月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel   作:ペタンコ

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第8話 何時かの影

 かつての後ろ髪に、それは似ていた。

 我が母に刈り取られた髪は、時間を掛けてマンチェスターで見た程に伸びて。

 俺を伺う時の表情は、あの雌犬のミニチュアとさえ言って良い。

 微笑み、仕草、儚さ、全てあの雌犬を想起させる。

 

『お兄様、衣遠兄様!』

 

 敬意と畏怖と、僅かに滲み出る親しみ。

 後ろから付いてくる時は、3歩後ろを迷いなく。

 しかし対面すれば、緊張が走りおずおずとした顔を見せる。

 もし俺とあの女に交流があれば、こうなっていたという再演。

 あの時に失われたモノを、雌犬の子が代替する。

 それこそが、俺があの雌犬の子に求めていたものだった。

 

 

 あの屈辱と怨嗟に満ちた事実を秘密とした日に誓った、大蔵の全てを奪い取ると。

 初めに、真星家の全てを掌握した。

 次に父を実権から遠ざけ、マンチェスターへと幽閉した。

 家族から遠ざかり、孤独に浸るしかない日々。

 絶望の果てに朽ち果てると思った父は、しかして希望を掴んでいた。

 

 朽ち果てただろうと思い訪れたマンチェスターで、父は一人の女を囲っていた。

 孤独に耐えかね、不義を働いたのだ。

 大蔵の総裁候補だった男も地に落ちたと、他人事の様にさえ思えた。

 ――あの女が、赤子さえ抱えていなければ。

 

 俺は大蔵の全てを奪う、それは絶対だ。

 大蔵の権能は総裁のみが掌握しうる。

 つまり大蔵の血族が生まれるのは、その分だけ敵が増えるのと同義。

 如何な出自であれ、大蔵の血を継いでいるのならば憎悪せざるを得ない。

 それも男なら、あらゆる面で排除と利用を考えただろう。

 しかし生まれたのは女、故に考える事は、生まれた子供を如何に封じるかのみだった。

 

 更に言えば、父に侍っていた雌犬は虚弱であり、権勢欲も見せていない。

 大蔵の富への執着よりも、静かに暮らすことを望んでいる。

 欲の少ない人間で、向上よりも安寧を望む人間であった。

 如何にも、枯れ果てた父が求めそうな人間だ。

 

 雌犬を父から遠ざけるべく、俺はあらゆる物を提示した。

 だが、現状に甘んじ、多くを求めない。

 それは父に対する義理よりも、母への後ろめたさがそうさせていたのだろう。

 何度か東京で母と対面した時は、言葉も少なく常に怯えていた。

 

 そんな女が、唯一執着を見せていたのが自身の子供。

 迂闊にも、己が子供と引き離されることを常に恐れていた。

 母にそれを見抜かれ、分断されたのは当然の流れだ。

 子供を奪われてからの雌犬は、時間を経る毎に衰弱した。

 抜け殻となったこの女は、数ヶ月で死相が浮かび始めた。

 弱かった体を支えていた精神が、遂に崩れ落ちたが故に。

 

 焦りを覚え、足繁く女の下を訪れ俺のモノとなれと伝えても、微塵も靡こうとしない。

 幾度も出会う内に、この女は裏切らないと理解させられる。

 死期が近付くにつれて、父から奪えぬままに女が零れ落ちる現実が悪夢の様に思えた。

 

 そうして、その日が来た。

 最後の日、あの父は母の呼び出しに応じて東京に向かっていた。

 最後は孤独のまま果てろという、母からの意思表示。

 俺は、最後の機会である死に目を訪れ、その女を見下ろした。

 一人で屋根裏部屋で横たわる雌犬は、どこまでも惨めな存在だった。

 

『俺のものになれば、娘は俺が飼ってやる』

 

 末期の勧告、同情も温情も装っての言葉。

 だが、女の望みは唯一つで。

 ここまで来ても、吐いた言葉は娘の事のみ。

 

『――娘を、兄妹として愛して下さい』

 

 そうして、小さくなりつつある声で最後の望みを告げて、奴は息絶えた。

 節を曲げる事が無かった女は、父の中で生き続け希望となる。

 俺はこの女を、終ぞ手に入れることが出来なかった。

 故に、如何なる理由があっても、それを慰めるために奴の忘れ形見だけは手に入れる必要があった。

 たとえ危険な地雷であっても、その心身を全て俺のものにしなくてはならない。

 小娘一人御せずして、大蔵の総裁席はあり得ないと言い聞かせて。

 

 

 

 

 

 最近、お兄様が頻繁にいらっしゃる。

 前までは、月に1度くらいのペースだったのが、現在では2週間に1度。

 原因を考えても、私自身の至らなさしか思い当たる節がない。

 もしかして、私の能力の無さ故に、見切りをつける作業に入られたのか。

 そう考えると、怖くて夜も眠れなくなる日があった。

 ただ、そのようなことをお兄様に尋ねる訳にもいかない。

 私は必死に、服飾に打ち込む他になかった。 

 

「……髪が、伸びたな」

 

 だから、そう声を掛けられた時、私は意外そうな顔をしていたかもしれない。

 お顔を伺っても透明な表情をしておられて、その気持ちを読み取れなかった。

 お兄様は、普段は感情を隠されない。

 そんな方が気持ちを伏せている、その時点で探ってはいけないと理解した。

 なので真意ではなく、お心に寄りそいたいと思い、言葉を紡ぐ。

 

「ありがとうございます、お優しい衣遠兄様。

 お兄様やりそなが大切に扱ってくださいます。

 ですので、こうして髪を伸ばす喜びに浸れました」

 

「おべっかを取る度に髪は伸びるらしいな、愚かなるピノッキオよ」

 

「とんでもございません。

 苦爪楽髪です、お兄様」

 

 お兄様は、難しい顔をされている。

 不躾があったかと思い返しても、特に思い当たらない。

 考え始めると、色々なことで頭がいっぱいになる。

 

 ――何をお兄様は考えられているのか。

 ――私の髪がどうしたというのか。

 ――お兄様は、長い髪はお好きでいらっしゃるのだろうか。

 

 問題の大本から、枝葉の部分まで様々に想像を巡らせる。

 でも、何故か思考はお兄様の好みを探るものばかりへと傾いていく。

 お兄様は、私の髪をどう思っているのだろうか、と。

 

「お兄様は、その……」

 

 途中まで口にして、言葉がまごついてしまう。

 こんな意味のない質問、お兄様にしても良いのかと逡巡する。

 けれど、お兄様はどちらかというとせっかちなお方で。

 私に苛ついたように、言葉の続きを促した。

 

「言え、くだらない事ならば特別に聞き流してやる」

 

 最近の私は、お兄様に対して甘えてしまう。

 少し距離が縮まったから、調子に乗ってしまっていると自覚しているのに。

 それでも言葉を発してしまうのは、仲良くなりたいという欲求が強くなりつつあるから。

 嫌われたくないという気持ちと同様に、それが態度に現れてしまっている。

 気を引き締めないと、と自分に言い聞かせつつ、私は詮無いことをお兄様に尋ねていた。

 

「はい……お兄様。

 長髪と短髪、どちらがお好きでしょうか?」

 

 常のお兄様なら、バカバカしいと一蹴される質問。

 言葉を発してから、気恥ずかしさと申し訳無さが混ざり合う。

 お兄様、愚かな妹で申し訳ございません。

 

「……それは、一体何を求めての愚問だ?」

 

 やはり、お兄様の口から出た言葉は、妥当で想像通りの言葉。

 でも、少しだけ予想と違ったところもあった。

 それは、お兄様が激怒でも嘲笑でもなく、眉間を指で抑える苦悩のポーズを取られたこと。

 悩ましげなその表情は、私の質問の答えを探しているものとも違う。

 何か、もっと別のところで思いつめられている気配があった。

 

「お兄様の望むようにしたいと思いました。

 お兄様の目から見て、お見苦しさを感じさせたくないのです」

 

「その様なことで、俺が貴様の評価を変える筈があるまい。

 求めるものは才能のみ、それは今までの境遇で理解しているかと思ったが。

 やはり庶子の血が混ざっているからか、貴様は愚か者だ朝日。

 何度も同じ過ちを繰り返す、それを蒙昧と言う」

 

 言葉は辛辣で、そして的確でもある。

 私は理解しながらも、衝動的にそういう事をしてしまっているのだから。

 俯いて、申し訳ございませんと呟くしか無い。

 わざわざ不興を買う真似をした自分は、随分と僭越な人間になってしまったと胸をざわめかせながら。

 だから、その呟きは私の聞き間違いと最初は思った。

 

「――髪は、切るな」

 

「……いっ、いま、なんと!?」

 

 声が上擦ったのは、仕方がないと思う。

 耳から届いた声は、間違いなく衣遠兄様のもの。

 つまりそれは、衣遠兄様が答えをくれたということで!

 

「切るなと言った、愚かな妹よ。

 この大蔵衣遠、貴様の髪型に何ら興味を持ってなどいない!

 だが、一度切ってしまえば、また伸びるのに1年掛かる。

 選択とは、常に持っている者が行うもの。

 ならば、己が手札をむざむざ捨てるのは愚者の行い。

 ただ、それだけの事だ」

 

 お兄様の哲学を、私に授けて下さっている。

 そう思うと、歓喜から頬が緩みそうになる。

 だけど、これ以上の過ちをお兄様の前で行う訳には行かない。

 表情を引き締めて、私は確かにと頷いた。

 

「お兄様の薫陶、しかと受け止めました。

 長い髪を育み、手入れを欠かさないと誓います」

 

「分かれば良い。だが今後は戯けた質問は退ける」

 

「承知しております、慈悲深い衣遠兄様」

 

 不思議な感覚だった。

 何時もは覇気を迸らせ、厳格でいる衣遠兄様が今日はどこか上の空。

 時折、私に構ってくださることはあれど、今日は単純に衣遠兄様が普通ではない。

 言葉で表すにはあやふやで、空想の和を広げるのは不躾だけど。

 今日は何だか、感傷的で物思いに耽られている様に思えた。

 

 

 

 似ている、とやはり思ってしまう。

 ふとした時、気配が同一に感じることも何度かあった。

 ――だが、この妹は俺を見ていた。

 

 俺を知ることで、嬉しいと微笑みさえ浮かべてみせた。

 何を求めているのかを理解し、何が好きなのかを知り、俺のために向上しようとする。

 それは、あの屋敷で朽ちていった女には無かったこと。

 俺やりそなの為ならば、如何に扱われ様と耐えきるであろう。

 

 家族の役に立ちたい。

 家族と仲良くなりたい。

 家族と語らい合いたい。

 

 あの雌犬はそうした欲望を隠したまま死んだが、朝日はそれを滲み出させていた。

 偽る仮面を持たぬ愚か者ではあるが、その愚鈍さは手に取る様に理解できる。

 他者の善性を信じられなくとも、他者の愚かさは深く信じられる。

 俺の母も、父も、人間というのは実に愚かな生き物だからだ。

 

 それ故に、朝日は大蔵の血に相応しくない。

 策略権謀が渦巻く家で、こいつはただ食い荒らされる餌に過ぎない。

 もし手札として使うならば、教育が必要だ。

 

 横目で朝日を見る。

 俺の気を引こうとし、一挙一動に機嫌を損ねたと怯え、そうでないと知ると大げさに喜ぶ。

 そこに、大蔵の陰の気配は微塵も感じない。

 正真正銘この妹が大蔵の人間でないからだ。

 結局のところ、大蔵であるかどうかは育ちによって決まる。

 そうでなければ、俺はこの雌犬の子を理解できない。

 

 あの女に育ち、あの境遇で躾けられ、それでも人を信じようとする。

 朝日の大蔵の因子を、あの女が愛という不確かなモノで断ち切った。

 だから業が渦巻く場で、こいつは毛ほども役には立たない。

 能力も才能も、未だに信じるにたるものを引き出していない。

 だが、それ故に信用出来ずとも信頼できる。

 才能があれば、これ程に常に側へ置いても良いと考える程に。

 

 だから様子を見に来る。

 覚醒を待ち望み、眠ったままの雌犬の子を見て落胆を繰り返す。

 そうして、今日も来てしまった。

 この大蔵長男家を統べ、欧州に! 世界に覇を唱えんとする大蔵衣遠が!

 

 されとて、未だに愚かなる妹は惰眠を貪っている。

 僅かな光明は、裁縫のみが亀の歩みながら進歩している事のみ。

 デザインもパターンも、見るところが全くない。

 いずれ目が出る可能性はあれど、不均衡な投資を行える程に俺は悠長ではない。

 この愚妹の扱いを変え、別の活用法を考えるべきか。

 そう思い始めた――刹那、脳裏にあの雌犬の呪いが囁く。

 

『――娘を、兄妹として愛して下さい』

 

 忌まわしき雌犬、俺に呪いを残した魔女。

 未だ、俺は囚われたままでいる。

 

「お兄様、縫えました」

 

「フン、馴れ馴れしい裁縫をする。

 高級服(オートクチュール)は、着る者に誇りを与える服でなくてはならない。

 着る者を凛とさせる服を縫え。安心感を与えようなどとするな!」

 

「申し訳ございません、衣遠兄様」

 

 やむを得ない事情だ、仕方のない鎖だ。

 故に、俺は朝日の目覚めを待ち続けている。

 少なくとも、この呪いが解けるまでは。

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