月に寄りそう乙女の作法 Nomadic Rapunzel 作:ペタンコ
第1話 幼年期の終わり
拝啓、親愛なるメリル・リンチ様。
私が修道院を離れて幾月か経過致しましたね。
冬のサヴォワで、如何お過ごしでしょうか?
私が住んでいる東京は、確かに寒い気配はするものの、あの雪の降りしきるサヴォワに比べれば極めて温暖といえる環境です。
また、体だけでなく心も暖かく、今は家族と共に暮らしております。
そうです、家族です。
日本で私を待っていてくれたのは、血の繋がった妹でした。
名前をりそなと言い、美しいお姫様の様な少女です。
何かと私の事を気に掛けてくれており、多くの面で助けられています。
私も日本人であったとはいえ、こうして暮らすのは初めての祖国。
多くの物が目新しく、聞くと見るとの違いを実感するばかりです。
また、私の家族は妹だけでなく、偉大な兄にも会うことが出来ました。
この御方は、私の生家を支える優秀な方で、毎日を忙しく過ごしておられます。
ですが、時折私とりそなの様子を見に来てくださいます。
兄は私と妹に期待を掛けてくれており、様々な事を学ぶ機会を与えてくださいます。
特に、メリルさんに教わった裁縫に関しては、続けろと仰って頂けました!
これからも、貴方や修道院の皆様、また兄妹の事を思いながら糸を繰りたいと思います。
いつか、メリルさんと並んで作業できる日を夢見て。
そういえば、メリルさんは、日本人の血が混じっていると仰っていましたね。
もし機会があれば、この日本へいらしてください。
ソメイヨシノと呼ばれる、日本の国花が咲き乱れる春の光景を一緒に見ましょう。
貴方と同じものを綺麗と感じ、素敵だと思えたら私は嬉しいのです。
ですから、これは私の個人的な欲求です。
メリルさんと、また二人で裁縫ができることを望んでいます。
……察してしまわれたかもしれませんが、実を言うと修道院での生活に未練があります。
穏やかで、変わらない日々。
小さな幸せが、毎日コツコツとある生活。
大きな幸せも、不幸も、きっと変化と共にやってくるのです。
故に、その変わらない日々を、私は惜しく思います。
ですので、また会える日まで、メリルさんを懐かしませてください。
思い出は、誰にも取り上げることのできない、魔法の宝箱でありますので。
それでは、またお会いできる日を切に願っております。
修道院で得た温もりを、今後とも胸に抱いておりますが故に。
大蔵朝日より、祈りを込めて。敬具
日本に着いた時、真っ先に案内されたのはとあるマンションの一室だった。
数は素っ気ないが、品質は上等と言って良いほどのインテリア。
窓からの景色は、この青山を一望できる程の高層。
一目で、良い部屋だと分かる場所だった。
でも、そこで一番異彩を放っていたのは、部屋や景観ではない。
部屋の中心で立っていた長身の男性こそが、この部屋で一番のインテリアであり、主人であると一目で理解できた。
「お初にお目に掛かります、大蔵衣遠様。
私の名前は、大蔵朝日と申します。
偉大なる衣遠様にお会いできて、光栄です」
「大蔵衣遠だ、どうやら世辞を述べる程度の能力はある様だな」
冷然とした人だった。
声に温かみがない、あるのは確かに感じる圧の類。
かつてマンチェスターのお屋敷で見た、背中と確かに重なる。
彼は私を観察していたのだろう、ジッと見つめていた。
そして、顔を顰めて、吐き捨てる様にして告げた。
「お前には忌まわしいことに、我が父の血を引いているらしい。
卑賎な血が混じっていようと、大蔵の血族であることは証明されている。
ならば、この俺を兄と呼ぶ義務がある」
それは、唐突に与えられた義務であった。
兄、それは特定の家族を呼ぶ時に用いる呼称。
今まで、会話を交したことのない人を呼ぶ言葉としては、些か不適切な気もする。
――でも、私の中に何らそう呼ぶ事への抵抗はなかった。
むしろ、歓迎さえしていたのかもしれない。
「ありが、とう、ございます、お優しい衣遠兄様」
「ちっ、雌犬から引き継いだ情を引き出す手段か。
惰弱なる妹め、体面だけの言葉で涙を流すとは、恥を知れ」
吐き捨てる様な言動さえ、不思議と傷つかなかった。
この人が私の家族になってくれたと、そう思うだけで救われた気さえしたから。
天涯孤独になってしまったと、そう思っていたところに差した光がこの人だった。
マンチェスターのお屋敷では、私は使用人見習いに過ぎなかった。
遠くから、大蔵の血筋の背中を眺める事しか許されなかった。
でも、そんな私に、衣遠兄様は兄と呼ぶことを許してくださった。
衣遠兄様から、初めて与えられたもの。
それは、私にとって掛け替えが無くて、とても大切なもの。
流した涙を拭い、私は彼の目を初めて真っ直ぐと見た。
「衣遠兄様と家族になれたこと、とても嬉しく思います。
兄様のお役に立てる様に、精一杯頑張ります」
「ふん、その媚び諂いがどこまで続くか見物ではある。
だが、家族の情に縋る惰弱さは唾棄すべき弱さだ。
心から認められたいのであれば、才能を示せ。
己の有用性を証明して見せろ、それが貴様の義務だ」
やはり、暖かさを感じることはない視線であった。
でも、その目の中に、僅かな揺らぎを感じる。
眼光のレンズが反射して、私の願望を映し出しているだけかもしれない。
それでも、私は都合よく理解したいと、そう思った。
「理解いたしました、衣遠兄様。
兄様のお役に立てる様に、精進いたします」
「それで良い、俺には未だ使える駒が足りていない。
その為には、お前の様なものも用いる。
俺が期待しているのはお前ではない。
お前に流れる大蔵の、万に秀でるその血筋だ。
それをよく覚えておくことだ」
いつか、衣遠兄様に認められたい。
未熟な身なれど、そう思う事が私の夢となり、希望となった。
その為に頑張ろうと、たった今、そう決めていた。
利用されるだけの関係でも一緒に居られるのなら、家族として心から認められる事があると信じて。
「貴様には様々な課題を与える、物にしてみせろ。
それと、話には聞いている。
裁縫をサヴォワで行っていたそうだな?」
「はい、依頼のあった衣服を修復し、仕立て直す作業をしておりました。
不勉強ながら、手で作業を覚え、経験を積ませていただきました」
裁縫、メリルさんと行っていた二人の神聖な儀式。
優しくも厳しい師匠が、私に与えてくれたもの。
あの時間が、私に楽しさを教えてくれた。
思い出となるには、まだ地続きで手が覚えている技術。
それを、衣遠兄様は……初めて表情を変え、僅かに嗤いながら私に命じられた。
「ならば、それをこの場で見せてみろ。
この俺、大蔵衣遠は服飾を愛し、いずれは欧州を俺の服が席捲する事を夢見るデザイナーだ。
お前は凡才か、それとも原石であるのか、それを見極める」
「……よろしいの、ですか?」
「見極めるといった。
芽が無いのなら、その技術と誇りを粉砕する。
服飾の道に、醜悪さがあるのを俺は許さない。
それが、身内であるのならばなおさらな」
正直に言えば、胸がドキドキした。
早速、衣遠兄様のお役に立てる道を示してもらえて、それが私に楽しいという感情を与えてくれたものだったから。
ありがとうございます、お優しい衣遠兄様、メリルさん。
私、本気で取り組めるものを見つけたかもしれません。
お母さま、どうか見守って居てください。
朝日は、この技術で衣遠兄様を支えてみせます!
やる気マンチェスターです!
……………………
………………
…………
……
「今まで学んできた技術、その全てを捨てろ」
――メリルさん、私の師匠、聞こえておられますか?
――現実は厳しいものです、打ちのめされてしまいそうな程に。
「
着やすい服を縫うには良いが、それを重視しすぎている。
大蔵の名に泥を擦り付けるつもりか、屑め」
「申し訳、ございません……」
少しは褒めてもらえるかもしれない、そういう願望があった。
あのメリルさんのお陰で、少しだけ自信も芽生えかけていた。
だから、現実とのギャップが、息苦しく感じてしまう。
「謝るのは簡単だ、能無しでも出来る。
だが! それを無条件で行う事は凡俗の行為!
屈辱と憤怒を感じられぬ者に、成長の兆しはない」
再度の、申し訳ありませんという言葉を飲み込む。
言った瞬間、彼は私を切り捨てると理解できたから。
見せかけではない、変わりの誠意を、衣遠兄様は証明してみせろと言っているのだ。
「衣遠兄様が望む服を縫える様に、何度も服を縫います。
努力をし、そのお役に立てる実力を身に着けます」
言葉にした、してしまった。
この人は実力のない者の大言壮語を嫌うと、今までの才能を愛する姿勢からも理解出来る。
なら、この言葉を達成できなかった時、私は捨てられてしまうのかもしれない。
それは……苦しい、ようやくこうして会えた家族だから。
「良いだろう、放言したからにはやってみせろ」
「良い、のですか?」
「縫った物に、着た者に対する姿勢が見えた。
機械の如く作業する人間に身に付くものではない。
お前の縫った服を着た人間が、守られていると錯覚する物を縫える素養はある」
技術が追い付かなければ塵に等しいが、と衣遠兄様は最後に付け加えられた。
でも、私は心底からホッとした。
素養があるとか、そういう事に対してではない。
メリルさんとの時間を、全否定されなかった事に対しての安堵。
あの時、メリルさんが教えてくれた楽しさが服に残っていた。
メリルさんの気持ちが、私を包んで守ってくれた気さえした。
「ありがとうございます、お優しい衣遠兄様」
「今のままでは使い物にならん。
これから与える教材に、服飾全般のものも与える。
デザイン、型紙、裁縫、これら全てを行え」
「誠心誠意、初心を忘れずに励みます」
沢山学びたい、多くの事を身に着けて誰かの役に立ちたい。
マンチェスターのお屋敷にいた頃から思っていたこと。
でも、それは漠然と思っているだけで、具体性が何もなかった。
それに、僅かに色が滲み出したような気がした。
また、かつての様な教育が行われるのだろう。
サヴォワでは、送られてきた物を自習するしか無かった。
家庭教師の先生方は苛烈な面もあった。
だけれども、確実に自己学習で進めるよりも、確かに効能はあったのだ。
「惰眠を貪るな、本気で取り組め。
それが、お前の成すべきことだ」
衣遠兄様の言葉に、しっかりと頷いた。
誰かの、ううん、家族にお役に立ちたいから。
僅かな高揚が、私の中で火種の様に燻っていた。
正直、やる気マンチェスターです! はどうしようかと思いましたが、心の中の遊星君が”だったら、やる気マンゴスチンです!”と胡乱な提案をしてきたので、このまま残しました。
因みに、こちら没にしたもの。
ありがとうございます、お優しい衣遠兄様、メリルさん。
私、本気で取り組めるものを見つけたかもしれません。
「やる気マンチェスターです!」
「はや狂ったか! 愚かなる妹よ!」
これを口に出せる関係性なら、朝日も少し楽な道を歩けてると思います。