無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第47R なんのために

「……いやだ」

 

跳ね除けた手が、まだ視界の端で揺れていた。

その衝撃でズレたらしい帽子を落ち着き払った様子で整えて、それでもまだ()()は手を差し出してきた。

 

「宝塚記念さ、最高の走りだったよ。それに、秋天の時だって……それだけ強くなったエースと、また二人きりで走れたら、って……」

 

口調に篭っていた熱が、次第に冷めていく。

 

「思った、んだけ、ど……」

 

震えた指先、その手はそっと降ろされる。

落ち込んだような表情は、俯いたままの私の視界でも十分に捉えられるものだった。

 

「……だって、わからないんでしょ」

 

それでも、突き放したまま、私は首を振ってしまった。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「──スさん……エースさんっ!」

 

ガタンと。大きな振動が私の体を襲って、その瞬間に何もかも思考が引き戻された。

隣で私の体を揺さぶるのはアンタレス。そうだ、私は電車に乗っていた。

またもやガタンと振動が襲う。

鉄橋にでも差し掛かったのだろうか。

窓を見やれば、足元に流れる川は強く照り返していて──その先、海は随分と近い。

 

「もうすぐ終点?」

「……みたい、です」

「……そう」

 

つい先程まで見ていた夢の残滓がこびりついたまま離れない。

脚には痺れが残っていて、立ち上がるのが少し辛い。

ガコン、と。少し軋みながらドアが開いていく。その瞬間だった。

 

「っ」

 

ゲートが開く、鼓動が早まって、視界が狭まる。

吐息は近く、重なり合って、私を追い込む。

 

思い出した光景は、僅かな目眩を伴っていた。

 

「……エースさんっ!? その……大丈夫、ですか……?」

「……うん。大丈夫、それよりも、早く降りなくちゃ」

 

口先で問題ないことを取り繕いつつ、深呼吸をする。

胸に当てた手、伝わる拍動がほんの少し収まった。

脚を引きずるようにして、私はドアの方へと歩を進めた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……人、少ないわね」

「……本当です。ここまで来るとほとんどいませんね」

 

少し歩きませんか──と。

カツラギエースに提案してから四時間。成り行きで電車に乗って、目的地でそこから更に二時間ほど。

昼さがり、水平線を横目に俺たちは長い長い海岸をひたすらに歩いていた。

流石に11月ともなればシーズンオフで、人が少なければ肌寒い。

ふきっさらしの海風の下、踏んだ砂利は乾いていた。

 

「お腹、空きませんか?」

「……あんまり。アンタレスさんは?」

「……結構、空いてて……」

 

トレセンから遥か遠く。

特に宛もない中出かけた末に、時間はかなり経っている。

ひたすら歩きながらも、朝食とはちみーしか詰まっていなかった腹の虫は既にぐうぐう鳴いていた。

 

「じゃあ、この辺りでいいなら食べに行きましょうか」

 

淡々と歩き通しだった中で、やっとカツラギエースはそう口にした。

現金なことに己が尻尾は既に視界の端で揺れている。

 

「なら、海鮮丼が食べたいですっ」

 

鼻腔をくすぐる潮風に、一瞬で食べたいものは決まった。

最近は特にカロリー制限もしていない、それに一食だけなら問題もないだろう。

 

「……残念ね。私は……何か、スイーツ系が良かったのだけど」

 

その瞬間に、背筋が凍った。

甘いものは基本苦手だ。それもはちみーをキメたあととあらば、今日辛うじて接種できるキャパはオーバーしている。端的に言ってしまえば、マズイ。

一瞬、別のものでと提案しようかと思ったけれど、そもそもとして今日ここに来たのは、カツラギエースの気を紛らわすためだ。

だから、断るのは流石に……と、悶々としていた時。

 

ふと、カツラギエースが口を開いた。

 

「……だったら、走って決めない?」

 

その意味が、一瞬わからなかった。

何せ、それが嫌で朝座り込んでいたんじゃなかったか。

 

「……嫌、じゃないんですか? 今は走りたくないんじゃ……」

「……あれ? ……本当ね。そうだった、わよね」

 

歯切れ悪く答えながらも、それでも、カツラギエースの視線は真っ直ぐ一方向を捉えていた。

砂浜の切れ目、人っ子一人いない遠くて広大な向こう側。

その瞳は最初に会った日、雨に濡れていた時のように細められてはいなかった。

ただ、捉えられるように。目一杯、焼き付けようとせんばかりに開かれた瞳いっぱいに、海からの照り返しによって光を蓄えていた。

 

もしかしたら、最初に走った日とは何か条件が違うのかもしれない。

ふと、そう思った。それなら──走ってみるのも、アリ、なのかもしれない。

 

「……ただ、私は大丈夫です。エースさんが走れるのなら」

「……そう、ね」

 

心ここにあらずというように、一言溢して。

そして、カツラギエースは間髪入れずに頷いてみせた。

 

「……だったら、走りたい。なんか、変だけど……今は、そうなの」

 

すぐに答えは決まった。

海岸線に拾ってきた枝で一本、長い線を引き、それをスタートとする。

ゴールは、ここから捉えられる砂浜の終着点まで。おおよそ、2kmぐらいだろうか。

 

「それじゃあ、よーい……」

 

ドン、と。

スタートの合図を待たずして隣で砂塵が舞った。

それに追いすがるように、俺もスタートする。

走るたびに砂の感触が触れて足が滑る。ダートはほとんど走ったことがなかったから、あまりこういう足場には慣れていなくて、ともすれば、フォームは崩れがちだった。

 

そして、それは提案してきたカツラギエースだってそうだ。

彼女だって芝路線、崩れたフォームだ。

それでも、バランスを取ろうという気はさほど見えなかった。

ただ、前へ前へ。片足が沈み込もうとしたら、もう片足が前に出る。

滑ることを恐れる様子はない。ザッザッと、刻まれる足跡は間隔狭く。

 

脚を溜めるだなんてとんでもない。

まだまだ距離はあるのに、ペースは上がりっぱなしだ。

ぐちゃぐちゃになったフォームのまま、大きく腕が触れる、大きく脚が踏み出される。

 

「……ははっ」

 

笑い声が砂浜に響いた。

とても勝負になんてならない状況、完全に俺が置き去りにされている中で、カツラギエースはそんな後続を見ることすらせず、ただ前へと走っていく。

 

彼女の行く手には何もなかった。

道もなければ、障害物だって、人だって。

真っ直ぐ進んでいたとは言えない、多少逸れたり、ペースだって上がったり下がったり、ただ自由だった。

 

「──あははっ!」

 

何にも遮られることのない笑い声は、潮風にあおられて、広くこだまする。

そろそろ、最初に設定したゴールに着く頃だっただろう。

それでも、それさえ無視して、彼女はまだ走り続けていた。

 

遠く、やがて俺の体力の限界が訪れようとした辺りで、突如として速度を緩めると、どさり、と。

カツラギエースは砂の上に身を投げ出した。

 

「……どうしちゃったんだろ、わたし」

 

顔いっぱいに浮かんだ笑顔、切らした息、まだそれを声に滲ませながら、カツラギエースは溢した。

 

「なんか、今ね。全部どうでも良くなってた」

 

身は起こさず、むしろなおさら体を砂に埋めると、興奮冷めやらぬ状態なのか、彼女はまた笑って見せる。

 

「走り出したらね、目の前になにもないの。周りにだって、誰もいない。聞こえるのはわたしの息と、波の音、それから足音。ブロックなんてもっての外、誰もわたしを押し込もうとしない。ただ──ただ、どんな風に走っても、どこまで行っても良かった! 自由だった!」

 

その様子を見ていて、どこか腑に落ちた。

そうか、カツラギエースは走るのが嫌いなわけではないのだ。

積み重ねていく勝利は、そのままプレッシャーへと置き換わる。レースになれば、人気順だって出るし、結果はそのまま叩きつけられる。だから、カツラギエースは──。

 

「わたし、好きだったみたい。なんのために、とか。考えずに走るのが──あの子、みたいに……」

 

そこで、唐突に彼女の表情は陰った。

 

「何か、あったんですか?」

「ううん、ちょっとした喧嘩よ。……ところで、アンタレスさん。あなたに一つだけ聞きたいことがあるんだけど」

 

無理くり作ったかのような明るい表情、微笑とともに、問いかけられた。

 

「……なんのために、走ってるの?」

 

そんなの決まっている。

”無敗の八冠ウマ娘”になるため、ただそれだけだ。

そう口にしようとして、それでも、声はでなかった。

 

「菊花賞からジャパンカップだって、とんでもなく詰まったスケジュールであなた、走ってるじゃない。それだけ、欲しいものって──どんななのかなって」

 

そうだ、元々欲しかったのはテイオーからの眼差し。

憧れ、そういうものになりたかった。

それでも、それはもう菊花賞の段階でほとんど叶ってしまったと言っていい。

無敗の三冠ウマ娘──十分すぎるぐらいの栄誉だ。

 

それなら、残りの五冠はなんのためにあるものだったろう。

ジャパンカップへの出走を決めたのだって、早く八冠ウマ娘になるためだった。

だけど、その必要性が薄れている。

そこまでする意味が──わからない。

 

そうか、だから何も考えずに走れるということに大きな価値があるのか。

どんな因果で転生してきたのかも、なぜ俺がトレミアンタレスなのかも、詳しいことなんて考えないまま──いや、考えないように”無敗の八冠”という途方もなく大きな夢を掲げて、それを支柱になりふり構わず走ってきた。

 

けれど、今それが機能しないのなら──わからない。

どうして、走るのか──今の目標のままじゃ不明瞭なままだ。

波音、目の前で打ち寄せた波が、砂浜に敷き詰められていた貝殻を押し流していく。

一瞬で、全てが瓦解したかのような気がした。

 

「……ごめん、なさいね。聞いちゃって。そういうの、難しいわよね」

 

申し訳無さそうにカツラギエースが謝ってくる。

それでも、ここで答えを出したかった。

道筋がわからないまま走っていたくなかった。

 

わからないまま、混乱の渦中で髪を掻きむしる。

その時、指先にポニーテールを括っている髪飾りが触れた。

 

『……私ね、新しい夢ができたの』

 

ふと思い出した。

まだモリオカにいた頃、よくトレーニングしていた神社の御神木の下、この髪飾りを貰ったのと同じ場所で聞かされた告白だ。

 

『誰よりも先に、アンタに勝つことっ!』

 

ヴァーゴは──最初に掲げていた夢をそこで捨て去った。

もう中央には行けないからと、三冠ウマ娘になるのをやめて。

それでも、俺を指さしてみせたのだ。

”無敗の八冠ウマ娘”になった俺を必ず倒すから、と。

 

夢は必ずしも同じ形を持っているわけではない。

目標を叶える途上にあっても平気でゴールは遠ざかるし、下手すれば消えてしまうことだってある。

だから、執拗に最初に決めた道筋通りにゴールを目指す必要はないのかもしれない。

 

夢は変わることもあるし、そうでなくても、そこに行こうとするための理由が変わることだってあっていい──はず。

 

「……誓ったから」

 

楽しんでいこう、と。

夏合宿の時、ルドルフと交わしたハイタッチ。

思えば、菊花賞への熱が俄然燃えたのはあの瞬間だった。

 

何ならそれ以前、ヴァーゴとだってそうだ。

岩手ステークスの時に必死で走ったのはヴァーゴに報いるため。

そんな即物的で、その場のためだとか、そういう感情に突き動かされてきたこと、決して少なくはなかった。

 

「……一緒に走ろうって……全力で戦いたいからって」

 

決して長期的に作用する約束でもなければ、”無敗の八冠ウマ娘”になる理由でもない。

だけれど、今出せる唯一の答えだった。

 

「……そういうので、良いんだ」

 

そんな答えではあったけれど。

どこか、カツラギエースの表情は晴れ晴れとしていた。

 

「……少なくとも今は、それが理由になって。レースに出るために私の背中を押してくれてます、から」

「……だったら、尚更だったんだ」

 

身を起こすと、暮れかかった砂浜の中、迷うこと無く彼女は来た道を戻っていこうとする。

 

「……もう、大丈夫なんですか?」

「……大丈夫かはわからないけど、プレッシャーの原因も、今最優先でするべきことも──なんとなくわかった気がする。……よりを戻さなきゃ、いけない相手がいるから」

 

それは、答えだった。

カツラギエースにはもう、ふらっとどこかで立ち止まる理由が無くなったのだと。

そう言うかのような、はっきりとした口調だった。

 

「お昼ご飯はごめんなさい。今すぐにでも戻りたいから、また今度で良い?」

「はい。また今度ランチでも一緒にしましょう」

 

そこで、少し驚いたかのように目を見開くと、彼女は微笑んでみせた。

 

「もちろん、今度はわたしにもはちみー奢らせて、()()()()()。あと、わたしのことも”エース”って呼び捨てにしてくれて構わないから」

 

そうとだけ早口で捲し立てると、エースはすぐに歩を早める。

それに着いていくために、疲れた脚にムチを入れ、俺も歩幅を広げた。

 

ただ一つ。燻っていたものはあったけれど。

 

──なんのために。

 

なんのために、俺は──”トレミアンタレス”は”無敗の八冠ウマ娘”を目指すのか。

輪郭を見落として。その理由が、不明瞭になってしまったから。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「っ、はぁっ」

 

もう十一月だ。あと一月も経てばクリスマス。年を越せば、私にとっての大舞台が待っている。

今年の二月──なんて、振り返れば遠くなったものだ。

それでも、その日の誓いは未だ思い出せる。

中央に行く、そしてアンタを超える、と。私ははっきりとそう口にした。

 

それなのに──。

 

「まだ、足りない……ッ!」

 

もう一本、コースを一周したくても脚は悲鳴を上げたまま、ちっとも言うことを聞いてくれない。

目標ははっきりしている。どんな形をしているのか、まだ捉えられる。

 

けれど、そこに至るまでの道筋が見えなくなっていた。

また、なのだろうか。

 

「……アンタに勝つ、かぁ」

 

また、私は捨てなくちゃいけないのだろうか。




前回の投稿から半年近く空いてしまったこと、お詫び申し上げます。
大きな岐路を経ての新生活が始まり、学生として次のステップへ移行していたのです。
それから、兼ねての目標だった新人賞用の作品を書いていて、中々こちらには手が回らない状態でしたが、劇場版RTTTに脳を焼かれたので行けました。
これから投稿ペースを上げていきたい所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。

P.S.色紙はオペでした。すきすきだいすき、超いい子。
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