフさんと、タイチョーみたいな強くてカッコイイウマ娘になりますっ!」

 

喉に詰まっていたものを無理やり吐き出すようにして緊張も全て振り払いながら、声を絞り出して。

見つけたのは、二つの憧れ。

 

煌めく瞳は、フラッシュの中で何度も瞬かれながらも、必死に“それ”を映し続けて。

 

「——君の名前を、聞いてもいいかい?」

 

「と、トウカイテイオーですっ!」

 

口にした名前と——願いのカタチ。

直後にアクシデントが起こるまで、彼女はずっと、ずっと、瞳を輝かせ続けていた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

 

「——緊張しすぎて倒れちゃったのかも、ですって。本当によかったわよ、無事で。……アンタレス」

「……その節は、ご迷惑を……」

 

隣で運転するトレーナーの横顔を伺いながら、何度かペコペコと頭を下げる。

取材の間に倒れてしまったわけだから、どれくらい周りの人に迷惑をかけてしまったかは想像に難くない。

目が覚めた時にはもう、とっくに色々と終わっていて。

一応医者には行く事にはなったものの、特に体には問題がないとのことで帰宅と相成ったわけだが、当然彼女も——あれ? そういえば……?

 

「あの……取材の時に割り込んできた女の子って、どうなったか知ってる……?」

「ああ、夏合宿の時の子、よね? 親御さんに連れられて帰ってたわよ」

 

返ってきた答えは、残酷ながらも割と予想できるもので……いや、普通に残酷すぎるものだった。

 

——やっと会えたのに……やっと会えたのに……。

 

渦巻く気持ちは止まるところを知らず、ただひたすらに狂ったように回り続ける。

悶々も悶々、もう好きにしてくれとは言えず、踊る阿呆に見る阿呆。いっそ俺も混ぜてくれと言った具合。

どうすりゃもう一回会えるんだよこれ、とばかりに脳のリソースは侵食されていく。

 

「それにしても——アンタレスにも、あそこまで熱心なファンができるなんてね……よかったじゃない? 何せ、無敗の三冠ウマ娘、だもの」

 

そんな風に複雑な思考に耐えうることができず、再び脳がショートする寸前だった。

トレーナー側から話を振ってくれたがために、ギリギリのところで、先ほどの二の舞になることだけは回避できた。

 

「——ほんと……っ! ほんとだよっ! トレーナーっ! テイオーが——テイオーが……私のことを……っ!」

「テイオー……? ああ、あの子の名前ね? どうしたの? そんなにご執心で」

「だって——だって——」

 

ずっと昔から彼女のことが好きで——と口走りそうになったのを無理やり堪える。

転生してからどれだけ経とうが、どんな戦績を積もうが、自身の厄介オタクたる側面は消えないようだ。

とはいえ、今となっては一端のウマ娘。自重は大事。ゼッタイ。

 

「——ごめん、何でもない」

「そう、なの? 随分と何かありそうだったけど……まあ、いいわ。とにかくお疲れ様、おめでとう。そして——ありがとうね。あなたの“とびっきり“を、見せてくれて」

 

怪訝な表情を浮かべながらもそれは一度どこかへ追いやり、半ば捲し立てるようにいくつか言葉を並べ立てると、トレーナーは最後に一言、付け加えた。

 

「——やって、くれるじゃない?」

 

いくらか含みはあるようだった。

だからこそ、いくらか返答を探そうとした……ものの、行き着いた答えは、随分と短いものだった。

 

「……もちろん。トレーナーの担当ウマ娘、だもの」

 

拳と拳をぶつけ合ったり、だとか触れ合うことはトレーナーが運転中である以上はできなかった代わりというべきか、彼女はこちらを向くと一つ、聞いてくる。

 

「……アンタレス、外泊許可って取れる……?」

「今の時間ならギリギリ……今日なら案外目を瞑ってくれる……かも」

「よしっ! じゃあ今日は——ジャパンCのミーティングも兼ねて……祝勝会よっ!」

「……ほんとっ!?」

「本当よ。明日からまた大変になるから、今を楽しんでおかなくちゃ」

 

いつの間にやら静かだった車内には音量全開でカーステレオから陽気な曲が流れ出しており、トレーナーもハイテンションだ。

 

「——まずは買い出し、行くわよっ!」

 

彼女はそう宣言すると、ハンドルを切った。

 

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

 

「今日はコーヒーにしないのかい? ……トレーナー君」

「今日くらいは気持ちよく寝たいからな。カフェインは良くない。色々と荒れるし。君も飲むか? ルドルフ」

 

頷いたのちに、手渡されたポタージュ缶をいくらか手の中で転がして十分に冷ましてから飲む。

生徒会の業務も立て込んでいたゆえにコーヒーを愛飲していたルドルフにとってはまろやかな口当たりだったせいか、彼女はほぅと息を吐く。

 

「それにしても、今日はお疲れ様、だ。いいレースを——見させてもらった」

「ん、しかし、君がいなければ成立し得ないものだったのは確かだよ。トレーナー君」

 

その言葉に、思わず彼はルドルフの方を向いて。

いくらか咳払いをしたのちに、口を開いた。

 

「——なあ、俺たちは“一心同体“……だったか?」

「もちろんだよ。何せ——」

 

菫色が彼を捉える。

答えは、端的なもので。だけれど、十分なものだった。

 

「——何せ、“最高のレース”、だっただろう?」

 

——そうだ。見たかった景色は、確かにそこにあった。

 

彼女の湛える表情は——笑顔は、ずっと彼の求めていたもので。

思わず、それに彼も顔を綻ばせる。

 

「ああ、違いない——次も、その次も——また、見せてくれるか?」

「見せるさ。もちろんG1を制することができたのも、彼女に並べたのも嬉しい——が、私たちには更に先——見果てぬ理想があるじゃないか」

 

先を見据え、瞳は瞬く。

希望は褪せず、捉えたまま走り続け——きっと、その先に“理想”は待っているのだ、と。

 

「——ああ、そうだな。……絶対に、叶えよう。ルドルフ」

 

見つめあったのちに、二人して笑顔を湛えて。

 

——前を向かなきゃ、な。

 

まだ、瞼を閉じれば過去を思い出すものの、以前よりもずっと頻度は少ない。

だからこそ、それよりも大切なものを瞳に映して。

彼はもう一度、頷いた。

 

 

◆ ◆ ◆

 

◆ ◆

 

 

 

——“本当にお疲れ様、アンタレス。今日も怪我なしで、よく帰ってきたわね”

 

触れる手は温かい。

何度も何度も俺の流星あたりを撫ぜ、こちらを見据える瞳もこの位置ならば、はっきりと見える。

 

——“やって、くれるじゃない? 無敗の三冠馬、だなんて”

 

ずっと——ずっと——こうしていてほしいくらいで——。

けれど、いつかはどこかに行ってしまうのがわかっているからか、離さないように強く頭を押し付けると、それに応じるように手は更に撫ぜ返してくれる。

何も、像を結ばなくったって構わない。

ただ、ずっとこの時間が

 

 

「——え?」

 

 

目が覚めた時、またもや俺の手は宙を掴もうとしていた。

……一体、何をしていたのだろう?

 

「……ん? アンタレス……? 起こしちゃった……?」

「う、ううん。ただ寝ぼけてただけ」

「だったらいいんだけど……明日からまたトレーニング詰めてくから、今日はちゃんと寝ておきなさい? 嬉しいのはわかるけど」

 

誤魔化しながらも、ソファでノートパソコンを開き作業を続けるトレーナーに、軽く会釈をする。

そうだ。ジャパンCが近づいている以上、しっかり寝て、トレーニングに励まなきゃ。

テイオーに、変な夢に、テイオーに、テイオー——。

脳のリソースを割くべきことはたくさんあるものの、だからこそ、整理は十分に、だ。

きっと、ジャパンCにもテイオーは来てくれることだろうし。何も、まだ終わっちゃいない。

まだ俺は、彼女の一番になれていないのだ。だったら——目指すべきものは、十分にある。

 

「——よしっ」

 

布団の中で小さく呟いて。

一度寝返りを打ったのち、俺は目を瞑った。




昨日のうちに出す予定でしたが、年越しテンションに呑まれてしまいました。
P.S.昨年はありがとうございました。忙しい一年になりそうですが、今年もよろしくお願いいたします。

細かい章分け(今やってるもの)

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