無敗の八冠?だったら、俺が獲ってやるよ。   作:流星の民(恒南茜)

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降り注ぐ冷たさも
第52R 「お帰りなさい」


その日は、いつもと変わらない朝だった。

 

「……はっ、はぁっ……」

 

私──マロンヴァーゴが普段しているルーティン、グラウンドでの朝練の中で。

白い息を吐き出しながらも脚をひたすら前に進め、内側へ内側へと、タイムを縮めるために位置取りを意識するために、前を見据えたその瞬間だった。

 

「……っ」

 

長い白毛を揺らしながらも校舎に入っていく一つの影が遠くに映った。

見間違えるわけもないその姿。幼い時からずっと隣にいて、近頃はテレビや新聞やらメディアではよく見るようになったものの、実際に触れることが無くなったその姿。

 

「……アンタ?」

 

なぜここにいるのだろうだとか、ケガの行方はどうなったのだろうだとか、気になることは山程あったけれど、次の瞬間に脳裏を過ぎって、私を突き動かしたのは一つの衝動だった。

 

「……私、はっ」

 

駆け出したことには違いない。

それでも、方向はアンタが向かった方とは真逆、校門の方へ──外へ、と。

こんなの、逃げているのと変わらない。それはわかってる。

 

『……何よ、変わらないじゃない』

 

だけれど、最後に会話した時に吐き出してしまった言葉。

それが私の耳にもこびりついていた。

アンタが変わらないだなんて、そんなのは私の望みでしかない。

そんなことよりも、いつまでもアンタを拠り所にして、縋って生きている、私は──。

 

「……変われ、ないっ」

 

 

◆ ◆ ◆

 

 

「……今日からしばらく、お世話になります」

 

まだ暗いうちに中央を出たおかげか、モリオカに到着したのは朝早い時間だった。

到着して早々、モリオカのトレセン学園側に挨拶を済ませ、寮にも一時的に部屋を借りられることになって──荷物を運んだり、しばらく暮らす支度を整えている内に、気づけば夕方近くになってしまっていた。

 

「……どう、しようかな……」

 

俺がトレミアンタレスとして目覚めたベッド──そこに体を横たえながら、どう過ごすか考えてみる。多少の埃っぽさも、中央よりは煤けた壁も、狭い部屋も、どうにも懐かしく思えた。

 

そして、今日はどうするか。トレーニング……はそもそもとしてもっての外だ。

脚はまだ治ってはいない。こうしてやることなく天井を見上げるだけの時間が淡々と過ぎていくばかりだと、普段トレーニングに割いていた時間だとか、ここに来た経緯だとかを思い出して、どうにも焦れて仕方がなかった。

 

『もうすぐ年末だし、帰省してくれてもいいからっ……』

 

そもそもとして、ここに来た理由。

それは通話の時にヴァーゴが口にした言葉に起因する。

 

ジャパンカップを数日前に控えた中で、俺は脚を捻った。

そのせいで出走が取り消しになって──結局は目的すら曖昧になって、ふらついた先に戻ってきてしまったというわけだ。どうにもヴァーゴには顔向けがしづらかったのだけれど。

 

「……流石に、やだな」

 

モリオカにまで帰ってきて、彼女に会わないなどというのは到底考えられなかったから。

早起きしたせいで眠気が残る体を起こす。歩行補助のためにトレーナーにも連絡をして──俺は、一度学園に向かうことにした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

◇ ◇

 

 

 

「……ヴァーゴさん? 今日は確か来ていなかったと思うんだけど……」

 

確認を取ってヴァーゴのいるというクラスに向かって早々、彼女のクラスメイトから聞いたのはそんな言葉で。

ここに来るまでの間でも久しぶりの再会とあってか随分と緊張していたものだから、どっと力が抜けていくのを感じる。

 

「……そっか。教えてくれてありがとう」

「どういたしまして。ところで、あなたって……アンタレスさん、だよね?」

「……そう、だけど……」

 

頷いた瞬間に、目の前のクラスメイトは目を輝かせる。

 

「ホント!? 本物のアンタレスさん!? ちょっと待って、サインとか貰えたりする!?」

 

そこでようやく気がついた。

今の俺は以前モリオカにいた頃とは違って、知名度がずっと上がってしまっている。

迫ってくるクラスメイトに呼応してか、ざわめきは広がり、やがては人が集まってきて──。

 

「えっと……」

 

このままじゃ質問攻めやらサインやらで、とてもじゃないけれど、ヴァーゴを探す時間が取れなくなってしまいそうだ。

断りたいけれど──この状況で避けるのは、どうにも難しいように思えて。

 

「来いっ! トレミアンタレスぅ!」

 

その時、怒声にも近い声が聞こえて、突如として手が取られた。

考える間もなく、ズルズルと、引っ張られるようにして──相手が俺の松葉杖に合わせてくれたのは幸いだったが──俺は、何とかその場から離れられた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……ここまで来れば、追って来ることもなかろう!」

 

校舎裏のさして人気がない場所まで俺を何とか連れてきてくれた相手が吐き捨てるように口にする。

その粗暴な口調は聞いているだけでも、若干震え上がってしまうようで。

それでも、聞き覚えがあるものだと──思考を巡らせていた時、はっと行き着いた。

 

「……もしかして、フォルテ?」

「やっと……気づいてくれたんですね。その……お久しぶり、ですっ」

 

先程までの口調とは食い違って、随分と穏やかな、ともすれば弱気にも思える口調。

その豹変ぶりを忘れるわけもない。モリオカにいた頃、一緒に走った二重人格気味のウマ娘──フォルテッシモがそこにいた。

 

「うん、久しぶり。そして、ありがとう。逃がしてくれたんでしょ?」

「別に、そこまでのことはしてねぇ……けど……」

 

そのはぐらかし方や、ころころと口調が変わっていく感覚。

別れてからまだ一年も経っていないというのに懐かしく思えて、思わず笑みが零れてしまう。

 

「……ところで、ケガは大丈夫ですか? 出走取消になったって……」

「それ自体は大丈夫そうなんだけど……」

「……そう、ですか」

 

それ以上は何も聞いてこないフォルテ。

正直、これぐらいの距離感でいてくれた方がこちらも接しやすいというのはあった。

 

「まあ、聞きたいことは色々ありますけど……あんまりこんなところで油を売ってて、また見つかったら危ないですしっ……」

 

タタタッと駆けていき周囲を確認してから、戻って来るとフォルテは続けざまに口にする。

 

「……マロンヴァーゴを探してるんだろ? 行って来い、ここはアタシが何とかするッ!」

「フォルテ……」

 

とは言っても、学校にいないならヴァーゴがどこにいないかわからない、だなんて。

そう言ってしまうことこそが逃げだ。きっと、あと一つ、ヴァーゴが行くとしたらどこか──俺にはもう、察しがついていたのだから。

 

「ありがとう。悪いけど……ここはお願いっ!」

「任せてくださいっ。わたしは、アンタレスさんの古参ファンで……ライバルでしたからっ」

 

最後はおどおどとした口調ながらも、言葉自体は力強い。

そこまでしてもらったらもう逃げるわけには行かなくて、俺は裏口からそのまま外に出た。

程なくして、外で待っていたトレーナーと合流する。

 

「トレーナー。ちょっと連れてって欲しいところがあるんだけど……」

「……どこ? 車つけてあるから、連れてくわよ」

 

心強い返事を聞きつつも、俺は──その場所の名前を、口にした。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「……アンタ? どうしてここに……」

「ヴァーゴなら、ここに来ると思ってたから」

 

石段から駆け下りて来ると同時に、靡く栗毛。

その瞳は俺を捉えた瞬間に驚いたように見開かれて、そんな表情に少しだけ気が緩んだ。

度々一緒に練習していた神社──ここには、岩手ステークスの前に互いに良い勝負をと誓いあったご神木があって、ヴァーゴはよくここに通っていると聞いていたから。

何とか見つけられて、心底俺は安堵していた。

 

「……ごめんなさいね、アンタ。この間は変なところで電話を切っちゃって……」

「ううん、私が急にかけたのも悪かったから……気にしないで……」

 

石段に互いに座り込み、言葉を交わす。ひんやりとしていて、座り込む分には不向きで、それでも、今はヴァーゴと話すことの方が大事だったから気にならなかった。

最初は謝罪を、言葉を口にしては黙り込む。

 

「……アンタ、その……ケガはどうなの?」

「……もうじき治るって。そんなに重症じゃないから、大丈夫」

「……なら、良かったわ」

 

久しぶりの再会のはずで、もっと話したかったことがあったはずなのに──話すたびにぽっかりと沈黙が立ち込めて、ちっとも話は続かない。

むしろ気まずさばかりが募って行く。

 

「ねぇ、アンタ」

 

その時、ぽつりとヴァーゴが零した。

 

「……どうして、こっちに帰ってきたの? もしかして、私のせいだったりする……?」

 

先程、わざわざフォルテが避けてくれた質問。

それを言い淀みながらも、ヴァーゴは俺にぶつけてきた。

 

「……ヴァーゴが帰ってきていいって言ってくれたからっていうのもあるけどさ」

 

もちろん、電話越しにヴァーゴが口にした言葉。それに惹かれるようにして戻ってきたというのはある。ただ、それ以上に──。

 

「脚、ケガして……目下の目標が無くなった瞬間に、急に……どうすれば良いのか、わからなくなったんだ……」

 

ジャパンカップ前、脚をケガしたこと。

そして、ジャパンカップへの出走が取消になってしまったこと──それが、原因として大きかった。

ただでさえ、エースと交わした会話のせいで「なんのために」だとか、走る意味を考え直していたというのに、そんな中で目の前の目標が無くなってしまっては、次にどうすれば良いのかわからなくなってしまって。

 

「……中央は、みんな強くて……必死で……それで、さ」

 

口ごもりながら、途切れ途切れになりながらも、弱音を吐いたこと。

それは、脚を怪我してからというもの初めてだった気がして。続ければ続けるほど、次第に決壊していく。喉奥で詰まっていたものが、ついに吐き出されてしまう。

 

 

「……居場所が、見つからなくって」

 

 

皆必死で、前を見つめている中央で──俺だけが、立ち止まっていて。走ることすらままならなくなってしまって、目標すら揺らいでいて、どうしていけばいいのかわからなくなった。

だから、縁を辿って一度戻ってくることにした──半ば、逃げてくるような形で。

ここに来る前ルドルフには帰って来ると誓ったけれど、それすらいつになるのかわからないまま。

 

「……そう、ね。頑張った。アンタは……頑張った、わよ」

 

そんな情けない俺を──逃げてくれた俺の背中を、そっとヴァーゴはさすってくれる。

いたわるような言葉すらかけてくれる。

その優しさは……今の俺にしてみれば、堪らなく痛く傷口に滲みるものであったことには違いないけれど……だと、しても。

 

「……ありがと」

 

無かったらきっと、耐えきれなかったのだろうから。

俺はヴァーゴにただ、身を委ねていた。ジンジンと痛む傷跡さえも、彼女と再会できた証なのだと、ずっとせき止めていたものを吐き出せた証なのだと、そう思えた。

 

 

「……おかえり──アンタ」

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