月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
七愛さんに手を引かれて来た場所は、何時しかの公園。
振り解くように手を離した七愛さんは、不機嫌そうに顔を顰めている。
何に怒っているのか、何が不愉快だったのか。
確かに聞き苦しい話だったとは思う。
けれども、その程度のことなら“黙れ”と率直に言ってくれるのが七愛さんで。
機嫌を伺うように七愛さんの顔を覗き込むと、その顔を止めろと忌々しそうにする。
あの、と堪らずに声を出したのは当然の流れだった。
「どうして、七愛さんがそんなに苦しそうな顔をしているのでしょうか?」
おずおずと尋ねると、何を言っているんだと返される。
“そんな顔、している筈が無い”と力強く断言さえする。
何故そんなに否定するのか、考えてみると一つの心当たりにぶつかった。
つまりは、私の事を憐れんでくれているのだと。
「大丈夫です、七愛さん」
私から出た声は穏やかだった。
友達に憐れまれるのには、少し思うところがある。
けれど、それと同時に、心配してもらえて嬉しいという浅ましい気持ちもあるから。
「私は大丈夫です」
多分、笑えていたと思う。
私なりに、安心させてあげられたらとも思った。
けれど、七愛さんの表情は晴れなくて。
いや、むしろ顔に険が更に出ていた。
かなり低い、ドスの利いた声が七愛さんの口から漏れ出た。
「違う、お前は勘違いしている。
お前如きのことで、私は心を煩わせない。
ただ、気に入らないだけ」
「気に入らない、とは?」
当然の疑問として返した問いは、鋭い視線になって私の身を貫いた。
「そうやって、何でもないフリをしてヘラヘラしているところ。
怒りを覚えずに、自分が悪いとメンヘラになるところ。
友達と呼んでいる人間に、胸の内を話さないところ」
早口で、私の悪いところを並べていく七愛さん。
普段、私の事をどう思っているのかということを、これでもかと言う程に伝えてくれる。
それでも、言葉の中に七愛さんの根っこが見える。
私の身を思ってくれて、心からそれに怒ってくれているのだ。
やっぱり、七愛さんは優しい。
でなければ、他人の為に怒ることはできないのだから。
「やっぱり、お前の人間性が嫌いだ」
最後にポツリと呟かれた言葉は、力のないものだった。
他人の辛さに共感できる人だから、どうしたって傷付いてしまう。
でも、当の本人である私がこの調子だから、七愛さんはそれも許せないと思ってしまうのだと思う。
「私は、七愛さんの人間性が好きですよ」
「そうか、意見が合わないな。
仲良くなんてなれそうにない」
「十分仲良しですから、安心してください」
「お前、ムカつくよ」
深い、とても深いため息。
疲れたと言わんばかりの七愛さんは、困った顔をしているであろう私の目を見た。
何かを訴えるような、そんな淡い色をした目。
吸い込まれるように、私はそれを眺めていて。
「お前は自分が嫌い、それは半分だけしか合ってなかった」
ボンヤリと、七愛さんの言葉に耳を傾ける。
さっきよりも、落ち着いた感じの声。
まるで本を読み聞かせてくれるような、文学少女なそれで七愛さんは語る。
「そういう感情が心の内にある。
それは正しいが、でもそれは自分で選んだ感情ではない。
流されて流されて行き着いたのでも、諦めて放り投げてそうなったのでもない。
誰かに強制されて、そう思うしか無くなった」
反吐が出る、邪悪だと七愛さんは淡々と吐き捨てた。
その様子に、どう答えるのが正しいのか、言葉に迷ってしまった。
私だけの問題じゃない、他の方にも責任を負わせることになる。
それはつまり、奥様に対して――。
「いいえ、単に自分の不甲斐なさに参ってしまっただけです」
口が、勝手に動いていた。
私が全て悪いのだと、そういう事にしないといけないから。
でないと、私がどうしてここに居るのか、分からなくなってしまうから。
言い訳がましく言葉を並べようとして、その時に何かが破裂した様な音がした。
そして、遅れて感じる頬の熱い感触。
あ、と声を出したのは私で。
七愛さんはこちらを睨みつけながら、私の頬を叩いた手で私の肩を掴む。
逃さないし、誤魔化されないと本気の目をして。
「私はお前の頬を叩いた。
理由のない暴力は最低だ、だから私も最低な筈。
だからこれは、大蔵朝日は悪くない。
それくらいは、分かるな?」
否定しようとした。
だって、七愛さんは理屈を説明するためにそうしただけで。
私の頑迷さや頑固さに問題があるのは、明白だったから。
「違います、何時だって七愛さんは優しいです」
「っ、お前は最低のグズでノロマで――マゾだ!!」
今度は頭突きだった。
ガツンと、とても痛い鈍さが頭を襲う。
当然、私だけでなく七愛さんも、ただでは済まなくて。
二人して、その場に蹲って悶絶する。
痛いのは嫌です、と伝えられたら七愛さんもこんな思いをせずに済んだだろう。
そういう意味合いでは、私は七愛さんに罵られた通りの人間かもしれない。
「思考を放棄するな、真面目に考えろ。
痛いなら痛いと言って、私を張り倒せ。
ただ単に受動的に自分が悪いと思うのは、高慢で傲慢だ」
痛さのあまりか、七愛さんの声は震えていた。
私の目も、痛みのあまりか涙で濡れている。
フラフラとした歩みで、私はハンカチを水道水で濡らした。
それを、座り込んでいた七愛さんに、ペタリと貼り付ける。
「痛いですね、七愛さん」
「なんで笑ってる、マゾ野郎」
「野郎じゃなくて女の子ですよ、私は」
七愛さんの隣に、私も座り込む。
砂でスカートが汚れるけれど、それは七愛さんもそうなっているから。
今は、二人で汚れてしまっても良いか、という気分だった。
「私だって、痛い時には痛いと言います。
でも、自分の痛さよりも他人の痛さの方が、耐えられないみたいなんです」
隠さずに、思っている本音を吐き出していく。
幼い頃に抱いた気持ち、誰かの役に立てる人間になりたいという願い。
もう無理かもしれないと思って過ごしている内に、その願いは誰かに迷惑を掛けない人間になりたいというものに変化していた。
夢と言うには苦しくて、目標と言うには味気ない。
夢で溢れていた大蔵朝日は居なくなり、他人の顔色ばかりを伺う小倉朝日がここに居る。
だから夢を語るためには、今の私では駄目なのだろう。
昔の、大蔵朝日が必要なのだから。
でも、あの頃の私は行方不明で、もうどうしようもない。
だから、夢って何でしょうね、と七愛さんへと問うてみた。
みんなに尋ねて、色々と答えてもらっていたそれを。
「夢とは、苦しい時でも、辛い時でも、愛を持って語れるもの」
疑問を挟まず、七愛さんは夢というものを語ってくれる。
私も、口を挟まずに耳を傾けた。
「夢中という言葉がある。
夢の中と書く、つまりそれだけ入れ込んでいること。
これが、私の思う夢。
でも、夢の概念なんて人によって変わる。真に受けすぎるな」
「いいえ、それで十分です」
七愛さんの語ってくれた夢が、胸にピタリと当てはまった。
私が納得できる、夢という概念は愛だ。
謎めいていた問いの答えに、ようやくスッキリとした気持ちになった。
「詰られて、叩かれて、それでいて笑っている。
お前のそういうところが、本当に嫌い。
ハッキリ言って、キモイと思ってる」
私は笑っている、らしい。
さもありなん、といった感じだ。
過程よりも、いま手にしている結果が嬉しく感じてしまうから。
その時々によって、過程が大事か、結果が大事かは受け取り方が変わってくる。
今は、こうして七愛さんが自然と私と会話をしてくれていて、親身になってくれたことが凄く嬉しい。
「私は七愛さんの、友達のために必死になってくれるところ。
そこが、凄く好きです。
正直に言うと、とても嬉しいです」
「……はぁ」
諦めた、といった感じのため息。
気怠げに七愛さんは立ち上がると、私の頭に温くなったハンカチを押し付けてきた。
さっき私が、七愛さんの頭に載せたものだ。
じんわりと暖かくて、七愛さんの優しさを分けて貰えた気がした。
「もういい。
迎えもきてるから、帰る」
そう言うと、七愛さんは公園の茂みに向かい、手を伸ばした。
何だろうと眺めていると、そこからよく見ているピンクの髪の毛が引っ張り出された。
ギャーッ、と愛嬌たっぷりの悲鳴が木霊する。
「……湊?」
「アハハ、どもども」
「少しずつ、こっちにガサゴソと近付いてきていた。
最初は動物かと思った。
でも、アホだからアホ毛を隠し損ねてた」
「頭隠してアホ毛を隠さず……なんちってね」
立ち上がった私に、七愛さんは湊の背をドンと押す。
ふらついた湊が胸にぽふっと飛び込んできて、胸元で何故だかちょっと気まずげにしていて。
七愛さんは、それを確認すると公園を後にする。
最後に立ち止まって、一言残してから。
「夢、早く見つけろ。
――待て、しかして希望せよ、だ」
最後の最後に、立ち去り際にそう言ってくれて。
公園には、私と湊が残された。
湊は、私の顔を見て、ウンウンと頷く。
「ほっぺたに立派な紅葉があるねぇ」
「ちょっと、痴話喧嘩をしてまして」
「おうおう、湊ちゃんの前で浮気宣言とは図太いなぁ。
全く、朝日は! 私に相談一つしないで!
朝日の相方は、この湊ちゃんだってのに!!
だからね、朝日は私が一番助けてあげられるって、そう思ってたんだけどな……」
湊は顔を俯かせて、ちょっと悔しいと私の胸の中で漏らして。
ゆったりと、風が流れた。
赤くなった頬を、ヌルリと撫でていく。
熱くて、けれども擽ったい感触。
「――うん、でも良いや。
ずっと良い顔になってる!」
顔を上げた湊は、笑っていた。
何時もの向日葵の様な笑顔じゃなくて、はにかんだ笑み。
手、繋いでと静かな声で湊は言って。
言われた通りに、湊の手をそっと握る。
ギュッと、握り返された。
「帰ろっか、朝日」
「うん、帰ろう湊」
帰り道、いつもは手を繋いで居ると早足で、私を引っ張っていく湊。
だけれど、今日は私の歩調に合わせてくれている。
お陰で、私と湊にしてはゆったりとした空気が流れていた。
「私さ、自分が朝日の事を一番分かってるって思ってたんだ」
だから、話すテンションも、何時も以上に落ち着いている。
何でも無い事のように、日常会話の延長みたいに話をしていく。
「でもね、朝日が自分が嫌い~、なんて言い出した時、朝日を元気一杯にしてあげられなかった。
何でも出来る朝日が、初めて隙を見せてくれたから、チャンスだーって思ってたんだけどね」
「トドメでも刺すつもりだったの?」
「うにゃうにゃ。パーフェクト湊ちゃんの力を以てして、朝日を柳ヶ瀬家から出たくないと思うくらいにメロメロにしようとしてた」
「うん、相談に乗ってくれて嬉しかった」
「乗っただけで、解決出来なかったのが悔しいんだよなぁ」
それが、湊の最初の発言に戻ってくるんだろう。
一番分かっている、それは誇りであり、優越感でもあるだろうから。
「私さ、今まで本気で騒ぎ倒している私に付いてきてくれる子って少なかったんだ。
みんな、途中で疲れて、また明日続きをって言う。
だから、馬鹿みたいにはしゃぎ回っても、最後まで付いてきてくれる朝日が来てくれて嬉しかった。
湊ちゃん史上、最初の相方になったんだ」
「だから、悔しかったの?」
「うん、朝日を取られちゃった気がしたから」
案外、嫉妬深かったのかな、と湊はヘナヘナと言う。
今までこうだと思っていた自分とギャップがあって、困惑している感じ。
でも、それについては私も少し分かる。
信じていたものが、裏返って反転する感覚のことなら。
「難しいね、自分の事なのにって思うのに、中々上手くいかないし」
「そうそう、びっくりだよ。
でもさぁ、朝日みたいにしんどくはならなくてさ。
朝日のこと、親友だってしっかり確認できて嬉しいのもあるみたい」
たはは、と照れくさそうに言う湊に、私もむず痒くなってしまう。
好きには色々あって、それが友情のものだったとしても、こんなに嬉しくなってしまうのだから。
二人して、ちょっぴり足早になってしまう。
ソワソワとしたものが、足を伝って広がってるみたい。
「好意を伝えられるのって、落ち着かないね」
「朝日はさっき、七愛に散々好きって言ってたけどね」
「聞いてたんだ」
「うん、朝日が七愛にボコボコにされてた時、助けようと思って頭を上げたんだ。
でも、朝日が笑ってて、七愛が泣きそうだったからやめた。
朝日が、七愛をイジメてるように見えたから」
「私が、七愛さんを……?」
そうだっただろうか、と思い出してみても、出てくるのは痛みに悶えていた七愛さんの姿。
やっぱり、頭突きはいま思っても無茶してたのだと思う。
ごめんなさいと、言いそびれたのは、良かったのか悪かったのかが難しい。
「私はさ、多分朝日にあそこまで真っ直ぐになれない。
嫌われても良いや、ってそこまで想ってあげられない。
私が朝日を好きだから、嫌われたくないってブレーキを掛けちゃう。
朝日が七愛を優しいって言ってたの、朝日がそれで元に戻ったんだから分かるよ」
「うん、私も湊には嫌われたくない。
七愛さんにも、だけど」
きっと、私は七愛さんの癪に障ってしまう人間なんだろう。
でも、疎ましさの中に、七愛さんは情が入ってしまう人で。
だから、もっと仲良くしたいと思ってしまうんだ。
「人に心の底から、何かを伝えようって難しいね」
「そだね。正直に話しても、話半分にしか伝わらないし」
「……根に持ってる?」
「割と持ってる」
湊は執念深かった。
ツンツンと、紅葉色のホッペを突かれる。
ジンとした、鈍い痛み。
ごめんねと言うと、仕方ないなぁと湊が言って。
落ち着いていた空気が、少しだけ何時もみたいに浮き上がってきた。
「ところでさ、自分が嫌いっていうのと、七愛の夢の話。
どうして夢の話で解決したん?」
「夢のカタチと、自分が許せない理由が混ざっていったから」
湊の唐突な問いかけに、私は落ち着いて答えられていた。
首を傾げる湊に、私の中で何を伝えるかと纏めて行く。
あの時に、七愛さんが怒っていた理由。
それは、私が誰かに自分が嫌いというものを押し付けられたからだと言っていた。
でも、私はそれを認める訳にはいかなくて。
七愛さんはそれに、痛みを以て違うと諌めてくれた。
それに対して、私は肯定も否定もしなかった。
でも、七愛さんの気持ちは痛い程(文字通りの意味)に伝わってきて。
そして、七愛さんに教えてもらった夢のカタチが、それまでのものと混ざり合う。
――夢とは、苦しい時でも、辛い時でも、愛を持って語れるもの。
奥様は、私に二度と家族と関わるなと仰っしゃられた。
途方に暮れて、絶望だってした。
けれど、苦しかった中でも、浮かんでくるのはりそなとお兄様の事ばかり。
もう、捨てることが出来ない程に根付いた繋がり。
愛があるから苦しくて、自分を責めるしかなくなる。
それでも、と思えるように七愛さんは示してくれた。
自分の事が嫌になって仕方なくても、私を大事にしてくれている人はいる。
駿我さんに湊、柳ヶ瀬のおじさんにおばさん、七愛さんだって。
愛を持って接してもらって、元気を出せと励ましてくれる。
愛こそが夢の源泉であるなら、つまりはみんなから少しずつ夢を分けて貰っているということ。
夢とは、自分の中だけで完結するものだと思っていたけれど、他の人からも影響される。
だからこそ、何時までも自分の中で堂々巡りを繰り返しても仕方がないと、踏ん切りが付けた。
自分を許せるかどうかで考えると、やっぱり難しいことだけれど、貰った夢のカケラの分は元気になりたいと、そう思えたから。
――要するに、私は厚顔無恥に開き直ってしまったのだ。
でなければ、自分の中にある矛盾を誤魔化せなくなりそうだから。
「考えれば考えるほど、こんがらがって言い訳がましくなるから、簡潔に言うね。
みんなに励まされてるのに、何時までも落ち込んでたって仕方ないと思ったってことかなぁ」
「んん?
それなら、七愛だけじゃなくて、私が励ましたことも意味はあったってこと?」
「うん、七愛さんだけじゃなくて、湊も私を立ち直させてくれたんだよ」
そう言うと、とっても嬉しそうな顔をしながら、湊は繋いでいた手を解いて、私の髪の毛をワシャワシャと掻き乱した。
キャーと黄色い声を上げて、私も笑ってしまう。
そうだ、何時だって湊とはこういう関係だった。
楽しくて、気楽で、遠慮がなくて居心地がいい。
そんな空気を、ここ最近は遠ざけてしまっていた。
自分の事で、精一杯になって。
「湊、ありがとう」
「お、ワシャワシャ好きになった?
じゃあもっとするね、ワシャワシャー!」
「キャーって、そうじゃないよ!
何時も、側に居てくれてありがとうってことだよ」
「相方だから当然だろー!」
結局、私の髪はボサボサになるまで湊に掻き回されてしまった。
でも、それが凄く心地よくて、楽しかった。
けれども、一日はまだ終わってなくて。
私達が家にたどり着いた時に、玄関に人影があった。
湊が警戒する素振りをしたけれど、私が待ってと声を掛ける。
薄暗い夕闇の中で、その人の顔を前に見たことがあったから。
「お久しぶりです、カリンさん」
「朝日さんは、お元気すぎる様で」
「あはは、友達と痴話喧嘩してしまいました」
「難儀ですね」
「難儀してました」
唐突に始まった英語での会話に、湊は宇宙の真理を知ってしまった猫の様な顔をしていた。
大丈夫、お世話になってる人だよと湊に伝えて、私はそれでと尋ねた。
「今日はどうされましたか?
駿我さんから、何か頼まれたのでしょうか?」
「その通りです。こちらを」
カリンさんが取り出して手渡して来たものは、一通の手紙。
小首を傾げる私に、カリンさんは手紙の中身は知らないのですが、と前置きをする。
「社長が今の貴方に必要だから、と。
郵送の手間すら惜しむもの。
曰く、魔法が掛かっていると」
駿我さんにしては、とてもメルヘンな言い回し。
でも、意味もなくそんな事を言う人ではないから、本当に不思議な何かが掛かっている物なのかもしれない。
宛名も書いていない、謎めいた手紙。
不可思議に思いながらも、私は誘われるように手紙の封を開けて。
――そうして、魔法に掛かった。
拝啓 大蔵朝日様
お久しぶり、とは顔を合わせてもいないのにおかしな感じがしますね。
だから、お元気でしょうか? と問わせて頂きます。
もう姉がいなくなってから、かなりの時間が経過しました。
姉が見たいと言っていた桜は、ヴェールを脱いで葉桜となり、儚さよりも快闊さを感じさせられます。
あの時、一緒に桜を見ようと言ってくれた時に行かなかったこと、実はかなり後悔しています。
ですので、今度逢えたならば絶対に一緒にお花見をしましょう。
ところで、噂に聞いたところによると姉は元気が無いようですね。
実は妹、尋ねたくせに答えを知っていました。
だからこそ、こうして手紙を認めたのです。
気持ちは凄くわかりますから、実は私もなのです。
姉がいなくなってから、世界はくすんで、斯くも鮮やかだった世界と別れを告げました。
貴方と見る景色はどんな時でも鮮やかで、どんな場所だって素敵に見えました。
貴方の隣が、私の指定席だったのです。
そうして優しく私の名を呼ぶ貴方の声を、私は当然の権利でありずっと続くものだと思っていました。
鮮明に、今でも思い出せるのです。
りそな、と優しく呼びかける声を。
けれども、今は一人ぼっちで荒野にでも居る気分です。
どうして、私達が別れなければならないのでしょう。
姉妹同士であるといえども、比翼の鳥であったというのに。
姉は、ただ家族と生きていただけだというのに。
初めて、この妹は切ないという気持ちを理解しました。
苦しくて、胸が張り裂けそうで。
姉のいない日々は、ゆったりとしている分、溺れているかの様にも感じます。
姉のことを想うと、まるで年老いたかの如く懐古に浸り、その郷愁に胸を焦がします。
姉ともう逢えないことを思い出すと、どこかここではない場所に駆け出したくなります。
耐えたくない、いいえ、貴方のいない世界に耐えられない。
私は強くない、弱い人間です。
だから、どうか私を助けてください。
妹という生き物は、何時だって姉に甘えて優しくされたい生き物なのですから。
今でも、私は貴方の足跡を追って、何時か巡り会えるようにと準備しています。
姉も、どうか自分の心に聞いてみてください。
もし、また会うことが許されないと考えているなら、今度は妹が貴方を救いに行きます。
弱くとも、どんなに弱くとも、心に消えない姉の灯火がありますので。
大きな木になって、空の上から姉を見つけてあげます。
片翼では飛べず、けれども空からの風景を忘れられない妹より。
久しぶりに見た筆跡、りそならしからぬ丁寧な内容。
だから、この一枚に込めた気持ちの重さを、キチンと理解できる。
りそなは、きっと駿我さんから聞いたんだ。
私が寂しくて、我慢していて、世界に迷っていることに。
――ズルい、本当に狡い。
りそなも、駿我さんも、私が何を求めているのかを分かってしまっている。
だから、こんな手紙を書けてしまえて、重要だからと直ぐに持って来てしまえる。
手紙を胸元に当てると、鼓動が高鳴って、ざわめきの様に血潮を感じる。
「朝日、泣いてるの……?」
湊の、戸惑った声が聞こえる。
私は、何時だって泣き虫のままで。
けれど、嬉しくて泣いてしまうのは、悲しくて泣くのと違うんだって自分に言い訳して。
「でも、笑ってもいるね」
湊の言葉に私は涙に濡れながらも、微笑むことが出来た。
愛は存在し、そのカタチがいま手元にあって、私の胸に芽生えたものがあったから。
「素敵な魔法を掛けられちゃったんだ」
きっと、心の底からの笑みを見せていたのだと思う。
やっぱり、悔しいなぁ。
そんな寂しげな声が、風に乗って消えていった。