月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel   作:ペタンコ

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プロローグはここまで。


Prologue2 祈りの日々

 修道院というには、ここは賑やかで暖かかった。

 元々、孤児院としても機能しているこのサヴォワの教会は、本当の家族の様にみんなで暮らしている。

 全員がシスター服を纏っているけれど、緩く柔らかいおおらかさで、マザー(院長)はみんなを見守っている。

 だから、私もこの場所では心を落ち着けることが出来た。

 修道院のみんなは良い人達で、村の人達も気の良い人ばかり。

 この場所は、ここだけで完結している。

 暖かくて、賑やかで、けれども外界と遮断されている静謐さが存在していた。

 尤も、馴染むのに私は時間を掛けてしまったけれど。

 

 

「女のくせに、何で髪がそんなに短いんだ?」

 

 そう邪気なく聞いてきた村の男の子に、私は困った笑みを浮かべるしかなかった。

 剃髪という概念を、どういう風に伝えようかと考えていたから。

 でも、答えるより前に、一人の女の子がこちらに走ってきた。

 

「ダニー、アンタはデリカシーが無いの!

 そんなんだからモテないんだ」

 

「は? 何でそんなことオルガに言われないといけないんだよ!」

 

「アサヒを虐めてるからよ!」

 

「ち、違う! 気になったことを聞いただけだ!」

 

「もう少し男を磨いてこい!」

 

 そうして、私に話しかけてきた男の子を散らして、彼女は私の頭を撫でた。

 

「あいつ、馬鹿だけど悪いやつじゃないよ、馬鹿だけど。

 でも、酷いこと言われたらアサヒも怒らないと駄目だよ?」

 

 そうして、優しく笑う彼女はオルガさん。

 ほんのりと茶色掛かったクリーム色の髪が大人っぽいと、村で評判の女の子。

 ちょっとせっかちさんなのが、チャーミングポイント。

 

「いいえ、尋ねられたことに答えられなかった私に非があります。

 ダニエルさんは、仲良くしてくれようとしていました」

 

「アサヒ、フランスの女はね、舐められちゃ駄目なの。

 だから、少し強引でも強気に対処しなきゃ」

 

「勉強になります、淑女の嗜みですね?」

 

「そう、イイ女の条件ってやつ」

 

 ちょっぴりオマセなところも、村の男の子達に大人気の理由の一つだ。

 彼女は、誰かのために一生懸命になれる人だった。

 

 

「アサヒ、困っていたら何でも言ってね。

 ここでは、みんなが困りごとを一緒に解決してるんだから」

 

 そう言ってくれたのは、ベアトリスさん。

 気配り上手な金髪の女の子。

 村の男の子達は、付き合いたいのはオルガさんだけど結婚したいのはベアトリスさんと噂しているらしい。

 そんな彼女は、私にもとても気を使ってくれる優しい人だ。

 

「差し当たっては、どんなご飯を作ろうかと考えています」

 

「うーん、チーズ?」

 

「サヴォワはチーズの名産地ですからね」

 

「パンがなければ、チーズを食べれば良いのがサヴォワだしね」

 

 今日の食事当番の私を、自然な成り行きで手伝ってくれる。

 彼女は、誰かのためにそっと手を差し出せる人だった。

 

 

 

「おいしい! アサヒ! アサヒおいしい!」

 

「美味しいのは朝日のご飯で、朝日は美味しくないよ、カトリーヌ」

 

「うるさい! メリル! ずっと服で遊んでたのに、メリルうるさい!」

 

「これは村のみんなに頼まれて、服を修繕してただけ。遊んでなんかないよ」

 

 食卓で賑やかに話しているのは、カトリーヌとメリルさん。

 年少で元気っ子なカトリーヌは、見ているだけで心が和やかになる。

 他のみんなも、カトリーヌの為にお姉さんにならないとと一生懸命な姿を見せる。

 この娘は、この修道院のアイドルで妹だった。

 

「ありがとう、カトリーヌ、メリルさん。

 グラタンに使えるチーズが多くて、幸せの味がするね」

 

「アサヒがずっとご飯作ればいい。

 イジワルなメリルより美味しい」

 

「メリルさんは、優しくて、綺麗で、全然イジワルじゃないよ」

 

「朝日こそ、何時もみんなを手伝ってくれてる。

 みんな、朝日に凄く助けられてるよ。

 優しい朝日がみんな大好きだよ」

 

「そんな事言って、メリルは服の手伝いを朝日にさせるつもり?」

 

「大丈夫だよカトリーヌ、私は好きでメリルさんに教えてもらってるから」

 

「自分からお手伝いするなんて、アサヒ変なの」

 

 カトリーヌの明るさに、私も何度元気づけられたことだろう。

 彼女は、誰かを溌剌さで励ませる人だった。

 

 

 針と糸を駆使し、丁寧に裁縫を行う。

 辺りは暗く、灯りは暖炉の炎のみ。

 そんな中でも、経験が手元を導いてくれる。

 

 神経が集中して、波打つ様に手が動く。

 無言で、夢中で、無垢な時間。

 この時だけは、何も考えないで済む。

 それは、とても楽なひと時。

 私と、裁縫の師にあたるメリルさんとだけの時間。

 行っているのは、村の人達から預かった多様な服の修繕。

 

 農作業着は厚く丈夫に、物持ちが良いように。

 普段着は細かすぎず、去れども雑さが無いように。

 お洒落な服は精緻に、真っすぐと糸を走らせる。

 日常的に着る服は、綺麗さよりも使いやすさが優先だよ、とはメリルさんの教え。

 

 彼女に教えてもらったことを、ひたすら愚直に進めていく。

 最初は苦戦したけれど、メリルさんの手元を見ていたら、自然と習得できた技術。

 不出来なものを見た時の困った顔が、上手く縫えた時の祝福に満ちた顔に変わった時、私は裁縫が好きになっていた。

 また、この楽しいことを共有できる仲間のメリルさんとも、自然と仲良くなっていって。

 今では、毎日夜に、こうして縫い物をする仲間になった。

 自然と、一緒にいることが当たり前になっていたのだ。

 

「うん、本当に上手。

 朝日、毎日上手くなってるね。

 優しさを込めて縫ってるのが、とても伝わってくる」

 

「素敵な先生のお陰です。

 一緒に縫い物をするのが、とても楽しいから。

 日本には、好きなものこそ上手慣れという言葉もあります」

 

「じゃあ、もっと縫い物が好きになれるように、教えるの頑張るね。

 ここと、ここ。

 縫いが少し硬いかな、解くね」

 

 容赦なく、縫ったところが解かれていく。

 初めての裁縫の時、縫ったものの5割が解かれてしまったのは驚いたけど、メリルさんは納得するまで裁縫を繰り返す人だ。

 何度もやり直させるから、他の修道院の人達にはこの作業は敬遠されているけど、私はその工程が誠実さを感じられて好きだった。

 それに、かつての家庭教師の先生方と比べると、メリルさんはとてもお上品な先生だから。

 お陰で繰り返す内に、私の中でも裁縫は得意な分野だと、そう思える様になっていた。

 

「楽しいですね、メリルさん」

 

「うん、朝日のお陰で、私ももっと服を縫ったり、作ったりするのが好きになっちゃった」

 

 メリルさんは、素敵な笑顔でそう言ってくれる。

 彼女の裏表が無い、その天衣無縫さに私は何度も救われていた。

 彼女は、誰かと寄りそって、一緒に笑える人だった。

 

 

 この修道院はフランクといえど、流石に宗教施設ではある。

 なので、聖堂はキチンと備わっていて、そこでみんなも祈りを捧げる……ことは少なかったりする。

 良いのかなと思いつつも、マザー曰く”敬意の無い義務的な祈りは、嘘を呼び込み礼節を欠く”と言っていた。

 お陰で、日曜日の礼拝の時以外は、とても静かな場所。

 その静謐さが満ちている場所で、私は祈りを捧げていた。

 そんな私を見下ろしているのは、十字架と、ステンドグラスから降り注ぐ月光、それと……。

 

「アサヒ、もう10時を回りましたよ」

 

 ランタンの淡い光と共に、マザーがやってきていた。

 彼女は毎夜、こうして誰かが夜更しをしていないか、確かめるために巡回をしている。

 遅くまで起きていると、今のように寝なさいと促しに来る。

 

「夢中になっていました、申し訳ありませんマザー」

 

「1時間、ずっと祈りを捧げていましたね、それも毎日。

 アサヒ、貴方は何を祈っているの?」

 

 責めるでもなく、怒るでもない。

 ありのままで、マザーは私の内面を確かめようとした。

 内面、心理、私の祈りの内容。

 お母さま、大蔵家、そして修道院のみんな。

 それらが脳裏を瞬く間に過ぎり、夜の帳に消えていく。

 それを答えようとしたところで、マザーに肩から毛布を掛けられた。

 そこで、体が冷えていたことにようやく気がつく。

 

「アサヒ、祈りとは誰かの為だけに行うものではありません。

 自分の為にも行わなくてはいけないのです。

 祝福を受けた貴方が、余剰の幸せを他者に分け与える。

 そうしなければ貴方が倒れます。

 それでは、誰も救われないのですよ」

 

 淡々としているけれど、話している内容は厳しい。

 それに、全てを見透かされている。

 私の祈りは、お母さまへの祝福と大蔵家への贖罪だから。

 

「ありがとうございます、お優しいマザー。

 それでも、私がこうしたいのです」

 

「私は聖職者です、子羊を導く義務があります。

 間違っていることは正さねばいけません」

 

 正理が通っており、否定するところがない。

 だから、私は頭を下げるしか無かった。

 これ以上は、マザーの迷惑になるだけだから。

 

「アサヒ、私は事情を知っています。

 貴方を預かる時、オオクラ家の方は言いました。

 苦難と不幸の連続を、アサヒが歩いているということを。

 そして、それが今後とも続くことを。

 いずれ、貴方には迎えが来ます、試練の時が来るのです。

 ですから、ここに居る間だけは心を鎮めてください。

 私が、アサヒを祝福しましょう」

 

 色が無かった声音に、柔らかさが滲み出した。

 そして、この人が上辺だけの人でないことを、私は知っていた。

 故に、深く深く、頭を下げお辞儀をしなければならなかった。

 泣いてしまいそうな顔を、マザーに見られてしまうから。

 

「アサヒ、毎日を楽しく生きなさい。

 私は戒めるのが仕事ですが、貴方は窮屈が過ぎるのです」

 

 それでも、マザーは私を抱き寄せた。

 そうされると、昔のことを思い出してしまうのに。

 

「お母、さま」

 

 小さく呟いてしまうが、マザーはそれを追求しなかった。

 泣かないつもりだったのに、一筋だけ涙が溢れる。

 お母さまの優しいアイルランドの子守唄と、暖かさを思い起こしてしまったから。

 

「失礼……致しました、マザー」

 

「おやすみなさい、アサヒ。

 明日を良い日にするために眠りなさい」

 

 何事もなかった様に、マザーは巡回に戻っていった。

 マザーの敬虔さと穏やかさは、この修道院の誰もが信頼を置くもの。

 全員が、彼女のことをお母さんだと思っている。

 彼女は、誰かを導ける賢い大人であった。

 

 

 この修道院では、誰かが誰かを支えている。

 こうした優しさに包まれて、私の心は少しずつ癒えていった。

 切った髪もショートヘアと言い訳できるまで伸びた、1年という歳月。

 いずれ、お母さまの下には旅費を貯めて向かえば良いんだと、前向きになれるくらいの月日。

 そうした時だった――お母さまが亡くなったと、手紙と遺品が届いたのは。

 

 

 呆然とするしか無かった。

 だって、実感がない。

 ただ、届いた数少ない遺品は、間違いなくあの屋根裏部屋にあったもの。

 だけれども、私は泣くことさえ出来なかった。

 お母さま、この親不孝者の娘をお許しください。

 

 ただ、その日から、どうすれば良いのかが分からなくなってしまった。

 日常を生きるだけでも、それを成す術に不安を抱いてしまう。

 当たり前のことが、当たり前では無くなる感覚。

 それでも生活が出来ていたのは、修道院のみんなが私を助けてくれたから。

 

 オルガさんは、私の手を引いて考える暇を与えず連れ回してくれた。

 ベアトリスさんは、私が間違える度にフォローをしてくれた。

 カトリーヌは、寂しい時に私の手を握ってくれていた。

 メリルさんは、私とずっと一緒に居てくれた。

 マザーは、過ちを犯しそうになる度に、それを引き止めてくれた。

 

 だから、私はこうしてここに居られた。

 それで何とか、機械的にだけれども体を動かせる様になった頃合いの時だった。

 ――迎え、と称する人がやってきたのは。

 

「朝日お嬢様、大蔵家次期当主、大蔵衣遠様の命により参りました。

 貴方を迎える準備が出来た、と仰せです」

 

 目まぐるしく、日々が動いていく。

 穏やかな日々、さようなら。

 こんにちは、不確かな日々。




メモ

メリルは家族に対して、気安さから全員を呼び捨てで呼ぶ。
つまり、朝日は彼女に家族として認められていた。
二人で行っていた裁縫は、初めて共通の言語(服飾)を持つ同士との行為として、神聖さを感じていた。
彼女だけが”朝日”とキチンと発音できていたのは、四六時中一緒に居たから。
曰く、頼りになる大好きな妹。

 
 サヴォワ 修道院の一室にて


「朝日は家族と再会して、幸せになる。
 それは、とっても素敵なこと。
 でも……やっぱり、嘘みたい。
 エッテみたいに、結婚しなかったから、離れ離れになっちゃったのかな……」

 手元で布が縫い合わさる。
 自動的に、あの日の朝日が居た時みたいに。
 けれど、その縫い合わせは完璧で、もう解く必要なんて欠片もない。

 でも、手が勝手に動いていた。
 再び解いて、縫い合わせて。
 それを、何度も繰り返していた。
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