月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
「それじゃあ湊、今日は先に帰るね」
「うん、ツマンナイ勉強頑張りなよ」
湊の皮肉に見送られて、私は学校の通学路へと向かう。
結局、あれから湊と話し合って、遊ぶ日と勉強する日を分けたのだ。
おじさんやおばさんなどは、湊も見習えば? なんて言い、湊が不機嫌になったのは想定外だったけど。
それに、私が部屋で勉強していると、おばさんが帰ってきた湊にグチグチ言う、とは湊談。
なので、勉強するなら外でしろーっ、と中々に理不尽な要請が湊からされていて。
でも、湊が可哀想なのもあって、今日から私は図書館で自習を行う予定を立てたのだった。
「結構広い……」
そうしてやって来た図書館。
市役所内に設置されている場所だけあって、本棚がお行儀良くも幅広く整列していた。
これだけ広いなら、探せば雑誌だって存在しそうだ。
服飾関連の本があるのなら読んでみようと思いつつも、今日の目的は自習。
規模に反してゆとりのある空間に、私は腰を下ろした。
鞄から取り出した教材とノートを広げて、黙々と勉強に勤しむ。
今日は湊がいないからか、どこか静かに感じる。
いたら勉強しづらいけれど、居ないと寂しく感じてしまう。
けれども、お陰でスラスラと勉強自体は取り組めて。
お陰であっという間にページは進み、気が付けば閉館を促すアナウンスが流れてきた。
いそいそと片付けをする周りに倣って、私も教材を鞄にしまう。
図書館から出る時、同じ年くらいの女の子が居たのが、少しだけ意外だった。
今までのクラスメイト達が、パワフル溢れる滋賀っ子ばかりだったから。
一瞬目が合った、けれども直ぐに逸らされてしまった。
勝手に図書館仲間のように思えていたから、それが少し残念で。
クリーム色の髪の後ろ姿を、その子が去るまで眺めていた。
また図書館に勉強をしに来た日。
キョロキョロと周りを見渡すと、やはりあの子は本を読んでいた。
ページを一つ捲るのにも音を立てず、まるで図書館の一部みたいにその場に馴染んでいる。
綺麗とか、格好良いとか、感じた印象によって思うことはままある。
けれども、この時に感じた似合っているというインスピレーションは、生まれて始めてのものだった。
似合っているのは、この図書館に。
本の妖精みたいだ、と思った。
そこで、ようやく一つのことに気が付いた。
そうだ、私はこの子のことを気にしていたのだ。
凄く絵になっていて、素敵だなと思ったから。
道理で、と私は納得しながら教材を開いた。
図書館は静かにしないといけなくて、話しかけたら煩くしてしまうだろうから。
出る時に、少し話しかけてみようと思い、私は教材と格闘を繰り広げた。
そうして17時、閉館の時間。
帰宅する人達の中に紛れている筈の、あの子を探す。
……けれど、その日は見つからなかった。
次の日、図書館に行ってみれば、やはり彼女は存在していた。
今日は、彼女の近くの席に腰を降ろして教材を広げる。
――すると、何故か席を移動された。
もしかすると、パーソナルスペースが広い人なのかもしれない。
そうだとすると、少し申し訳ないことをしてしまった。
本を読むのを、露骨に邪魔してしまったのかもしれないから。
遠目から、チラチラと彼女のことを覗き込みつつも、私は教材へと意識を次第に落としていった。
……今日もやっぱり、閉館前に彼女は帰ってしまっていた。
気が付いた時には居なくて、肩をガックリ落としてしまう。
次は、話せたら嬉しいなぁ。
「こんにちは、少しお時間良いでしょうか?」
次の時、閉館の少し前の時間。
彼女が図書館を離れるのを確認し、ようやく話し掛けることに成功した!
近くで見るこの子は、優しげな髪の色とは反対に、苛烈な意思を持っている目をしていた。
……もっと言うと、強烈なまでに私を睨みつけている。
え、どうして? と思う暇もなく、彼女は返事をした。
冷たく、素っ気無い感じの声で。
「良くない」
それだけ言うと、その場を後にする。
流石に、これだけの拒否反応を示されて、直ぐに話し掛ける気にはなれなかった。
もしかすると、人に話し掛けられるのが好きなタイプの人ではないのかもしれない。
「どうすれば、良いんだろう……」
少し考えてみたけれど、特に解決策が浮かぶことはなかった。
けれども、あの妖精みたいな女の子と、私はどうしても話がしてみたかった。
あの子の雰囲気が、少し寂しげなのに心地よく感じていたから。
「そういう訳なので、どう話をすれば良いでしょう?」
『まさか友達の作り方を相談されるとは』
電話越しに、駿我さんの苦笑い気味の声が聞こえる。
けれども、私が頼りにしている人でこういうことを話せるのは、駿我さんくらいだったから。
湊に話してみても良かったけれど、その場合は問答無用で嫌がる図書館のあの子の手を無理矢理にでも繋ぐだろうから。
それが良いのか悪いのか、私には分からない。
だからこそ、頼りになる大人の人に話したのだ。
『期待されているところ悪いが、俺は友達が多い方じゃない』
「それでも、駿我さんの意見が聞きたいです。
駿我さんの、私が信頼できる人の言葉が」
そう告げると、一度の沈黙がやって来た。
10秒、20秒と続き、30秒の辺りで駿我さんは言葉を紡いだ。
らしくない、もにゃもにゃとした口調で。
『君の言葉は、何時だって真っ直ぐに届く。
嘘偽りがなく、誠実であるからだ。
それを知っていても、どうにも慣れない。
純粋なものに触れると、汚してしまうんじゃないかって思ってしまうからね』
「駿我さんの言葉は傾聴に値するものです、心配なさらないでください。
それに、私が駿我さんみたいになれたのなら、ちょっと嬉しいです。
汚れたんじゃなくて、染まれたんだと思えますから」
『……朝日さん、嬉しいけどその言葉は将来の誰かの為に取っておいた方が良い。
些か、俺には情熱的すぎる。
誰にでも言う言葉じゃない』
誰にでもじゃありません、駿我さんだからこそと言いかけて、言葉を口に留めた。
少し思い返してみると、さっきの私の言葉は変だったのでは無いかと思って。
まるで、女性が男性にアプローチする様な、前のめりさがあった感じがしてきて……。
ぞわぞわと、背中に変な感触がしてしまったから、私は慌てて言い訳していた。
事実として、駿我さんに嗜められてしまっていたから。
「ごめんなさい!
そう言うことではなくて、尊敬しているとお伝えしたかったのです!
自意識過剰ですが、謝らせてください。
言葉足らずな上、未熟な物言いでご不快にさせてしまい申し訳ございません!」
『不快になってなんかないよ。
むしろ、娘がお父さんと結婚するという言葉を聞くのは、こういう感触なのかと感心したくらいだ。
尤も、すぐに振られてしまったけどね』
慌てるこちらに反比例する様に、駿我さんの楽しそうな声音が聞こえてくる。
時折、こうして揶揄われてしまうのがむず痒い。
駿我さんを身近な存在に感じて、お兄様みたいに思ってしまうのが。
こうしてジャレあうのも、もう普通のことの様にできてしまう。
揶揄われたままなのは面白くないから、こちらもと思ってしまうくらいには。
「駿我さんには、私よりももっと素敵な女性がいると思いますので」
『断りの常套句だな。
直ぐに出てくるのは、マセガキ相手に何度か使ったことがあるからかい?』
「残念ながら生まれてこの方、好きだと告白されたのはりそなだけです」
『……それは誰も勝ち目がないね。
どうやら、この世の中で見る目があったのは、里想奈さんだけだったらしい』
「優しい子ですから、愛情を込めた分だけ返してくれていました」
『過去形にしなくていい。
現在進行形で、君の様子を良く聞かれる』
駿我さんと電話をすると、こうしてりそなの話をしてくれる事がある。
駿我さんが知れる範囲での、ちょっとしたことだけだけれども。
こうして妹の近況を知れることは、何よりも嬉しい。
逆にお兄様に関しては、ファッション雑誌や服飾誌を見るしかお目にする機会がないのだけれど。
でも、華麗で壮大なデザインに加えて、最近では儚さを持ったデザインさえ送り出し、新たに表現の幅を広げていると注目を浴びている。
その成功を見るに、御壮健でおられることだろう。
「ありがとうございます、お優しい駿我さん。
こうして罪がある身でも、妹のことを知れるのは駿我さんの温情あってのことです」
『君は卑屈になるのが処世術なところがある。
でも、それは君を貶めこそすれ、良い作用をもたらさない。
環境を思えば仕方ない事とはいえ、自分を傷つけても仕方ないことだけは知っていて欲しい』
私の物言いを窘めて下さる駿我さんに、申し訳なさを覚えつつも私は首を振った。
これだけは、忘れてはいけない事だと思っていたから。
「いいえ、奥様の心を傷つけ、大蔵家に災禍を齎すところだった事実は変わりません。
同じ過ちを繰り返さない為に、これだけは心に刻んでいたいのです」
『……子供に咎を負わせて、大人が呵々大笑と品なく笑う。
大蔵家の呪いというのはどこまでも……』
「駿我さん?」
小さな声で何か仰っているが、聞こえないので聞き返すと何でもないと駿我さんは言う。
ただ、平坦な声だったのが、少しだけ気になった。
『そんなことよりも、どうすれば仲良くなれるかだったね。
朝日さんの話を聞く限り、君のことを何も知らないから警戒されているんだと思う。
だから彼女の興味を引く範囲で、朝日さんのことを知ってもらう必要がある。
例えば、そうだね……』
駿我さんの言葉に耳を傾ける。
提示された方法は、確かにと思わせられるものだったから。
早速、実行してみたいと思えるものだった。
そうして翌日、土曜日にも関わらず、図書館にやはり例の彼女はやって来ていた。
一瞬目が合うと、今日は露骨にマジかよという、鬱陶しそうな顔をされる。
にこりと笑いかけると、凄く嫌なものを見た様な表情で、勢いよく目を逸らされた。
一瞬ヘコミそうになるけれども、脳内のお兄様がそれ以上に冷ややかな視線で私を叱咤して下さった。
ありがとうございます、お優しい衣遠兄様。
そうして、ある程度の距離を置いて、今日は書架から本を手に取った。
題される内容は人間失格、あの子が前に読んでいた本だ。
作者は教科書にも載っている、走れメロスの作者の人。
そう、駿我さんに提案されたことは、あの子が読んでいる本と一緒の物を読んでみればというものだった。
共通の話題がないから警戒される。
なら、自分で作って話し掛けてしまえば良いというものが、駿我さんの提案で。
その通りだと思い、素直にその内容を実行してみたところだった。
つらつらと、その内容を読み込んでいく。
前書きの後に、恥の多い人生を送っていました、という衝撃的な内容から私はその世界に引き摺り込まれていった。
ペラペラと、貪るようにページを捲る。
人を恐れている主人公が、苦難の中で藻掻き苦しんでいる部分が余りにも生々しく描写されている。
醜悪な世の中にあって、しがらみが主人公の足を掴み、周りを破滅させながら自分も堕ちていく。
モルヒネとお酒、女性に溺れて身持ちを崩し、最終的に精神科へと入院させられる。
そこで廃人の様になり、その物語は幕を閉じる。
読み終えてしばらく、私は呆然としていた。
余りにも救いがなくて、でも何故だか魅入られた様で。
気がつくと、手が震えていた。
だって、どうしてだか身に覚えのある気もする内容だったから。
境遇が違い、条件も違い、それでも何かしらを見出してしまう。
心の中で、お前もそうだと告げられている感触。
主人公である大庭葉蔵と、私との噛み合わない符号が一致している気がして。
怖くなった私は、立ち上がって書架に本を直すと図書館を後にした。
外に出て、大きく深呼吸をする。
空は青く、雲は漂い、世界は普通に回っている。
それが、何だか奇妙な感じ。
呆然と、私は空をそのまま眺めていた。
「……………………おい」
そうして、気が付けば夕方。
私のあの主人公の様に、周りを破滅させてしまうかもしれない。
そんなIFを想像していたところに、酷く鬱陶しげだけれども渋々といった感じの声が掛けられた。
ぼんやりと振り向けば、そこには例の彼女が。
そういえば、私は彼女と仲良くなりたかったんだと思い出す。
だからか、ちょっとだけ心が軽くなった気がした。
「お前、自分のこと嫌いなんだろ。
だから太宰を読んで、共感して苦しくなる」
小さな声で、でも近くだからハッキリと聞き取れる声量で私に声を掛けてくれる。
そして私は、彼女の話す内容に静かに頷いた。
そうだ、自覚はなかったが私はあまり自分の事が好きではない。
それを初めて話す人に、今までに会った立派な人達からも指摘されなかったことをアッサリと見抜かれた。
怖いな、と思う反面。
私が思った通り、本の妖精さんだったと思える少女。
そんな事に、少し救われた気になる。
「小倉、朝日と言います」
だから、私の名前をこの人に知っていて欲しくて。
自分の名前を名乗ると、彼女は私の顔を鋭く睨みながら口を開いた。
「名波七愛、覚えなくて良い」
その言葉だけで嬉しくて、私は笑顔を浮かべた。
ただ、それは名波さんにとっては気に入らなかったみたいで。
不快そうに一言だけ、言葉を発した。
「私は、お前を嫌いになる才能がある。ストーカー女」
言い捨てるようにして、その場を去っていった。
そうして取り残された私は、何となくその言葉の意味を察していた。
「同族嫌悪、ということかぁ」
私としては、もっと仲良くなれたらな、と思っていただけに残念だった。
きっと、分かってくれるからこそ、居心地は悪く無さそうだと思えたから。
「自分が嫌い……」
呟いた一言は、沈殿するみたいに空気に溶けていく。
ただ、正体不明の謎を突き止めた気分で、深い納得だけがその場に残っていた。
ジャンと会ってないので、自分の事がそんなに好きになれない朝日になりました。
遊星君が自分のことを肯定できる人間になったのは、多分あの酒蔵の時だと思うので。
情操教育って大事。