月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
「朝日ー、最近どったの?」
「どう、って?」
それは放課後の帰り道のこと。
湊が難しそうな顔をしながら、私の顔を覗き込んできていた。
いきなりどうしたのかと尋ねると、湊は立て板に水の如く話し始める。
その内容と言えば、私が最近おかしいということ。
「確かにさ、空は青くて綺麗だと思うよ?
でもずっと眺めてるのは、もうおじいちゃんおばあちゃんなんよ。
最近ぼぉっとし過ぎ、私一人でも男子絞められるけど朝日がいないと面白くない。
そのせいで男子達、朝日がずっと生理だと思い込んでるし。
1ヶ月もあの日が続いてたら、外で走り回れるわけねーのに」
男子は馬鹿だからさぁ、と語る湊は不満顔。
どうやら、私のキレが無いことにご立腹みたいだ。
確かに、近頃の私はぼんやりとしている事が多い。
そのせいで、湊と遊ぶ時も足を引っ張ることが多発してしまっているのだ。
申し訳ないとは思っても、それが改善される予兆は未だに無い。
あの日、指摘されて気がついた日からずっとだった。
「こんにちは、七愛さん」
「また来たのか、変態同性愛者ストーカー」
あの夕方から、私が七愛さんに話し掛けても無視されなくなっていた。
キチンと、話し掛ける度に嫌そうな顔をしながら会話をしてくれる。
私が七愛さんの中で、正体不明の不審者から定期出没する知り合いへと認めてもらった証明でもあった。
多分、私は彼女に嫌われているけれど、パーソナルスペースに居ても良い人間になったのだと思う。
「今日は何の本を読んでおられるのですか?」
「嵐が丘、出てくる奴は全員クズ」
「個性的で面白そうですね!」
「……サイコパスか?」
何故だか胡乱な目で見つめられるけれど、私は気にせずに七愛さんの隣りに座って本を開いた。
最近では、図書館に来ても自習と読書が半々ずつ。
この場所は、そうして使うものだと思い始めたから。
「図々しさ日本一だよ、お前」
「友達が、仲良くなるには隣の席に座るとこからだ! と断言していたので」
「ウザったさのドンキホーテだな、そいつ」
言葉は辛辣でも、会話自体はしてくれる。
こういうやり取りは、お兄様を思い出して懐かしい気持ちになる。
この様な会話の中で、お兄様は私に疎ましさを覚えつつも許容して下さっていたのでしょうか?
七愛さんはそうであるからと、都合よく過去のことを回想しながら妄想する。
そうだったら嬉しいな、と懐かしむ気持ちで。
「読み終わった、ほら」
「ありがとうございます」
七愛さんが読み終わった本を、私に手渡してくる。
私が彼女の読んでいた本を読んでみたくなると言ったら、どうでも良さげに本を寄越してくれたのが始まり。
それ以降、こうして読み終えた本をお下がりのように渡してもらうのが、本を読んでいる時の日課になっている。
こうすることで、何となく七愛さんと世界観が共有出来ている気がするから。
それが、どうしてだか嬉しくて。
私はゆっくりとページを開いた。
しばらく本に没頭していると、気がつけば閉館のアナウンスが流される。
顔をあげると、七愛さんも鬱陶しそうな表情で天井を見上げていて。
そそくさと、本を借りる手続きをカウンターで行い始めた。
私は丁度読み終えた本を書架に直して、七愛さんと並んで帰路につく。
「全員、自分勝手でカスみたいな奴ばかり。
それが嵐が丘、一周回って喜劇の館。
ここまで来ると笑えるだろ、あれ」
「でも、あの人達はそうするしか無かった。
それが分かります、私」
「あ?」
こうして、並んで帰る時に、ちょっとした感想会を行う。
普段は言葉数少なめな七愛さんも、この時ばかりは饒舌に語ってくれる。
けど、今日は私の方がよく喋っていた。
だって、出てくる登場人物に、敬愛するあの人の影を投影してしまったから。
怪訝そうな七愛さんに、私は自分の感じたことを素直に吐露する。
嵐が丘の、苛烈で鮮烈な人のことを。
「彼の小説の主人公、ヒースクリフは非常にプライドと能力が高い人間です。
その人が窮屈な環境に身をやつして、耐え忍ぶ日々を過ごすことが苦痛である事はおおよそ理解できます。
唯一、愛した人さえも生まれと資産を理由に、他の人と結婚してしまう。
その事がどれだけ彼を傷つけて、屈辱を与えてしまったことでしょうか。
きっと、その人は許せなくなって、全てを壊そうと決意するのも仕方ないのかも知れません」
「裏切った女と、その夫に対してなら分かる。
だけど、その親戚や子供まで破滅させようとするのは悪趣味。
最後に慈悲を見せたからと言って、帳消しになるわけがない。
ヒースクリフは壮絶に気持ち悪いやつで、登場人物全員が自分を賢いと思い込んでいる馬鹿。
ある意味で良い趣味している、転落と復讐は物語の華だからな」
「人生に苦しみは付き物で、他者を理解することは斯くも難しい。
だからこそ、他者を慮る必要がある。
でも、それが出来ない人もいて、そんな人は見えるもの全てを掌握することでしか生きていけない。
自分の安寧のために、そうする必要があったのだと思います。
それが許されるかどうかは別として」
訥々と語る私に、やはり七愛さんは眉を寄せて疑り深そうな表情をしている。
そうして、ボソリと言葉を一つ零した。
「見てきたみたいにカスを擁護するな……。
居るのか? 知り合いにヒースクリフが」
その言葉に、私は多分苦笑いを浮かべていた。
そうであるとも言えるし、そうでないとも言えるから。
あの苛烈な気性、卓越した能力はお兄様を想起させるものがある。
もし、何かを奪われる様な憂き目に遭えば、あの様な悪鬼になり得る可能性もある。
でも、お兄様の生まれは大蔵家。
ヒースクリフの様な養子とは違い、大蔵家の棟梁となり得るお方。
その生まれの差が、お兄様がヒースクリフになり得ない証明だった。
お兄様からは何者も奪えるものはなく、奪われるものも無いだろうから。
故に慈悲深さと、あの気高さを備えられた。
人の上に人を創らずと昔の方は仰ったけど、お兄様は人の上に立つために生まれてきたお方だから。
「尊敬しているお方に、少しだけ似ていただけです。
でも、お金持ちで長男だから、あんな事になることも無いと思います」
「金持ちの傲慢クソ男か。
お前メンヘラの気質があるから、ピッタリだな。
私に構わずに、そいつに永遠にペットとして飼われれば良いだろ」
その言葉に、胸に切なさが過ぎる。
そう出来たのならば、どれだけ良かったのかと未だに思う時があるから。
「玉の輿は、難しいです」
「……捨てられてメンヘラになったタチか。
こんな時期からマセているとか、将来はびっちだな。
メンヘラでびっちは救いがない。
私と一緒にいたら陰キャまで併発するぞ、お前」
七愛さんの鋭さは、本を読んで想像力を鍛えたものなのだろう。
私がニコリと表情を作ると、七愛さんは酷く気持ち悪いものを見た顔をする。
正直、私も私を気持ち悪く感じる。
何だか分からなかったフワフワ感じていたモノの正体を理解して、それに自覚的になってから……少しだけ、苦しかった。
世界の解像度が上がるということは、何も良いことばかりではないと知れたのはちょっと大人になれた気分。
大人が、子供に戻りたいと思う気持ちを、今なら理解できる。
子供の内に色々な事に気がついてしまうと、不便で仕方ないのだろう。
「びっちはびっちらしく、新しい彼氏でも見つけろ。
そして、二度と私の前に顔を見せるな」
「残念ながら、彼氏でも無かったです」
「そういえばお前、私のストーカーでもあったな……」
七愛さんとの会話は、他の誰よりも気楽だった。
私の性根を隠す前に、しっかりと暴かれてしまっているから。
私も遠慮するという概念を、この人の前だけでは忘れてしまっている。
この人は私を分かってくれていると、酷い押しつけをしているから。
「粘着ストーカーのお前は、ずっとこのまま男を思い続けて死ねばいい。
だから、そいつに執着して私に粘着するのも止めろ」
「私がこうしているのは、七愛さんが好きだからですよ」
「キショすぎて引いた。
オラオラ俺様系の次は、百合の花を咲かせようってか?
馬鹿がっ、近づくな変態」
「七愛さんって、結構恋愛脳ですよね。
全部を全部、色恋に繋げて。
好きなんですね、恋愛小説」
「わかった口利いてんじゃねえよ、クソが。
人付き合いしたことなくて、本で読んだ内容でしか物事を語れない空想と現実をごっちゃにした妄想癖持ち変態陰キャと暗に言いやがったなこの野郎。
許さねぇ、事実を並べて気持ちいいか?
気持ちいいよな、そうでなかったら態々揚げ足取りなんてしないな。
クソ、死ね死ね死ね、死んでくれ頼む」
「七愛さんの語彙は豊かですね、憧れちゃいます!」
心の底からの言葉を述べたのに、七愛さんは忌々しそうに電柱を思いっきり殴打した。
そうして次の瞬間には悶絶して、クソがアァ!! という絶叫が住宅街に響き渡る。
この人は、テンションが上ってくるとこうして面白い人になる。
それはそれとして、七愛さんの手を確認すると赤く腫れていた。
近くの公園に連れていき、そこの水道で手を冷やしていると七愛さんも落ち着いてきたのだろう。
酷く疲れたように溜め息を吐いて、私を力なく睨みつけていた。
「純真な面して皮肉屋だよな、お前。
性格最悪で、私もドン引きだよ」
「いいえ、言ったことは全部本音です。
七愛さんの世界観が、私は好きですから」
「ハッ、私の見えてる世界はお花畑かワンダーランドって?
クソボケ過ぎてムカつくな、ホント」
「七愛さんの世界は、他者の奥底を覗けるから。
自分ばかりを気にしている人に、それは出来ません」
「そうして、私は根暗の性格最悪の暴言女になった」
お前の頭お花畑が、私は嫌いだけど羨ましいよ、と七愛さんは言って。
薄暗くなる公園の中で、沈黙が私達の間に満ちた。
二人揃って、自己嫌悪の中を泳いでいる。
私は自分の無神経さに、七愛さんはきっと彼女の自己認識に。
私達は仲良く会話をするよりも、嫌悪で結ばれたゆるりとした仲だから。
こういう時こそ自分のことに必死で、だけれども相手を一番意識する。
「そんな七愛さんが、私はやっぱり好きです」
口を開いた私に、七愛さんは態とらしく笑みを浮かべた。
嗤ったという表現が、きっと一番近い。
「私が嫌いなものを、お前が好きだって言う。
本当に趣味が合わないやつ、小倉朝日は下品なやつだ」
「七愛さんって、ロックとかも馬鹿にしてそうなイメージあります」
「煩いのは全般的に嫌い。
つまり、お前のことも嫌いだと心に刻んでおいて」
「はい、しっかりと」
この人に、本音を隠されたことは一度たりともなかった。
だから、この言葉は間違いなく七愛さんの心からの言葉。
でも、それが私には心地よかった。
「ドン引きした、気持ち悪いと言われて笑うな。
さっきの気色悪い笑いじゃなくて、心からの笑顔なのが尚の事キモい。
お前、マゾでイジメられるのが趣味なのか?
だから、口の悪い私に付き纏っていたんだな」
そういえば、前に付き纏ってた男もクソ男だったか、と七愛さんは戦慄しながら呟いて。
怯え始めた彼女に、私は思わず笑ってしまっていた。
ここで、そうかも知れませんと適当なことを言えば、七愛さんはどんな表情を浮かべるだろう。
やったら、間違いなく細い縁を切られると思ったから、余計な口は閉じていたけど。
「何わろとんねん、ダボがっ!」
「いえ、七愛さんの可愛いところを見つけたと思って」
「は? 百万回死に晒した猫になるか?」
悪口のような軽口が、永遠に続くラリーみたいだった。
きっと、七愛さんの心の源泉からは言葉が溢れて、こうして溢れ出してくる。
それも反射的に話しているのではなくて、考えて話してくれている。
舌鋒は丸くなくて鋭いけど、最近は本を読むことでその言葉の裏側を考えるようになった。
七愛さんは言葉で全て伝えるタイプの人じゃなくて、内心のモノローグで語る事がある人だから。
なので、私でもその優しさを読み取れることがあった。
「私が七愛さんと仲良くしたい理由は、苦しくて依存したいからじゃないです」
だから、そんなことを急に語り始めてしまった。
常時の七愛さんなら、急にどうした臭いぞお前と言い切るところだけれど、今は言葉を待ってくれている。
私が語ろうとしていることに、僅かながらでも興味を持ってくれている。
それを理解して、大事な部分だけを私は抜き出して話していく。
「最初は、図書館の空気に凄く溶け込んでいて、まるで妖精の様に感じました。
七愛さんの人柄じゃなくて、その雰囲気こそに惹かれたんです。
でも、今は七愛さんの人格そのものが好きです。
包み隠さずに、真っ直ぐと大切なことを伝えてくれるその真摯さが。
共感を示してくれて、相手を理解しようとしてくれる真面目さが。
嫌な感じがして、苦しんでる時に助けてくれようとした優しさが」
だから、一緒に居たいと思いましたと伝えて。
七愛さんの顔を見ると、口元を一文字に結んでいて、でも何か言いたげな顔。
風が促すみたいにさざめくと、七愛さんは口元を曲げて話を始めた。
皮肉げに、吐き捨てるように。
「私がお前を嫌いと言ったのは、太宰に共感して自らの愚かさや至らなさを噛み締めているのに、ヘラヘラ笑って他人と馴れ合おうとするから。
大体、あれをちゃんと理解するやつは、苦しくて辛くて感受性が豊かなやつ。
暗くて、病んでて、自分勝手。
そういう奴だけが分かれば良いと、真人間に対して優越感に浸れる数少ない場所で。
でもお前は、自分が嫌いな癖に世界が結構好き。
だから笑って他人に話し掛けられるし、生きている事もそこまで嫌いじゃない。
その精神性が受け入れられそうにないと思った。
自分のことを嫌いなやつは、世界も嫌いじゃないと道理にあってないから」
頭お花畑なところが特に嫌い、と七愛さんは最後に付け加えて。
私を見つめる、ただ真っ直ぐに。
何時ものように睨みつける視線ではなく、真剣な瞳で。
これは、ここまで付き合ってくれた七愛さんなりの真心だと、それだけで理解できる。
「でも、七愛さんは話し掛けると返事をしてくれました」
「……美意識に反してると、つい手を上げたくなる。
事実として、お前に吐いた言葉の大半は悪態や悪口」
「でも、それが会話として繋がって、私は嬉しかったです」
そう告げると、七愛さんは深々と溜め息を吐いた。
周りを包んでいた空気が霧散し、何時もの雰囲気が戻ってくる。
七愛さんは、思い出したように私を睨んでいた。
「構ってちゃんでウザすぎて、餌を与えてしまった。
七愛、一生の不覚……」
その言葉に、居ても良いと言葉に実際に示してもらった気がして。
嬉しくて笑ってしまう、七愛さんが怒ると分かっていても。
案の定、七愛さんは眉を吊り上げて。
私に対して苦言を呈し始めた。
でも、こんな友達の関係もあるのかもと知って。
単に友達と形容するには、独特な関係だとも思えた。
――そんな時だった、その声が聞こえたのは。
「こら~~~~~っ!!!朝日を虐めていたゲシュニンはお前かああぁ!!!」
七愛さんは、多分一緒にいてと言っても嫌がるけど、一緒に死んでなら受け入れてくれそうな女の子だと思います(偏見)。