無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。 作:流星の民(恒南茜)
第43R 雑音には背を向け。
雨音が、鼓膜を叩く。
水の跳ねる音は足音をかき消し、自身の息遣いすらもよく聞こえない。
これでは、なんのために耳にカバーをつけているのかすらもよくわからないな、なんて。
隙間を埋めるように、ズレたカバーを嵌め直す。
昔から、雑音は嫌いだった。
周りで響く足音も、周囲の息遣いも——聞いていると、強い焦燥感に駆られてしまうから。
トレーニングは一人で、雨の日なんかはなお良い。
確かに雨音はうるさいけれど、他に練習しているウマ娘が少ないだけまだマシだ。
ぴちゃぴちゃと、脚を動かすたびに跳ねる水がジャージを湿らす。
息を吸うと、少しばかり肺は痛む。もう11月ということもあってか、空気は冷え冷えとしていた。
それでも生来、わたしは走るのが好きだった。
レーンの上に脚を乗せて、どこまでも、どこまでも。駆けて行ける事は本当に幸福なことに思えた。
ただ一つを除いて、ではあったけれど。
喧騒が、雨音を掻き消す。
どうやら、夢中になって走っているうちに人通りの多いところまで来てしまったらしい。
そっと、レインコートのフードを目深に被って。周囲と自分を遮断する。
そうすれば尚更、喧騒はただの雑音に変わり、わたしの所まで届かなくなってくれる。
その場を離れる途中、何度も、何度も、色んな人とすれ違った。
カバンにウマ娘のマスコットを付けた学生、スポーツ新聞を手に持ち、雨に濡らしながらも結果を見ようとする大人、トレーナーバッジを襟につけた、トレーナーらしきヒト。
——“前哨戦で勝っても……本番で負けるようじゃなあ“
——“宝塚記念も、やっぱり彼女がいなかったから……”
さっきまではただの雑音と言う形でしか聞き取れなかったのに、不意にはっきりと聞こえた気がした。
気づけば、もうわたしはレーンの上には立っていなかった。
——ここは、わたしがいちゃダメな場所だ。
そんな観念に駆られて、深く被ったフード。
限界まで音は絶たれて、目の前すらもよく見えない。
できるのは精々、ヒトの早足と同じくらいの速さで進むことくらいで。
「……はぁ……はぁ……」
まだあまり走っていないはずだったのに、呼吸は荒くなっていた。
冷気が肺を刺し、鼓動を強めた心臓のせいか視界は狭まっていく。
不意に、視界の端で白い物が振れた。
それと一緒に、黒鹿毛が揺れて。
とん、と。ぶつかる直前に
顔を見ずとも、相手はわかっていた。
こんなことができて、こんな雨の日でも外に出歩く変な娘で——。
「こんにちは、“エース“」
「……こんにちは、“シービー“」
必要最低限に挨拶を済ませたのち、いつの間にか脚は早まっていた。
ウマ娘専用レーンの上じゃないというのは、十分承知していたけれど、彼女と顔を合わせたくはなかった。
ただ一つ、この辺りでヒトが少ないであろう場所——無意識のうちに、進路はそちらに定まった。
雨音だけを聞きながら、気づけばわたしは、走っていた。
◇ ◇ ◇
◇ ◇
◇
濡れていても、唯一わたしの気が休まるベンチ。
そこには、先客がいた。
レインコートは着ていたけれど、ぐっしょりと濡れた白毛と、手に持った二本のプラカップ。
どれだけの時間、人を待っていたのだろう。
少なくとも、わたしには無縁に思えて。別の場所を探そうと、背を向ける手前——わたしは、彼女の姿が見覚えのあるものだったことに気がついた。
「はちみー、はちみー、はっちみー……なんて。流石に、雨の日に来るわけもない……か」
彼女の口ずさむ奇妙なメロディー。
かなり耳障りの悪いそれは、雨音とカバーを通してもなお、はっきりと聞こえてくるくらいの声量だった。
けれど、そんなのは今、どうでもよくて。
「……そろそろ、帰らなきゃ……ん?」
こちらに向けられた赤い瞳。
わたしを映したまま、それは幾度か瞬き、そののち、細められ、彼女は口角を上げた。
一瞬よぎった嫌な予感は、決して間違った物ではなかった。
彼女は立ち上がると、真っ直ぐこちらに向かってきて——再度、わたしを確認するように、フードの下から、顔を覗き込んでくる。
そうしてわたしを見とめると、ようやく彼女は口を開いた。
「あなた、“カツラギエースさん“——ですよね!?」
そうやかましく口にしながらも、見開かれた瞳。
そこではっきりと彼女の顔と声を確認して。わたしは、先ほどの既視感が間違っていなかったことを知った。
「——あなたこそ。”トレミアンタレス”さん、でしょ?」
——シンボリルドルフに、ミスターシービー。そして——トレミアンタレス。
ジャパンCに出走するウマ娘たちの中でもとびきり、注目されていて。その実力を裏付ける“無敗の三冠ウマ娘“という称号まで持っていて。
今まさに絶好調とも言える彼女は、尚も爛々とした瞳で、こちらを見つめてきていた。
次回はアンタレス視点です。
P.S.二周年のぱかライブに思いを馳せて。