月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
申し訳ありませんでした(小声)。
夢とは何か。
その問いに、湊は”やりたいこと”と答えた。
駿我さんは、”望むもの”と教えてくれた。
私は何をやりたいのか、望んでいるものは何なのか。
考えて、考えて、考えて。
フラリと町中で見つけたそれは、一冊の雑誌だった。
クワルツ・ド・ロッシュ、高名で歴史のあるファッション誌。
夢見る学生から職人である玄人までが愛読する、服飾界隈の注目紙。
そこに、懐かしさを感じさせる衣装が一着存在した。
紙面越しにでも、機械を通さない人の手による均整さが伝わってくる精密さ。
見た目の瀟洒さからは想像できない程、着ることに重きを置いたパターン。
各所に巡らされた丁寧さと、デザイン性を両立したそれは、偏執的なまでの情熱を覗かせている。
手元になく、触れられないことが悔しくなるくらい、端正さが伝わってくるそれは、どこか覚えがあって。
――何か、予感じみたものを、私に感じさせられて。
最優秀賞を受賞した欄には、やはり敬愛するあの人の名があった。
「大蔵衣遠、い、おん……兄様」
何時だって、誰よりも優れていると思っていたお兄様。
その想像は、やはり何時だって正しいと思い起こされる。
こうして賞を受賞し、高らかにその名を業界へ、世界へと轟かせているのだから。
普通の人なら、これで夢を掴んだと評するかもしれない。
でも、衣遠兄様は、未だ夢の途上だ。
大きく飛翔し、羽ばたいている最中に過ぎない。
そんな姿に、憧れと畏敬の念を覚えた事を思い出す。
お兄様の夢、初めてあった日に聞いた野望。
服飾の本場である欧州を、お兄様の服で席巻すること。
常人ならば不可能でも、お兄様ならば出来ると、そう確信できると私は無条件に信じている。
だって、お兄様なのだから……。
”俺は君の性格を知っている。
それを踏まえた上で言うなら、それは人生に遠慮して控えた事を言っているに過ぎない。
君には、もっと望んでいるモノがあるだろう?”
この前の、駿我さんの言葉が脳裏に過る。
胸に抱いた、お兄様の妹だという気持ちが、駿我さんの言葉へと心を結びつけてしまう。
本当の望み、胸がジクリと何かに刺された感触がする。
敬愛しております衣遠兄様、不肖の妹は迷っております。
夢と願い、それらは遠い蜃気楼の様に心の中でボヤケていました。
でも、それは少し前までのこと。
自分で考え、駿我さんに指向性を頂き、そうして霧は晴れていって。
こうして、誤魔化しが利かない程に、私の中でハッキリとした実像を結んできてしまっているのです。
――会いたいのです、お兄様とりそなに。
私が今、感じている胸の痛み以上に、奥様は苦しまれたのでしょう。
その結果が今で、だからこそと考えないという努力を致しました。
ですが、こうしてお兄様の栄光を垣間見て胸を揺さぶられると、どうしても考えてしまいます。
どうか、あの日の幸せをもう一度。
お兄様とりそなと、もう一度やり直せたら。
……未練です、恐らくは今死んでしまったら無念のあまり、亡霊にだってなってしまうでしょう。
そんな私は、とても欲深く反省ができない人間です。
お兄様が定義するところの、同じ失態を繰り返してしまう無能なのです。
りそなと、何でもない日常で笑い合っていたい。
お兄様に、また蔑まれながらも服飾を学びたい。
こうしてタガが外れてしまうと、懲りもせずに何度も空想を広げてしまう。
過去のみを懐かしみ、未来に対して希望を見いだせない。
そんな私だからこそ、夢という議題に対してこれほど悩んでしまうのでしょう。
でも、そんな未練から、僅かに抽出できたものも存在します。
お兄様のデザインを通して、沸々と湧き上がるものがあったのです。
私がこの服を縫えたら……そんな、かつての夢の残骸。
そんな実力もなく、資格さえ持っていない私が何をと思われるかもしれません。
けれど、それは私が、いま確かにやってみたいと思った事柄なのです。
書を捨てよ町へ出よう。
駿我さんに促され、こうして夢の欠片を拾えました。
ありがとうございます、お優しい駿我さん。
ありがとうございます、敬愛する衣遠兄様。
「……おい、何をしている」
そんな感謝の念が渦巻いてる最中で、声を掛けられた。
振り向くと、そこには明らかに嫌そうな顔を浮かべている七愛さんの姿。
私がフラリと誘われて入店したのは、個人書店の小さなお店。
もしかすると、本好きの七愛さんにとって、この店は自身のテリトリーなのかもしれない。
「こんにちは、七愛さん」
「さも何もなかったみたいに、普通に挨拶をするな気持ち悪い」
「?」
首を傾げると、七愛さんは気が付いてなかったのか、とすごい微妙な顔していた。
何がですと聞くと、お前の顔と答えが帰ってきて。
「恍惚とした顔になってた。
薬でもやってるなら、早く自首した方がいい」
「やってません」
「やってるような顔をしてた」
「冤罪です」
「じゃあ、公然わいせつ罪で訴えてやろうか」
じゃあとはなんだろう。
そんなに譲れないほど、私の顔は許せない表情をしていたのだろうか。
頬に手を当てると、確かに緩く、甘いものでも食べたかの様な惨状ではあった。
気恥ずかしさから、七愛さんの顔を真っ直ぐ見れずに、そっと視線を逸らす。
ただ、その行為自体が疚しさの証明の様になってしまったみたいで、七愛さんはつぶさに私を観察して、そして気が付いたみたいだ。
「その手に持っている雑誌」
目端が利くというか、人のことをよく見ているというか。
私がダラシのない顔をしていた原因が、この雑誌にあると分かったのだろう。
思わず隠そうとする私に、意地の悪そうな顔をする七愛さん。
反射的な行動が、逆に七愛さんの好奇心に火を付けてしまったみたいで。
「隠さなくても良い、見せろ」
「……なんか、嫌です」
「隠すということは、疚しさがあると見える。
エロ本か? びっちが」
「違います!」
「なら見せられるはず」
そうまで言われると、拒否するのも難しくて。
渋々と雑誌を差し出すと、七愛さんはペラペラとページを捲る。
そうして、面白そうだった顔は段々と表情が抜け、次第につまらなさそうになっていった。
当たり前だけれども、クワルツ・ド・ロッシュはファッション誌なのだから。
おかしな点というのは、私がニヤついてしまっていた事くらい。
そうして全てを捲り終えた七愛さんは、で、と尋ねてきた。
「誰か知り合いでも? それとも自分の作品でもあったか?」
ビクッと肩が動いてしまう。
この人は、察する能力が驚くほどに高い。
看破されてしまったからには、隠し立てするのは誤解を助長する。
素直に、知り合いがと伝える。
「私の、その、大切な方の記事があったんです」
「大切……」
ペラペラとまたページを捲り、あるところでそれは止まる。
丁度、衣遠兄様のページで。
「なるほど、これが」
マジマジと、七愛さんはお兄様の顔を見つめる。
まだ何も言ってないのに、既に私の大切な人がお兄様だと確信しているみたいで。
私は、居心地の悪さにモジモジと、挙動不審な動きをしてしまっていた。
「……まだ、何も言ってないのですが」
「お前と釣り合いそうな顔をしてたのが、これくらいだった。
それに、自信満々で我が強そうな奴。
前にお前から聞いた話に、ピッタリ合ったから。
俺様系でサイアクに性格が悪そうなの、本当にお似合いで吐き気がするな。
でも、振られたんだったな、小倉朝日は」
七愛さんの舌鋒は、今日も実に絶好調。
でも、今日ばかりは少しだけ口を挟んでしまった。
頭で考えるよりも先に、感情が口走っていた。
「最悪なんかじゃないです」
怪訝そうに、七愛さんが私の顔を見つめた。
今まで、言われるがままになってたから、何事かと思ったのだろう。
でも、これは私にとって大事なことだからと、後先考えずに喋ってしまう。
「何時だって胸を張っていて、恥じ入ることなんて微塵もなくて。
困っていても、呆れていても、見捨てられる事なんて無くて。
衣遠兄様は、とても、とても優しいお方なんです」
とても早口に捲し立てて、そうしてアレ、とふと正気に返った。
今、私、余計なことを言わなかっただろうか? と。
「衣遠、兄様?」
あ、それだ、と七愛さんの反芻で心当たりを見つけた。
背中が寒くなり、ヒヤリとした汗が流れていくのを感じる。
雑誌を読んで、想いが溢れていて、お兄様のことで頭がいっぱいだった。
だからといって、あまりにも迂闊。
大蔵と、私の関係性。
それを看破されてしまうのは、あまりにも大蔵家にとって外聞がよろしくない。
そんな怯えの中で七愛さんが呟いた一言は、ちょっと変わっていて独特だった。
「そういうプレイ?」
七愛さんは、酷く蔑んだ目をしていた。
確かに、苗字も違い、顔もあまり似ていないのならば、一目で兄妹と分かるはずもない。
本来は否定すべきこと、お兄様の名誉を考えれば。
しかし、タイミング的に、千載一遇ともいうべき助け船でもあった。
ごめんなさいお兄様、あなたの妹は愚かです。
そう心の中で懺悔し、そうしてとびっきりににこやかな表情を作った。
「七愛さんって結構こういう話、好きですよね。
もしかして、七愛さんもご経験があるのですか?」
「は? あるわけねぇだろ、殺すぞびっち」
蔑みの目が、怒りで塗り替えられる。
やりました、お兄様!
心の中で大いに喝采が上がる。
私自身とお兄様の風評を代償に、迂闊な危機を乗り越えたのだった。
……と、話が進めば良かったのだけれど。
「嘘を吐いてはいけない。
道徳の授業で習わなかったか、大蔵朝日」
怒りの視線が、未だに私を貫いている。
七愛さんは、明確に分かるほど怒っている。
でも、私は勘違いをしていた。
言葉遊びで馬鹿にされたと怒ってるのではない。
私が、適当な言葉で誤魔化そうとしていることに怒りを覚えたのだ。
何のことでしょう? と誤魔化すには、後ろめたくて躊躇ってしまって。
このまま嘘で塗り固めても、七愛さんはどうしてだか看破してしまっているようだから。
私は、迷った挙句にごめんなさいと、素直に謝ることしか出来なかった。
「何で分かったのでしょうか」
バツの悪さもあるけれど、そちらの方が気になって尋ねてしまった。
だけどそれに対して、七愛さんは呆れた顔をしていて。
何が決定的におかしかったのかと思考を巡らせる前に、七愛さんは幾つかあると指折り数えて答えてくれた。
「一つ目、あれだけ嬉しそうに笑っていたお前が注目していた人物なこと。
兄弟ごっこをしていただけの変態相手に、あんな顔はお前は出来ない。
二つ目、お前が虚言を弄する時に、苦渋の決断をするみたいに葛藤していたこと。
本当に変態プレイをしていたなら、お前はもっと恥じ入るタイプだ。
最後の三つ目、お兄様と呼んだ時のお前の真剣さ。
否定されたことに嫌がっていて、本気で尊敬してるのがみてとれる。
それに、恋人だ振られただなんて事より、お前の性格的に事情が通る。
あれだけ落ち込んで、今も悩み続けてメンヘラになるくらいに」
どうだ? と私の顔を覗き込んできた七愛さんに対して、私はどんな顔をしていただろう。
感嘆した表情だったかもしれないし、諦観した顔をしていたかもしれない。
ただ、間違いなかったのは、感心して素直に色々と話してしまおうと思ってしまっていたくらいのこと。
気分的に、崖の上に追い詰められた火曜の晩くらいの心境だった。
「流石は七愛さん、名探偵にだってなれますね」
「お前が勝手に自白しただけ。
否定され続けたら、証拠がないからお手上げだった」
そういう七愛さんは、けれども微笑を浮かべていて。
ちょっと楽しかったのかな、と思えるくらいに気配が柔らかかった。
それに釣られて、私も長々と話を始めた。
自身が不貞の子であること。
お兄様と妹、りそなに、優しくされていたこと。
奥様を傷つけ、駿我さん、今の後継人に拾われたこと。
七愛さんは幸いにして、大蔵家について知らなかったのも察することができたので、所々を曖昧にして。
そうして全てを語り合えた時、七愛さんはとても不機嫌そうな顔をしていた。
つまらない話です、と前置きしておけば良かったかも、なんて考えて。
しばしの沈黙後、七愛さんは私の手を引っ張って店を出ようとした。
有無を言わさぬ強引さで、私はそれを拒否することはできそうになくて。
けれど、店を出る前に七愛さんに一言掛けた。
「この雑誌だけ、購入しても良いですか?」
勉強は、案外できていた。
あの日、いつか姉と再会する努力をすると決めた日からずっと。
私なりに、色々とやってきた。
言語、教養、学力などを鍛えて、自分が理解できる事柄に驚く毎日。
妹、やれば出来る子なんです! と告げたい相手は、今ここに居ない。
話して、甘えて、褒めて欲しいのに。
でも、我慢するしかない。
いつか理想の木になって、姉を見つけて守れる様になりたいから。
だから頑張れている。
そんな日々を過ごす中で、携帯が気紛れのように鳴った。
思わずゲンナリしてしまうのは、この携帯に掛けて来るのはおおよそ三人しか居ないから。
圧制者である兄。
教唆犯にして不審な上の従兄弟。
そして憎くいけれども、肉親であるが故に嫌いきれない母。
碌でもない組み合わせで、大体が私のMP(マインドポイント)を削ってくる。
誰が掛けてきても、疲れてしまうというので電源を落としていたいくらいだ。
でも、そうしないのは、後が怖いから……という他にも、少しだけ理由がある。
そして、今回電話を掛けてきたのは上の従兄弟。
私が電話の電源を切れない、最大の要因だ。
『やぁ、里想奈さん』
「こんにちは」
最初は警戒して喋れなかったけど、人間は良くも悪くも慣れてしまう。
今では、憎まれ口を平然と叩ける位だ。
……尤も、理由がない限り、そんな事はやらないけれど。
「今日のワンコよろしく、今日の姉をよろしくお願いします」
『本当にお姉さんの事が好きだね、君は。
最初の内は、もう少し遠慮があったというのに』
「もう手遅れですし、開き直っても良いかと思って」
『まあ良いさ、それは後で語ろう。
悪いけれどその前に、少しお願いがあるんだ』
お願い、あの上の従兄弟が。
顔が、苦いものを食べたみたいになる。
だって、前にそう言っていた時は、兄への伝言を託す伝書鳩の役を任されたのだ。
結果、私はゴミを見るような兄の目で、冷ややかに罵られる羽目になった。
大体、酷いことにしかならないから、あまり相手にしたくはない。
「もう兄を相手にしたくないんですけど」
『違うから、安心していい。
今回頼みたいことは――』
上の従兄弟から伝えられた内容に、私の心はざわついた。
だって、これは大事なモノを込められて、姉を想えるものでもあったから。
珍しく、やる気が満ち溢れてくる。
「そういうことなら、喜んでやらせてもらいます。
むしろ、こちらからお願いしたいくらいです」
『里想奈さんなら、そう言ってくれると思ったよ。
ところで、朝日さんの情報だけれどね。
……実は君のお兄さんに恋をしていて、失恋したらしいよ』
「は? …………はぁ!?!?!?
姉は妹一筋ですがっ!
嘘吐かないでもらっていいですか!!!」
上の従兄弟が、辛うじて姉と私を繋げている。
これが、私が携帯の電源を切れない理由。
このささやかで、信用もして良いのか分からない繋がり。
でも、今だけは、この人に感謝している。
怖いけれど、味方でもないけれど、姉のために動いてくれたのはこの人だけだったから。
私もこの人みたいに、姉を助けられるようになりたい。
ただ、それだけを望んでいる。
長く険しく、そうして先が見えない道のり。
でも、私がそうしたいと決めたのだから。
こっそりと隠し持っている、携帯内にある私と姉のツーショット。
二人して、笑っている写真。
何時かまた、と気持ちを込めて。
まずは、上の従兄弟に頼まれた物を片付けよう。
心を込めて、私はペンを手に取った。