月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel   作:ペタンコ

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滋賀編開始です。


第1.5章 私たちに翼はない Prelude
第15話 柳ヶ瀬さん家の湊くん


 駿我さん曰く、ビジネスパートナー。

 それが柳ヶ瀬家との関係だと言っていた。

 でも、もしかすると対等の関係ではないのかも知れない。

 滋賀に訪れた初日、迎えに来て下さった柳ヶ瀬のご主人は私を送ってくれたカリンさんに深々と頭を下げていたから。

 駿我さんの会社が、一体どんな企業なのかは分からない。

 結局、内緒と面白がっている顔で秘匿されてしまった。

 

 けれど、柳ヶ瀬のご主人は、私に対してはフランクな態度を取って下さった。

 おじさんとでも呼んでくれ、とはご本人の弁。

 お陰で、新しい生活に対してドキドキはしても、不安を覚えずに要られた。

 そうして、おじさん(柳ヶ瀬のご主人のこと)に案内されたのは、彼の持つ一軒家。

 極々普通の、一般的な住宅といって差し支えない。

 

「おーい、帰ったぞー。

 今日は一人、連れて帰ってきたのが居るーっ」

 

 扉を開けて、おじさんは大きな声を出した。

 ちょっと恥ずかしかったけれど、この家庭ではこれが一般的なのかも知れない。

 そうして、おじさんの声に反応して、ザワザワと家の中から声が聞こえた。

 中でも、一等大きな声を上げ返したのは子供の溌剌とした大声。

 

「こらー、ムサシ!

 今度は何を拾ってきたぁ!

 ブラックバスはもう要らないぞ!」

 

 続いて、ドタドタと慌ただしい足音が聞こえた。

 バンッと、玄関へと続く家の扉が開いて、中から現れたのは凛々しい感じの男の子。

 ”朝日ちゃんはお淑やかだね、うちのはじゃじゃ馬でねぇ”とおじさんが言っていたのはここだけの秘密。

 その子は私を見ると、目を真ん丸に大きくして、次に三角に目を吊り上げた。

 

「……ゆーかいか?」

 

「ん? これから愉快になるってか?

 新しい家族になる娘だ、湊も優しくしてやってくれ」

 

「隠し子かぁ!」

 

「ンゴボァッ!?」

 

 おじさんの顎に、見事に決まったアッパーカット。

 渾身の一撃、おじさんは驚いたことに白目を剥いている。

 一方で打ち込みを見せた男の子は、拳を労るように息を吹きかけていた。

 そのあまりのスピード感に、呆然と私はそれを眺めて……いやっ、誤解を解かないといけない!

 

「待ってください!

 私はホームステイに来た、おお……小倉朝日というものです。

 柳ヶ瀬のご主人の隠し子ではありません!」

 

 慌ただしく説明すると、男の子は怪訝そうな顔をした。

 私の顔と、床に突っ伏しているおじさんを交互に見て、おじさんの頬をペシペシと叩いた。

 返事の代わりに、ビクンビクンとおじさんが跳ねる。

 駄目だこりゃ、と呟いた男の子は次に私の方へと視線を向けた。

 

 爛々としている琥珀色の瞳、そこに零れそうな程の気力が宿っていた。

 さっきの光景も含めて、凄く元気そうな子。

 それが私のこの子への第一感。

 その彼の表情は、困惑と怪訝さが混ざったもの担っていた。

 

「コクラアサヒ、日本人なのにホームステイ?」

 

「諸事情あって、お家が無くなってしまいまして……」

 

 大蔵のことを吹聴するのは止めた方がいいと、駿我さんは仰っていた。

 だからこそ、小倉の名前も与えてもらったのだ。

 ただ、その事情を説明するカバーストーリーを、私は未だに持っていなかった。

 なので、この場で困った顔をするしか無くて。

 ――私と彼は、ジッとお互いを見つめ合った。

 

 ………………

 …………

 ……

 

「しょーがない、ならばこの柳ヶ瀬湊が面倒を見てやろう!」

 

 何かを察してくれたのか、それとも哀れんでくれたのか。

 この子の……湊さんの顔が、ニシシと年相応の笑顔へと変わって。

 胸にドンッと手を当てて、任せろと伝えてくる。

 その姿に、温かい気持ちがふわりと湧いた。

 この人は、ヤンチャだけれど優しいんだと、キチンと理解できたから。

 

「よろしくお願いします、湊さん」

 

「さんだなんて堅苦しい。

 湊で良いよ、私も朝日って呼ぶから。

 それと、敬語も禁止!」

 

 おじさん同様、フランクに手を差し出してくる湊。

 それに対して、私はちょっと気恥ずかしいながらもその手を握り返す。

 初めての男の子の友達、何だか不思議な気分。

 

「その、よろしく、湊っ」

 

「あいよー」

 

 ――握手をした手は、思っていたよりも柔らかいものだった。

 

 

 

「ところでおじさんは……」

 

「ほっとけば? 勝手に目覚ますよ」

 

「せやね」

 

 駄目だと思うと言おうとしたところで、本当におじさんが目を覚ました。

 それに、普通に会話に交ざってきてもいる。

 おかしい、私の想像していた普通とは何かが違う気がする。

 

「ね、言ったっしょ?」

 

 その言葉に、私はおじさんをマジマジと見ながら頷いた。

 ……うーん、やっぱり何かがおかしいような?

 

 

 

 その後、柳ヶ瀬家に私は家族総出で歓迎された。

 湊の妹二人は、私のことをお姉ちゃんと呼んでくれて、柳ヶ瀬の奥様もおばさんと呼んで、とこの家特有の親しみを持って接してくれる。

 夕飯には、みんなでちゃぶ台を囲んで、すき焼きを用意してくれた。

 こんなに賑やかな食卓は初めてだから、目まぐるしくて目が回ってしまいそうだ。

 

「それよりさぁ、ムサシぃ。

 住む人増えるなら事前に言えよな、全く。

 お陰で、朝日の前で馬鹿やっちゃったよ」

 

「元から頭良くないだろうに、お前は、っと。

 こら、父ちゃんの頭を叩こうとするな!」

 

「馬鹿呼ばわりされたから、馬鹿で居てあげようと思う子供心があった。反省も後悔もしてない」

 

「あーあー、悪かった許してくれ。

 ね、朝日ちゃん、こいつ手癖が悪いから気をつけなよ」

 

「私の愛の鞭はムサシ専用だから、安心しろよな!」

 

 親の心子知らずだなぁ、とおじさんが呟く。

 湊も、子供の心親知らずだから同類だい! と即座に反応していた。

 その様子を下の妹達が囃し立てて、おばさんが騒ぎ過ぎと注意する。

 何となくだけれど、駿我さんの言っていた普通の人達とはこういうものなんじゃないか、と想像する。

 実際に見たこと無いけれど、こうだったら毎日が楽しくて寂しくないと思ったから。

 駿我さんの人並みという言葉は、こういう時に使うのかも知れない。

 

「朝日、お肉は取り合いだかんね。

 幾ら朝日の歓迎会と言っても、譲る気は微塵もないよ」

 

「お野菜も美味しいから、大丈夫だよ」

 

「むー、女ならたたかえー!」

 

「男の子的だ……」

 

「滋賀のジャイアン、ガキ大将とはこの私のことだい!」

 

「もう、全くこの子は……誰に似たのかしら」

 

「お前の若い頃じゃないかい?」

 

「……何か言ったかしら?」

 

「ほらやっぱり!」

 

 驚く程の賑やかさ、静かなことが多かった食卓とは別の世界。

 声が聞こえるだけで、世界に色が広がっているように感じる。

 りそなだったら、煩いと顔を顰めそうだけれど、私はこれが嫌じゃなかった。

 むしろ、安心できそうな感じまでする。

 

「むぅ、張り合いないなぁ。

 ほら、野菜ばっかじゃなくて肉食いな」

 

 湊が、自分で取った肉を私のお皿によそってくれる。

 あれだけ取り合いだと言っていたのに、忘れたと言わんばかりに。

 あれはもしかしたら、競って遊ぼうというニュアンスだったのかも知れない。

 

「面倒見良いんだ」

 

「ガキ大将だかんねー」

 

 

 

 ご飯の後には、お風呂が待っている。

 海外ではシャワーが殆どで、それはマンチェスターのお屋敷でも修道院でも変わらなかった。

 けれど、日本の一軒家にはお風呂が普及している!

 これはとても素敵なことだと、私的に伝えたい。

 それは、私がお風呂好きだから。

 海外では湯船について、“大したものじゃない”“シャワーで十分”などと言われている。

 効率重視の人達だからこその観点だけれど、いつか私はお風呂の良さを伝えたかった。

 ……例えば、ヨーロッパに居る友人達に。

 

 そうして私は現在、いわゆる一番風呂という物を頂いていた。

 今まで一人暮らしで、それを十分に堪能させて頂いていたから分からなかったけれど、これは実は贅沢だったらしい。

 私にお風呂に浸かる権利を与えてくださりありがとうございます、お優しい衣遠兄様。

 

 本来なら家主のおじさんにその権利があるのだろうけど、“俺は汚いから、最後に入らないと垢が結構浮くんだよ”とご本人が言っていた。

 だからこそ、柳ヶ瀬家では女の子が先にお風呂に入れるそうな。

 

 頭と体を清めてから、湯船に体を沈めた。

 ふぅ、と吐息が出てしまう。

 そこで思い浮かべたのは、ここには居ない少女のこと。

 りそなではない、私の師匠とも呼べる白髪の少女。

 

 

 メリルさん、お元気で居るでしょうか。

 私は縁に恵まれて、何とか生きていけそうです。

 ただ、残念ながら私は貴方に連絡を取る手段がありません。

 何時も出していたお手紙を、もう出すことができなくなってしまったのです。

 住所が分からずに手紙が出せないのは、住所を書かずともお兄様が手配してくださったから。

 こうなるなら、宛先ぐらいはしっかりと尋ねていた方が良かったです。

 無精で不義理を、どうかお許しください。

 いつか、私の足でまたサヴォワに向かえたらと思います。

 それまでどうか、ご壮健であらせられますように。

 

 

 心の中での近況報告。

 後で手紙をしたためて置くための、脳裏に保管しておく下書き。

 もう出せないと分かっていても、どうしても手紙の準備をしないと落ち着かない。

 

 メリルさんと文通を始めて、離れていても繋がっていられる様な気になっていた。

 文字を介するだけでも、何時もの通りに話している気になれた。

 だからこそ、こうして手紙を出す手段が無くなると、何と儚い繋がりだったのかと思い知らされる。

 

 でも、また会いたい。

 二人で顔を合わせて、静かな帳の下で裁縫を行いたい。

 だから、私が大人になったらサヴォワに行こう。

 

 もう会えない人との繋がりは、悔やんで惜しむしか無い。

 けれども、メリルさん達はそうではないから。

 自分から会いに行きたいと、自然と思えた。

 

 そこまで考えて、はたと気がつく。

 もしかしなくても、これが私のやりたいことリストの第一号。

 少しずつ、やりたいことを見つけていけば良いと言って下さった駿我さん。

 その第一歩目が、修道院のことだった。

 

 頑張ろう、と両手をギュッと握って決意を秘めて。

 ――そんな時のことだった。

 ――ガラリとお風呂場の扉が開いたのは。

 

「あーさひ、一緒に入ろうぜーぃ」

 

 え、と思ったのも束の間。

 頭が追いつくより先に、声が勝手に漏れ出し始める。

 

「み、み、みぃっ!?」

 

「んー? ミンミンゼミ?」

 

「み、湊っ、なんで!?」

 

 動揺を隠せない私に、面白そうな顔をする湊。

 優しい人だと思っていた、けれども気付いて然るべきだった。

 おじさんをはっ倒した時点で、一筋縄では行かないことを!

 

「私もお風呂に入りたかったから?」

 

「現在男子禁制です!!!

 え、えっち! 湊はいま、凄くエッチなことしてる!」

 

 お風呂場に突入してきた湊は、手拭いで前を隠している。

 でも、湊がもしそれを離したら、私は初めてそれを見てしまうかも知れない。

 そう考えると、私は後ろを向いて、必死に見ない様にするしかなかった。

 そんな物を見てしまった日には、私は湊のお嫁さんになるしか無いのだから。

 

「ふーん、やっぱり」

 

 聞こえてくる声は、何だか楽しそうで。

 これは確かに、滋賀のガキ大将の異名が付くと思える程の意地悪っぷり。

 足音が、ヒタヒタと湯船へと近付いてくる。

 え、まさか、と思ったのも一瞬だけ。

 湊は、信じられないことに、思いっきり湯船に飛び込んできたのだ!

 しかも、そのまま私の背中に抱きつくなんてこともして!!!

 

「や、やめて!

 洒落になってないよ湊!

 私なんかと結婚したくないでしょう?

 だから早まらないで、話を聞いて!!」

 

 湊を振り解こうとするけれど、湊は上手に抱きついて離れない。

 お兄様にも見せたことも、触らせたこともないのに!

 色々な現実が押し寄せてきて、頭がフットーしそうになってしまう。

 ただ、私の混乱を他所に、湊はとっても冷静な声を出した。

 それは問いかけ、幾つかに渡る質問。

 

「朝日に問題、私のお胸はペタンコですか?」

 

 意味がわからないけれど、必死でパニックを起こしている私は即座に答えた。

 

「男の子なんだよ、ペタンコに決まってるよ!」

 

 ペシリと軽く頭が叩かれた、とても理不尽だ。

 

「問題その2、私の一人称はどうして私?」

 

 湊の謎の問いかけに、私は頭を悩ませる。

 どうしてこんな質問をというものと、反射的に答えを探しながら。

 

「男の子が私でも、全然問題ないよ。

 ヨーロッパとか、そんなの普通だった!」

 

 ふーん、と言うと一緒に、お腹あたりに力を入れられてギュッとされる。

 もしかしなくても、湊は何かが不満なのかも。

 そんな憶測は、湊の次の質問に押し流されていく。

 

「じゃあ最後の問題。

 乱暴者の私は男の子でしょうか? 女の子でしょうか?」

 

 その質問で、ようやく頭が情報を整理し始める。

 何かがおかしいと、やっと気が付けたから。

 

 1つめの質問、湊の胸はペタンコか。

 考えずに答えを出したけれど、こうしていると……微かに感じる。

 背中にフニっとした感触があった……。

 

 2つ目の質問、私はどうして私という一人称なのか。

 確かに日本では、男の子は俺とか僕とか、そういったものを使うことが多い。

 私はビジネス用か、もしくは女の子が使うもの。

 ……もしかすると、そういうことなの?

 

 最後の質問、湊は男の子か女の子か。

 今までの情報を並べると、もしかするとという答えに行き着く。

 

「おんな、のこ?」

 

「ようやく気がついたか、このニブチンめぇ!」

 

 振り向いて湊を見ると、やっぱり凛々しい感じの人で。

 でも、その体は、確かに未発達だけれども少女のそれ。

 驚いたけど、でも湊のいう事は本当で。

 私は熱気だけではない火照りと共に、思いっきり頭を下げた。

 

「ごめんね、湊!

 男の子だって思ってた」

 

「うん、それ自体は悪いことじゃないよ。

 よく一緒に男の子と遊ぶし、部屋で遊ぶよりも外で遊ぶ方が好きだから。でも……」

 

「でも?」

 

 湊は視線を下へとやった。

 丁度、私の胸の辺りに。

 

「朝日の方がペタンコだろーがぁ!

 気が付けおバカ!!!」

 

 私の頭に、湊が握りこぶしでグリグリと挟み込む。

 ギューっと、結構痛めに力を入れて。

 

「痛い痛い、ごめんなさい湊!!」

 

「おら、ついでだから私の胸も触ってけ!

 朝日のは将来大きくなったら触るから」

 

「ゆ、許して湊ぉ」

 

「ゆるさんぞー」

 

 私の情けない声と湊の楽しげな声が、お風呂場に響いた。

 そして湊の胸は、想像していたよりとっても柔らかかった。

 うん、凄く女の子だった。

 ……私よりも、ずっと。

 

 微妙にショックを受けつつも、少し湊と仲良くなれた気がする。

 慌ただしくも、愉快な一日。

 あの日から感じていた寂しさを、今日は忘れていられた。

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