ヴィルマフレアの英雄譚   作:Senritsu

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第16話 傍観する者たちへ

 

 

 林道に立ち入ったときには疎らに降るくらいだった雪は、歩いていくうちに少しずつ強まり、やがて遠くの景色を白で覆い隠すまでになっていた。

 葉を落とした木々は雪をそのまま地表へ落とし、目に見えて増えた積雪は、道行くアイルーの肩の辺りまで達しつつあった。四足歩行で走ろうものなら、すぐに雪に埋もれてしまうだろう。

 

 クラフタは雪道を黙々と歩いていた。

 アイルーの体毛を以てすればそこまで厳しく感じる寒さでもないのだが、単純に雪に足を取られて歩きにくい。

 背中に背負っている、手紙や食糧の入った鞄もクラフタの歩みを重くする要因の一つだが、これを手放すわけにはいかない。

 今日の内に目的地に辿り着きたい、とクラフタは考えていた。雪洞を掘って休むのも手だが、このまま吹雪にでもなれば行程がさらに遅れてしまう。

 

 ここはクラフタも足を運んだことのない土地だった。東シュレイドの北東、ヒンメルン山脈が途切れて、さらに北の峰々が聳えるまでに広がる丘陵地帯だ。

 人族はヒンメルン山脈の西側に分布しているため、この地域はほとんど人がいない。

 手紙の運び屋であるクラフタにとってはほとんど行く意味のない地域かもしれないが、別に当てもなく来たわけでもなくては、遭難でもない。事情があるから足を運んでいるのだ。

 

 こういうときばかりは、アイルーよりも背の高い人族を羨ましく感じる、などと、そう思うのはほんの僅かだ。代替手段はいくらでもある。

 適当な枯れ木に目を付けたクラフタは、木の根元に鞄を置き、幹に爪を立ててするすると木に登った。うっかり服を破いてしまわないように気を付ける。

 木の上から見渡せば、視界は格段に開ける。

 

 雪に紛れがちな景色に対してクラフタは目を眇めて遠くを見ていたが、やがてその眼差しが一点に向けられ、ほっとしたような息をついた。

 思っていたよりも早くに見つかった。良い方面の誤算であれば大歓迎だ。

 クラフタが見つめていた先には、星のように瞬く赤い光、連なる篝火が見えた。目を凝らせば、櫓のような建造物や、宙にはためく旗もぼんやりと見えたかもしれない。

 そこがクラフタの目的地だ。普段は疎らに小さな集落があるだけの雪原に、前触れもなく現れたその拠点は、ある人物が保有する軍隊の象徴とも言えるかもしれない。

 

 ヴィルマ率いる対竜兵団の野営地まで、あと少しだ。

 

 

 

「会議中に失礼いたします。ヴィルマ殿へ客人がいらしております」

「客人? 用向きは?」

「獣人族です。封書を届けに来たとのことですが……」

「おお、彼か。分かった。軍議を終えたら呼ぶから、建物の中で休ませてやってくれ」

「承知しました」

 

 木で組まれた、だだっ広い平屋のような建物。その一室で仲間と共に地図を囲んで話し合いをしていたヴィルマは、軍議の後の雑談は参加できそうにないと周囲の面々に詫びた。

 半刻ほどが過ぎて、隊長格の兵士たちが部屋を出ていくと、入れ替わるようにして一匹のアイルーが伝令兵に連れられてヴィルマと対面した。

 

「遠路はるばるご苦労様だ、クラフタ。ここまで足を運んでくれるとは思わなかったが、何か急ぎの用事があるのか?」

「いえ。いつも通る村で、旦那様の部隊が近場に野営しているという話を聞いたので、手紙だけでも届けようかと」

「気を利かせてくれたんだな。ありがとう。道中の集落は特に変わりなかったか?」

「はい。竜や獣に襲われたという話も特には」

 

 雑談を交えながら、クラフタは鞄から取り出した手紙をヴィルマへと差し出した。

 見た目は質素なもので、封書といえばその通りなのだが、中身は公的でもなんでもないヴィルマの私事だ。

 この寒さで糊は固まってしまっていて、ヴィルマは戸棚からペーパーナイフを取り出した。

 

「ここは旦那様の新しい拠点でしょうか」

「ん? ああ、当たらずとも遠からずといったところかな。

 ここは元々、哨戒兵たちが泊まるだけの小屋だったんだが、改築して拠点に作り変えたんだ。

 今、取り仕切っている作戦をまとめるのにちょうどいい立地だったものでね」

「作戦、ですか」

「ここから遥か北のフラヒヤと呼ばれる山々から、雪の獅子が群れを成して下ってきているんだ。そこに剥製があるぞ?」

 

 部屋の奥を見ていなかったクラフタが目を凝らすと、ペーパーナイフで封を切っているヴィルマの背後に、真っ白な体毛で今にも襲い掛かりそうな獣の姿が見えた。

 

「ニャッ……」

「ははっ、驚かせてしまったな。兵士たちに戦う相手をよく知ってもらうために作ったから、妙に迫力があるだろ」

「グルル……」

「すまんすまん。いたずらが過ぎたな。まあ、その獣の群れを追い返すために、兵団で長期戦を仕掛けてるってわけだ。ここはその本部ってことだよ」

 

 本当に驚いたのか、しばらく警戒した様子を崩さないクラフタに対し、ヴィルマは苦笑いをしながら謝った。

 封を切り、慎重に中の便箋を広げる。西シュレイドの彼女が使う紙はお世辞にも質が良いとは言えないため、破いたりしないためには慎重に扱う必要があった。

 

 瞳だけを、左から右へ泳がせる。それを何度か繰り返す。

 お、と思ったのはクラフタだけではなく、手紙を読むヴィルマ本人も感じたことだろう。

 視線の往復が、これまでと比べても明らかに多い。何より、その便箋は()()に渡っていた。それが最も驚くべきことかもしれない。

 一通り目を通し、それからもう一度、一から読み返す。クラフタは先ほど跳ね上がった脈拍を落ち着かせながら、黙ってその様子を見ていた。

 

「最初の手紙をお前に託してから五年になるか。アイルーの年齢には明るくないんだが、二国間の往復がきつくなったりはしてないか?」

「……いえ。昔とそう変わりません」

「それはよかった。まだしばらくはお前の力を借りることになりそうだ」

 

 この手紙は、お前を含めて、誰か一人でも欠けたり繋がりを拒むだけで途切れる細い糸のようなものだからな、とヴィルマは付け加えた。

 しかし、繊細な話題であろうにも関わらず、ヴィルマの口調はどことなく楽しげなのだった。クラフタと対面するときのヴィルマは基本そのような雰囲気だ。

 

「返事を書いていきますか」

「いや、すまないが落ち着いて返事を書くにはもう少しかかりそうだ。

 お前は他の人たちにも手紙を渡す仕事があるだろうし、先に街道へ戻ってもらえるか。もちろん、何日か休みたいなら部屋を手配するが」

「いえ、お気遣いなさらず。ただ、旦那様が手紙を持ち続けるとすれ違いになるかもしれません」

「書き上げたらリーヴェルに使者を送るから大丈夫だ。城に居るアズバーがうまくやってくれるだろう。お前は気にせずに各都市を巡りながらリーヴェルへ向かってくれ」

「分かりました」

 

 実際、東シュレイドでは一度時期が来て雪が降り始めると、あとは春まで積雪が増していく一方になる。初冬の今、数日でも早く動けるならそれに越したことはない。

 ヴィルマの提案を受け入れたクラフタは、次の日の早朝に出発することにした。

 

「旦那様。件の雪の獅子ですが、帰りの道中に遭うことはなさそうですか」

「どうだろうな。彼らは雪の中に潜むから、雪の走竜よりも見つけるのが難しいんだ。兵団の目を潜り抜けたはぐれ者が、その辺に潜んでいるかも……」

「……ニャア」

「ふふ、冗談だ。そんな状況なら補給線が断たれてとっくにこの拠点は落ちている。そうならないための迎撃作戦だ。なんなら護衛を付けようか?」

「……遠慮しておきますニャ」

 

 やはり、クラフタはヴィルマのことが少々苦手なのだった。

 

 

 

『金の獅子の件、君も無事なようでよかった。

 この手紙を書くとき、あれからもう半年以上が経っていることを思い出した。

 月日が過ぎるのは早いな。事後対応に追われていたからか、最近は特にそう感じる。

 

 君の手紙で書いていたことについて触れていこう。

 「百人の仲間が死んでも、あなたはその一人ひとりを覚えているか」という問いについてだが、時に彼らに死を命ずる立場の者として、一人残らず覚えておくことが理想だとは思う。

 けれど、君にそれを問われたなら、厳密には違うと答えざるを得ない。

 

 死者や負傷者の数を偽ったり隠したりするつもりは毛頭ないが、そのひとり一人まで対話をして、記憶に留めておくことは難しい。

 組織が大きければ大きくなるほど、抱えきれずに零れ落ちていくものは増えていく。兵団に入ってから、何人の死を見送ったかももはや定かではなくなってきた。

 

 ただ、それでも兵団の中で亡くなった仲間を覚えている誰かがいるということは忘れないようにしたいと思う。彼らから戦死者の思い出話を聞くことも。

 亡くなった兵士にも家族や同僚、その人なりの人生があった。その事実まで軽んじてしまえるようになったら、もはや私は現場の人間ではなくなってしまうだろう。

 

 こういうことを話すと理想家だと笑われてしまうんだが、君の話を聞いてからは、現実に追いつかない理想でも向き合い続けるべきだとより強く思うようになった。

 初めて手紙を書いたときにも語ったが、やはり君のいる西シュレイドとこちらとでは竜に対する人の使い方が大きく違っている。

 西シュレイドは基本的に東シュレイドよりも国力があって豊かだという話はよく聞くが、その分、いろいろな問題を抱えているんだな。

 

 人同士で争うための軍隊とも違う。彼らはある程度厳格な規律と身分のもとで生きている。そうでなくては足手まといになってしまうからだ。

 そういった枠組みや基準をすべて省くことで、それだけの人が集まるんだな。これは私も知らなかったし、見えにくいところなのかもしれない。

 本来は政治家へ向かうべき民衆の不満や軋轢を、人の域の外にいる竜へ向けることで秩序を保っている。そんな風に見える。

 

 隣に立つ者を仲間と認識する前に死なれてしまうような、入れ替わりの激しい場所で生き残り続けている君だからこそ、いつかの祝宴での、あの言葉があったように思う。

 西シュレイドの事情に口を挟む権利を私は持ち合わせていないが、当事者である君は、自分の考えを持ったり、それを表明する大義名分を持っている。

 君がもし私の率いる対竜兵団を肯定的に見てくれているなら、これほど嬉しいことはない。

 

 

 さて、全く話は変わってしまうのだが、ぜひ書いておきたいことがある。

 君は、とても文章が上手くなったな。

 勉強をしたのだろうか? そうだとしても凄いことだ。ここまでの成長がみられるとは、正直思っていなかった。

 何か偉そうな文章だが、君から伝えられる話がより詳しく鮮明になったことを、子どものように喜んでいる私がいる。

 

 文字を知って読んだり書いたりできるようになると、いろいろと楽しめることが多くなると思っている。

 興味を持ってもらえるかは分からないが……いくつか紹介させてほしい。

 

 まずはひとつ。自分の気持ちや見聞きした物事を伝えたり、表現しやすくなる。

 自分の中で、知っている言葉では言い表せないもやもやとした感情や想いを抱えた経験は君にもあると思う。

 あの感覚がきれいさっぱりなくなる、ということには残念ながらならないんだが、ひとつ単語を知って、あのときはあの言葉が使えるんだ、と知ったときの嬉しさはなかなかのものだ。

 世の中には膨大な種類の単語があるし、君の国にはあって私の国にはない言葉だってあるだろう。

 そういったものをまとめた冊子は時に辞典と呼ばれるが、とても一般に伝わる代物ではないのが惜しいところだ。

 

 もうひとつ。世の中に存在する本や巻物を読めるようになる。

 何も難しい本である必要はないんだ。もともとどちらの国も読み書きができる人はそう多くはないから、絵巻のように文字を使わない巻物も多い。

 先に語った辞典に、物語、技術本、歴史、軍学、図鑑……本にもさまざまな種類がある。

 君の国では本は貴重なものかもしれないが、もし手に取れるなら、ぜひ読んでみてほしい。

 

 おすすめは、やはり物語だ。

 その多くは口伝で受け継がれていて、吟遊詩人に託されているものが多いが、いくつかは本として綴られている。

 私たちがよく相対している竜や獣については、存在を信じられていないからか、おとぎ話として多く出てくる印象だ。

 あまりに竜と人の接点がないおかげで、そもそものおとぎ話自体がそう多くはないんだが、もしかしたら君の見覚えのある竜が描かれていたりするかもしれないな。

 あの手の本を読むと、竜や獣に対する見方が少し変わってくるかもしれない。人としての受け入れ方に幅があることを知る、とでも言うべきか。

 結局、私たちのすることに変わりはないんだが、そういった別の視点を得ることも悪いことではないように思う。

 

 

 この手紙に君がどのように返してくれるのか、君から語られる話はどのようなものになるのか、とても楽しみだ。

 そもそも君から返事が送られてくることそのものが得難いことであるのに、なんともわがままなものだな。

 あの戦場で一日くらい語り合ってみたかったものだが、元を辿れば君は私を殺す任務を請け負ってきていたわけだから、なんとも微妙な距離感になりそうだ、ということを考えれば、やはり手紙が最適なのかもしれない。

 君も私も、穏やかに過ごせる時間は限られているようだから、せめて、君が次も生き残れますように。

 

 

 追記

 君の手紙に、ヒンメルン山麓の洞窟で行方不明者が出ている元凶を探しに行ったが見つからなかった、という話があったので、周りにそういった噂がないか聞いてみた。

 すると、東シュレイドでも北方の集落で似たような話があったんだ。聞くところによれば、雪や雨を凌ぐために立ち寄った村人や旅人がよく行方をくらませる洞窟があるらしく、立ち入りを禁じているだとか。

 天井から這い寄る影が人を喰らう、そう伝えられているらしい。白い()()()()だというが、誰もはっきりとした姿は見たことがないそうだ。

 

 もし君が再びその任務を負わされるようなことがあれば、灯りをともして天井を注意深く見てみるといいかもしれない。

 単純に岩盤の崩落や足を滑らせて沢に落ちたという線も考えられなくはないが、あるかもしれない不意打ちを警戒するに越したことはないと思う。

 

 君の希望通り、鉄鉱石の採掘の護衛で退屈しているのが一番望ましいだろうが、君はいろいろと巻き込まれやすいような気がするので、追記させてもらった』

 

 

 

 クラフタがリーヴェルに到着したのは、ヴィルマに手紙を渡してからひと月が過ぎてのことだった。

 他の都市とは違う、大掛かりな兵器を運ぶためのだだっ広い大通りや、兵器や刀剣をつくる工房の槌の音が響く中、寒さに鼻をすすりながらクラフタは歩く。

 対竜兵団の本拠地である都市中央の城はいつもより閑散としていた。守衛は半年に一度訪れるクラフタのことを覚えたようで、すぐに話を通して中に入れてくれた。

 

 クラフタを出迎えたのは、ヴィルマの従者であるアズバーだ。

 ヴィルマと同じく五年近い付き合いになる彼だが、初めて会ったときよりも少し老けたかもしない、とクラフタは思った。

 

「長旅ご苦労様です。ヴィルマ様からの指示は伝わっています」

「まだ、旦那様は帰ってきていないですか」

「ええ。雪の獅子の進行が落ち着くまでは今しばらくかかるらしく。手紙は受け取っておりますので、クラフタ殿への依頼に支障はありません」

 

 アズバーはそう言って、丁寧な装丁のされた封書をクラフタに渡した。

 これを西シュレイドのヴェルドまで運ぶのが、クラフタのいつもの仕事だ。一見質素なように見えて、機密は他の何よりも高い。

 万が一、関所などで所持品の検査にあっても見つからないように、クラフタは鞄の隠された隙間にその手紙を仕舞い入れた。

 

「それと、こちらが今回の報酬です」

 

 続けて、アズバーは棚に置かれていた小包をクラフタに手渡す。人にとっては小包と言えるが、アイルーであるクラフタにとってはそれなりの大きさだ。

 けれど、クラフタは何の不満もなくその小包を受け取った。それどころか、滅多に感情を表に出さない彼の尻尾がゆらゆらと波打っている。

 

 小包の中身は、乾燥させたマタタビの葉だ。なるべく質の良いものを厳選し、その手間を考えればそれなりの額になるだろう。

 リーヴェルにはアイルーがほとんどいないため、直接金を渡しても使い道が限られている。故にこその嗜好品の現物支給なのだが、思いのほかクラフタには受け入れられているらしかった。

 非公認の市場や牢獄などでは煙草が通貨の代わりになることがある。嗜好品にはそれだけの価値があるのだろうと、クラフタを見ていたアズバーは思った。

 

「休憩されていきますか? 部屋を用意いたしますが」

「大丈夫です……ニャ。お手紙確かに受け取りました、にゃ」

 

 快楽を隠しきれていない。若干の不安すら感じる返事だったが、これまでも報酬を渡したときにはいつもこのような状態であったし、この後に仕事のミスもないので問題はないだろう。

 厚手のコートを身に着け、深めの帽子を被り、ゆらゆらと尻尾を揺らしながら出口へと向かっていくクラフタを、その姿が門の向こうに消えてゆくまで、アズバーは見送っていた。

 

 

 

 遠ざかるクラフタの後ろ姿を見ながら、アズバーは彼とのやり取りの中で結局口にしなかったことについて考えていた。

 

『ヴィルマ様に何か変わりはありましたか』

 

 何気ない風を装ってそう聞ければよかったのだが、かの手紙の運び屋は勘が鋭い。

 その問いの背景に気付いてしまうかもしれないし、クラフタまで巻き込むことはないと思い、すんでのところでアズバーはその言葉を飲み込んだのだった。

 

 金の獅子との死闘の件は、ヴィルマがリーヴェルに戻ってくるよりも先にアズバーの耳に届いていた。

 ヴィルマを含む生存者の負傷があまりに重篤だったため、帰還のための長旅に体が持たず、道中の街や集落で休息を取りながらの帰途になったからだ。

 兵団の帰還がもう少しでも遅ければ、もはやヴィルマは復帰できないものとみなされ、領主の座を引き継ぐべく議論が始まっていたかもしれない。

 

 しかし、結局ヴィルマは戻ってきた。治りきっていない身体を引きずりながら、数多の戦死者への対応に向けて街を奔走した。

 たしかに兵団への被害は甚大であり、本人も未だに腕や背中に違和感を覚えることもあるようだが、彼の在り方を変えるには至らなかったというのが人々の見方だった。

 ただ、負った傷や兵団内外での立場はともかくとして、変わりがなかったという見方には見落としがあるようにアズバーは思えるのだった。

 

『俺の目に狂いはなかった。いや、それどころか俺の目では全く足りていなかった』

『彼女は、可能性の塊だ』

 

 リーヴェルに戻ってきた彼は、執務室で誰に話しかけるでもなくそう呟いた。

 それの意図するところをアズバーは知り得ない。かの戦場で何があったのか、ヴィルマの口から大まかに聞き及んではいるものの、当時の情景が鮮明に浮かぶわけでもない。

 故にアズバーはヴィルマのその呟きについての言及を避けた。彼女とはフレアのことで間違いないだろうが、分かるのはそこまでだ。

 ヴィルマが彼女に何を見出し、可能性とは何のことなのか、ヴィルマの口から聞いてもアズバーには到底理解が及ばないだろう。

 

 それからというもの、ヴィルマは心なしか鉄婆という加工屋の統領のもとへよく足を運ぶようになったように思う。

 以前から対竜兵器関連の相談で、ヴィルマが鉄婆に直接顔を合わせに行く場面は多々あった。

 しかし、直近の彼は事後処理で忙しくしていたため、意識して選択をしなければ、加工屋に自ら訪れる時間は無かったはずだ。

 

 城の中とはいえ、護衛でもないアズバーが加工屋まで付き添う理由はないため、何の話をしているかは分からない。

 金の獅子との戦いでは対竜兵器が軒並み破壊されたそうだから、改良についての話をしに行っているだけかもしれない。

 だがアズバーは、ヴィルマがこれまでとは何か別の意図をもって、職人たちとの関わりを見直そうとしているように見えてならなかった。

 

 自分は何か疑い深くなるようなことでもあっただろうか、とアズバーは自問するが、思い当たる節がない。

 つまり、アズバーが己の直感を信じるならば、それはヴィルマが自身の変化を隠そうともしていないということだ。

 あるいは、ヴィルマ自身が気付いていないか。実際、変化というには些細な事柄だ。どの線も彼ならばあり得る。

 

 彼は元より野心を持った人間だ。そうでなければ一都市の領主と、死と隣り合わせの兵団の指揮官を兼任したりはしない。

 持って生まれた血統まで駆使して権力を手に入れ、それに伴った責任故に野心を制御せざるを得なくなった、ある意味で不器用な人間だ。

 牛歩でも前へ進むことを選択していたはずの彼を変えたのは、紛れもない。あの夜にたった一人でヴィルマの暗殺を決行した少女なのだ。

 

 熱を宿し、ただ静かに焼けていくだけだった炭に、彼女は火を入れた。

 火を宿し、ぱちぱちと音を立て始めた炭火に、彼女は再び息を吹き込んだ。

 

 アズバーの目にはそう映るというだけの話だ。具体的な話は何一つとしてできないし、誇張した表現であることも否定はできない。

 少なくとも、手紙を通じた繋がりは今後も続いていくのだろう。ヴィルマとフレア、どちらかが死ぬか、繋がりを拒むことをしない限りは。

 

 領主と暗殺者。本来は殺し合う間柄にある二人は、互いに影響を及ぼし、思想を与えることを避けられない。

 既に背中は押されている。金の獅子ですら、不揃いな彼らの歩みを留めるには至らなかった。そんな見方すらできるかもしれない。

 

 そしてまた、ヴィルマの手紙を持った運び屋が、隣国の西シュレイドへと旅立っていく。

 手紙の内容だけではなく、そのやり取りの一つひとつが有する意味を、アズバーは考え続けていた。

 


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