無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第48R ただ、進みたいように。

「……はぁ、はぁ」

 

投げ出した四肢は熱を帯びていた。

荒くなった息、走った末に視界は霞んでいて、それでも意識は明瞭だった。

陽だまりの中、芝は温かい。近頃は雨が続いていたから、背中に感じる感触は久々だった。

 

「……ねぇ、エース。今、アタシが何考えてるかわかる?」

「……おおよそはね。シービーにとっては──」

 

そんなの、聞くまでもないことだった。

だって、こんなにも心地の良い場所で好きなように、自由に走り回れたのだから。

今だって、お互いの表情を見ているのだから。

 

「今が──最高、なんでしょ?」

「正解っ」

 

アタシの答えがあまりにも予想通り過ぎたのか、()()は隣でぷっと吹き出した。

トレーニングもレースも、ひとまずは関係ない。

ただ、一緒に駆け回って笑い合える。そういう瞬間さえ浴びられれば、アタシにとっては十分だった。

そうだ、それだけで良かった、のに。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「……シービー。君にしてはらしくないな。あんなに回りくどい方法までとって……」

 

エースが去っていった後、公園のベンチに腰掛けたまま、ルドルフはそう口にした。

 

「……そう、だよね。しかも、エースが相手なのにさ」

 

彼女に指摘された通り、回りくどい方法というのには自覚はあった。

天皇賞・秋が終わって、近頃エースは気落ちしていた。

理由はおおよそ想像がつく。結果だ、彼女は五着だった。

だから、走りに誘った。彼女と初めて出会った日からずっと、それがアタシたちの間での言葉を必要としないコミュニケーションだったから。一番気が晴れるやり方だったから。

 

「……でもさ、言われちゃったんだ。シービーにはわからないでしょ……って」

 

アタシの声のトーンが気に食わなかったのだろうか。それとも、あの時勝ってしまったアタシが相手だから?

 

「……何が──カツラギエースにとっては何が悩みだったのか、君は聞かなかったのかい?」

「……うん。聞かなかった──というよりも、聞けなかったんだ」

 

ルドルフにしては珍しく、驚いたような表情が浮かぶ。

その通りだ。聞けなかったから。結局、お互いにどこか触れがたかったから。

手を跳ね除けられた次の瞬間に、どうしてか、なんて。聞けやしなかった。

言葉が喉に詰まって、上手く口にできなくて。辛うじて絞り出せたのは、最初と同じ誘い文句だけ。

エースがそれを拒んだかどうか、アタシは知らない。

ただよぎったのはダメだなって直感。それに流されるまま、アタシは自ら手を降ろしてしまった。

 

「それ以上は踏み込んじゃいけない気がしてさ……それで、そのままだよ」

 

だけれど、そうしたからと言ってエースの様子が好転したかと言うと、そういうわけでもない。

走り込みをしている最中、気にかかって様子を見に行けばいつも顔色は悪い。

この間なんて転んでしまっていたし。

 

それなのに、話しかけるには至らなかった。

結局取ったのは、ルドルフが言った通り遠回りなやり方だ。

 

「なるほど。だからこそ、アンタレスを通していたわけか」

「……そう。やっぱりルドルフはお見通し、だね」

 

辛うじてアタシが目を付けた相手は偶然にもエースと接触をした。

だから、初日と同じく会話の種になれば──なんて、はちみーの交換券をわざわざ伝言と一緒に部屋の前に置いたりして。

 

「……それで、君は報われたかい?」

 

何一つ。

何一つとして、アタシは触れてない。

それでエースの調子が好転するのなら良い──そうやって割り切るには、あまりにも歯痒い。

 

「……ちっとも」

 

随分と遠くに行ってしまったのだろうし、今エースがどうしているのか、アタシにはわからない。

仮にアンタレスが彼女をどうにかしたとしても、その時にエースは──アタシの隣にいるわけじゃない。

 

「……それでも、もっと遠ざかるかもって」

 

だとしても、触れてしまったらどうなるか。

また跳ね除けられるかもしれない、そこには埋めようのない溝が生まれるかもしれない。

断絶した中で、並んで走ることはできなくなるかもしれない。

 

「……そう、思ったら、さ」

 

だから、回りくどい方法を取ってでも直接踏み込むことを避けた。

これ以上距離が開かないようにするために、あえて距離を置いた。そうしたかったはず、なのに。

 

「……納得、できなくて」

 

何一つ、アタシ自身が受け入れられていない。

走っていた道に陰りが差すようだった。今までは好きなように駆け回っていた道が、途端にぷっつりと途切れた気がした。

 

そうなると、どうすればいいのかわからない。

エースに近づきたいのに、それが怖いとすれば──酷く入り組んだ道に迷い込んでしまったようだった。

 

そんな表情、あまり見せたくなくて。

ルドルフと視線を逸らすように俯く。

雨の後でぬかるんだ地面が視界に映った。

 

「──自問自答、常に測りかねているさ。トレーナー君との距離も、ライバルとの距離すらもね」

 

ふと、ルドルフが溢した。

顔を上げた時、彼女の横顔は普段のような自信を湛えてはいなくて、むしろその逆だ。苦笑してみせている。

 

「……距離?」

「ああ。真っ直ぐ伝える、というのはどうにも難しくてね。一緒に戦いたいと願っている相手にすら、二人三脚で共に走っていくと決めた同士にすら、真っ直ぐな気持ちをぶつけられないままだった」

「……ルドルフでも?」

 

ルドルフは器用だ。

生徒会長として激務をこなしながら、レースでも成績を残し続けている。それに、彼女はもっと──深く相手に踏み込んでいるように思えたから。そうでなきゃ、誰かの悩み事を解決なんてできるわけがない。

 

「意外だったかい? これでも、私は結構不器用なのだよ」

 

それでも、彼女の表情には謙遜だとか、そういった類いのものはちっとも滲んでいなかった。

 

「トレーナー君に不安を吐露するのには長い時間がかかった。それこそ、菊花賞までね。アンタレスだってそうだ。彼女と正面から戦いたい、と。それを伝えるのにも同じだけの時間を要したよ」

「……どうして、そんな……」

「遠慮だとか、強がりだとか。恐らくはそういった類のものだったのだろうね」

 

その眼差しは、アタシと言うよりももっと遠く──ともすれば、昔のルドルフ自身に向けられているように思えた。

 

「それだけ、後悔が積み重なった。それだけ、抱え込むことになった。回り道をしただけ、相手との距離は開いてしまう。無論、踏み込んではならない相手もいるだろう」

 

首を振りつつ、それでも、と。ルドルフは言葉を継いだ。

 

「ただ、例えばそれだけの遠慮や思慮は不要なときもある。踏み込んでいくのに恐れることはない。むしろ、その機を逸することの方が問題だと。私はそう思うよ」

「……そっか」

 

それで、エースについて何かがわかったわけじゃない。

今の彼女が何に急き立てられているのか、なぜ、アタシを拒むのか。

わからないけれど、それでも踏み込まなければずっとそのままだ。

 

ルドルフの助言はただのお節介じゃない。彼女の後悔からきたもの。

だとすれば、辿るべき道は未だ不明瞭でも、進むべき方角だけは決まった気がした。

 

「……アタシは、後悔したくない。エースと──また、走りたい」

 

そうだ、元々アタシが走っていた理由だって、そう難しいものじゃなかった。

ただ、それが好きだったから、楽しかったから。理詰めで説明できるものじゃない。

それなら、難しいことは追いやってでも、バカ正直に、真正面から大切な相手に向き合いたい。

アタシが──やりたいようにしたい。

 

「……ただ、さ。どこに行けばいいと思う?」

「案ずることはない。一つ、アテがあってね」

 

ルドルフが不敵に笑う。

そうだ、こういう時の彼女は器用で、頼りになる。そう言うのなら、本当に案ずることはないのだろう。

だから、アタシが考えるべくは、エースと再会したらどうするか──ただそれだけだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

『……位置情報が正しければ、この駅で合流できるはず、なんだが……』

 

電話越しに、ルドルフの声が聞こえる。

アテ──というのは、アンタレスのトレーナーのことだった。

彼女は担当にGPSを付けているらしい。相当なじゃじゃウマ娘、なのだろう。

 

「……もう少しだけ、探し……っ」

『……シービー? どうしたんだい?』

 

ルドルフが聞いてくるけれど、答えている場合じゃなかった。

一瞬、人混みに紛れていた目立つ白毛──そして、その隣にちらりと映る黒鹿毛、そして、耳を覆うカバー。間違いない。

 

「エースっ!」

 

人混みに突っ込む、揉まれて、よろけて、思わず倒れ込みそうになった体。

その瞬間、強引に腕を掴まれて──そして、引き寄せられたアタシは、そのまま抱き止められた。

 

「……シービーは、ここでも奔放なんだ」

 

すぐ側に、エースの顔があった。




P.S.RTTTのサントラ、好き。
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