無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
東と来れば、次は西。
仕事の都合と免罪符を掲げて仕舞えばまだ財布は暖かいものの、身銭を切れば寒いもの。
そして、もう秋も中頃。
マフラー……には少し早いかもしれませんが、実際、体感的にも寒いものです。
寒さ対策は必須、とばかりに着込んできたコートの裾をぎゅっと握って。
人の波に流されながらも、私は京都競馬場へと向かいます。
……それにしてもすごい人混みです……というよりも、当然でしょうか。
——トレミアンタレス。
地方上がりの競走馬のくせして、現在無敗で『皐月賞』『日本ダービー』と、名のあるレースで勝利を収め続け、果ては今日の『菊花賞』。
同じく出走するライバルは、同世代の中でも頭一つどころかずば抜けて強い『シンボリルドルフ』。
けれど、ここで勝利すれば——史上初の無敗の三冠馬の誕生。
そりゃ期待も高まるってものです。
実際、私もドキドキしていますから。
はやる鼓動は抑えきれず、いつしか足も早まります。
少しずつ人混みをかき分け、進み、進み——そうしていた時でした。
北の方から京都へと。
結構な旅行なので……とばかりにおめかししてきたがために、買い替えたばかりの靴。
それに加えて、結構な人混み。
……冷静に考えれば、転ぶ要素はいっぱいでした。
誰かの足が引っかかり、つんのめり、バランスは一瞬にして崩れます。
「——っ」
悲鳴をあげる間も与えられず、その場で転倒しかけて——誰かに、手を掴まれました。
誰かが、助けてくれたようです。
「あ、ありがとうございま——っ!?」
けれど、その感触に安堵感を感じたのも束の間。
「——ちょっ!?」
案外、その力は強いものではなくて、一瞬にして崩れたバランスと共に、尻餅をつくようにして転倒してしまいます。
「お二人とも……大丈夫、ですか?」
気づけば、周囲の視線は独り占め……いえ、助けてくれようとした方——鹿毛の……いえ、茶髪の女性も含めれば二人占め……とでも言ったところ、でしょうか。
「あ、あの……取り敢えず、立ちましょうか?」
「……そう、ですね」
多少の気まずさはありましたが、取り敢えず意見は一致。
二人して手をつき、取り敢えず立ち上がることにしました。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「……なるほど、岩手の方からここまで——」
「そうなんです、どうしてもレースを見たい子がいて……」
「どの子、ですか?」
「あっ、ちょうど出てる。あの子——トレミアンタレス、です」
服を汚しながらも、何とか入場を済ませることは出来ました。
そして、そのまま流れで一緒に観戦することになった女性と軽くおしゃべりをしながら——ちょうどゲート入りの最中だった白毛の馬——アンタレスを指します。
なるほどな、なんて軽く受け止められるだろうと思っていました。
けれど、そんな予想に反し一瞬だけ間が空いて。
ボトボトと女性の手から落ちる売店で買ってきた食べ物の数々。
次の瞬間、でした。
「アンタレス……アンタレスを、ですかっ!?」
……想像以上の食いつきよう、でした。
思わずこちらが引いてしまうくらいには。
「そ、そうですけど……そんなに珍しいですか? ほら、横断幕持ってる人とかいっぱいいますし……」
「いえいえっ! やっぱり実際に喋るとこんなに人気が出たんだなぁって実感が……っ! あ、今の視線良かった……残さなきゃ、よね……」
食いついてきたと思えば、いつの間にかシャッター音を響かせ、アンタレスの撮影を始めています。フィルムカメラなんて結構高かったでしょうに……。
「……コホン。それで盛岡からってことは……もしかして、地方時代からアンタレスを……?」
「そう、ですね。その……小規模ですがファン交流のためのBBSも運営してて……」
「びーびーえす……?」
「パソコンです」
「……パソコンですか、知らないですね」
案外あっさりとしたあしらい方です。まあ、パソコンの浸透率なんてまだまだ低いですし、しょうがないです。
また一人囲い込めると思っていましたが……叶いませんね、これでは。
『各馬、ゲート入りが完了しました』
「……あ、今の表情もいいわね……撮っとかなきゃ」
まるで子供の晴れ舞台を観にくる親みたいです。
着物だとかひらひらしたもの着せて、その周りをパシャパシャって。
『——スタートしました』
……だなんて、気を取られている間に始まってしまいます。
取り敢えず、カメラなんて持ってないので、目に焼き付けるためにしっかりと開いておきます。瞬きは厳禁ですし。
さてさて白毛は……と、十分に目立ちます。
おおよそ14番手あたり、いつもよりさらに後ろによった差しみたいです。
そして、シンボリルドルフはそのちょっと前……十二、三番手です。お互い、いる位置は近い、ですが。
「……追う形、ですか」
「……問題ありません。アンタレスのプレッシャー耐性はかなりのもの、ですから」
「手、震えてません?」
「……カメラが重いだけです」
そう言っている割に、隣から返ってくる声は震えています。
まあ、それもそうですか。
『3コーナーの坂、上りに入ります。ここでシンボリルドルフ、中団から上がってきました』
「ルドルフ、上がってきてて……アンタレスはまだ様子見、ですか」
「……どうせ、もう来るはずです」
上がってくるルドルフに対して、動かないアンタレス。
中団と後方集団では結構な差があります。
そして、段々とゴールが近づいていくたびに、隣の声も比例して震えてきていて。
「……前、行ってみませんか?」
「——え? ちょ——っ」
だったら、と。隣の手を掴んで、そんな提案をしてみます。
「……案外前だったら応援、届くかもしれませんよ?」
「……応援……ですか。……そう、ですね」
触れた手の冷たさに少し驚きつつ、人混みを掻き分け、リードするようにして進みます。
ぶつかる肩、何度もとられる足、大きくなっていく歓声——そして、繋がりっぱなしの手。
一気に視界が開けた時でした。
『まもなく最終直線に入ります——トレミアンタレス、ここで上がってきました』
真っ先に視界に映ったのは白毛。
並んだ先頭、一騎討ちです。
そして、ここからだとはっきりとその姿が見えます。何か、声を上げようとして。
「行きなさいっ! アンタレスっ!」
でも、隣で上がるさらに大きな声援に遮られてしまいます。
いつの間にか、握りっぱなしだった手は熱を帯びていて。
私も写真を撮れない代わりに、目に焼き付けるのを最優先にして、その姿を直視します。そして、両者とも譲らない中、僅かに白い脚が一歩、前に出て——
「トレミアンタレス、今、一着でゴールイン! 遂に……遂に、史上初、無敗の三冠馬が誕生しました!」
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
「それじゃあ、お疲れ様、でした」
「はい、お疲れ様、です」
僅かにルドルフを抜き、晴れて誕生した無敗の三冠馬。
お祭りムードが冷めやらぬ中、ようやく人も減ってきたので、そろそろ帰ろうとして、軽く手を振りながら、そんな具合で挨拶をしようとして——一つ、聞きたかったことがあったのを思い出します。
「そういえば……アンタレスとは、どういう関係なんですか……?」
「どういうことです?」
「私と同じただのファンにしては……随分と、その、気合の入り方が違うなって……」
はっきり言って、彼女は熱量が違いました。
あそこまで感情移入して、あそこまで応援して、なんて。
よっぽど賭けているならともかく……そうは見えませんでしたし。
それに対して、若干呆けたように、質問の意味を反芻しているかのような表情を見せて。
「親同然、というか……あの子を育てたの、私なんです。牧場であの子の担当をしていたもので……まあ、随分と遠くに行っちゃった気がしますけど」
彼女がはにかみながら口にしたのは、想像していたよりも斜め上……でも、説明されたら合点がいくような答え、でした。
「それであんなに……」
「はい、まあ——次に会うことがあれば、色々と昔話でもしますよ。あの子、やんちゃ、でしたから」
確かに、それは興味深いです。
「じゃあ、楽しみにしてます。また、ね……でしょうか?」
「ええ、またね、です。次は、ジャパンカップで」
最後に少しそんなやりとりをして、握手をしたのちに、今度こそ私はその場を立ち去りました。
ジャパンカップに一つ、楽しみが増えたな、なんて噛み締めながら。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
二十年前、同じ場所で見た景色。
ずっと褪せないその姿は、未だ脳裏に焼き付いていて。
そして、まさか自分が担当していた馬が彼を超える、だなんて。想像もしていなかった。
「本当にお疲れ様、アンタレス。今日も怪我なしで、よく帰ってきたわね」
夢を懸けていて、でも、怪我なしで帰ってきてほしいという願いもあって。
そんな願いを今日も叶えてくれた相手は、撫でている手に、じゃれつくように頭を擦り付けてくる。
「——やって、くれるじゃない? 無敗の三冠馬、なんて」
まるで小さい時から代わりない。レースの時はあんなに強いのに、なんて感慨に耽りながらも、彼女は白毛を撫で返す。
しばらく、そんな時間は続いて。
「それじゃあ、次の目標立てでもしましょうか」
そう口にすると、彼は必ず頷く。
賢いのか、昔からそうだった。
「三冠は獲っちゃったし……次はジャパンカップ、よね。それで、陣営的には積極的に重賞を狙っていく……だったわよね?」
こうしていられる間——彼と過ごせる間に、あと幾つ冠が獲れるのだろう、なんて。
脳内で軽くプロッティングをしながら、彼女は少しばかり思索を巡らせて。
「……だったら八つは冠、獲れる……かしら? ……いえ。非、現実的もしれないけど……できるだけ、あなたが勝つ姿を見てたいの」
案外、自分が最初に育てた子がここまでくる、なんてのも奇跡的な話だけど……その活躍を見ていられる期間が残り短いのもまた事実だ。
エゴに近いかもしれないけど、そう聞いてみて、頷いて。
「よしよし、いい子いい子……もういっそ、無敗のままでいっちゃう?」
追加の無茶振りにも、彼は再び頷いて。
理解できているのか、なんて無粋だ。
ただ、じゃれてくる元担当の毛を撫で続けて、そうしていられる時間を慈しむように。
「そう、ね。無敗の八冠馬——うん、いっそ目指しちゃえっ!」
彼女のおしゃべりは止まず、その場を離れることもなかった。
次回よりジャパンカップです。よろしくお願いします。
P.S.科挙・科拳、ウマ娘世界の世界史ってどうなってるんだろうなと思う今日この頃です。