無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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第51R ジャパンカップ 後編

「良かったの? こんなに早く歓声から逃げてきちゃって」

「……別に。私にとって大切なのは、そもそもあなたと走ることだったから」

 

レース後、ターフから戻ってきた私は、早々に控え室に籠もっていた。

もちろん、久しぶりの歓声を浴びてたいだとか、思うところはあったけれど……それよりも、優先したいことがあったから。

 

「だから、今日は抜け出してきて正解。走った後で楽しかったねって、確かめ合いたい──それぐらい、良いでしょ?」

 

シービーと一緒に走れたこと。

今日はどんなだったかって、互いに分かち合うこと。それなくして、私のレースは終われないと思ったから、シービーも一緒だ。

 

「……それもそっか。いつも通りに、ね」

 

そんな風に目配せしたら、返してくれる。

シービーはそうやって乗ってくれるから、だから、一緒に走ってて楽しい。

 

「今日はどうだった? シービーにとって、このターフは……どう思えた?」

「ん、晴れ空に整備された芝、最初はちょっと押し込められたけど……最後は、追うものもあって。思いっきり走らせてもらえたからさ」

 

そう口にして、シービーは私の方を向く。

 

「──エースがずっと先を行ってたんだ。それも、すっごい速く。追いかけてるだけで最高だった。堪らないぐらい、いっぱい走れたよ」

 

そうやって、シービーが私に笑いかけてくれる理由。

それこそがきっと、私たちがこのジャパンカップという舞台でどんな風に走れたか──一緒だったかを物語るものだったのだろう。

 

「……じゃあ、楽しかったんだ」

「もちろん。エースと一緒だしね」

 

まだまだ話していたいことはある。

少し前まで折り合いが悪かった分、それを取り戻すために言葉を交わしていれば、どこか安心できるから。

だけれど、互いにレースの感想を話した後に、言葉少なく余韻に浸るだけというのも悪くない。

そもそも、出会った時から会話を重ねてきたというよりも、私たちは走ることを通して繋がってきたのだから。

 

「カツラギエースさんとミスターシービーさん、そろそろ出番です。準備お願いしまーす」

「アタシもそろそろ戻らなきゃ。それじゃあね、エース」

「うん。()()()、シービー。私も……楽しかった」

 

別れ際に「またね」と。たった三文字であろうとも、彼女にそう返せたことが何よりも嬉しい。

私たちに()()がなかった可能性だってあり得たのだから。

そう考えると、今回感謝すべきは──なんて、そう考えていた時だった。

 

コンコン、と。聞こえてきたノック音。

何か伝達事項でもあるのかなって、ドアを開けた瞬間、そこに立っていたのは──。

 

「……すみません、ライブ前にお邪魔して……どうしても、一つだけ聞きたいことがあって……」

 

隣にはケガした彼女を補助するためのトレーナーさんらしき人。

そして、真正面に立っていたのは、今しがた思い浮かべていた相手──アンタレスだった。

 

「取り敢えずさ、座ってよ。その……ケガ、してるんでしょ?」

 

一度ペコリと頭を下げてから、アンタレスは素直に椅子に座る。

だけれど、視線はチラチラと自分の脚の方に向いて、膝の上に置かれた手は焦れたように震える。

あまり落ち着いていない様子なのは明らかだった。

 

「それで……聞きたいことっていうのは何?」

 

あまり顔色が良いわけでは無かったから、最初に彼女に話させるべきかはわからなかった。

それでも、時間があるわけじゃないし、落ち着かないならばまずは本題から入ってしまった方が楽になるだろう。

だからこそ、こちらから話を持ちかけたわけだけれど、それでもまだたじたじとした様子で、アンタレスが話し始めるまでに時間はかかった。

 

「……走る意味、見つけられたんですか……?」

 

そんな言葉が、アンタレスの口から漏れる。

 

『……なんのために、走ってるの?』

 

思えば、以前アンタレスと海に行った日、それは私の方から彼女に向けた言葉だった。

何しろ、当時のアンタレスは無敗の三冠を達成して、その上で私にまで手を差し伸べてくれたのだから、絶好調に見えたのだ。

 

「……うーん、意味ってほど、仰々しいものじゃなかったかも」

 

だけれど、今の立場は互いに逆と言ってもいい。

片やそもそも出走することが叶わなかったウマ娘、私の方は実際に走って一着を獲ったウマ娘。

そんな風に状況が変わったから、きっと彼女はわざわざ私なんかに質問をしてきたのだ。

 

「……意味ってほどじゃなかった……?」

「うん。それでもね、一つだけわかったから、それで十分」

「その一つだけっていうのは……?」

 

アンタレスの口から次々に放たれるのは質問ばかりだ。

実像を持つ言葉ではなく私にもたれかかってくるようにしている彼女の姿は、この間私を連れ出したものとは随分とかけ離れて見えた。

 

「走るのが好きってこと──それだけだよ」

 

最終的にはシービーと一緒に見つけた答えだったかもしれないけれど、そのきっかけになったのはアンタレスだ。

彼女が気分転換だとか言って私を連れ出して一緒に走ってくれなかったら、どうなっていたかは未だわからない。

 

「……でも、それがわかったのはあなたのおかげ。だから、ありがとう。それも伝えたかったこと」

 

だから、私としてはアンタレスに感謝していた。それをしっかり伝えたかった。

それでも、彼女は相変わらず伏し目がちにぽつりと呟くのみだった。

 

「……そう、ですか……。教えていただいて、ありがとうございました」

 

何かがわかったかのような口調とは程遠い。

これはアンタレスにとって満足いく答えじゃなかった──それだけはわかった。

 

「私さ、本当は次の有馬記念を最後にして、今年で引退するつもりだったんだ」

「……え」

 

そこで初めてアンタレスの視線は私の方を向いた。

以前見た時よりも少しやつれた顔だ。

 

「でもね、それは取り消すことにした。だって、走るのが楽しいって、もう一度知れたから。何度も言うけど、それはあなたのおかげでもあるんだよ」

 

脚をケガした彼女に向けるべき言葉は何か。

私がどうやってターフに戻ってこれたか、なんて。そんなことを伝えたところで、それはあくまでも私の例でしかない。彼女に当てはまるとは限らない。

 

「ねぇ、ケガの調子はどうなの?」

「一応……来月には治るらしい……です」

 

自信なさげにアンタレスは答えるけれど、ここで引いてはならない。

多分、これから私が彼女にかけるのは強引な言葉だ。勝手に約束してしまう言葉だ。

だけれど、そうやって強引に連れ出されたから私はここに戻ってこれた。

 

「……そっか。なら、次の有馬記念で戻れたら。約束を守って欲しい。ジャパンカップでは無理だったけど、次こそは一緒に走ろう?」

 

反応は伺えない。普段の彼女みたいに元気な「はい」なんて返事は返ってこないし、頷くことすらしない。ただ、視線が彷徨うだけだ。

それでも、私にかけられるのはそんな強引な言葉だけ。

彼女が戻ってくることを信じて──()()のレースを約束するだけ。

 

仮に今この場で答えが返ってこなくたって良い。もっと先になったって良い。その()()が訪れるのだとすれば、私はそれを待つだけだ。

私を連れ出してレースの世界に引き戻してくれた、そして、今まで走ってきたアンタレスを。

 

彼女自身の強さを、今は信じるほかないのだから。

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

縋るものが一つしか無かったのなら、こんなに躊躇うこともなかったのだろう。

ピタリと止まったキャリーケース、急に立ち止まったせいで視界の隅で大きく髪が揺れる。

 

「トレーニングには少し早い時間だが……そんな大荷物を持ってどこに行くんだい? ──アンタレス」

 

朝の四時。肌寒い空のもとでは辺り一面が暗い寮の門を今しがた出ようとしていたウマ娘──トレミアンタレスを止めたのは、()()では随分と馴染みの深い相手──シンボリルドルフだった。

 

「……少し、出かけるだけ」

「出かけるだけ、というのは? それでは、いつ帰ってくるんだ?」

「ルドルフにはっ……」

 

──ルドルフには、そんなの関係ないでしょ。

 

吐き出そうとした言葉は、喉元でつかえてそれ以上は出てこなかった。

数日前、ジャパンカップ当日に「有馬記念では一緒に走ろう」だなんて、前向きな言葉をカツラギエースにかけられた時だって、こうして出かけるきっかけになったトレーナーとの会話の時だってそうだ。

いつだって相手の言葉には自分を気遣うニュアンスが含まれていて、だけれど、それに対して強い言葉で返すことができるほど、アンタレスは薄情になったつもりもなかった。

 

走る理由は曖昧で、挙げ句、脚は痛めて。

目標もぼやけてしまった上に、競争能力すら一時的にとはいえ失ってしまっている。

どうにも見失ってしまったものは多い。だからこそ、半ば逃げ出すようにして提案したことだった。

 

『トレーナー、私……しばらくの間、モリオカに帰りたい』

 

どれぐらいの期間だとか、そんなことすら伝えていないのにオーケーしてくれたことから鑑みるに、トレーナーだって相当に気を遣ってくれていたのだろう。

 

『もうすぐ年末だし、帰省してくれてもいいからっ……』

 

マロンヴァーゴとの会話の中で、もはや自分の弱い部分までさらけ出せるのは──こんな風に迷ってしまった時に頼れる相手は、この世界に来た時から一緒だった彼女しかいないものだと思われたけど。

 

「まあいい。一つだけ、私からは言わせてもらおう」

 

キャリーケースに手をかけると、ルドルフはアンタレスの代わりにそれを門の外まで引いていく。

ちょうど外にはトレーナーの車が停まっていたから、そこまで一緒に。

 

「──いってらっしゃい、とね」

 

ルドルフはそれ以上深堀りすること無く、キャリーケースを車に載せる。

ただ、送り出すために。彼女はそこにいたようだった。

 

「……ずるいよ」

 

そうやって声をかけられたのなら、必ずここに戻ってこなければいけなくなる。

エースも、ルドルフも──皆が気を遣いながらも待ってくれているのだと、知ってしまったのだから。

中央で出会った人々もまた、縋るべき相手だったと気がついてしまったから。

 

「いつ帰るのか」答えることはできない。有馬記念までかどうかも、今の時点ではわからない。

脚が治って、走りたいとまたそう思えて、意味を見つけられて──再び自分を見つめ直す時間がどれぐらい必要かなんて、わかるわけもないのだから。

 

ただ、それでも──一つだけ確かなことがあった。

 

 

「……行ってきます」

 

 

必ず、ここに。

中央に──再び帰ってくるということだけは、誓わなければ。

 

また会うべき相手は、ここにもいるのだから。

 




ようやくジャパンカップ編が終わりました。
かけた期間はおおよそ二年……連載開始から菊花賞までで一年ほどだったので、その二倍……今年は投稿ペースを上げられるように頑張ります。
次章は大きな分岐点に、もしくはサビになる予定です。
頑張りますので、是非引き続きよろしくお願いします。
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