月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
「駿我さん、私……決めたんです」
あの手紙を届けて貰ってから数日。
ごちゃごちゃになっていた心を、どうにか胸の裡にしまい込んで。
私は駿我さんに、お話がしたいと連絡していた。
忙しい人で無理を言っているのに、分かったよと一言で受け入れてくれて。
今日、私は柳ヶ瀬運送の本社で、駿我さんとお話をしていた。
心で感じて、理性で考えた事を告げるために。
りそなから手紙を貰ってから、私の中に確かに火が灯った。
今まで諦めていたもの、意識しないようにしていたこと。
赤茶けた思い出にしようと努力していたそれらは、鮮明に私の中で瞬き始めて。
何かをしたい、何かを為したいという衝動へと変化していった。
――また、兄妹で語り合いたい。
――また、同じ時を過ごしたい。
叫びたい程の想いを自覚して、もう誤魔化しが効かなくなってしまったことに申し訳無さが過る。
奥様に対して、大蔵家に対して、そして事情をややこしくしてしまう駿我さんに対しても。
「また家族で過ごせるように、頑張りたいんです!」
お話がしたいと無理を言って会ってもらった駿我さんに、私は胸の思うがままに告げて。
駿我さんは、その言葉を待っていたよ、と微笑まれた。
さざめくような心、ゾワゾワとする背中。
少しの後悔と、大きな勇気。
色々なものに背中を押されて、私は決意を新たにしていた。
「それで朝日さん、君はどんな手段でそれに望む?」
「――服を、作りたいと思います」
ただ、真っ直ぐに駿我さんへと告げる。
服、と転がすように言って、駿我さんは顎に指を添わせた。
意味を測りかねる、といった様子が見て取れる。
それに私は、これが私に出来る唯一のことですからと告げて。
「どうして服を選んだんだ?
金持ちになって大蔵家と繫がりを作るとか、法律に則って大蔵家と戦うだとか」
「いえ、私が成すべきことは、たった一つだけなんです。
奥様に認められる。
ただそれだけが、必要なことですから」
「すまないが、まだ因果関係が掴めていない。
服を作ることが、金子さんに認められることに繋がる理由は何かな?」
言いたいことが先走って、一足飛びに話しすぎていた。
落ち着いたと思っていたソワソワが、駿我さんの前で話そうと思ったところでまた出てきちゃったのかも。
気恥ずかしさでごめんなさいと小さく言うと、落ち着いて話せば良いさと駿我さんは微笑を浮かべられた。
「前提として、私は家族と暮らす権利を、大蔵家と戦って勝ち取ろうとはしていません。
それでは、逆に反感を買ってしまいますし、認められるという感情からは程遠いところまで行ってしまいます。
ですので、考えたんです。
奥様へと居ても良いと思ってもらえるために、私が出来ることを。
奥様に、喜んで笑みを浮かべて頂けるものを。
今までの積み重ねと、思い出の迷路を巡って」
「それが服、かい?」
「はい、りそなから聞いたことがあります。
奥様は服への拘りがあり、常に一流の服しか身に纏わないのだと。
そして私は不出来で、限られたことしか出来ません。
その限られたことの中から選び取れたのが、服を縫うことでした」
「自信があるのかい?」
「実を言うと、それも分かりません」
目を逸らさずに、駿我さんへ率直に告げる。
話の流れをおかしくするような、メチャクチャな物言いだと理解していたから。
せめて、誠実さを持って伝えたいと思って。
「服飾を選んだ理由、聞かせてくれるかい」
駿我さんは理由を聞いてくれた。
否定の言葉から入らずに、そう思い至った考えに思いを巡らせてくれる。
子供の戯言だともいえる言葉を、すんなりと認めてくれて。
無条件で、この人は私の味方でいてくれると信じられて、心がとても勇気付けられる。
「私が、決死の覚悟で取り組めそうな、唯一のことだったからです」
なので衒いもなく、思うがままに話していく。
服飾を選んだことの理由、私の今までのことを。
私の師匠、メリルさんとの出会い。
服を縫うことを教えてもらい、共に笑い合いながら幸せに暮らしていた日々のこと。
お兄様、大蔵衣遠様との出会い。
欧州を服で席巻する夢を語り、その一助を担うために学び続けた日々のこと。
取り組む毎に好きになって、共にいる人の反応が知りたくなって。
いつか、私の縫った服で驚かしてあげたいと思っていたこと。
認められて、同じ世界で活動したいと思っていたこと。
私の服で、誰かを笑顔に出来ることを夢見ていたこと。
だからこそ、私は服を選んだ。
夢、そう夢だ。
七愛さんの概念が、一番しっくりときたもの。
苦しくとも、辛くとも、愛を持って接し続けられること。
私にとって、それが家族で、服もまた夢だったから。
人との繋がりが、私は服から始まることがあまりに多かった。
だからこそ、強く結びつけたいと思う。
奥様も、何時かは服から繋がることが出来るかもしれないと。
「私にとって、服は夢の形です。
絆の形でもあり、情熱の形でもあります。
私の手で形作られた夢を、奥様に纏って頂きたい。
そうしたら、分かってもらえるかもしれない。
お兄様が世界を相手に服飾で戦うのなら、私は奥様に認められるために服を縫いたいのです」
夢見がちだと、一笑に付されてもおかしくない物言いだった。
正直、自分でもりそなの手紙から歯止めが利かなくなって、気が大きくなっているかも知れないと思ってもいる。
けれど、頑張りたいと思った気持ちは間違いなくて、その為に出来そうな手段がこれだけだったから。
駿我さんは、“夢か”と呟いて、そうして微笑まれた。
「立派な夢だと思う。
身内贔屓も入っているが、君のそういう誰も傷付けようとしない姿勢が何よりも誇らしい。
誰にだって笑われない、いや、俺が笑わせない夢だよ」
前に苦しんでいた姿とは大違いだ、と駿我さんは笑っていた。
私も、駿我さんや多くの人に助けられたお陰です、と笑顔で答える。
実際に、こうして堂々とお話が出来るのは、私が顔を上げる切っ掛けを皆が作ってくれたから。
最初、滋賀に来た時、服を縫うことすら出来なかった。
でも、夜に眠れない時間が出来ると、体が勝手に動いてしまう。
窓際に座って、隠れるようにしながらも手が縫っていた。
服飾の勉強が出来ていたわけではない。
雑誌を買ったり、縫い物をしたりして恋々としていただけだ。
だから、学び続けている人達に努力して並べるかと聞かれたら、正直に言って自信はない。
でも、全力で頑張りたい。
それが、心の底で眠っていた、正直な気持ちだったから。
隠れるように縫い物をしていたのは、縫うことが好きだったから。
奥様を傷付けた私が、楽しみを覚えることに罪悪感を覚えていたから。
でも、湊や七愛さんと遊ぶことは、やっぱり楽しかった。
駿我さんとお話をすると心が安らいで、柳ヶ瀬家の皆に褒められると嬉しくなった。
どうあがいても、私が感情を捨てることが出来ない限りは避けられなかった。
そんな中で、りそなの手紙がとどめだった。
自分勝手な欲望が、もう抑えられなくなっていった。
だったら、もう考えを変えるしかない。
欲望が抑えられないなら、それを使って人の役に立つしかない。
奥様にも、そうやって幸せを届けて、家族の輪に私を含めてもらおう。
それが、開き直った私の結論。
りそなに魔法を掛けられた結果の果ての決意だった。
――また、りそなと会うために。
「ありがとうございます、お優しい駿我さん。
そして、伝えさせてください。
私にとっては、駿我さんが大切な支えになってしまいました。
あの、その……お兄様やりそなと同じく、大切な人だと思っています」
りそなに手紙を貰った時、心の底から愛していると伝えたかった。
けれども、奥様に監視されているりそなの下に、手紙などの物証を残すわけにはいかなくて。
カリンさんに、大好きと言伝するだけが私に許された行動だった。
だから今、こうして出会える人にはしっかりと感謝や自分の気持ちを伝えたかった。
特に駿我さんは、私にとって新しい家族も同然だったから。
でも、こうして口にすると、照れくさくて口がもにょっとしてしまう。
気持ちと口が、とてもこそばゆくて堪らない。
一方で駿我さんも、目を真ん丸にして居られた。
面食らったという表現が、一番的確かもしれない。
「これは……なるほど。
衣遠がああなるのも、金子さんが警戒するのも無理はない。
――これは、無理だ」
「駿我さん?」
「いや失礼した。
初めて、女子相手に胸が高鳴った」
「結構努力して、照れてしまうのを我慢して伝えたんですよ。
なのに駿我さん、直ぐに茶化してしまうんですから!」
何時もの通り、駿我さんにからかわれた。
多分、駿我さんも照れてくれたのだと思う。
でも、照れ隠しに意地悪されると、イジワルです! と言いたくなる気持ちも出てきてしまう。
……でも、駿我さんに俺も大切な家族だと思ってるよと返されていたら、取り繕えない程ににやけてしまったかもしれないから、これで良かったのかもしれないけれど。
「いや、半分本心さ」
「話半分に聞いておきます」
「悪かったって。
俺はどうやら女心にトコトン疎くてね。
朝日さんも、それは知ってるだろう?」
「私は今、弄ばれてしまわれたので、もう信じません」
「本当、だったんだけどね」
ごめんと謝る駿我さんに、私も大人気なかったと思って謝った。
気安すぎるとか、失礼がどうとか、自然と頭から抜け落ちていく。
この距離感が、とても心地よくて好きだから。
「今後ともよろしくお願いします、駿我さん」
「あぁ、こちらこそよろしく、朝日さん」
何となくの形式張って、二人で握手をする。
握った駿我さんの手は、やっぱりゴツゴツしていて、大人の男の人だって伝わってきた。
それからどうするか、幾つか駿我さんと話し合った。
服飾を学ぶ為にはどうするのか。
将来、学ぶのに必要な費用はどうするのか。
駿我さんから借りるとすれば、どれくらいの目処で返済していくのか。
話せば話すほど、学ぶということにはお金が掛かると理解する。
でも、駿我さんは、“言っただろう? 俺はお金持ちだって”という言葉だけで、全てを解決してしまおうとする。
家庭教師の先生や、ミシンなどの費用などを即決で出そうとしてしまって。
慌てて、何時か返すので、働き始められたら伝えてくださいと言って。
「精神的な貸しということでも良いんだけどね」
「それだともう千個は借りているので、利息で首が回らなくなっています」
「では借金のカタに、朝日さんをうちの子にしてしまおうか」
「ちょっと嬉しく思ってしまえたのが悔しいです。
でも、また兄妹で暮らすのが目標なので、申し訳ないですがそれは出来ません」
「やれやれ、また振られたか」
「でも、今の私の名前は小倉朝日です。
大切に思える様になった、私のもう一つの名前です」
「……そういうところだよ、全く」
冗談に本音でお返しをしたら、大きな溜息を吐かれてしまった。
実を言うと、ちょっぴり今の言葉はズルいかもとは思っていた。
だから、ごめんなさい駿我さん。
ちょっとしたイジワルに、仕返しをしてみたくなってしまったのです。
「まぁ良い、それで本題のお金の話だけどね。
取り敢えずは、私的な奨学金ということで行こう。
借金を君に背負わせるのは気が引けるが、真面目な君なら返済すらモチベーションになり得るかもしれないしな」
「ありがとうございます! お優しい駿我さん!」
「無償のところを、貸し借りという事柄に変更したのに。
それでお礼を言われると、おかしな気分になる」
「駿我さんが、私の考えを尊重してくださったことに対するお礼です。
子供という記号ではなくて、個人として見てくださりありがとうございます」
「君と話していると、本当に子供と話しているという自覚が無くなるから。
大人の強権で、無理やり押し通してしまった方が良かったかもと後悔もある」
バツの悪そうな駿我さんに、いいえと私はキッパリと伝える。
私は未だ、与えられる立場に違いはない。
でも、僅かなことでも選択肢から選んで、これが良いと主張した。
ハッキリ言うとワガママで、駿我さんには無視できる権利もあった。
だからこそ、こうして平等に扱ってくれることが嬉しい。
自分のことを大人だなんて口が裂けても言えないけれど、その階段を上がることを見守っていて下さっているから。
私が僅かにでも責任を背負うことを、許して下さっているから。
「立派になります」
それは宣言だった。
私のことで悩んで、考えてくれている駿我さんに対する宣言。
根っこの方には、りそなやお兄様のためにというものはある。
でも、今だけは駿我さんに伝えたいからこそ、言いたいことを言葉にしていく。
「何時か……今より未来に、この時のことを後悔なんてさせません。
駿我さんが立派に育てたんだって、そう胸を張って貰えるような人になります。
だからどうか、私に頑張らせてください!」
頭を下げた。
深く深く、願いの重さと同じくらい。
また伸ばしていた髪が逆さに流れて、僅かに重い。
駿我さんと初めて会った時との違いが、過ごした時間を感じさせられる。
頭を上げて欲しい、と駿我さんの声がした。
ゆっくりと頭を上げると、駿我さんは表情を整えて私を見つめていた。
「言いたいことは色々とあるけれど、端的に伝えるのは難しい。
だから、敢えて一言で済ませるよ」
本心だけれど、勢いもあった宣言だったから。
間を作られると、少し落ち着かない。
そぞろに駿河さんを見上げていると、ポンと私の頭に手を置かれた。
「期待、してるよ」
撫でるわけでもなく、ポンポンと軽く叩いて。
頑張ります、とギュッと拳を握って駿我さんに言って。
………………
…………
……
――その宣言から、月日が幾つも経っていった。
滋賀に来てからおよそ二年ほどが経っていた。
家庭教師の先生に教えてもらって、また服飾に取り組み始めた。
駿我さんの連れてきてくれた先生は褒めて伸ばすタイプだったのか、裁縫とパターンには少しずつ自信が出てきて(逆に、デザインは型通りにしかやらせてもらえなくなったけれど)。
方向性としては、これが正しいのかなと思い始めたところで。
勉強があったから湊と前ほど一緒にはいなくなったけれど、それでも暇を見つけた時はやっぱり湊が隣に居てくれた。
……でも、気が付かない間に、七愛さんと私並みに仲良くなっていたのはビックリした。
相性は良いかもと思ってたけれど、七愛さんの身に何があったのか。
それとなく尋ねてみても、たははと湊は誤魔化して、七愛さんは救われたとしか言ってくれない。
ちょっとだけ、それにジェラシーを感じたのは内緒(七愛さんには見抜かれてた感じがしたけど)。
そうして、気がつけば小学校を卒業して次からは中学生。
制服が可愛いとか、七愛さんと一緒の学校だとか、そんな話を湊としていた。
なので、駿我さんが突然やって来て、唐突に伝えられた内容を聞き間違えかと思ってしまった。
だって、全てにおいて急だったから。
「なんと……おっしゃいましたか?」
「馴染んでいた土地でもある。
ショックなのも分かるし、悪いとも思っている。
だから、君が理解するまで何度だって言おう」
汗が背中を流れて、聞き間違いが無かったかどうかを耳を澄ませて判断する。
「事情が変わってね。
君には欧州、フランスに渡って貰いたいと言ったんだ」
でも、言葉は変わらず、駿我さんは至って無表情で平坦な声で同じ言葉を告げられた。
――愛着が出来たこの土地を、家を、そして友達から、別れる時が迫っていた。
次は滋賀編の最後か、りそなか駿我さん視点の番外編になると思います。