無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第44R はちみー、待ち人を望む。

ローテーブルは、ソファーに寝転んで何かをする分には都合の良いものだが、座って作業をする分にはちっとも向いたものじゃない。

バキ、バキボキ、と。

盛大に音を立てて、トレーナーが首を鳴らす。

ちらと、壁にかかったカレンダーに視線をやれば、ジャパンCまでの日付は、もう10日しか残っていない。

そんな中で、きびきびとトレーナーが机に並べたのは何枚かの資料。

 

「まず——場所は、東京レース場。これは二回目だから、取り敢えず大丈夫かしら?」

「うん、ダービー以来、だよね」

「そして、距離も変わらない以上——重要なのは、他の出走者ってところね。わかるかしら? アンタレス。ここから、よ」

 

そのうちの一つ、出走者の一覧を机の上に叩きつけると、拳を握り締め、彼女は力説を始めた。

 

「シンボリルドルフほか、クラシック級から走ってきた強豪は相変わらず。……でも、今回は他にも海外強豪とか、シニア級のウマ娘たちとか、一気に対戦相手の幅が広がるのよ」

「つまり、未知の敵……ってこと……?」

「端的に言っちゃうとそうね。“ミスターシービー”の強さ——とか、十分わかるでしょ? ……むしろ、全く知らない敵よりもよっぽどやりづらいかも。というわけで、アンタレス。まずはあなたの勘に聞くわ。このレース、どうしたい?」

 

唐突に聞かれても答えづらい——というのは、さておき。

2400m、東京レース場——と言われると、やはり思い出されるのはダービーだった。

序盤は中団辺りに控えていたものの、終盤はかなりルドルフに引っ張られる形になってしまっていた。

そのせいで、得た勝利がかなり危ういものだったことはしっかりと覚えている。

自身のスタミナを考えれば、これぐらいが限界ではあったのだろう。

とはいえ、今回も中団——というのは、憚られた。

菊花賞で受けた幾重ものマーク。正直、あそこまで走りづらいものだとは思ってもみなかった。

だとすると——。

 

「——先行策、かな」

「……なるほど。普段よりは前のめりに、なるべくマークは回避したい、というわけね?」

「一応はそんなところ、かも」

「……確かに、掻き乱されづらい分、ペース作りはしやすいわ。シービーは基本後方だし、ルドルフもこの間ほど先団に行くことは稀。ただ、ね——」

 

若干、トレーナーは言葉を濁すと、一枚、資料を取り出した。

 

「……“カツラギエース”。今回のジャパンCでこそ人気が高いわけじゃないけど——要注意よ」

 

——カツラギエース。

 

実際に、面識はなかったように思える。

ただ、名前自体は聞き覚えがあるものだった。

 

「確か、毎日王冠でシービーさんを抑えて勝ったんだっけ?」

「そう。秋天じゃ逆転しちゃったけど……だからってマークしないわけには行かないわ。先行策を取るなら特に、ね」

 

俺もそこまで先行するのは慣れている身じゃない。

そんな中で、先行策が強いカツラギエースとの対決——それは、なるべく避けたかった。

 

「……だから、その辺も織り込んで作戦を考えたいところね。せめて——明日までには決めておかなきゃ」

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

結局、トレーナーと話を進めていっても結論は出ず。

互いに煮詰まってきて、今日はお開きということになってしまった。

食堂か、寮か——考えあぐねた結果、行き着いたのはまた別の選択肢。要するに、ランニングだった。

 

アスファルトは、踏み込むごとに水音を立てる。

レインコートごしでも聞こえるぐらいの雨音が、かなり騒々しかった。

運動して体を温めているとはいえ、今日は冷える。

頭を冷やすためとはいえど、これで風邪を引いてしまったら元も子もない。

15分ほど走っていただろうか。

割と無心だったせいか、レーンから外れ、辿り着いたのは商店街。

 

雨を凌ぐために通ったアーケードは、雨が降っているのもあってか、大分空いていた。

夕暮れ時を過ぎたのもあってか、閉じたシャッターも少なくない。

そんな中で、一際目を引くキッチンカーが一つ、止まっていた。

 

——はちみー。

 

雨を凌ぐため、だろうか。今日は商店街での営業らしい。

 

ふと思い立って、軽くポケットを叩いてみれば、財布はきちんと入っている。

いつもみたいに行列ができていて、時間を食う——なんてことは、今日に限ってはなさそうだ。それに、体重管理も今はそこまで厳しい時期じゃない。この一食じゃ、そこまで問題はないはず——。

 

冷えた頭が打ち出した演算は、随分と早いものだった。

あとの問題は、俺自身があまり甘いものを好んでいないところ……ではあったが、それを加味してもなお上書きできるだけのアドバンテージがはちみーにはあった。

 

「——はちみつ、硬め、濃いめ、多め。……二つ、で」

 

相変わらず、高い。

薄くなった財布と、手にした二本のカップ。

果たして、どれだけの効果を発揮してくれるのかは不明だったけれど。

アーケードから出て、カップを濡らしながらも、俺は記憶を弄りつつ、走り出した。

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

「……はちみー、はちみー、はっちみー」

 

水滴がたっぷりついたベンチに腰を下ろして、待つこと十分。

日にしてみれば、僅か数日前、不慮の事故で結局まともに会話することすらできなかったテイオーとの再会は叶わないままだった。

どうやら、よく通るコースをリサーチした上で好物を置けば釣れる相手——というのは、案外妄想の域を超えないものらしい。

非情な現実をたっぷりと痛感しつつ、ストローを刺して、カップの中身を軽く啜ってみる。

 

「……あっま」

 

直後、舌を突き刺したのは強烈な甘味だった。

思うに、頭を冷やすだのなんだの言っていても、数日前から脳のリソースの結構な部分がテイオーに割かれていて——今しがた取った行動を鑑みるに、それは今も続いている——辿り着いたのは、そんな結論だっただろうか。

……だとしたら、なおさら非情だ。

 

「……そろそろ、帰らなきゃ」

 

頭を垂れたまま漏らした声は、すぐに雨音にかき消された。

 

ジャパンCにはテイオーも見にきてくれるわけだし、いつまでもうつつを抜かしているわけには行かないだろう。

それよりは、無敗を成し得るために、勝つ方法を考える方にリソースを割かなければ。

 

愚行に走ってしまったことには変わりないけれど、ようやく頭は冷めた。

飲みかけのはちみーと、脇に置いていたそもそも飲んですらいないはちみーを一瞥して、ため息を吐きつつも——顔を上げて。

その時、視界に映ったのは俺と同じ、耳の尖ったレインコートを身につけたウマ娘だった。

 

周囲に飛沫している白い吐息を見る限りだと彼女もまた、走ってきたらしい。

熱心だな、としばらく見つめていて。

俺は、その姿に見覚えがあることに気がついた。

 

『……“カツラギエース”。今回のジャパンCでこそ人気が高いわけじゃないけど——要注意よ』

 

トレーナーに見せられた写真と全く同じ、黒鹿毛。

興味本位で近づいてみて——フードの下から確認した顔は、本人のものだった。

 

 

「あなた、“カツラギエース“さん——ですよね!?」

 

 

半ば確信と共に、持ちかけた答え合わせ。

彼女は、少し驚いたかのように目を見開いた。

けれど、それも束の間で。すぐに澄ましたような顔を作ると一つ、聞いてきた。

 

 

「——あなたこそ、“トレミアンタレス”さん、でしょ?」

 

 

相手もどうやら俺のことを知っていたらしい。

お互いに答え合わせは済んだ。

そして、相手がカツラギエース本人だというのなら、この上ないチャンスだ。

本人から聞く話の方がデータよりも濃いはず。何か、ジャパンCに繋げられるものがあるかもしれない。

小さく尻尾が揺れるのを感じる。

 

そんな確証と共に、彼女を見つめていた時だった。

僅かに、かち合っていた瞳が逸らされた。

 

互いに話を切り出すこともなく、この状況と気まずさ——このままだと、逃げられる。

 

しかし、ここで彼女を逃すわけには行かない。

何か、良い話題がないか探そうとして——そこで、自身もかなり口下手な部類に入ることを思い出す。

そもそも、ルドルフとまともに会話できるようになるまでも結構かかったのだ。何かきっかけがなきゃ、彼女を引き止めるのは厳しい——と、頭をフル回転させて、咄嗟に行き着いたのは、左手に握りしめていた存在だった。

 

「——あの、カツラギエースさんっ! 今、はちみー余ってて……よかったら、一緒に飲みませんかっ!?」




次回、はちみーお茶会です。
P.S.前話を書いた後にカツラギエースが実装されたため、どうするかしばらく考えていましたが、プロットとの兼ね合いもありますので、こちらはこのままとさせていただくこととしました。
ただし、公式は絶対ですので、こちらは拙作のものとして分けて考えていただけますと幸いです。
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