月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
今月から、何とか月2更新には戻していきたいです。
懐かしく感じる感触だった。
素朴だけれど、優しい匂い。
健気で、けれどもピッタリと寄り添うような暖かさ。
私の名前を呼ぶ、柔らかな声。
幾度の夜も、二人で編み物をした記憶が呼び覚まされる。
胸が温かくて……だからこそ感じる罪悪感。
「朝日、朝日っ!」
「ごめんなさい、メリルさん……」
色々あったんです、と言い訳をしたい気持ちもあった。
本当は、私も寂しかったのだと。
けれども、私はそういった諸々の喪失感を、湊や七愛さんと交流することで乗り切ってしまえた。
忘れていた訳ではないけれど、感じていた寂しさのウェイトはある程度緩和できていた。
だからこそ、こうして腕の中にいるメリルさんに対して申し訳無さを感じてしまう。
私だけ、何だかずるいことをしてしまった様な気持ちがあったから。
「――良かった」
でも、メリルさんの口から出た言葉は、私を糾弾するものではなくて。
心の底から、本当に安堵した顔。
目の端に涙を浮かべ、それでも笑顔を浮かべている。
そこに何らマイナスの気持ちは、やっぱり感じられなくて。
それで、私もさっきまで一緒だった駿我さんの気持ちが少し分かった。
後ろめたく思っているところに、好意と勢いで流されてしまう。
胸にごめんなさいという気持ちが沈殿して、それを吐き出せない。
申し訳ありません駿我さん、これは確かに辛いものですね。
「朝日、うん、朝日。
何かおっきくなっちゃってるけど、間違いなく朝日だ。
また、会えた……」
でも、この状況で、メリルさんに手紙を出せなかった不義理を糾弾して欲しいなんて、絶対に言えない。
私だって、メリルさんと再会できたことが、間違いなく嬉しいのだから。
ジワジワと胸に嬉しさが湧き出してきて、メリルさんの気持ちと重なっている。
この状況で、水を差すことはできない……したくないが正しいのかもしれない。
「もしかしたら、メリルさんがちっちゃくなったのかも、しれませんよ?」
「違うよ~、私だって大きくなったんだから!
もしかして、朝日イジワルになった?
私の知ってる朝日は、もっと素直だった」
プクッと膨れたメリルさんに、私は笑うのを堪えきれなかった。
その愛らしさが、今も損なわれていない様子が、とても健気に感じて。
胸が、じんわりと暖かくて。
「ごめんなさい、メリルさん。
それから、ありがとうございます。
私も、こうしてまた巡り会えて、とっても嬉しいです」
私のその言葉に、うんとメリルさんは頷いて。
また私の胸元に、顔をギューっと押し付けた。
まるで、迷子の子供がお母さんを見つけた時みたいに。
それに、何だか申し訳なさをおぼえる。
寂しかったと、回された腕の力が教えてくれる。
ただ、私はそれに抱擁で応えるしかない。
いま話そうと思えば、全てが言い訳がましい言葉で塗れてしまいそうだから。
「朝日」
「はい、メリルさん」
「あさ、ひ」
「ここに居ますよ、メリルさん」
「……うん、嬉しい」
「私も、です」
私達は、
周りの目が痛かったことは、メリルさんは気付いていなかった。
私達が正気に戻ったのは、通りすがりのパリジャンに舌打ちされたから。
道のど真ん中で邪魔だと、つまりはそういうことだろう。
仰る通りです、誠に申し訳ございません。
そういうわけで、私とメリルさんはそそくさとその場を後にして。
目指した場所は、指定されていた宿泊先。
私は駿我さんから、メリルさんは何とお兄様から!
「お、お兄様にお会いしたのですか?」
「うん。怖い人だけど、朝日をとても大事に思っているみたい」
眉を下げて、困ったようにメリルさんは言う。
多分、お兄様の雰囲気がメリルさんをそうさせてしまったのだろう。
でも、それでもお兄様を恐ろしいだけの人だと断定しないのは、彼女の目を通して見たものがあるから。
私の目から見たものとは、多分違う景色だったのかもしれない。
「私のことを……?」
「そう。朝日のことを語る時、衣遠さんはどこか遠くを見て。
思いを馳せる、そういった感じ。
だから、とても朝日は思われてる。
朝日が衣遠さんを想う気持ちと同じく、衣遠さんも朝日のことを」
それは、私が時折妄想していた、願望のような話だった。
私はお兄様の妹としてはあまりに不出来で、だからそこまで期待されていないと感じていたから。
でも、もしかすると、お兄様も家族の情というものを感じてくださっていたのかもしれない。
胸が、トクンと跳ねる。
もしも、とても都合の良い言葉。
何時も私を慰めてくれる、フワフワとしたもの。
けれど、それが現実だったら?
期待感だけが、胸の内側で膨らんでいくのを感じる。
弁えろ、身の程を知れ、と内側から囁く声もある。
どちらも、私の中にある気持ち。
いずれかは、選択しなければいけない。
でも、それは今でなくても良い。
そう言い聞かせて、私は選ぶのを棚上げした。
どちらかを選ぶ勇気も、臆病さも、まだ足りてなかったから。
「そうだと、嬉しいです」
「朝日は私の言うこと、信じられない?」
「メリルさんの言うことだから、真に受けてしまいそうで困っています」
そう言うと、メリルさんはマジマジと私の目を覗き込んできた。
覗き込む、というのは探る時に行われる動作だと、どこかで聞いた記憶がある。
では、メリルさんは何を探しだそうとしているのだろうか。
考える余裕はなく、メリルさんは口を開いた。
「朝日、衣遠さんのこと大好きなのに……」
含みがある、憂いた言い方だった。
メリルさんの中では、私とお兄様は家族同士で心配し合っているというのが事実なのかもしれない。
けれども、一方的に好意を抱いていたからといって、無条件でお兄様も私を愛してくださっているとはどうしても思えない。
能力こそが、才能こそが至高と考えているお方だから。
浅学非才な私が、何をもってお兄様の志のよすがに入れるというのだろうか。
まだ、お兄様に誇れる程の才能を持たない私が。
「夢とは、どんな時だって愛を持って語れるもの」
「? どうしたの、急に」
「いいえ、昔、友達から教えてもらった概念です」
七愛さんは言っていた。
夢とは、好きで居続ける気持ちのことだと。
私も自分の夢に、家族の形があると自覚した。
りそなだって、きっとそうで居てくれている。
でも、自分の夢は誰かの夢ではないから。
だから、この期待は夢想に違いなくて。
それでも、と思ってしまう。
「私は何時だって、お兄様のことを敬愛しています。
だから、もし、です。
もし、お兄様が私のことを家族であると思い続けているのなら……」
心の底から、あさましくも一つの欲望が湧き出てくる。
間欠泉から吹き出す温水の様に、勢いがある無謀な望み。
「――また、お兄様とお会いして、話がしたい」
お兄様は、あの別れの時に自らのことを顧みず呼び止めて下さった。
その好意を無下にした私が言うには、厚顔無恥なことは承知している。
けれども、間違いなく私の浅ましい心はそれを望んでいる。
衣遠さんやお兄様が現実を見ている中で、私だけで都合の良い夢を見ている。
どうか、最後は幸せにあれますように、と。
「叶うよ、きっと」
そんな私に、メリルさんは天使の様に微笑んだ。
邪気がない、本当の思い遣りを持った素敵な笑み。
もしかしたら、メリルさんは御使いなのかもしれないと思う時があった。
「朝日が良い子なのは、みんな知っているから。
だから大好きで、会いたいって思う筈だよ」
「私は、悪い子です……」
「そんなことはないよ」
「メリルさんに、手紙を出しませんでした」
「………………ちょっぴり、悪い子だったね」
「はい」
メリルさんに悪い子と言われてしまった。
神様、お母さま、お月様、私は悪い子だと明記して下さい。
メリルさんにそう言われたのなら、もうそれが真実なのですから。
「でも、大丈夫だよ!
朝日がちょっとだけ悪い子でも、良い子の割合の方が多いから!
サンタさんだって、毎年プレゼントをくださったでしょう?」
「それは、まぁ、はい」
脳裏に浮かぶ、コソコソとした足音に、メリークリスマスと小さく呟いたおじさんの声。
毎年ありがとうございました、柳ヶ瀬のおじさん。
一方で、私の言葉に深くメリルさんは頷いて。
「だったら、悪い子じゃないってことだよ。分かった?」
その言葉に対して、否定しづらいロジックだと苦笑いしてしまう。
おじさんの好意を、笑顔で受け止めていた自分が違うとは言いたくなくて。
「分かりました、そういうことなら、ですね。
メリルさん、暫く見ない内に口が上手くなりましたね」
「違う、朝日が減らず口になっただけ」
「そうでしょうか?」
「そうなの」
言い切るメリルさんは、私が知っている以前の彼女と微塵も変わらない。
そして、私の口数が以前と比べて増えたのも事実。
というよりも、以前サヴォアに居た時は、感覚がフワフワとしていた。
辛いことが多すぎて、現実から浮遊してしまったみたいな気持ちで。
だから、そんな私の面倒を見てくれていた修道院の皆さんには、本当に感謝の念が絶えない。
特にメリルさんに対しては、特段にそう思っている。
裁縫を教えてくれて、私の手を引いて現実に踏みとどまらせて、辛い時に寄り添い続けてくれたから。
今度は、私がメリルさんの力になれたらと思うくらいに。
「なら、お喋りな私は嫌いですか?」
そう尋ねると、メリルさんは首をフルフルと振る。
愛らしい動作だけど、ちょっと目がジトーっとしていた。
「嫌いになる訳ないよ、だって朝日なんだから。
でも、生意気な朝日より素直な朝日の方が好きかも」
「では、メリルさんに好かれる私でいましょう」
確かに、修道院に居た頃は、私はメリルさんの後ろを付いて歩く雛鳥だった。
たくさん甘えていたのも、間違いのない事実。
逆に考えると、私が素直に甘えられる相手とも言える。
左手の指先で、メリルさんの右の手の甲をツンと突いた。
愛らしい、小柄だけれども経験を重ねている手。
りそなや湊と違い、修道院の家事やお手伝いをしている庶民の手。
かつての私に、服飾を教えてくれた優しい手。
そうだ、あの時の私は、メリルさんの顔の次に手を見ていた。
メリルさんに褒めてもらいたいと、もっと裁縫について深く知りたいと思っていたから。
そう、この小さな手が糸の魔法を生み出しているのだと、私は今でも信じている。
「わっ、いきなり手を突かないで朝日」
「驚かせてすみません。
ただ、お師匠様の手だなって」
そう言うと、メリルさんは不思議そうに自分の手を見つめて。
次に、私の左手をニギニギと、確かめるように触れられた。
懐かしむような、けれども少し分からなさそうな。
「朝日の手は……少し変わったね」
「そう、ですか?」
「家事疲れしてない、お嬢様の手みたい」
その言葉に、私は確かにと頷いた。
滋賀に行ってから、とても大事にされていた覚えがあるから。
家事洗濯は手伝っていたけれど、学校との兼ね合いもあって殆どを柳ヶ瀬のおばさんがやってくださっていたから。
子供は遊んでなさいと、私が居ない間を縫って飄々と家の課題を片付けてしまう。
まるで職人さん、少しの訓練を経られれば一流のハウスキーパーにだってなれるだろう。
だからか、私の手は家事疲れをしていない。
針胼胝だけが指に残った、限りなく普通の女の子に近い手。
それが何だか、ちょっと恥ずかしく感じてしまう。
「別に、怠けていたわけじゃないんです」
言い訳がましくそう伝えると、メリルさんは分かっていると一つ頷かれて。
それどころか、とても嬉しそうな顔をされる。
どうして? とこちらも疑問に思っていると、優しい声でメリルさんは伝えてくれた。
「マザーが言ってた。
慈しむ手も、慈しまれる手も、両方が美しいのだと。
だから、綺麗な手を持つ相手に、引け目を感じる必要はありません。
貴方のその手もまた、美しいのですと」
メリルさんが私の手を取って、優しく撫でて下さった。
擽ったいその感覚は、けれども心地良くて。
自然と、言葉と共にその行為を受け入れていた。
「朝日の手が綺麗になっているのは、とても慈しまれていたから。
それは恥じ入る必要はないし、喜ばしいこと。
だって、朝日がとても大切にされていたって証明だから。
それって、素敵なことだよ」
メリルさんの言葉を、私は否定する術を持たない。
私の周りの人達からの思い遣りを受けた手、そう考えるととても大切なものにも思えてくる。
もう駿我さん以外とは別れてしまったけれど、それでもその優しさが手に残っていると考えたら、とても励みになりそうだと思えるから。
「流石はマザーです」
私のその言葉に、メリルさんは嬉しそうに首肯した。
「うん、マザーは間違えないから」
そんな私達のこれまでを振り返りつつ、辿り着いた場所。
それは、パリの街に溶け込んだ下宿の一つ。
メゾンド・パピヨンと看板が掛かっている、恰幅のいい大家さんが出迎えてくれた所だった。